2009年10月24日(土)
カントリーウオークグループの秋の1泊例会にて群馬県嬬恋村(つまごいむら)
を歩いた。初日のコースは、天明3年(1783)の浅間山大噴火により埋没した、
旧鎌原(かんばら)村周辺である。
JR大宮駅に8時30分に集合、9時03分発アーバン号に乗り、高崎駅に10
時14分に着く。私は、JR八高線経由で10時38分に到着し、皆さんと合流
した。
10時49分発吾妻線直通大前行きに乗り換え、新政権が中止を表示して話
題の八ッ場(やんば)ダムで沈む長野原町川原湯温泉付近の、見ごろの紅葉
や工事中の道路の橋脚などを車中から眺めながら通過し、12時27分に万座
・鹿沢口駅で下りた。
どんよりとした曇り空。標高は800mを超えていて気温は15℃以下かと思わ
れ、動かないでいるとうす寒い。
駅の南面は、5名の人名が奪われたという昭和41年(1966)7月30日の大
崩壊の跡を復興したという、垂直に近い大がかりな壁面が異様な様相を見せて
いる。
13時11分発軽井沢行きバスに乗り、その崩壊地の上部にあたる鎌原観音
堂前で下りた。まず、そばにある嬬恋郷土資料館を観覧することにする。
資料館のメイン展示は、天明3年の浅間山段噴火に関わるもの。
ボランティアガイドのYさんの説明を聞きながら、大噴火の様子、そしてその
大噴火により一瞬に流れてきた土石なだれにより壊滅した鎌原村の惨状の様
子、奇跡的に助かった93名が村を再建する経過などを、写真や地図や資料、
発掘された家具や農具、寺の住職の手記などを見ながらご説明いただくなど
して、1時間ほど観覧する。
そばにあるその鎌原観音堂は、かやぶき屋根の本堂、鎌原村が開かれたと
きに村の祈願所として、大同元年(806)の創建と伝えられ、現在のお堂は
正徳3年(1713)の建立という。
そばのかやぶきの建物には、噴火で助かった93人の方々から7~8代の子
孫という方が数名詰めておられ、参拝者にお茶や漬け物などを接待して下さっ
ていた。
観音堂前の石段は現在15段だが、大噴火当時は50段あり、途中まで避難
に駆け上がったが土石流に飲まれて命を失った2人の被災者が、昭和54年
(1979)の発掘調査で発見されたことを、先ほどの資料館で聞いたばかり。
その惨状に思いをはせながらご冥福をお祈りした。
すぐ南側で、鎌原集落を南北に貫く通りに出て北に向かい、鎌原神社に行く。
鳥居の横に「鎌原の郷蔵(ごうぐら)」と呼ばれるかやぶき屋根の小さい建
物がある。ききんの時のためにヒエなどを貯蔵した備荒貯穀が目的の建物で、
天明3年の大噴火から5年後に建てられたものらしい。
社殿の背後に大きなケヤキなどが立ち、紅葉の彩りがよい。左手前には、
集落の人たちの会合に使うのだろうか、やはりかやぶき屋根の建物がある。
神社の東側に抜けて、集落を北に向かう。イチイの木があちこちにあり、鈴
なりの実が鮮やかな彩りを見せる。
摘んで口に入れると甘いが、種には毒があるようだ。
畑には花豆が実り、畑の隅にはカシワバアジサイに似た花がドライフラワー
状になってたくさん残っている。ハマナスの実も色づいていた。
集落を北に抜けると田園地帯。まだ収穫前の田んぼもあり、黄金色の彩り
が広がる。集落の方をふり返ると、曇天に少し霞んだ浅間山が望まれる。
ところどころに色づく広葉樹の紅葉や、ススキなどを眺めながら高原台地を
緩やかに下る。北西には、雲に隠されそうな万座の山並みが高く伸びている↓。
畑も多いが多くは収穫後、でも林が近づいた辺りには、嬬恋村特産の高原
キャベツの畑が残っていた。
間もなく林に入るというところで、今日のメンバーの記念撮影を。
背後には、天明の大噴火とはうって変わって静かな浅間山が…。
まだ緑の葉も残るが紅葉もあり、陽が差せばもう少し色鮮やかになるだろ
うと思われるのが少し残念。しかし車を気にせず落ち葉道を歩けるのが嬉しい。
林を下って行くと、行く手に生田の集落が見えてきた。
吾妻川の支流際に下ってその流れに沿って集落を進む。道路際のモミジが
色鮮やか。
吾妻川右岸とJR吾妻線に並行する車道に出て少し行くと、今回のウオー
キングの目的である草軽電鉄の嬬恋駅跡の説明板があった。
当時この駅周辺には、発電事業所、タクシー、運送店、商店、旅館、カフェ
ーなどがあって賑わっていたこと記され、若山牧水は「みなかみ紀行」で
この駅前旅館に泊まった思い出を書いているというが、いまはその面影は
見られない。
スマートな建物の嬬恋交番の前のモミジも、きれいな色を見せていた。
吾妻川沿いの桜並木の紅葉も見ごろである。
万座・鹿沢口駅のそばまで戻って吾妻川を渡る。こちら側が嬬恋村の中心、
三原の家並みが並び、郵便局や銀行、高校や小中学校などががある。
その西南端に近い高台にある、今日の宿、逢友荘に16時45分に着いた。
宿はスッポンの養殖をしており、夕食の膳には珍品、スッポン料理も並べ
られた。
(天気 曇、参加 17人、距離 5㎞、地図(1/2.5万) 大前、歩行地 群馬
県嬬恋村、歩数 10,600)
カントリーウオークグループの秋の1泊例会にて群馬県嬬恋村(つまごいむら)
を歩いた。初日のコースは、天明3年(1783)の浅間山大噴火により埋没した、
旧鎌原(かんばら)村周辺である。
JR大宮駅に8時30分に集合、9時03分発アーバン号に乗り、高崎駅に10
時14分に着く。私は、JR八高線経由で10時38分に到着し、皆さんと合流
した。
10時49分発吾妻線直通大前行きに乗り換え、新政権が中止を表示して話
題の八ッ場(やんば)ダムで沈む長野原町川原湯温泉付近の、見ごろの紅葉
や工事中の道路の橋脚などを車中から眺めながら通過し、12時27分に万座
・鹿沢口駅で下りた。
どんよりとした曇り空。標高は800mを超えていて気温は15℃以下かと思わ
れ、動かないでいるとうす寒い。
駅の南面は、5名の人名が奪われたという昭和41年(1966)7月30日の大
崩壊の跡を復興したという、垂直に近い大がかりな壁面が異様な様相を見せて
いる。
13時11分発軽井沢行きバスに乗り、その崩壊地の上部にあたる鎌原観音
堂前で下りた。まず、そばにある嬬恋郷土資料館を観覧することにする。
資料館のメイン展示は、天明3年の浅間山段噴火に関わるもの。
ボランティアガイドのYさんの説明を聞きながら、大噴火の様子、そしてその
大噴火により一瞬に流れてきた土石なだれにより壊滅した鎌原村の惨状の様
子、奇跡的に助かった93名が村を再建する経過などを、写真や地図や資料、
発掘された家具や農具、寺の住職の手記などを見ながらご説明いただくなど
して、1時間ほど観覧する。
そばにあるその鎌原観音堂は、かやぶき屋根の本堂、鎌原村が開かれたと
きに村の祈願所として、大同元年(806)の創建と伝えられ、現在のお堂は
正徳3年(1713)の建立という。
そばのかやぶきの建物には、噴火で助かった93人の方々から7~8代の子
孫という方が数名詰めておられ、参拝者にお茶や漬け物などを接待して下さっ
ていた。
観音堂前の石段は現在15段だが、大噴火当時は50段あり、途中まで避難
に駆け上がったが土石流に飲まれて命を失った2人の被災者が、昭和54年
(1979)の発掘調査で発見されたことを、先ほどの資料館で聞いたばかり。
その惨状に思いをはせながらご冥福をお祈りした。
すぐ南側で、鎌原集落を南北に貫く通りに出て北に向かい、鎌原神社に行く。
鳥居の横に「鎌原の郷蔵(ごうぐら)」と呼ばれるかやぶき屋根の小さい建
物がある。ききんの時のためにヒエなどを貯蔵した備荒貯穀が目的の建物で、
天明3年の大噴火から5年後に建てられたものらしい。
社殿の背後に大きなケヤキなどが立ち、紅葉の彩りがよい。左手前には、
集落の人たちの会合に使うのだろうか、やはりかやぶき屋根の建物がある。
神社の東側に抜けて、集落を北に向かう。イチイの木があちこちにあり、鈴
なりの実が鮮やかな彩りを見せる。
摘んで口に入れると甘いが、種には毒があるようだ。
畑には花豆が実り、畑の隅にはカシワバアジサイに似た花がドライフラワー
状になってたくさん残っている。ハマナスの実も色づいていた。
集落を北に抜けると田園地帯。まだ収穫前の田んぼもあり、黄金色の彩り
が広がる。集落の方をふり返ると、曇天に少し霞んだ浅間山が望まれる。
ところどころに色づく広葉樹の紅葉や、ススキなどを眺めながら高原台地を
緩やかに下る。北西には、雲に隠されそうな万座の山並みが高く伸びている↓。
畑も多いが多くは収穫後、でも林が近づいた辺りには、嬬恋村特産の高原
キャベツの畑が残っていた。
間もなく林に入るというところで、今日のメンバーの記念撮影を。
背後には、天明の大噴火とはうって変わって静かな浅間山が…。
まだ緑の葉も残るが紅葉もあり、陽が差せばもう少し色鮮やかになるだろ
うと思われるのが少し残念。しかし車を気にせず落ち葉道を歩けるのが嬉しい。
林を下って行くと、行く手に生田の集落が見えてきた。
吾妻川の支流際に下ってその流れに沿って集落を進む。道路際のモミジが
色鮮やか。
吾妻川右岸とJR吾妻線に並行する車道に出て少し行くと、今回のウオー
キングの目的である草軽電鉄の嬬恋駅跡の説明板があった。
当時この駅周辺には、発電事業所、タクシー、運送店、商店、旅館、カフェ
ーなどがあって賑わっていたこと記され、若山牧水は「みなかみ紀行」で
この駅前旅館に泊まった思い出を書いているというが、いまはその面影は
見られない。
スマートな建物の嬬恋交番の前のモミジも、きれいな色を見せていた。
吾妻川沿いの桜並木の紅葉も見ごろである。
万座・鹿沢口駅のそばまで戻って吾妻川を渡る。こちら側が嬬恋村の中心、
三原の家並みが並び、郵便局や銀行、高校や小中学校などががある。
その西南端に近い高台にある、今日の宿、逢友荘に16時45分に着いた。
宿はスッポンの養殖をしており、夕食の膳には珍品、スッポン料理も並べ
られた。
(天気 曇、参加 17人、距離 5㎞、地図(1/2.5万) 大前、歩行地 群馬
県嬬恋村、歩数 10,600)