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あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

関東百駅巡礼歩行 西武狭山線 西武球場前駅(埼玉)

2012-01-15 19:17:35 | 関東百駅巡礼歩行
 2012年1月14日(土)

 9年目を迎えた、やまさんの「関東百駅巡礼歩行」、第81番目は、西武狭山線と山
口線のターミナルである西武球場前駅。わが家最寄りの西所沢駅からはわずか2駅目。
過去の百駅の中で最も近い駅である。

 西武池袋線からの直通電車もある狭山線には、10両編成が発着できるホームが3面
6線あり、西武ドーム↓でのパリーグプロ野球公式戦や、イベントが開催される日は賑
わうが、シーズンオフのこの日は閑散としていた。


 参加者は9人、初参加は5日前のLLウオークにも参加された、さいたま市在住で、も
と朝日新聞社カメラマンの金井さん(金井さんの出展された写真展のことは、昨年10月
20日の当ブログで紹介)。駅前で記念撮影をして11時10分にスタートした。


 西武狭山線の西側に平行する県道55号を、平成18年(2006)に廃止されたユ
ネスコ村敷地の東北端まで進んで左折し、上山口集落に入る。三差路際に赤ずきんを被
ったお地蔵さんが並ぶ。


 集落の西に、東京都の水源の一つである狭山湖の高い堰堤(えんてい)が見えてきた。
湖を水源とする柳瀬川の小さい橋を渡り、その堰堤の南端に上がった。


 湖畔には、近年完成した堰堤の耐震強化工事完成を記念して、石原都知事が記した石
碑が立ち、湖面の取水塔の向こうには、奥多摩の大岳山(1266m)や御岳山奥の院
のピークなどが望まれる。


 堰堤下は所沢市営の運動場になっていて、少年たちが動き回り、谷間の住宅地の向こ
うに、西武園遊園地の観覧車や展望塔などが一望できる。


 堰堤上を北端に向かう。中ほどには、多摩川を経由してこの湖の水源になっている奥
多摩の山並みのパノラマ図があり、いま見える山々の名を確認した。


    

 堰堤の北側にあった東屋のところに正午近くに着き、昼食とする。このあたりからは、
富士山も見えるのだが、雲が増えて右側の裾野が認識できただけだった。

 そばのパネルによれば、東京都と山梨県の水源林からの水は、いったん小河内ダムに
貯えられ、多摩川の小作(おざく)と羽村(はむら)の取水堰からこの山口貯水池(狭
山湖)と隣の村山貯水池(多摩湖)に導水され、山口貯水池では、都民の水道使用量の
約4日分(約2千万立方m)を貯めておくことができるという。


 ソメイヨシノの多い堰堤の北端から下の車道に下り、上山口集落の北西端に入り、高
台にある清照寺に行く。境内は狭いが、方形造りの本堂は趣(おもむき)がある。


 本堂に参拝して東に抜け、広葉樹林とお茶畑に囲まれた山間の社、天満天神宮に回る。


 私は、昨年春まで会社のOB会の会報配布のボランティアで、この横を年4回通過す
るとき、いつも立ち寄って参拝していた。東日本大震災後、会報配布は取りやめになっ
たので、今年の初参りとなった。


 神社の東側の広葉樹林は、県の緑のトラスト保全第二号地である「雑魚入(ざこいり)
樹林地」である。樹林の中の遊歩道に入り、ピークを越えて東に下ると、南側斜面は、
トトロのふるさと基金で買い上げて保存する「トトロの森1号地」の森が広がっている。


 遊歩道を東に抜けた近くには、「トトロの森3号地」の斜面も保存されていた。


 柳瀬川に沿った車道に出て東へ、高橋交差点の先から南に入り、柳瀬川の南側に続く農
家と新興住宅地と畑との混在した集落を、しばらく東に進む。

 西武園ゴルフ場の北側の旧道を回り、雑木林の谷間にあり、屋根上に雑草や木の茂った、
県の「狭山丘陵いきものふれあいの里センター」に入った。



 左手の展示場には、狭山丘陵に生息する鳥や動物のはく製、採集した植物、写真や解説
パネルなどが展示されていて、わが家と同じ大字(おおあざ)で捕獲されたというタヌキ
のはく製もあった。


 Iさん差し入れのようかんを頂いたりしてゆっくり観覧してから館内を出て、南側にあ
る標高119mの「荒幡の富士」に登頂する。


 荒幡の富士は、地元荒幡村のシンボルだった富士塚を移転構築することになり、明治17
年(1884)から同32年にかけて、村内の信者や近隣の村々の有志も加わって営々と築
いたもの。近隣の人工の富士でも最大のものとなり、登山道脇の築山碑に文人大町桂月もそ
のことを記している。

 登山道は北側の浅間神社の横から始まり、折り返し点ごとに一合目、二合目と十合目まで
の標石が立ち、山頂には小さい石のほこらが祭られている。


 山頂からは、本物の富士山も眺められ、西武球場前駅に集合前の朝10時過ぎ、私が立ち
寄って登ったときには、松の木の間にかすかながら認識できたが、午後になって雲が増えて
隠されていた。


 東側には新宿副都心のビル街や、間もなく完成の東京スカイツリー(634m)などが望
まれる。


 目を北に転じると、西武池袋線小手指(こてさし)駅周辺の建物群などが一望できる。



 荒幡の富士を下山し、いきものふれあいセンターの横の林を北に下り、山口の住宅地を抜
けて、今日のゴール、西武狭山線の中間駅、下山口駅に14時33分に着いた。

 私は駅で皆さんに別れ、さらに北東へ歩き知った道を戻り、15時10分に帰宅した。

(天気 快晴、距離 7㎞、地図(1/2.5万) 所沢、歩行地 所沢市、歩数 13,400)



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関東百駅巡礼歩行 JR東海道線 真鶴駅(神奈川)

2011-12-15 21:38:27 | 関東百駅巡礼歩行
 2011年12月10日(土)

 今年の最後、通算80番目の関東百駅巡礼歩行は、JR東海道本線の真鶴(まなづる)
駅。真冬並みに冷えたが快晴となり、地元神奈川県の5人、栃木県からの2人など参加
者9人は、記念撮影をして11時に駅を出た。


 真鶴岬に通じる県道739号の西側を平行する旧道に入り、広葉樹の色づく荒井城址
公園に上がる。


 後三年の役(1083)に、源義家に従って活躍した荒井実継の居城だったといわれ
たところ。

 広場の周囲に色鮮やかなモミジが咲き、そばのコブシのつぼみがふくらむ。枯れ枝と
なった20本ほどのシダレザクラのところのベンチで、少し早めの昼食とした。

 南側の高台にある住宅地の一角に出て、県道に向かって下ることにする。


 少し下ると東側の展望が開け、三浦半島や丹沢山塊の大山、眼下の真鶴の町並み、そ
して箱根の駒ヶ岳方面↓まで望まれる。


 県道に下り、「魚屋」と呼ぶ魚料理店前を通過する。東側の車道を真鶴橋で越え、真
鶴港の北側の突端に位置する磯崎に向かう。

 真鶴小の前を過ぎると眼下に真鶴港が見下ろせ、その向こうに真鶴半島の中ほどの、
88.8m三角点のあるピークに立つアンテナや建物群などが一望できる。


 その先の三差路のところに一本松が立つ。数体の古い石仏や青面金剛、庚申塔なども
並び、古い道筋だったことがうかがえる。


 すぐ先からは再び東側の展望が開け、相模湾の向こうに、大山が全貌を見せてくれた。


 近くに「真鶴の丘絵画館」があり、画家でテノール歌手だった間紀徹の作品を展示し
ているという。


 少し戻って下の通りから自泉院に寄ったが、歴史や由緒などはなにも記されてない。


 車の通れぬ民家の間の狭い道を上がって行くと、海を見下ろす高台に鯖大師のお堂が
ある。


 海の守り神として信仰されているようで、海上安全や大漁祈願、水難者や魚介類の供
養をする木柱が、海に向かって立っていた。


 真鶴港から相模湾まで展望は180度以上に広がり、港に係留の漁船のほか、相模湾
で漁をする小型漁船なども望見できる。



 民家の間の細い路地を下って、真鶴漁港のそばに出た。魚を干す干物店があり、漁港
の最奥部では、今夜開催される花火大会の準備が始まっていた.


 湾に沿って南に回り込むと、治承4年(1180)8月、源頼朝が隠れたという鵐窟
(しとどのいわや)と呼ぶ岩屋があり、そばの「品川台場礎石の碑」の周囲には、当時
の家来の名を記したのぼりが並んでいた。


 ちなみに、江戸末期に築かれた東京湾の品川台場(砲台)には、ここ真鶴産の石が使
われたという。

 近くには真鶴半島遊覧船の乗船場があり、約30分で真鶴岬の景勝地、三ッ石まで往
復して、真鶴半島を海から展望できるようだ。



 魚市場の周辺には、イカやサバなどを干す魚店や、新鮮な魚料理を味わえる店などが
並んでいる。近くにあった観光協会には、真鶴町内だけでなく、近隣市町のリーフレッ
トなども置いてあった。

 観光協会のそばから、煩悩の数と同じ108段の急階段を上がって貴船(きふね)神
社に詣でる。


 平安初期の寛平元年(889)創建といわれ、毎年7月27日、28日開催の「貴船
まつり」は江戸時代初期から行われ、「日本三船まつり」として知られており、国指定
重要無形文化財である。


 階段上から振り返ると、真鶴の町並みと背後の箱根の山並みが望まれ、境内には、貴
船まつりの模型が飾られた建物があった。

 県道に戻り、さらに岬の方向に向かう。真鶴港の突堤を過ぎて右カーブした先の琴ヶ
浜沿いには、波打ち際に遊歩道が続いている。

 遊歩道の終端から上がった県道は、ヘヤピンカーブとなり、「魚付き林(うおつきり
ん)」と呼ぶ、うっそうとした常緑広葉樹の森に入り、次第に高度を上げる。

 魚付き林は、クスノキやスダジイなどの照葉樹林とクロマツ、アカマツ林で構成され、
神奈川県海岸部を代表する照葉樹林として、県の天然記念物に指定されている。

 森の中に立つ佐佐木信綱の歌碑や山神社の前を過ぎ、半島の最高部である灯明山の東
から南に回って、駐車場のある三差路に出た。

 岬に向かって左折し、岬の上部にある「ケープ真鶴」と呼ぶ建物の手前から左手の遊
歩道を下って行くと、画廊喫茶があり、前方に大島や初島、間近には三ツ石と呼ぶ岩礁、
西に伊豆半島などの素晴らしい展望が広がる。




 遊歩道は岩礁に沿って西に延びているのでさらに進む。


 三ツ石にはしめ縄がかかっているのが分かり、岩礁から釣り糸を垂れる人も見られる。


 波で足を洗われそうな所もあり、なかなかほかでは見られない海の景観に満足した。

 岩礁が終わった辺りで磯辺から再び原生林を抜ける遊歩道へ。

 潮騒遊歩道から番場浦遊歩道と続き、うっそうとしてはいるが明るさのある暖帯林を回
って県道に合し、「石の広場」と呼ぶカーブ点に出た。

 小公園があり、第二次大戦後間もなくの首相、片山哲の漢詩の歌碑が立っていた。


 一時行方不明になったメンバーも待っていて合し、そばの中川一政美術館前で解散と
なる。美術館に入り、バス時間の関係で急ぎ観覧して、16時に館を出る。


 16時3分のバスで真鶴駅に戻り、JR東海道本線で帰途につく。

 (天気 快晴、距離 7㎞、地図(1/2.5万) 真鶴岬、歩行地 真鶴町、歩数
  14,200、累積標高差 約630m)



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関東百駅巡礼歩行 小田急線 玉川学園前駅(神奈川)

2011-11-24 11:30:43 | 関東百駅巡礼歩行
 2011年11月19日(土)

 一日雨の予報だが、この歩きは思いがけぬ発見や出会いが多いので、迷うこと無く出
かける。今回は、関東百駅の第79番である。

 やまさん、地元神奈川のお二人とで記念撮影をして、11時10分に若者の多い小田
急小田原線の玉川学園前駅を出る。


 南北に走る線路の東側を、線路に沿って北に向かう。家並みの途切れぬ駅のそばの斜
面に、びっしり木々に覆われた住宅がある。

 最初の踏切際に母子観音が雨に濡れて立ち、台座に五線譜が刻まれていた。遮断機の
無かった昭和34年(1959)2月、コロムビアレコードの歌手、黒木曜子さんと千
恵子さん母娘が事故死したことを悼み、コロムビヤ歌手クラブ有志が建立したものという。


 踏切の先に、やまさんお知りあいの方の「トラベルサロンPlease and Thanks」という
店があった。

 旅行代理店、喫茶ギャラリー、手作り作品や海外雑貨の店という珍しい店舗。10月
には、来日中の国王夫妻で話題の、幸福度世界一の国・ブータンへの企画旅行も実施した
とのことだった。

 踏切を渡らずに右折し、東側の玉川学園七丁目の台地へ。山小屋風茶坊(レストラン)
の先に、朱塗りの鳥居の立つ竹林があり、ある居合(いあい)の流派の年次祭の立て札が
立っていた。どうやら竹林の上には居合道場があるらしい。


 周辺は、広い敷地に樹木の多い個性ある造りの高級住宅が並ぶ。桜並木の通りを高台の
上まで出ると、東側斜面に面した5階建ての、ワコーレ玉川学園と呼ぶ褐色の高級マンシ
ョンがあった。


 稜線上の車道を南へ。マンション建設予定地の広い空地から、雨に煙る西側の展望が広
がり、東側斜面には竹林が見下ろせる。空地の先には、クリ畑が残っていた。


 教会らしからぬ2階建てビル建築のキリスト教会、成瀬教会に、来月のクリスマスコン
サートの、切り絵風の案内が張ってある。

 東玉川学園一丁目から四丁目に回ったが。この辺りも緑の多いりっぱな住宅が続く。


 広い直線道路の中ほどにあった、桜の色づく東玉川学園四丁目児童公園に入り、藤棚の
下で昼食をすることにした。藤の葉に覆われてはいるが雨は落ちてくる。


 そこでやまさんは、用意してきたひも付きのグランドシートを広げて藤棚の支柱にしば
り雨除けの場を設けてくれたので、その下に入り、立ったままおにぎりを食べた。


 雨は一層強まり、風も出てきた。直線道路の終わる辺りに化石谷公園と呼ぶ小公園があ
ったが、化石の説明や遺跡などは見当たらない。


 昭和薬科大への道を少し入って戻る。西側の斜面を下り、広大な敷地の三井住友海上の
研修所と総合グランドの正門前を通過する。


 交通量の多い通りを横断して南大谷小と南大谷中の間を抜け、恩田川左岸のサイクリン
グ道路に出た。小田急線の線路に近い橋を渡って線路沿いの細道に回る。


 緩い斜面を上がって行くと、この季節とは思えぬ生暖かい風が吹き下ろしてくる。町田
二中の南を回って芹ヶ谷(せりがや)公園の中ほどに出た。


 公園は、小田急線の線路際から谷間を西北から南西に延び、園内は豊富な緑陰に覆われ
ている。


 ところどころに紅葉が色づく木々の下を南西に下る。「虹と水の広場」と呼ぶ広場の中
心に大きなオブジェクトが立ち、二つの棒から溜まった水が流れ落ち、珍しい動く彫刻の
ような光景を見せる。


 その先の、町田市立国際版画美術館に14時頃に着く。ここで解散となったので、美術
館の観覧をすることにした。


 まず常設展会場に入り、チベット密教版画を見る。中国、四川省の院経院と呼ぶ密教寺
院にある版木を使用して彫られた、薬師如来や十一面観音、極楽浄土図、仏伝図などの木
版画30点が展示され、隣接の畦地(あぜち)梅太郎コーナーには、山の版画家として知
られる畦地梅太郎の版画4点が並んでいた。

 広いスペースの企画展会場では、「版画でつくる驚異の部屋へようこそ展」を開催中。

 15世紀から18世紀にヨーロッパで流行した「驚異の部屋」にならい構築したという、
人体の解剖図や動物図譜、怪異な生き物、建築物、多色刷りの版画や書籍など多数が展示
されていて、その精緻な版画技法に驚かされるとともに、版画の奥深さを認識させられた。

 ちなみに、この企画展は11月23日(水)で終了した。

 およそ1時間鑑賞して版画美術展を出る。


 雨は一向に止まず、ますます降りしきる。濡れた靴の中を気にしながら芹ヶ谷公園を西
に上がり、15時40分に小田急小田原線の隣駅、町田駅に着いた。

(参加 4人、天気 雨、距離 6㎞、地図(1/2.5万) 原町田、歩行地 町田市、
 横浜市青葉区、歩数 10,000)



 【お詫び】かなりの雨のため、中ほどの写真からレンズに水滴が付いて、見苦しい画面
  になっていますが、雨の雰囲気を感じていただくためにあえて掲載しました。ご了承
  下さい


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関東百駅巡礼歩行 JR内房線 佐貫町駅(千葉)

2011-10-31 21:27:52 | 関東百駅巡礼歩行
 2011年10月29日(土)

 7月に休んだため今月は2回目となった、関東百駅巡礼歩行の第78番に参加した。
集合はJR内房線の佐貫町(さぬきまち)駅。やまさんのほか、茅ヶ崎、小山、宇都宮
から参加の常連メンバーで記念撮影後、11時10分にスタートする。


 やまさんが用意した今回のエリアは、2万5千分の1地形図を4倍にコピーした狭い
エリア。この中を丹念に歩いたら、どんな出会いや発見があるのだろうか…。

 駅前にある不動産会社は、いまは珍しい手荷物一時預かりもしていて、食堂も併設し
ている。



 駅前を延びる国道465号を少し進むと、郵便局ではなかったかと思われる洋館が残
っている。その先の「駅前スーパー」には、地元産の新鮮そうな野菜が廉価でたくさん
並んでいた。

 スーパーの南側に出ると、刈り入れ後のひこばえの伸びた田んぼや、屋敷林のある穏
やかな集落の家並みなどが望まれる。


 県道256号に出て、駅南側の踏切を渡ったところに、「新舞子海水浴場」の看板が
立ち、刈り入れ後の田園が広がる。北側の緩やかな山並みの上に、白亜の東京湾観音の
上部が少しだけ見えてきた。


 田んぼに囲まれた大坪集落の一部、離れ小島のような常緑広葉樹の茂る岡に、小さい
神社が祭られていて、前の田んぼで伐採した神社の広葉樹を燃やしていた。


 そのあたりまで進むと、東京湾観音がさらに中ほどまで姿を見せる。


 昭和54年(1979)建立の圃場(ほじよう)整備竣工記念碑のある三差路の次の
交差点を左折して、県道が染川を渡る橋のところに出た。


 橋の手前の広場に石造の新しい馬頭尊と不動尊が並び、前に卒塔婆が揃えて積み上げ
られている。近いうち、護摩を炊(た)く行事が行われるようだ。


 すぐ先の三差路で折り返し、下流側の古い橋を渡って集落に入る。川向橋のたもとに
小さい稲荷神社があり、そばのお堂に赤ずきんを着けたお地蔵さんが祭られていた。

 橋の先に、右手に入る地図にない道があった。木々に覆われた台地と八幡集落の家並
みの間の細道を進むと、上総天羽(かずさあもう)郡総社という鶴峰八幡神社の大鳥居
の前に出た。


 石段を上がった台地上の広い境内には玉砂利が敷かれ、朱塗り鮮やかな八幡神社本殿
のほか、これも朱塗りの御神輿蔵(みこしぐら)や、別の社が祭られている。


 鶴峰八幡宮は、養老2年(718)(一説では定観2年(860))の創建とのこと。
その後、源頼朝が北上の際に武運長久を祈願して短刀を奉納したと伝えられ、室町時代
には武田氏が、江戸時代には佐貫城主の内藤氏や阿部氏などの寄進があったという。

 創建の由緒から、地元漁師の守り神のようで、境内の一角に大きないかりが2個奉納
されていた。



 瀟洒(しようしや)な造りの八幡簡易郵便局↑の横を下って、前方に東京湾の広がる
砂浜に出た。

 北の台地上に、標高124・3mのピークに立つ東京湾観音が望まれる。


 付近の砂浜は、夏には新舞子海水浴場として賑わうのだろうか…。いまは無数の貝殻
があちこちに打ち寄せられ、閑散としている。


 海に突き出たコンクリートの突堤に腰を下ろし、東京湾を眺めながら昼食にしたが、
逆光でもありやや霞んでいて、対岸の三浦半島の様子は判然としない。


 食事を終え、砂浜を北へ500m近く、コンクリートの細い護岸になっている染川の
河口まで行く。


 川を離れて八幡集落に戻り、染川最下流の橋、山王橋を渡る。集落を北に抜けて、北
側の山腹をS字状に曲がりくねっている山道から、東京湾観音に上がろうとした。


 集落北端の、土蔵の壊れた家の横から竹の混成した山林に入ったが、道らしいのは残
っていない。


 下草の少ない常緑広葉樹の間を探りながら小さいピークに出たが、やはり道は見つか
らない。茂みの少ないところを右の方に回り込んで行くと民家が見えてきたので、そち
らに下って行く。


 民家の横を抜けると、小さい池があり、全面を覆ったホテイアオイが見頃である。


 東京湾観音に上がるのはあきらめ、近くの浄光寺に入って休憩した。


 14時を過ぎたので次の電車で帰途につくことにして、駅に向かうことにする。


 3頭のホルスタイン牛が飼育されている牛舎の前を通過し、大坪の三差路際の、岩をく
り抜いた中に祭られた石仏群の前を過ぎる。


 圃場整理竣工記念碑のある三差路に戻り、往路の県道256号を進んで、14時40分
に佐貫町駅に着いた。

(参加 5人、天気 快晴後晴、距離 6㎞、地図(1/2.5万) 富津(ふっつ)、
 歩行地 富津市、歩数 9,200)



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関東百駅巡礼歩行 JR水戸線 東結城駅(茨城)

2011-10-17 22:21:07 | 関東百駅巡礼歩行
 2011年10月15日(土)

 7月初めから9月下旬まで、3か月に及ぶスコットランドの自転車旅から帰ったやまさん
企画の、関東百駅巡礼歩行 第77番が開催されたので、参加した。

 集合は、JR水戸線の東結城(ひがしゆうき)駅。小雨模様なので雨具を付けた常連メン
バーは、無人で駅舎もないのでホームで記念撮影をして、11時ちょうどに駅を出る。


 国道50号交差点から東に少し進むと鶏小屋があり、シャモやウコッケイなど飼育されて
いる。小屋には「文部省指定天然記念物日本鶏」の木札がかかっていた。


 ちょうど、背後の家から飼い主のSさんが配合飼料を持って来て、扉を開けて首の長い日
本鶏(にほんけい)を見せてくれた。まだ子どもで小さいが、成長すると7㎏くらいになる
らしい。毎月開催される日本鶏の交換会には、茨城、群馬、埼玉など近県から集まるという。

 すぐ先、国道の南側に「とんかつレストラン ベル」の駅名標をかたどった看板が立ち、
隣駅のところには茨城弁にて勧誘の言葉が表示されていた。


 次の角を左折して北に入る。そばのK家は、便所らしい構造物が道路際に突き出た珍しい
造り。今日参加の小山市のKさんが以前から知っていて、案内してくれたもの。

 古い日本家屋でも、こういう便所を見るのは初めてだ。

 線路際の大輪寺は、無住で本堂も小ぶり。境内に木もなく寂れた感じだが、本堂横にあっ
た青銅の灯ろうのようなものが目についた。



 東結城駅東側の踏切を越えて、上小塙集落から宮ノ下集落へ。ケヤキの大木などの屋敷林
が並び、日本瓦のりっぱな家屋が多い。


 集落の中ほどにある貴布禰(きふね)神社に入った。覆屋に保護された本殿は見事な木彫
を巡らし、境内の中ほどに江戸時代の石灯籠(とうろう)が立つ。いずれも市の指定文化財。
拝殿のひさしを借りて昼食にした。


 田川の右岸に出ると、昨日からの雨で水量が多く、数十羽のカモが上流に向かって飛び立
った。


 刈り入れ前の黄金田に沿って西に進む。信号のある交差点際に、結城市伝統工芸コミュニ
ティセンターがあったので入館した。

 館内では、昨年11月16日にユネスコ無形文化遺産に登録された「結城紬(つむぎ)」
の、糸つむぎや絣(かすり)くくり、地機(じばた)織りなどの工程が体験できるようにな
っていて、土・日曜担当という方に、ひととおり説明と実演をしていただいた。


 ちなみに結城紬の歴史は古く、奈良時代から朝廷に献上されているが、いまも古代の技法
が受け継がれ、20を超えるすべての工程が手作業で行われているとのこと。それが、国重
要無形文化財やユネスコ文化遺産に登録されたゆえんであるという。


 説明いただいた各工程とも、細かな手作業の積み重ねであり、気の遠くなるような時間を
かけても、わずかな製品しか出来ないこと、各々の工程で極めて高度な技術が必要なことが
よく分かった。 下は精巧な結城紬の柄。



 交差点を渡って西北の大谷瀬集落に入り、色づいた柿の木の目につく集落の、北端に近い
松月院へ。


 18代にわたりこの地を治めた結城家と密接な関係にある禅寺で、道路を隔てた西側台地
には、結城家累代の墓石の並ぶ御廟(ごびよう)がある。


 御廟周辺には、黄色い花が咲き残った背の高い草本が密生した畑がある。見たことのない
花だが、結城紬の染料に使うのだろうか…。


 本町の住宅地を北に抜けて、結城城の城跡公園に入る。

 結城城は、治承年間(1177~80)に結城朝光が築いたとされるが確証が無く、結城
氏が慶長6年(1601)に越前福井へ国替え後廃城となり、その後、元禄13年(1700)
水野勝長により再興され、明治に至るまで水野家の居城になったという。



 三日月橋から入った正面には桜並木が続く。園内の耕地整理記念碑曽そばにあった東屋で
しばらく休憩し、やまさんのスコットランドでの出会い話などを伺う。雨はほぼ上がったの
で、雨具をザックにしまった。

 公園の西側にある珍しい名の聡敏神社前を進むと、結城城の内堀だったという窪みが残っ
ていた。

 西に少しで、「(株)紬の里」の建物があったので入る。2棟の平屋があり、奥の染織工房
では、結城紬の藍(あい)染めや、コースター、マフラーづくりなどの体験が出来、近隣の
小学校などからの体験実習も多いという。


 結城紬の反物、帯地(おびじ)、作務衣(さむえ)、小物などの販売もしていて、居られ
た担当の方から、藍染めの工程などの説明を伺った。


 学校とは思えぬ、城壁のようなりっぱな石垣に囲まれた結城小の南側の、石を配したせせ
らぎの流れる歩道に沿って進む。


 校門を入った左側には、昭和41年(1966)の卒業生の記念制作らしい、動物の彫刻
を並べたレンガ塀があった。


 西側の交差点際の小公園には、「明治天皇結城大本営記念碑」と、砲身のような鋳鉄製の
碑が並んでいる。

 市街地に入ったすぐ先に、「あくとの里」の看板の出た、どっしりとした見世蔵(みせぐ
ら)の建物が見える。有機農産物直売所で、地元の野菜や漬物、うどんやせんべいなどの農
産物加工品が販売されていた。


 南側の三差路を西に入ったところには、「つむぎの館」の案内板があり、芝生の庭を囲ん
で何棟かの建物が並んでいる。


 左手の建物は「結の見世(ゆいのみせ)」と呼ぶが陳列館で、つむぎ製品のアクセサリー
や小物、衣類、マフラーなどを展示販売していた。


 ほかに、古民家の陳列館、染色工房織場館(おりばかん)、手緒里(ており)と呼ぶ資料
館、土蔵などがあったが、各々の入館は省略した。

 この通りをさらに進むと、古い木造の洋館や、国登録文化財の鈴木紡績↓の見世蔵などが
残っている。


 色鮮やかな朱の鳥居の立つ住吉高倚神社前を通過し、県道35号との交差点に出た。

 北西側に、大きな看板の渡辺菓子店が目に付き、南西側には、見世蔵を活用した甘味茶蔵
真盛堂↓がある。


 交差点を左折して県道を駅に向かうと、国登録文化財の秋葉糀味噌醸造見世蔵、結城の蔵・
簗島邸居宅、旅館石崎など、古い建物が幾つか点在していた。


 旅館石崎の反対側、銀屋と呼ぶ建物は、シルバー人材センターの人が交代で詰めていて、
観光客にお茶の接待をする休憩所になっている。我々も立ち寄りお茶をいただき、元気なシ
ルバー年代の女性などと話を交わした。

 駅に近づくと通りは最近拡幅されたようで、広い歩道もあり安心して歩ける。16時10分
に、2階に南北連絡通路のあるJR結城駅に着いた。

 自家用車で来ていたKさんに車に南口から便乗し、小山駅まで送ってもらい、17時近くの
宇都宮線上り電車に乗る。

(参加 4人、天気 雨後曇、距離 6㎞、地図(1/2.5万) 下館、歩行地 結城市、
 歩数 11,800)



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関東百駅巡礼歩行 東武日光線 新大平下駅(栃木)

2011-06-28 15:48:02 | 関東百駅巡礼歩行
 2011年6月25日(土)

 6月に2回目となる、やまさんの関東百駅巡礼歩行に参加した。集合は東武日光線線の新大平下
(しんおおひらした)駅。一日中雨の予報のためか、参加者はやまさんと私のみ。10時51分に駅西口
をスタートした。


 北に少しで最初の角を左折する。近くにあったのが、大ケヤキが目につく如意輪寺。下野(しもつけ)
観音霊場の二十五番札所で、創建は宝亀元年(770)という古寺である。

 延徳2年(1490)にこの地に移され、のち、徳川家康が立ち寄り十石の朱印を賜り、徳川家ゆかり
の寺となったという。境内のアジサイが見頃。六地蔵と北向き地蔵などの地蔵群が並んでいた。

 例幣使(れいへいし)街道に出て、ご神木の大イチョウが目につく八坂神社へ。

 境内を清掃していたのは女性の神主さん。県内には40人の女性の神主がおられるとのこと。夫の急
死後、先代神主を務められたというお母さんも出てこられ、冷たいお茶をいただいた。

 交通量の多い県道11号を横断、内宿の新しい住宅地を抜けると、トウモロコシ畑が現れ、緑濃くなっ
た水田の向こうに晃石山(てるいしさん)(419m)の山並みが広がる。


 JR両毛線に沿って田園地帯を西に進む。前方に、採石のためだろうか一部をざっくり切り取られた山
が見える。踏切を越えて片岡集落に入った。


 北側の山田集落にかけてぶどう園が多く、道路際には直売場が並んでいる。



 ブドウ棚には、かなり大きくはなったがまだ熟す前の緑の実がたくさん見られた。この辺り一帯に、
ぶどう園が70余りもあるようだ。

 集落の北端から山すそに入り、「山田かかしの里」に行く。上部に県内一長いというローラースライダー
が見え、その下のバーベキュー広場には、車で来た人たちが、バーベキューを楽しんでいる。近くにあっ
た東屋で昼食にした。


 農産物直売所を少しだけのぞき、広域農道を北東へ、晃石山ろくの小荷田集落に入った。ブドウ畑に
混じってナシ畑も見られる。


 集落の最奥まで上がると、豊富な緑に覆われた清水寺(せいすいじ)がある。下野観音霊場二十六番
札所で、東国花の寺百か所霊場でもある。


 境内では、今が見頃のアジサイのほか、季節によりスイセンやツツジ、シャクナゲ、ボタンなどの花が見
られるようだ。標高130mほどの高台なので、南面の展望が開けている。



 ほぼ等高線に沿った林道山田線を東に向かう。沿道にはアジサイが続き、まだ若木もあるが、白、青、
紫などの彩りを楽しませてくれる。それらに混じってトラノオやホタルブクロも咲いていた。


 林の切れ目から田園地帯を見下ろし、竹樋から冷水の流れ落ちる地を過ぎ、さらに続くアジサイの道を
少しずつ下って池上集落へ。

 集落を貫く道を北に上がり、うっそうとした杉木立の下にアジサイの咲く参道を大中寺(だいちゆうじ)に
入る。1月生まれという乳児を抱いた宇都宮の若ご夫婦が、アジサイとお子さんを携帯電話で撮っていた。


 大中寺は延徳元年(1489)の再興、のち越後の上杉家に守られ、徳川幕府からも高い位を与えられた
由緒ある寺だという。上田秋成作の「雨月物語」にある七不思議の伝説でも知られているようだ。

 石段を上がった本堂下、七不思議の一つ「油坂」の斜面に、アジサイや何色かのユリが咲き、本堂前に
はカエデの古木が立っていた。


 本堂東側下には、七不思議の一つ、「不開の雪隠(せつちん)」と呼ぶかやぶき屋根の建物がある。

 もとの道を林道まで戻り、少し先で旧東山道だった道を下って、峰町谷集落へ。りっぱな門構えで庭の
広い民家が並び、このあたりもブドウ畑が多い。


 広域農道に出て、おおひら歴史民俗資料館へ。館内には旧大平町の原始から現代までの考古、歴史、
民俗資料などを展示している。

 企画展示として、近県を含めた各地の寺の野仏を切り絵にした「野仏賛歌」が展示されていた。

 隣接する郷土資料館「白石家戸長屋敷」にも入る。江戸後期の文政年間(1818~29)に整備された大
庄屋の屋敷。かやぶき屋根の大きな母屋(おもや)、味噌蔵、離れ屋敷など趣ある建物が並ぶ。




 長屋門近くの土蔵は、「ぎゃらりい蔵」と呼ばれ、こけしや人形、だるまなどが数え切れないほど展示され
ていて、週末には、飲物をいただくことも出来る。

 奥にある大きな木造スピーカーからの素晴らしいジャズの音を聴きながら、コーヒーをいただいた。


 広域農道を東へ、中山の西麓に並ぶ向堀集落を南に向かう。南麓の神の倉集落を回ってJR大平下駅の
西側踏切を渡り、大平西小の校門際に出た。

 「富田城跡」の説明板があり、この一帯東西400m、南北500mに、嘉吉元年(1441)~元和3年(1617)、
富田氏などが支配した平城(ひらじろ)があったことが記されていた。

 県道11号を横切り、旧例幣使街道から県道311号に回って、新大平下駅に16時06に戻った。

 一日雨の予報だったがほとんど降られず、気温もさほど上がらず、梅雨時としては快適なカントリーウオー
ク日和だった。

 (参加 2人、天気 曇、距離 13㎞、地図(1/2.5万) 栃木、歩行地 栃木市(旧大平町)、歩数 22,400、
  累積標高差 約450m)


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関東百駅巡礼歩行 東武伊勢崎線 境町駅(群馬)

2011-06-16 16:12:56 | 関東百駅巡礼歩行
 2011年6月11日(土)

 関東百駅巡礼歩行の第75番は、東武伊勢崎線の境町駅。日韓友情ウオークに参加された山浦敬子さん
も久しぶりにお顔を見せ、6人が10時40分に駅を出た。


 境町は、合併して現在は伊勢崎市境となっている。駅前から、暗渠(あんきよ)となった佐波新田用水路沿
いを西に向かい、まずは境よしの記念公園に入った。

 背の高いタイサンボクが大きな花をたくさん付け、公園内には柵に囲まれたお堂もあり、緑がいっぱい。
どうやら公園の名前になっている「よしの」という方の、広大な屋敷跡ではないかと思われた。

 南に進み、旧日光例幣使街道である国道354号に出て、萩原諏訪神社へ。文久元年(1861)に建て直さ
れたという道標があるが、半分に折れていた。その横には、八十貫目(300㎏)と刻まれた力石もある。


 国道を東に向かう。スーパーFRESSAY構内の隅に「日光例幣使街道 織間本陣跡」碑があり、周辺には、
古い宿場だったことをしのばせる、りっぱな蔵造りの建物が何棟も残っていた。

 駅前通の先で南に入り、長光寺に行く。お堂の前に伝教大師の立像があり、「春も漸(やや) けしき調(とと
の)う 月とむめ」の芭蕉句碑が立つ。ほかにも句碑が幾つかあり、庭木もよく手入れされている。


 その先には弁天池があり、中の島に祭られた弁天堂は、小さいながらもきらびやかな木彫が施されていた。


 養護学校に転用された旧境高校の前を西に向かう。民家が途絶えて畑作地帯となり、大きな葉に覆われた
ゴボウ畑が目につく。


 色づいた小麦畑が広がり、上水道の浄水場横を進んで広瀬川の中島橋際に上がる。橋の下にあったベンチ
で昼食にした。

 ベンチには、バーベキュー禁止の表示があるが、珍しくスペイン語とポルトガル語でも書かれ、この近辺には
これらの国語を話す住人の多いことが推察される。


 ビオウヤナギの咲き競う河川敷から橋に上がり、右岸の高崎伊勢崎自転車道を下流に向かう。


 広い河川敷はヨシキリのさえずりが賑やかで、キジやウグイスも鳴く。


 右からの韮川との合流点付近に桑の木があり、桑の実が色づいていた。


 韮川の北向橋を渡って島村集落に入った。この地域は、古くからの養蚕地帯ようで、県道295号の交差点
際に「島村養蚕農家群」の標識があり、周辺には養蚕農家らしい造りの民家が多い。

 それら民家の北と西側は、上州名物の空っ風を防ぐ「かしぐね」と呼ぶ、カシの木を高く刈り込んだ防風林で
囲まれていた。

 利根川水辺プラザ公園の横を進んで、島村渡船船着場に向かう。島村渡船は、利根川の築堤によって分断
された島村集落を結んでいて、県道295号の一部として、無料で乗船できる。

 渡船場よりかなり手前の小屋に船頭さんがいて、声をかけるとバイクで船着場に先行して準備し、乗船させて
もらえる。私たちが、今日最初の乗船者とのことだった。

 ちなみにこの渡船は、江戸時代中期から行われていたようで、現在はエンジン付きだが、昭和年代までは竿
(さお)でこぐ船だったという。運行時間は8時半から17時(冬期は16時半)までである。

 きのうの雨で濁り、かなりの水量があったが、数分で対岸に渡る。渡し終えると船は、常駐場所の対岸にすぐ
戻って行った。


 利根川右岸河川敷には、色鮮やかなナヨクサフジがたくさん咲き、一面に広がる芦原でヨシキリが鳴き競って
いる。


 青空が増えてきて、霞んではいるが東方に筑波山や加波山が望まれる。


 境島小のそばに「島村蚕種業績の地」碑があり、この地から、明治初めに全国に先駆けて蚕種輸出を図った
ことが記されていた。


 境島小構内には、明治32年(1899)に建てられた「島村沿革碑」があり、養蚕業を発展させた島村の人々の
歴史が記されている。なお、この小学校の校章は、桑の葉、蛾(が)、繭(まゆ)を組み合わせた珍しいデザイン
だという。

 県道際に標識のあった「島村の板倉」は見つからず、埼玉県深谷市との県境際にある日本基督教団島村教会
のところに行く。

 この教会は、明治30年に建てられたもので、県内で2番目に古いものとか。当時の島村文化の一面を象徴する
建物で、国の有形文化財に登録され、一部は島村めぐみ幼稚園に使われていたようだ。

 県境になっている農道を東に向かう。周辺には深谷名産のネギ畑や、よく育ったゴボウ畑が多く。ゴボウ問屋の
建物もあった。点在する民家は、養蚕農家の面影を残す建物が多い。

 10戸前後だけの狭い深谷市飛地の横から、利根川自転車道になっている利根川右岸堤防に上がる。海から
175㎞の標識があり、間もなく県道14号の上武大橋南詰へ。前橋からサイクリングで来たという親子が休んで
いた。


 長さ1㎞前後ある、車道に平行した自転車と歩行者専用橋を渡り、県道の西に平行する平塚の里道を進む。
早川の薬師橋を渡って、世良田(せらだ)の集落に入った。

 すぐ先に広々とした薬師公園があり、並木になっているタイサンボクが大きな花を見せている。

 ケヤキ並木の通を東に少しで、太田市歴史公園へ。このあたりは12世紀中頃に成立した新田(につた)氏の
荘園があったところで、「新田荘遺跡」として国史跡に指定されている。

 公園の一角に新田荘歴史資料館↑があるが、入館は省略した。

 この地は徳川氏発祥の地でもあるようで、徳川家康が関東に入国後、将軍家の厚い比護を受けており、資料
館の西側一帯が世良田東照宮の境内である。

 東照宮は、寛永20年(1644)に、3代徳川家光が日光東照宮古宮を移築して祭り、神領200石を寄進したと
いう。境内の一角で休憩したが、時間がないので拝観は省略した。

 東照宮の御黒門や太鼓門、承久3年(1221)創建で東日本最初の禅寺という長楽寺の前を通過して、北に向
かう。国道354号の先には、背の高い屋台庫が2棟並んでいた。


 田園地帯に出ると、色づく麦畑の上でヒバリがさえずる。

 休耕田にカモの群れが遊ぶ農道を進み、県道14号の東側にある世良田駅に16時14分に着いた。

 どこにあるのかも知らなかった境町駅だが、日光例幣使街道の宿場町、島村渡船と蚕の里、新田荘遺跡と東照
宮など、多くの歴史を認識する機会が得られ、盛りだくさんのウオーキングだった。

 (参加 6人、天気 曇後晴、距離 13㎞、地図(1/2.5万) 上野境、(伊勢崎)、深谷、本庄、歩行地 伊勢崎
  市、太田市、歩数 22,00)


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関東百駅巡礼歩行 西武秩父線 西吾野駅(埼玉)

2011-05-31 11:08:50 | 関東百駅巡礼歩行
 2011年5月28日(土)

 関東百駅巡礼歩行の第74番に参加した。集合は、西武秩父線の西吾野(にしあがの)駅。
1日中雨の予報か、参加者は4人と少な目。でも、宇都宮や茅ヶ崎からも来られたので、参
加の可否はその人の気持ち次第ということか…。


 10時50分、標高約250mの西吾野駅をスタートした。


 駅周辺は、奥武蔵の山に囲まれた谷間にあり、豊富な新緑が広がり、ツツジやシャクナゲ
などが雨に濡れて咲いている。


 駅近くの天神社に立ち寄り、国道299号に出て南に向かう。国道に面した民家に「ロック
ガーデンカフェ」の看板が出ていた。


 国道を500m足らずで、「子(ね)の権現」の看板のところから、細い流れに沿った谷間の
狭い車道に入る。道沿いは湿気が多いのか、花の咲き出したユキノシタが至るところで見ら
れる。


 道路沿いの大岩ノ下に、六面体の古い石仏が立つ。この谷間でただ一つの集落、小床(こ
ゆか)には寺もなく平地が少ないので、山林に個々の家のものらしい墓地が点在している。

 墓地の一つに、可愛らしい2体のお地蔵さんが立っていた。


 民家の庭先にコデマリが咲き、路傍にはシャクヤクや花菖蒲、ヤマアジサイなどの花が見ら
れる。


 クリンソウの咲く一角もあり、シャガもあちこちで目についた。


 集落の一番奥に、朱塗りの鳥居が立つ小さい社があり、その手前左手から杉木立の山道に
入った。杉はまださほど太くはないが、よく枝打ちされ、幹のかなり上部まですっきりしている。


 少しずつ高度を上げ、右からの山道と合した小さい峠の三差路に、自然石に「天寺へ十二
丁」と刻まれた古い道しるべが残っていた。


 少し下ってからさらに緩やかに上りが続く。下久痛集落からの山道と合したあたりからは、高
度が上がって一面濃いガスに包まれ、幻想的な風景となる。


 やがて車道に出た。青葉戸からの登山路の先から斜面の山道を上がると、車道と合流して
子の権現天龍寺境内へ。13時5分に到着した。


 山門の手前に、見事な大杉が立つていた。県天然記念物、二本杉のひとつで、樹齢およそ千
年といわれているという。横に並ぶもう1本は枯れていた。

 山門の先、両側に大きな仁王像が屋根無しで立ち、さらに進むと正面に、かやと杉皮とを交互
に重ねて葺(ふ)いた、重厚な屋根が特徴的な本坊がある。


 子の権現・天龍寺は、延喜11年(911)年に子の聖(ねのひじり)が十一面観音を祭って創建
したという。当時から足腰守護の神仏として信仰されているようだ。


 標高は約630m、境内には、日本一の黄金色のわらじや、大きな下駄2足が奉納されている。
十一面観音を祭る観音堂には本物のわらじが、その前にも、ミニわらじがたくさん奉納されていた。


 そばに、開放された閻魔(えんま)堂があり、えんまさんがにらんでいた。観音堂の背後に回り、
広い屋根の下で雨を避けて昼食にした。


 13時50分に下山にかかる。雨は幸いずっと小降りだが、ガスは相変わらず濃い。

 山門近くに土産店が1軒開いていて、奥武蔵の土産物や山菜、農産物などを販売している。女性
お2人は、山菜などを求めた。

 帰路は、東側の青葉戸へのコースへ。やはり杉木立に覆われた林間の山道だが、往路より斜度
が幾分急なので、滑らぬよう注意しながら慎重に下って行く。

 山道の最後は、石段を降りて降摩橋を渡り、車道に出た。青葉戸最奥の住宅があり、さらに下って
行くと、数戸の住宅の一角に「浅見茶屋」と呼ぶ茶店があった。


 昔の茶屋の風情がたっぷりの店なので、入って小休止することにした。やまさんが購入した手造り
の草餅をごちそうになり、お茶をいただく。


 建物は築150年を超え、店も3代続く家族だけで運営している。分厚い木製のテーブルや、厚い木
の板に張られたメニューも、茶屋の雰囲気をいっそう引き立ててくれる。思いがけぬ店だった。

 そばに朱塗りのお堂があり、さらに下って行くと、350年前から住んでいたと記された小さいが一風
変わった家屋があったが、休業となっていた。

 高松宮殿下と歌人佐佐木信綱の歌が刻まれた歌碑の立つ、東郷公園の横を過ぎ、高麗川と国道
299号、そして西武秩父線とが平行する芳延橋際に出る。

 橋は渡らず、手前の高麗川右岸に沿った狭い道を進む。西武線に接した高見に上がると、中尾の
集落や行く手の線路が見下ろせる。


 山砂を採取する採石場のそばを通過し、駅の近くに咲くモミジの花などを眺めながら進み、15時45
分に吾野駅に着いた。


 かなりの雨を予想したが、始終小降りで済み、土の道も滑ることなく、新緑や初夏の花を一杯眺め
ながらのハイキングを楽しんだ。

(参加 4人、天気 雨、距離 8㎞、地図(1/2.5万) 正丸峠、原市場、歩行地 飯能市、歩数
 18,800、累積標高差 約1,040m)


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関東百駅巡礼歩行 JR青梅線 日向和田駅(東京)

2011-02-20 22:22:53 | 関東百駅巡礼歩行
 2011年2月19日(土)

 第72番目となる関東百駅巡礼歩行に参加した。集合は、JR青梅線の日向和田
(ひたたわだ)駅。駅前で記念撮影をして、10時47分に駅を出た。


 国道411号(青梅街道)と多摩川との間の旧道に入り、日向和田の集落を抜ける。
梅の里だけあり、梅の木や梅林が多く、一部はちらほらと咲き出していた。


 和田橋を渡って多摩川右岸へ。青梅信金図書館の先で細道に入り、カタクリが咲く
という斜面下から、小さいお堂の横に出て、県道45号に上がった。高台を走る道なの
で、多摩川沿いの家並みや、対岸の展望が開ける。

 徳昌寺の横からさらに、畑道を横切って山すその車道まで上がる。日陰には残雪が
かなり残り、予想外に高層ビルの並ぶ、青梅市の中心街方面が望まれる。


 青梅市の、「水と緑と梅の道」と名付けられた道標の立つ三差路を、和田橋方面に
少し下ると、再び三差路。そばに、かやぶき屋根にトタンを被せた民家があり、梅ヶ谷
梅園の標識が立つ。

 家の前が、その梅林になっていたが、まだつぼみのままだった。

 梅林前の橋を渡った先は、梅郷一丁目の集落。、最初の家に、開花前だが青梅市指
定梅樹という、野梅性という系統の古木があり、そばのマンサクが花盛り。


 少し高見の通りに出て西へ、大きな紅梅がかなり開花していて、その下に福寿草が
たくさん咲いている。その先の竹林寺に入り、本堂前に腰を下ろして昼食にした。



 寺のそばにあったかやぶき屋根の民家の横から、「鎌倉街道」の標識に従い、山すそ
の細道に入る。眼下に梅畑が広がるが、ここもまだ開花前だった。


 さらに進むと、南向きの対斜面に紅梅、白梅がかなり咲いているのが見える。

 吉野梅郷を代表する梅園、「梅の公園」である。公園の入口付近にも、鎌倉街道の
説明板があった。

 梅の公園は、今日から3月末日までが梅まつりの期間。入園料は2百円だが、初日
の今日は無料とのこと。東口から園内に入った。


 日差しの多い南面は、かなり開花しているが、遊歩道を上がって北側斜面に回ると、
まだこれからの木が多い。


 吉野川に面した北側、正面入口付近の東屋に飾られた写真を見ると、見頃は3月中
旬のよう。でも入口付近には、臨時の売店も出来て、かなりの人が来園していた。

 川沿いを上流に向かって進み、標高504mの三室山への林道に入る。杉やヒノキの
樹林帯の中の上りが続く。御岳山から日の出山を経てきた、ハイカーのグループが、
何組も下りてきた。


 標高450m付近の分岐点まで上がって小休止。山頂往復は省略して、梅郷六丁目
方面への下山路へ。大岩の横を通過して、集落近くまで下ると、子ども達が記念植樹
した立て札が並ぶ。

 下の車道際には、「見返り之句碑」と呼ぶ、大きな句碑が建てられていた。


 集落を少し進んで即清寺へ。元慶年間(877~85)の開創で、建久年間(1190~9)
に、源頼朝が畠山重忠に命じて造営したとか伝えられ、鎌倉古道に面した要衝の寺だ
ったようだ。


 境内には、趣ある松が何本も立ち、大きな本堂を中心に、庫裡(くり)、鐘楼などがあ
る。西側斜面には、新四国八十八か所霊場が設けられ、庭の中心で、大きなモクレン
のつぼみが、かなりふくらんでいた。


 山すその道をさらに進み、北側から県道45号に回り込み、吉川英治記念館へ。ここ
で解散となったが、全員が入館する。

 南面から西側に広い庭園が広がり、北東側に母屋↓と洋館、その背後に展示室の建
物が並んでいる。

 吉川英治は、昭和19年(1944)に都心からここに疎開し、約10年間生活したとの
こと。母屋は弘化4年(1847)頃の建築で、明治初期に建てかえたという。

 隣の洋館は、吉川英治が書斎として使ったもの。三度の食事もここでとり、「新・平家
物語」もこの書斎から生まれたようだ。


 樹齢500~600年というシイの大木の横を上がって展示館に入り、吉川英治自筆
の原稿や色紙、こで執筆した「宮本武蔵」、「新・平家物語」などの著書、受賞した文化
勲章などを観覧した。

 敷地約6000㎡(約2000坪)の多くを占める、庭園の遊歩道を一巡して記念館を
出た。


 柚木町一丁目の住宅地を抜けて、多摩川の奥多摩橋を渡り、二つ先のJR二俣尾
(ふたまたお)駅に、15時45分に着いた。

 (天気 晴、参加 7人、距離 8㎞、累積標高差 約770m、地図(2万5千分の1)
  武蔵御岳、歩行地 青梅市、歩数 11,000)


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関東百駅巡礼歩行 JR京葉線 千葉みなと駅

2011-01-17 18:41:46 | 関東百駅巡礼歩行
 2011年1月15日(土)

 関東百駅巡礼歩行も8年目、今年最初の第71回は、JR京葉線の千葉みなと駅。
新年早々から引越の前後処理に追われていたので、私の今年の歩き始めでもあり、
市外に出るのも電車に乗るのも、今年はじめてのことだった。

 レギュラーメンバーばかりの参加者5人は、駅西口で記念撮影をして、11時8分に
スタートした。


 今日の最高気温は7℃前後との予報。薄日が出ているが空気は冷たく、風がない
のが幸いである。

 ヨーロッパの宮殿風の造りの、ベイサイドパーク迎賓館の前を通り、千葉中央港沿
いの空き地の横を回って、千葉ポートパークへ。

 昭和61年(1986年)、千葉県民500万人突破記念として、さらに国際港千葉港の
シンボルとして建てられた展望施設だという。

 菱形の構造物の回りがガラスで覆われ、真ん中にエレベータがある。エレベータで
最上階という4階まで上がると、地上高は113mになる。


 遠くは富士山や筑波山、東京湾アクアラインや都心の高層ビル、建築中の東京ス
カイツリーも見えるようだが、今日は霞んでいて、近くの千葉市街の中心部や、眼下
の千葉港とか千葉ポートパークなどの展望に限られた。


 階段を使って、3階の展望喫茶室や2階のアクアファンタジーと呼ぶコーナーを通過
し、2階からエレベータで地上まで下りる。下には、千葉観光物産館があった。


 ポートタワーを出て、東側の千葉ポートパークに入り、円形広場を横切って県立美術
館の東側を抜ける。美術館の庭には、何本かの白梅が花を開いていた。


 県警の救助艇の見える港の脇を通過、JR京葉線の下を抜けて北東に進む。カラフル
な建物の新宿(しんじゆく)中の先で国道357号を横断し、新宿小の横を過ぎる。


 高架になっているJR外房線と京成電鉄千原線下の賑やかな商店街に入り、両線の
千葉中央駅下へ。東側の通りに出て、線路に沿った小公園で、昼食をする。


 東側正面に見える、高層の千葉県庁に向かい↑、中ほどで葭川(よしかわ)の日本
橋を渡った。


 千葉都市モノレール1号線の下の通りに出ると、正面にNHK千葉放送局がある。

 その横を進んで再度葭川を渡り、千葉県庁構内を東に抜ける。県警本部の横を、次
の交差点際まで進むと、正面にしゃちほこの上がった千葉城が見える。千葉市にこの
ような城があるとは、ついぞ知らなかった。

 交差点際には、「えるふ」と呼ぶ、こどもの絵本専門店が合ったのでちょっとのぞいて
みる。店内には、子どもの興味をひきそうな本が、たくさん揃っていた。


 交差点を越えて県立中央図書館の横を上がり、亥鼻(いのはな)公園へ。文化会館
前からお城に向かうと、「教師とは…」と刻まれた石碑がある。

 千葉師範を出て弱冠28才で校長になり、戦後初代県教育長に、のち参議院議員を
30年間つとめ、参議院副議長にもなった、加瀬 完氏のことばだという。

 お城のような北側の鉄骨コンクリート造りの建物は、古代から中世にかけて下総国
を中心に活躍した千葉氏の居城跡に、昭和42年(1967)につくられた4層5階の城郭
型建物で、千葉市立郷土博物館として公開されている。


 入館料60円を払って入り、1階から3階へ周り、江戸時代から現代までの千葉の歴
史、千葉氏の興亡や妙見信仰、「失われゆく匠の道具」という特別展などの展示を一巡
した。

 週末には、ボランティアの説明員が入るようで、この日も数人の男性が待機していた。

 5階の展望室からは、周回して千葉市街の展望が得られるが、金網が張られていて、
視野にうっとうしいのが残念だった。


 亥鼻公園を東に抜け、亥鼻三丁目の住宅地に入ると、斜面のスイセンがかなり花開
いている。


 ロウバイの咲く東禅寺の横から、昔のままの曲がりくねった細い路地を進む。

 葛城中の東側を通過して、車道を二つほど横切り、次の通りに出たら、行く手に大き
な屋根が見えた。

 さらに細い路地を進んで、坂東三十三観音霊場第29番の千葉寺(ちばでら)に、背
後から入る。

 千葉寺の創建は和銅2年(709)と伝えられ、市内最古の寺院。発掘調査の結果、
奈良時代末期には、金堂があったことが確認されたという。関東八十八か所の第47
番霊場でもある。


 朱塗りの大きな本堂は、鉄骨コンクリート造り。その前に、創建の年、僧行基がもた
らしたという、樹高30m、目通り8mもある大イチョウが立つている。

 昨年秋に風害で折れた、鎌倉の鶴岡八幡宮のイチョウよりも大きく、たくさん垂れた
乳柱をせんじて飲むと、母乳がよく出るようになると伝えられているようだ。

 広い境内には桜が多く、参拝に来た近くの奥様の話では、以前は骨董市も開かれた
とのことだった。

 文政11年(1828)の建立という、南側の仁王門を出て、千葉寺町の住宅地の間の
細道を南に向かう。古くからの住宅が多く、しゃちほこの上がったりっぱな邸宅もある。
Nさん宅で、この地の町内会長をされているようだ。

 今回のゴール、高架になっている京成電鉄千原線の千葉寺駅には、15時15分に
着いた。寒中の寒さではあったが、関東百駅ならではの、この企画がなければ訪れる
ことがないであろう、千葉市の中心街のウオーキングを楽しんだ。

(天気 曇、参加 5人、距離 7㎞、地図(1万分の1) 千葉西部、千葉東部、歩行地
 千葉市中央区、歩数 13,800)
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