2011年5月8日(日)
埼玉県内を中心に歩くカントリーウオークグループの、第183回例会は好天に恵まれた。集合地の西武
池袋線飯能駅には、久しぶりの21人が集まり、4組に分かれて、10時10分に駅前をスタートする。
==飯能河原から奥武蔵自然歩道へ==
駅の北側、線路沿いを西に向かう。仲町二丁目に、秋の飯能まつりに曳(ひ)かれるという山車(だし)の
保管庫があった。
こども図書館の横から、名栗川の割岩(われいわ)橋を渡る。
右岸のフジが花を見せ、下の飯能河原には、行楽の人がかなり見える。その河原に下って冠水橋を渡り、
左岸にある水天宮の小さな社の前を通過して、観音寺へ。
江戸時代には、高麗(こま)郡三十三か所霊場として信仰をあつめたという。境内の、クジャクの羽を光背
(こうはい)にした石像や、四国八十八霊場のお砂踏所、屋根下に収まる白象像などが目についた。
近くの諏訪八幡神社には、縁結びのご神木になっている、丹荘樹(たんしょうじゆ)と呼ぶカシの大樹が立
っていた。
市民会館と郷土資料館の間を抜けて、北側の能仁寺(のうにんじ)に入る。綱吉から五十石の朱印状を賜
るなど、徳川家の信任あつく、末寺も20か寺を数えたという。
山門を入ると、中心に立派な本堂がある。広い境内の庭木はよく整えられ、モミジなどの新緑とツツジが
色鮮やか。東屋周辺で、集まってきた各グループとも水分補給をする。
寺の東側から、天覧山への登山路が始まり、好天に誘われ、多くのグループが次々に上って行く。
ヤマツツジの咲き競う登山路を上がり、中間の広場を過ぎると、山頂直下の岸壁に、元禄年間(1688~)
に徳川綱吉の生母、桂昌院(けいしよういん)が奉納したという十六羅漢が祭られている。
標高195mの天覧山は、明治16年(1884)、明治天皇が近衛兵演習を視察のために登頂されたところ。
展望台があり、奥武藏や奥多摩の山並み、飯能の市街地などが一望できる。
ちょうど山頂に到着したグループのメンバーで、記念撮影をする。
林間の遊歩道を北側から東に下り、西武池袋線のガードをくぐる。国道299号を横断して奥武蔵自然歩道
に入った。
新緑あふれる林間を緩やかに上がり、切り開かれて新しいベンチなどが作られているところを過ぎる。滝不
動尊方面への分岐点、松や広葉樹林下の平坦地が今日の昼食地。12時10分に着き、落ち葉の上にシー
トを敷いて昼食とする。
==宮沢湖を回り趣ある社寺をめぐる==
13時15分に出発する。新緑の広葉樹林下の奥武蔵自然歩道をさらに進み、高麗峠(177m)を通過する。
武蔵丘ゴルフ場の金網が現れた辺りで、Sさんが両足にけいれんを発症する。皆でペースを落とし、ゴルフ
場の池の横から、ゆっくりと小さい尾根を上り下りして、宮沢湖の西岸に下った。
宮沢湖は、昭和10年(1935)から16年にかけて作られた貯水池で、面積は16.4haあり、飯能、日高、入
間市に潅漑用水を供給しているという。
静かな湖面には、釣り人のボートがたくさん並んでいる。
北側の谷間や、近くに咲くフジの花などを見ながら堰堤(えんてい)を通過し、東側の簡易な飲食店や釣り堀
などのあるところから、Sさんはバス停に向かう。気温が上がり暑くなったので、休憩所でしばらく休憩した。
開花間近なトチノキの並木の近くから林間に上がり、県道30号の西側斜面をトラバースする遊歩道を南に
向かう。
中居集落の東端あたりで県道に出て、間もなく集落の山すその里道に入って清泰寺へ。方形屋根の法羅堂
に、鎌倉時代の木造阿弥陀如来が祭られているという。
山すそを西へ、少し先には、ツツジが咲き格好良い老松が目につく宝蔵寺があった。寺では、小石に1文字
から数文字の経文を書写して埋納された一字一石経が、6万個も出土されているという。
梅林のそばなどを通過して次の中山集落に入ると、上杉家の家来で、集落の名のもととなった中山氏ゆかり
の加治神社がある。2対ある狛犬の、奥の右手の犬の笑い顔が可愛らしい。
住宅地を南西に進み、国道299号バイパスの南にある心応禅寺へ。広い境内には、手入れされた樹木が多
く、どっしりした本堂と禅寺らしい山門が目につく。
その山門を出て左手に、カメが甲羅を干す弁天池があり、中の島に朱塗りの弁天堂が祭られていた。弁天島
の橋で記念撮影をする。
西武池袋線の、車の通れぬ踏切を渡って八幡町に入った。ここも境内は広く、今日回った寺では一番の大本
堂が、どっしりとした構えを見せていた。
近くの八幡神社には、新緑の若葉がみずみずしい大クスが立つ。ここで締めのミーティングをして、中心街に
入り、17時ちょうどに、飯能駅前にゴールした。
(天気 晴、参加 21人、距離 12㎞、地図(1/2.5万) 飯能、歩行地 飯能市、歩数 22,800)
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埼玉県内を中心に歩くカントリーウオークグループの、第183回例会は好天に恵まれた。集合地の西武
池袋線飯能駅には、久しぶりの21人が集まり、4組に分かれて、10時10分に駅前をスタートする。
==飯能河原から奥武蔵自然歩道へ==
駅の北側、線路沿いを西に向かう。仲町二丁目に、秋の飯能まつりに曳(ひ)かれるという山車(だし)の
保管庫があった。
こども図書館の横から、名栗川の割岩(われいわ)橋を渡る。
右岸のフジが花を見せ、下の飯能河原には、行楽の人がかなり見える。その河原に下って冠水橋を渡り、
左岸にある水天宮の小さな社の前を通過して、観音寺へ。
江戸時代には、高麗(こま)郡三十三か所霊場として信仰をあつめたという。境内の、クジャクの羽を光背
(こうはい)にした石像や、四国八十八霊場のお砂踏所、屋根下に収まる白象像などが目についた。
近くの諏訪八幡神社には、縁結びのご神木になっている、丹荘樹(たんしょうじゆ)と呼ぶカシの大樹が立
っていた。
市民会館と郷土資料館の間を抜けて、北側の能仁寺(のうにんじ)に入る。綱吉から五十石の朱印状を賜
るなど、徳川家の信任あつく、末寺も20か寺を数えたという。
山門を入ると、中心に立派な本堂がある。広い境内の庭木はよく整えられ、モミジなどの新緑とツツジが
色鮮やか。東屋周辺で、集まってきた各グループとも水分補給をする。
寺の東側から、天覧山への登山路が始まり、好天に誘われ、多くのグループが次々に上って行く。
ヤマツツジの咲き競う登山路を上がり、中間の広場を過ぎると、山頂直下の岸壁に、元禄年間(1688~)
に徳川綱吉の生母、桂昌院(けいしよういん)が奉納したという十六羅漢が祭られている。
標高195mの天覧山は、明治16年(1884)、明治天皇が近衛兵演習を視察のために登頂されたところ。
展望台があり、奥武藏や奥多摩の山並み、飯能の市街地などが一望できる。
ちょうど山頂に到着したグループのメンバーで、記念撮影をする。
林間の遊歩道を北側から東に下り、西武池袋線のガードをくぐる。国道299号を横断して奥武蔵自然歩道
に入った。
新緑あふれる林間を緩やかに上がり、切り開かれて新しいベンチなどが作られているところを過ぎる。滝不
動尊方面への分岐点、松や広葉樹林下の平坦地が今日の昼食地。12時10分に着き、落ち葉の上にシー
トを敷いて昼食とする。
==宮沢湖を回り趣ある社寺をめぐる==
13時15分に出発する。新緑の広葉樹林下の奥武蔵自然歩道をさらに進み、高麗峠(177m)を通過する。
武蔵丘ゴルフ場の金網が現れた辺りで、Sさんが両足にけいれんを発症する。皆でペースを落とし、ゴルフ
場の池の横から、ゆっくりと小さい尾根を上り下りして、宮沢湖の西岸に下った。
宮沢湖は、昭和10年(1935)から16年にかけて作られた貯水池で、面積は16.4haあり、飯能、日高、入
間市に潅漑用水を供給しているという。
静かな湖面には、釣り人のボートがたくさん並んでいる。
北側の谷間や、近くに咲くフジの花などを見ながら堰堤(えんてい)を通過し、東側の簡易な飲食店や釣り堀
などのあるところから、Sさんはバス停に向かう。気温が上がり暑くなったので、休憩所でしばらく休憩した。
開花間近なトチノキの並木の近くから林間に上がり、県道30号の西側斜面をトラバースする遊歩道を南に
向かう。
中居集落の東端あたりで県道に出て、間もなく集落の山すその里道に入って清泰寺へ。方形屋根の法羅堂
に、鎌倉時代の木造阿弥陀如来が祭られているという。
山すそを西へ、少し先には、ツツジが咲き格好良い老松が目につく宝蔵寺があった。寺では、小石に1文字
から数文字の経文を書写して埋納された一字一石経が、6万個も出土されているという。
梅林のそばなどを通過して次の中山集落に入ると、上杉家の家来で、集落の名のもととなった中山氏ゆかり
の加治神社がある。2対ある狛犬の、奥の右手の犬の笑い顔が可愛らしい。
住宅地を南西に進み、国道299号バイパスの南にある心応禅寺へ。広い境内には、手入れされた樹木が多
く、どっしりした本堂と禅寺らしい山門が目につく。
その山門を出て左手に、カメが甲羅を干す弁天池があり、中の島に朱塗りの弁天堂が祭られていた。弁天島
の橋で記念撮影をする。
西武池袋線の、車の通れぬ踏切を渡って八幡町に入った。ここも境内は広く、今日回った寺では一番の大本
堂が、どっしりとした構えを見せていた。
近くの八幡神社には、新緑の若葉がみずみずしい大クスが立つ。ここで締めのミーティングをして、中心街に
入り、17時ちょうどに、飯能駅前にゴールした。
(天気 晴、参加 21人、距離 12㎞、地図(1/2.5万) 飯能、歩行地 飯能市、歩数 22,800)
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