あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

カタツムリ歩行 西武拝島線 玉川上水駅(東京)

2011-05-16 22:13:46 | カタツムリ歩行
 2011年5月15日(日)

 JR武蔵野線とその周辺の駅を歩くカタツムリ歩行の、第204回例会に参加した。この日はさわや
かな五月晴れ。集合地の西武拝島線玉川上水駅を、10時8分頃スタートして、線路の北側を西に
向かう。

 佼正霊園の広大な墓地に、たくさん花を見せるピラカンサが目につく。


 線路の南に見える集合住宅の屋上は、緑化のためか、植えて間もないと思われる広葉樹がたくさん
並んでいた。


 佼正霊園の墓地をのぞくと、卒塔婆が極めて少ないことにDさんが気づく。この墓地に関係する宗
教では、必要ないものなのだろうか…。


 拓大一高の前を通過して、国立(くにたち)音楽大学の正門に回った。この日は、「オープンキャン
パスを開催中」の看板がある。滅多に入る機会は無さそうなの立ち寄ることにした。門前に立つてい
た人に断り中に入る。

 でも、オープンキャンパスに向かうのは女子高校生とその母親らしい人が多く、どうやら、来年以降
の入学希望者向けの催しのようだ。


 正面に大きなメタセコイアが立っていた。成長の早い木と聞いていたの、大学が国立からここに移転
してきたとき植えたもので、時期は30年くらい前では無いかと推測したが、帰宅後調べたら1978年
にこの地に移ったと分かり、自分の推測が当たっていたことが分かった。

 構内にはほかに、正門から伸びる桜並木や、大きく枝を広げたマテバシイなど緑が多く、やわらかな
新緑の彩りが気持ちよい。

 正門に戻って線路沿いの車道を西へ、線路を挟んで続く音大の敷地の西端にある踏切を渡る。玉川
上水の千手橋から、流れに沿って続く左岸の緑道に入った。

 先月歩いた下流の東大和市駅付近では、上水の流れは素堀のままの深い掘り割りだったが、この辺
りは両岸を護岸した浅いが幅広い流れになっていて、あふれるような新緑が清々しい。

 ちなみに玉川上水は、江戸町奉行の委託により加藤庄右衛門と清右衛門兄弟が、羽村~四谷大木
戸の約47㎞を、承応2年(1653)から翌年6月までの短期間の工事で完成させたもの。この周辺の
新田開発には、この上水からの分水が利用され大発展したという。

 緑道には、JR東日本・西武鉄道・多摩モノレール共催の立川駅~西武球場前駅間のウオーキングに
参加の、ウオーカーが次々に通過して行く。


 われわれも同じ方向に向かうのだが、緑道に多いエゴノキの花や、足下に咲く小さい花に目をひかれ、
名前を調べたりしてなかなか進まない。



 足下では、ホソバオオアマナ(上写真)、セイヨウジュウニヒトエ(下写真)、ムラサキサギゴケ、ショカッサイ
などの花が見られた。


 緑道の北側の民家の方が植えたらしい、シャクナゲも見頃である。



 ここでゆっくりしたので、時間が無くなった。400mほどの次の橋で玉川上水を離れ、砂川四丁目のゴー
ルに向かう。


 上水に近い畑にはウドが育ち、ツツジの苗木がたくさん花を見せる。その先の畑では、かなり背を伸ばし
た小麦の穂が、風にゆれていた。


 五日市街道沿いにあるゴールの阿豆佐味(あずさみ)天神社には、12時ちょうどに着いた。境内の中心
にある手水鉢付近の「ナンジャモンジャ」とも呼ぶ、ヒトツバタゴが花盛り。


 社務所のそばに腰を下ろして昼食をする。しかし食事半ばに社務所の人が出てきて、ここでの食事は禁止し
ているという。謝って急ぎ食事を終えた。

 阿豆佐味天神社は、寛永6年(1629)頃、現在の瑞穂町から勧請(かんじよう)されたもので、現在の
立派な本殿は18世紀前半の建築と考えられ、立川市内の木造建築物では最古のものの一つという。


 境内にはほかに、浅間神社や八坂神社など8社の合祀(ごうし)された社殿と、水天宮の社殿がある。こ
の砂川地区で、明治から昭和にかけて盛んだった養蚕の守り神である蚕影(こかげ)神社もあったようで、
その説明板が立っていた。

 そばの手水鉢は、弘化3年(1846)、鶴見の名工飯島吉六作という、唐子が担ぐ珍しい型のもの。江戸
末期の貴重な文化財である。



 記念撮影とミーティングをして、12時50分頃散会となる。

 このあと、午前中一緒に歩いたメンバー中の4人で、時間切れで行けなかった流泉寺を回って武蔵砂川
駅に向かうことにした。これについては、次のブログで紹介する。


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コメント (2)
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