2011年1月15日(土)
関東百駅巡礼歩行も8年目、今年最初の第71回は、JR京葉線の千葉みなと駅。
新年早々から引越の前後処理に追われていたので、私の今年の歩き始めでもあり、
市外に出るのも電車に乗るのも、今年はじめてのことだった。
レギュラーメンバーばかりの参加者5人は、駅西口で記念撮影をして、11時8分に
スタートした。
今日の最高気温は7℃前後との予報。薄日が出ているが空気は冷たく、風がない
のが幸いである。
ヨーロッパの宮殿風の造りの、ベイサイドパーク迎賓館の前を通り、千葉中央港沿
いの空き地の横を回って、千葉ポートパークへ。
昭和61年(1986年)、千葉県民500万人突破記念として、さらに国際港千葉港の
シンボルとして建てられた展望施設だという。
菱形の構造物の回りがガラスで覆われ、真ん中にエレベータがある。エレベータで
最上階という4階まで上がると、地上高は113mになる。
遠くは富士山や筑波山、東京湾アクアラインや都心の高層ビル、建築中の東京ス
カイツリーも見えるようだが、今日は霞んでいて、近くの千葉市街の中心部や、眼下
の千葉港とか千葉ポートパークなどの展望に限られた。
階段を使って、3階の展望喫茶室や2階のアクアファンタジーと呼ぶコーナーを通過
し、2階からエレベータで地上まで下りる。下には、千葉観光物産館があった。
ポートタワーを出て、東側の千葉ポートパークに入り、円形広場を横切って県立美術
館の東側を抜ける。美術館の庭には、何本かの白梅が花を開いていた。
県警の救助艇の見える港の脇を通過、JR京葉線の下を抜けて北東に進む。カラフル
な建物の新宿(しんじゆく)中の先で国道357号を横断し、新宿小の横を過ぎる。
高架になっているJR外房線と京成電鉄千原線下の賑やかな商店街に入り、両線の
千葉中央駅下へ。東側の通りに出て、線路に沿った小公園で、昼食をする。
東側正面に見える、高層の千葉県庁に向かい↑、中ほどで葭川(よしかわ)の日本
橋を渡った。
千葉都市モノレール1号線の下の通りに出ると、正面にNHK千葉放送局がある。
その横を進んで再度葭川を渡り、千葉県庁構内を東に抜ける。県警本部の横を、次
の交差点際まで進むと、正面にしゃちほこの上がった千葉城が見える。千葉市にこの
ような城があるとは、ついぞ知らなかった。
交差点際には、「えるふ」と呼ぶ、こどもの絵本専門店が合ったのでちょっとのぞいて
みる。店内には、子どもの興味をひきそうな本が、たくさん揃っていた。
交差点を越えて県立中央図書館の横を上がり、亥鼻(いのはな)公園へ。文化会館
前からお城に向かうと、「教師とは…」と刻まれた石碑がある。
千葉師範を出て弱冠28才で校長になり、戦後初代県教育長に、のち参議院議員を
30年間つとめ、参議院副議長にもなった、加瀬 完氏のことばだという。
お城のような北側の鉄骨コンクリート造りの建物は、古代から中世にかけて下総国
を中心に活躍した千葉氏の居城跡に、昭和42年(1967)につくられた4層5階の城郭
型建物で、千葉市立郷土博物館として公開されている。
入館料60円を払って入り、1階から3階へ周り、江戸時代から現代までの千葉の歴
史、千葉氏の興亡や妙見信仰、「失われゆく匠の道具」という特別展などの展示を一巡
した。
週末には、ボランティアの説明員が入るようで、この日も数人の男性が待機していた。
5階の展望室からは、周回して千葉市街の展望が得られるが、金網が張られていて、
視野にうっとうしいのが残念だった。
亥鼻公園を東に抜け、亥鼻三丁目の住宅地に入ると、斜面のスイセンがかなり花開
いている。
ロウバイの咲く東禅寺の横から、昔のままの曲がりくねった細い路地を進む。
葛城中の東側を通過して、車道を二つほど横切り、次の通りに出たら、行く手に大き
な屋根が見えた。
さらに細い路地を進んで、坂東三十三観音霊場第29番の千葉寺(ちばでら)に、背
後から入る。
千葉寺の創建は和銅2年(709)と伝えられ、市内最古の寺院。発掘調査の結果、
奈良時代末期には、金堂があったことが確認されたという。関東八十八か所の第47
番霊場でもある。
朱塗りの大きな本堂は、鉄骨コンクリート造り。その前に、創建の年、僧行基がもた
らしたという、樹高30m、目通り8mもある大イチョウが立つている。
昨年秋に風害で折れた、鎌倉の鶴岡八幡宮のイチョウよりも大きく、たくさん垂れた
乳柱をせんじて飲むと、母乳がよく出るようになると伝えられているようだ。
広い境内には桜が多く、参拝に来た近くの奥様の話では、以前は骨董市も開かれた
とのことだった。
文政11年(1828)の建立という、南側の仁王門を出て、千葉寺町の住宅地の間の
細道を南に向かう。古くからの住宅が多く、しゃちほこの上がったりっぱな邸宅もある。
Nさん宅で、この地の町内会長をされているようだ。
今回のゴール、高架になっている京成電鉄千原線の千葉寺駅には、15時15分に
着いた。寒中の寒さではあったが、関東百駅ならではの、この企画がなければ訪れる
ことがないであろう、千葉市の中心街のウオーキングを楽しんだ。
(天気 曇、参加 5人、距離 7㎞、地図(1万分の1) 千葉西部、千葉東部、歩行地
千葉市中央区、歩数 13,800)
関東百駅巡礼歩行も8年目、今年最初の第71回は、JR京葉線の千葉みなと駅。
新年早々から引越の前後処理に追われていたので、私の今年の歩き始めでもあり、
市外に出るのも電車に乗るのも、今年はじめてのことだった。
レギュラーメンバーばかりの参加者5人は、駅西口で記念撮影をして、11時8分に
スタートした。
今日の最高気温は7℃前後との予報。薄日が出ているが空気は冷たく、風がない
のが幸いである。
ヨーロッパの宮殿風の造りの、ベイサイドパーク迎賓館の前を通り、千葉中央港沿
いの空き地の横を回って、千葉ポートパークへ。
昭和61年(1986年)、千葉県民500万人突破記念として、さらに国際港千葉港の
シンボルとして建てられた展望施設だという。
菱形の構造物の回りがガラスで覆われ、真ん中にエレベータがある。エレベータで
最上階という4階まで上がると、地上高は113mになる。
遠くは富士山や筑波山、東京湾アクアラインや都心の高層ビル、建築中の東京ス
カイツリーも見えるようだが、今日は霞んでいて、近くの千葉市街の中心部や、眼下
の千葉港とか千葉ポートパークなどの展望に限られた。
階段を使って、3階の展望喫茶室や2階のアクアファンタジーと呼ぶコーナーを通過
し、2階からエレベータで地上まで下りる。下には、千葉観光物産館があった。
ポートタワーを出て、東側の千葉ポートパークに入り、円形広場を横切って県立美術
館の東側を抜ける。美術館の庭には、何本かの白梅が花を開いていた。
県警の救助艇の見える港の脇を通過、JR京葉線の下を抜けて北東に進む。カラフル
な建物の新宿(しんじゆく)中の先で国道357号を横断し、新宿小の横を過ぎる。
高架になっているJR外房線と京成電鉄千原線下の賑やかな商店街に入り、両線の
千葉中央駅下へ。東側の通りに出て、線路に沿った小公園で、昼食をする。
東側正面に見える、高層の千葉県庁に向かい↑、中ほどで葭川(よしかわ)の日本
橋を渡った。
千葉都市モノレール1号線の下の通りに出ると、正面にNHK千葉放送局がある。
その横を進んで再度葭川を渡り、千葉県庁構内を東に抜ける。県警本部の横を、次
の交差点際まで進むと、正面にしゃちほこの上がった千葉城が見える。千葉市にこの
ような城があるとは、ついぞ知らなかった。
交差点際には、「えるふ」と呼ぶ、こどもの絵本専門店が合ったのでちょっとのぞいて
みる。店内には、子どもの興味をひきそうな本が、たくさん揃っていた。
交差点を越えて県立中央図書館の横を上がり、亥鼻(いのはな)公園へ。文化会館
前からお城に向かうと、「教師とは…」と刻まれた石碑がある。
千葉師範を出て弱冠28才で校長になり、戦後初代県教育長に、のち参議院議員を
30年間つとめ、参議院副議長にもなった、加瀬 完氏のことばだという。
お城のような北側の鉄骨コンクリート造りの建物は、古代から中世にかけて下総国
を中心に活躍した千葉氏の居城跡に、昭和42年(1967)につくられた4層5階の城郭
型建物で、千葉市立郷土博物館として公開されている。
入館料60円を払って入り、1階から3階へ周り、江戸時代から現代までの千葉の歴
史、千葉氏の興亡や妙見信仰、「失われゆく匠の道具」という特別展などの展示を一巡
した。
週末には、ボランティアの説明員が入るようで、この日も数人の男性が待機していた。
5階の展望室からは、周回して千葉市街の展望が得られるが、金網が張られていて、
視野にうっとうしいのが残念だった。
亥鼻公園を東に抜け、亥鼻三丁目の住宅地に入ると、斜面のスイセンがかなり花開
いている。
ロウバイの咲く東禅寺の横から、昔のままの曲がりくねった細い路地を進む。
葛城中の東側を通過して、車道を二つほど横切り、次の通りに出たら、行く手に大き
な屋根が見えた。
さらに細い路地を進んで、坂東三十三観音霊場第29番の千葉寺(ちばでら)に、背
後から入る。
千葉寺の創建は和銅2年(709)と伝えられ、市内最古の寺院。発掘調査の結果、
奈良時代末期には、金堂があったことが確認されたという。関東八十八か所の第47
番霊場でもある。
朱塗りの大きな本堂は、鉄骨コンクリート造り。その前に、創建の年、僧行基がもた
らしたという、樹高30m、目通り8mもある大イチョウが立つている。
昨年秋に風害で折れた、鎌倉の鶴岡八幡宮のイチョウよりも大きく、たくさん垂れた
乳柱をせんじて飲むと、母乳がよく出るようになると伝えられているようだ。
広い境内には桜が多く、参拝に来た近くの奥様の話では、以前は骨董市も開かれた
とのことだった。
文政11年(1828)の建立という、南側の仁王門を出て、千葉寺町の住宅地の間の
細道を南に向かう。古くからの住宅が多く、しゃちほこの上がったりっぱな邸宅もある。
Nさん宅で、この地の町内会長をされているようだ。
今回のゴール、高架になっている京成電鉄千原線の千葉寺駅には、15時15分に
着いた。寒中の寒さではあったが、関東百駅ならではの、この企画がなければ訪れる
ことがないであろう、千葉市の中心街のウオーキングを楽しんだ。
(天気 曇、参加 5人、距離 7㎞、地図(1万分の1) 千葉西部、千葉東部、歩行地
千葉市中央区、歩数 13,800)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます