あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

国際ウオーキングトレイル実踏①(北杜市白州~穂坂町)(3)

2008-05-01 18:54:17 | 国際ウオーキングトレイル実踏
 2008年4月16日(水)(続きその2)



 13時半に穴山駅を出発する。駅のそばの変電所の先に、
穴山桜公園という昨年完成した新しい公園ができていた。

 公園は、穴山スイッチバック駅のホーム跡地。JR中央線
の韮崎から新府(しんぷ)、穴山間は25/1000という急勾
配区間で、3駅とも複線化される昭和46年(1971)9月末
までスイッチバック駅だった。

 公園の先から県道17号に出たところに、「蔵元直売ワイン
能見園河西ワイワイナリー」の表示があったので立ち寄る。

 1918年創業といい、民家の一角に設けた特売コーナーで
試飲をさせてもらった。小さなワイナリーである。

 すぐ先で県道に分かれて東に入り、津島神社前を通って
南西に進むと、モモ畑が広がる。

 ちょうど見ごろで、あたり一面淡いピンクの花で彩られて
いた。



 モモ畑を背に今日2度目の記念撮影。まさに花盛りの桃
源郷である。

 霞む空に、八ヶ岳連峰がぼんやりと姿を見せ、花粉を授粉
中の畑もある。


 JR中央線を陸橋で越えた南側も、モモ畑が続いている。




 開拓記念碑や、モモを集荷する新府共選場を過ぎ、車の
多い県道17号を横断して、国指定史蹟・新府城跡に行く。

 新府城は、天正9年(1581)、武田勝頼が織田信長の
甲斐侵攻に備えて真田昌幸に命じて築かせた平山城。

 同年暮れに甲府から移ったが、戦局悪化で翌年3月、織
田軍の侵入を待たず、みずから火を放って退去したという。


 250段の石段を急登して、本丸跡のアカマツ林に囲まれ
た藤武神社に上がる。

 武田氏滅亡後の貞亨・元禄(1688)頃の建立といわれ、
神社の北西には、当地方民が国主勝頼の恩徳を追慕して
神社とともに建立した、武田勝頼公霊社と呼ぶ石碑もあ
った。



 松林の北側が開け、いま歩いてきたモモ畑が一望できる。

 しばし休憩して、広々としたピンクの眺望をゆっくり楽しんだ。

 再び県道17号を横断し、東に上がって中条上野集落を抜
け、新府駅の下を通過する。近くの畑でも、ナノハナとモモが
春の彩りを見せていた。

 駒井上野から黒沢川沿いに下り、当麻戸神社横を通過する。


 北方に、少し霞んだ八ヶ岳連峰が大きく姿を見せていた。


 国道141号(佐久甲州街道)を横断、蔵之前集落を抜けて
塩川を渡る。


 左岸の岩根集落に進み、白壁民家風の福昌院で小休止した。


 ヘヤピンカーブを上がって台地上の上ノ原に出て、中央自動
車道の東に抜ける。一面ブドウ畑となり東北東へと緩やかな上
りが続く。ところどころに、つぼみの膨らんだリンゴ畑もある。

 二つの高圧送電線を横切り、宮久保集落に入った。目指す
今日の宿がすぐに見つからず、集落内を多少上がり下りして
いたら、三差路に「宮久保のクヌギ」と呼ぶ大きなクヌギが目
についた。

 目通りの幹囲3.9m、高さ9.8m、クヌギとしては見たことの
ない巨木で、山梨の巨樹・名木百選に選定されている。

 その少し上に、宿泊する海東ペンションが見つかり、17時22
分に到着した。

 距離は結構あったが、午前中は桜が主、午後はモモと、こん
なに花をたくさん眺めながらのウオーキングは、初めてのことだ
った。

(天気 曇、距離 27㎞、地図(1/2.5万) 長坂上条、若神子、
 韮崎、歩行地 北杜市(旧白州町、武川村)、韮崎市(旧穂坂
 町)、歩数 49000) 
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