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あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

織田氏の城下町 小幡を訪ねる(群馬・甘楽町)

2011-05-27 10:51:29 | カントリーウオーク
 5月22日(日)
 
 宿泊した富岡市の大島鉱泉で7時から朝食、玄関前で記念撮影後、宿のマイクロバスで東隣
の甘楽町(かんらまち)の麻場城址(あさばじようし)駐車場まで送ってもらい、8時50分に出発
した。


 麻場城は、戦国時代初期の、この地の豪族、白倉(しらくら)氏の居城。東方にあった仁井屋
(にいや)城と合わせて「白倉城」と呼ばれ、典型的な別城一郭(べつじょういっかく)(双子城)
だったという。

 東北端の駐車場から北斜面を上がり、笹曲輪(ささくるわ)から空堀の橋を渡って本丸跡に入
る。現在は、広い芝生地の中心に広葉樹が2本立つのみだった。


 二の丸を経て農道に入り、近くに立つサイロを眺めながら西に下って白倉川沿いに出た。右岸
から左岸に回り、天神集落の白倉神社で最初の小休止をする。



 色鮮やかなポピーの咲き競う民家の横を南へ、上信越自動車道の手前を上がる。今日も早くも
蒸し暑くなってきたので、文化会館のそばで水分補給をした。

 上信越道の橋を渡り、農道を南へ。路傍に、クサフジの色濃い花がたくさん咲く。



 野沢菜を収穫中のご夫妻の畑の横を通過、下引田から標高257m三角点のある台地に向かっ
て農道を上がる。

 展望が一層開け、西側眼下にこれから向かう小幡(おばた)の家並みなどが見下ろせるが、今日
もちょっと霞んでいる。


 この辺り、地形図上は桑畑だが、養蚕を止めたいま、大きく伸びて実を付けたクワの間に篠竹
(しのだけ)などが茂り、山林のようになっていた。


 ピークの西側を下って行くと、黄色いクサノオウが咲き、ワラビ畑にワラビが伸びている。路傍の
ワラビはよかろうと、軟らかそうなところを少し摘んできた。

 小舟集落を南に抜け、広々とした畑作地帯を西へ、庭谷川を越えて西側の低い台地に上がる。
かやぶき屋根にトタンを被せた赤城神社に、背後から入って休憩する。


 晴れていた空に雲が広がり、蒸し暑さは和らぐ。赤城集落を南に進み、県道46号に出て少しで、
織田氏7代の墓地に上がった。

 この地小幡は、元和元年(1615)に織田氏の所領となり、その後約150年にわたり治められた
とのこと。


 墓地には、織田信長の二男、織田信雄(のぶかつ)から七代信富(のぶとみ)までの五輪塔が並
び、そばの菩提寺、崇福寺(そうふくじ)の位牌(いはい)堂には、歴代城主の位牌が安置されて
いた。

 県道を越えて、西に平行する雄川堰(おかわぜき)の遊歩道に回る。清流のところどころに、民家
の洗い場が残っている。きれいな流れに沿って上流に向かうと、「吹上の石樋」(ふきあげのいしとい)
と呼ぶ、下の小さい流れと交差するところがあった。


 慶応元年(1865)、7か月と約250人の手間を費やして造られた、長さ6mの巨大な一枚岩を組
み合わせたもの。

 遊歩道をさらに上流に向かい、川岸にニセアカシアの咲き競う先にある、雄川との合流点まで行
き、雄川堰の取水口を確認した。


 ちなみに雄川堰は、水田の潅漑用水や、名勝楽山園、生活用水、防火用水として利用されていて、
日本名水百選、疎水百選に選定されている。

 空を覆っていた雲が黒ずみ、間もなく雨になりそう。取水口から500mほど戻り、雄川の橋を渡っ
て左岸に回り、長厳寺(ちようごんじ)に行く。

 七福神の毘沙門天の寺で、境内右手の斜面を上って行くと、垂直の岸壁に大きな磨崖仏(まがい
ぶつ)が彫られていて、下には古い石仏が幾つか並んでいた。


 境内に戻って本堂の左手奥に回ると、大岩の上に松の生えた岩を乗せた、天狗岩もある。

 寺から雄川右岸に下ったら、予報通り雨になった。宿から届けられた弁当をもらい、右岸の遊歩
道を先に進む。次の橋の先にあった東屋の中で昼食にする。


 食事を終える頃には本降りになった。雨具を付けて、13時に出発する。橋まで戻って左岸に回り、
両岸に広がる甘楽総合公園に入り、下流に向かう。桜並木が続き、川岸のヤマボウシが、たくさん
花を付けていた。

 さらに川岸を進み、国指定文化財の名勝・楽山園(らくさんえん)に入る。織田信雄が造った江戸
時代初期の池泉回遊様式の庭園で、広い芝生地の中心に池を設け、高台には二つのかやぶき屋
根の茶屋があり、趣ある景観が広がる。


 東北には、復元されたばかりの中門や拾九間長屋があり、その中門から楽山園を出た。

 第二中に沿った長い塀沿いに進み、喰い違い郭(くるわ)のところで左折して武家屋敷の残る一角
に進む。

 奥方や腰元が住んでいたという松平家や、最も昔の様子を残すという高橋家↓の横を通過する。
高橋家の裏手には、ムクロジの高木と御殿ザクラの大木が残されていた。


 石積みの垣根が続く中小路を東へ。県道46号に出て北に少しの十字路際に、赤煉瓦の大きな建
物があった。

 大正時代の倉庫を改装した歴史民俗資料館。道路を挟んで町営無料お休み処もある。ここで30分
の自由時間とする。


 歴史民俗資料館には、原始から近現代に至る甘楽町ゆかりの資料などが展示されている。中には、
小幡氏の武具、木彫の円空仏3体、神仏混交時代の神輿(みこし)、養蚕の用具など、珍しい展示も
あった。


 交差点の北側からしばらく、雄川堰に沿って桜並木が続き、古い民家や商店などが残っている。


 すこし行き過ぎて戻り、東側高台にある小幡八幡宮に参拝する。織田三代信昌の時代に創建された
神社で、例大祭には屋台や神楽で賑わうようだ。


 下町付近まで進んだ頃、雨が上がり、西方に妙義山の岩峰などが望まれるようになった。


 雄川堰に沿った県道197号を進んで、上信越自動車道の下を抜け、甘楽町役場の北にあったホー
ムセンターの広場で雨具を脱ぐ。

 堀向で県道に分かれ、雄川堰沿いの遊歩道を小川集落まで行く。国道254号を横断し、上信電鉄
上州福島駅に16時12分に着いた。雨で気温が下がり、駅の温度計は20℃を示していた。

 16時21分発上り電車に乗り、高崎駅発17時26分などの高崎線上りで帰路についた。

 (天気 曇雨後晴、距離 13㎞、地図(1/2.5万) 上野吉井、富岡、歩行地 甘楽町、歩数
  21,100、累積標高差 約460m)


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