2008年5月10日(土)
やまさんの関東百駅巡礼歩行の第45回は、JR横須賀線
鎌倉駅。集まったのは、初参加の3人を加えて10人。小雨
模様の駅前で記念撮影をして、10時10分に出発した。
駅前の若宮大路を越え、すぐ東の大巧寺へ。「おんめさま」
と呼ばれ、境内は花の寺として知られているという。
いまはあまり花はないが、新緑がいっぱいだった。
東側の細い通りに抜けて南へ、東身延と呼ばれる本覚寺
の山門そばで滑川を渡る。南西に進んで大町1丁目の常栄
寺に入った。
山門には「ぼたもち寺」と記されている。文永8年(1271)、
日蓮上人の龍ノ口法難の折、この寺の尼が日蓮上人にぼた
餅を捧げたことによるという。
少し先に、鳥居にりっぱなしめ縄が下がり、「厄除け祈願」
の赤いのぼりの並ぶ、八雲神社がある。
永保年代(1081~4)、新羅三郎源義光の勧請といわれ、
徳川家康からは永楽五貫文の朱印地を下賜されたという。
ご神木のクスノキの根元に、新羅三郎手玉石と呼ぶ二つ
の石が並んでいた。
社殿の右手にある「祇園山ハイキングコース登山口」の標
識に従い、広葉樹林を上がるハイキングコースに入った。
このルートは、車道を通らずに坂東三十三観音第一番札所、
杉本寺への最短距離になる。
南東に延びる稜線を五分ほどで、斜度が緩んだ。見晴台へ
の三差路から1.2㎞ほど、見通しの利かない樹林を進み、V
字状に戻るように下ると、「高時腹切りやぐら」があった。
大きな洞穴の中に、小さい五輪塔ひとつと、たくさんの卒塔
婆が並んでいたが、由緒などを記したものはない。
すぐ下は、鎌倉幕府3代執権北条泰時創建という東勝寺跡。
元弘3年(1333)、新田義貞らの鎌倉攻めの時、北条高時
以下の一族郎党がたてこもり、火をかけて最期をとげたとこ
ろという。
その後再興され、室町時代には関東十刹の第3位に列せ
られたが、戦国時代に廃絶したとされ、鎌倉幕府滅亡の地
として重要な遺跡で、国指定史蹟になっていた。
いったん滑川右岸に回って小町3丁目の住宅地を進み、
次の橋で再度左岸に戻る。住宅地を上流に向けて少し進む
と、史蹟「紅葉山やぐら」の説明板がある。
昭和10年(1935)、この付近から五輪塔や納骨などが
出土され、北条執権ゆかりの納骨といわれているという。
少し先で道が途切れてしまった。戻ると大きく迂回して車
道を進むことになるので、東側斜面を突っ切ることにした。
急斜面に設けた崩落防止のコンクリート壁に上がり、壁に
沿って進む。さらに滑りそうな急斜面を木につかまったりし
てよじ登り、下に見えた雪ノ下4丁目の小さな畑に下りた。
すぐ先の斜面中腹にあった大蔵稲荷の社殿前で、小雨を
避けて昼食とする。
社殿左手にかすかな道があったので進むと、間もなく通行
禁止の立て札。でも、道は続くので少しずつ高みに上がった
が、やはり道は途切れた。
細い稜線に上がり、灌木をかき分けたり、木々につかまっ
たりして、滑らぬよう注意しながら進む。
木々の間から、時々北側の家並みが見下ろせる。
かなりの急斜面を慎重に下ると、雪ノ下4丁目の民家に
入った。その家の奥様が出てきたので、お断りして通らせ
てもらう。
雨は本降りとなり、ポンチョを被る。浄妙寺1丁目の住宅
地を進み、「田楽辻子のみち」の説明パネルを過ぎる。
滑川の橋を渡って県道に出た。
県道の北側が、坂東三十三観音第一番札所で、鎌倉最古
の寺という杉本寺。かやぶきの山門をくぐり、受付で拝観料
を納めて境内へ。
雨でみずみずしい新緑の参道、こけむす石段の横を上がる
と、やはりかやぶき屋根の本堂がある。
参道や本堂の周囲には、「十一面杉本観音」の白いのぼり
がたくさん並んでいた。
靴を脱いで堂内に上がり、ご本尊の十一面観音や、幾つか
の仏像などを拝観し、持参した坂東札所の納経帳に納経印
をいただく。
境内には、古い五輪塔がたくさん並び、地蔵堂や小さな
かやぶきの社に祭られた熊野大権現と白山台権現の合社な
どがあり、本堂内のたたずまいと合わせ、この寺の歴史が
しのばれる。
県道に戻り、すぐ先から北側の民家の間の細道を進んで、
浄妙寺に行く。
本堂の前には、良く整えられた植え込みが広がり、背後は
緑いっぱいの紅葉樹林に囲まれ、ツツジが彩りを添える。
本堂左手の散策路を上がって振りかえると、新緑の衣張山
が望まれる。
少し上にある「石窯ガーデンテラス」に入った。
雨は本降りとなったので、今日はここまでとする。1時間
半近くのコーヒータイムをとり、初参加の方の活動状況を伺
うなどして、ゆっくりと歓談した。
15時過ぎに散会し、ガーデンテラスを出る。私は多くの皆
さんと浄妙寺前バス停から鎌倉駅に向かい、鎌倉駅15時
56分発上総一ノ宮行きで帰路についた。
(天気 雨、距離 4.5㎞、地図(1/2.5万) 鎌倉、歩行地
鎌倉市)
やまさんの関東百駅巡礼歩行の第45回は、JR横須賀線
鎌倉駅。集まったのは、初参加の3人を加えて10人。小雨
模様の駅前で記念撮影をして、10時10分に出発した。
駅前の若宮大路を越え、すぐ東の大巧寺へ。「おんめさま」
と呼ばれ、境内は花の寺として知られているという。
いまはあまり花はないが、新緑がいっぱいだった。
東側の細い通りに抜けて南へ、東身延と呼ばれる本覚寺
の山門そばで滑川を渡る。南西に進んで大町1丁目の常栄
寺に入った。
山門には「ぼたもち寺」と記されている。文永8年(1271)、
日蓮上人の龍ノ口法難の折、この寺の尼が日蓮上人にぼた
餅を捧げたことによるという。
少し先に、鳥居にりっぱなしめ縄が下がり、「厄除け祈願」
の赤いのぼりの並ぶ、八雲神社がある。
永保年代(1081~4)、新羅三郎源義光の勧請といわれ、
徳川家康からは永楽五貫文の朱印地を下賜されたという。
ご神木のクスノキの根元に、新羅三郎手玉石と呼ぶ二つ
の石が並んでいた。
社殿の右手にある「祇園山ハイキングコース登山口」の標
識に従い、広葉樹林を上がるハイキングコースに入った。
このルートは、車道を通らずに坂東三十三観音第一番札所、
杉本寺への最短距離になる。
南東に延びる稜線を五分ほどで、斜度が緩んだ。見晴台へ
の三差路から1.2㎞ほど、見通しの利かない樹林を進み、V
字状に戻るように下ると、「高時腹切りやぐら」があった。
大きな洞穴の中に、小さい五輪塔ひとつと、たくさんの卒塔
婆が並んでいたが、由緒などを記したものはない。
すぐ下は、鎌倉幕府3代執権北条泰時創建という東勝寺跡。
元弘3年(1333)、新田義貞らの鎌倉攻めの時、北条高時
以下の一族郎党がたてこもり、火をかけて最期をとげたとこ
ろという。
その後再興され、室町時代には関東十刹の第3位に列せ
られたが、戦国時代に廃絶したとされ、鎌倉幕府滅亡の地
として重要な遺跡で、国指定史蹟になっていた。
いったん滑川右岸に回って小町3丁目の住宅地を進み、
次の橋で再度左岸に戻る。住宅地を上流に向けて少し進む
と、史蹟「紅葉山やぐら」の説明板がある。
昭和10年(1935)、この付近から五輪塔や納骨などが
出土され、北条執権ゆかりの納骨といわれているという。
少し先で道が途切れてしまった。戻ると大きく迂回して車
道を進むことになるので、東側斜面を突っ切ることにした。
急斜面に設けた崩落防止のコンクリート壁に上がり、壁に
沿って進む。さらに滑りそうな急斜面を木につかまったりし
てよじ登り、下に見えた雪ノ下4丁目の小さな畑に下りた。
すぐ先の斜面中腹にあった大蔵稲荷の社殿前で、小雨を
避けて昼食とする。
社殿左手にかすかな道があったので進むと、間もなく通行
禁止の立て札。でも、道は続くので少しずつ高みに上がった
が、やはり道は途切れた。
細い稜線に上がり、灌木をかき分けたり、木々につかまっ
たりして、滑らぬよう注意しながら進む。
木々の間から、時々北側の家並みが見下ろせる。
かなりの急斜面を慎重に下ると、雪ノ下4丁目の民家に
入った。その家の奥様が出てきたので、お断りして通らせ
てもらう。
雨は本降りとなり、ポンチョを被る。浄妙寺1丁目の住宅
地を進み、「田楽辻子のみち」の説明パネルを過ぎる。
滑川の橋を渡って県道に出た。
県道の北側が、坂東三十三観音第一番札所で、鎌倉最古
の寺という杉本寺。かやぶきの山門をくぐり、受付で拝観料
を納めて境内へ。
雨でみずみずしい新緑の参道、こけむす石段の横を上がる
と、やはりかやぶき屋根の本堂がある。
参道や本堂の周囲には、「十一面杉本観音」の白いのぼり
がたくさん並んでいた。
靴を脱いで堂内に上がり、ご本尊の十一面観音や、幾つか
の仏像などを拝観し、持参した坂東札所の納経帳に納経印
をいただく。
境内には、古い五輪塔がたくさん並び、地蔵堂や小さな
かやぶきの社に祭られた熊野大権現と白山台権現の合社な
どがあり、本堂内のたたずまいと合わせ、この寺の歴史が
しのばれる。
県道に戻り、すぐ先から北側の民家の間の細道を進んで、
浄妙寺に行く。
本堂の前には、良く整えられた植え込みが広がり、背後は
緑いっぱいの紅葉樹林に囲まれ、ツツジが彩りを添える。
本堂左手の散策路を上がって振りかえると、新緑の衣張山
が望まれる。
少し上にある「石窯ガーデンテラス」に入った。
雨は本降りとなったので、今日はここまでとする。1時間
半近くのコーヒータイムをとり、初参加の方の活動状況を伺
うなどして、ゆっくりと歓談した。
15時過ぎに散会し、ガーデンテラスを出る。私は多くの皆
さんと浄妙寺前バス停から鎌倉駅に向かい、鎌倉駅15時
56分発上総一ノ宮行きで帰路についた。
(天気 雨、距離 4.5㎞、地図(1/2.5万) 鎌倉、歩行地
鎌倉市)