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あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

関東百駅巡礼歩行 JR常磐線 岩間駅(茨城県)

2010-12-13 18:31:11 | 関東百駅巡礼歩行
 2010年12月11日(土)
 
 7年目の最終回となる、第70回の関東百駅巡礼歩行に参加した。

 集合はJR常磐線の岩間駅。10月並みという暖かな好天に恵まれ、参加者は8人。
駅前で記念撮影をして11時にスタートした。

 駅前通を西に少しで最初の角を左折、郵便局のそばで右折し、国道355号を横断
する。南西に向かうと、グランドと公民館、図書館があり、その間に芝生に覆われた
こんもりとした丘が見えた。

 丘の下に、今年2月に指定されたという「市指定文化財御前塚古墳」の新しい標石
が立つている。古墳時代中期の5世紀前半築造とされ、全長約100mの大型円墳。
東屋(あずまや)のある墳丘に上ると、西にそびえる愛宕山が一望である。


 北根集落の南側に出て田んぼを横切り、標高39.3m三角点のある神社を目指す。
広々とした田園地帯の一角で、愛宕山を背にもう一度記念撮影をする。


 うっそうとした杉やヒノキに囲まれた八坂神社には、2本の大イチョウの黄葉が残り、
紅葉の彩りを見せる木もあった。


 北根集落に戻り、鳥居の奥が盛り土された丘になっている藤塚に上がる。「藤原藤
房御遺跡」の大きな石碑が立つが、どんな人なのか裏面の字が読みにくくて、分から
ない。

 ここで暖かい日差しを浴びながら、昼食とした。

 この後、やまさんは近くの石岡市の自給農園を訪ねるため、同行の女性3人ともに
駅に向かい、午後の歩きは4人となった。


 西に向かう道筋、周辺は地図上に果樹園マークばかり。

 梅、柿、ナシ、栗、ブドウなどの果樹園だが、いずれも太い古木が多い。


 五霊集落を抜けて、広い通りを進んで山根池のほとりへ。東側の田んぼを潤すの
だろうか、いまは静かな初冬のたたずまい。


 広い通りをさらに進み、中村集落から隠沢観音を目指す。庭先で大豆の殻を打つ
人に道を確かめ、ヒノキ林に入ると三差路があった。

 車止めのロープが張ってあるが、山に向かう車道を回るように上がって行くと、標高
119.4mの山頂にあるNTTドコモの無線塔のところに出た。

 さくの周囲を一周したが下り道はない。もとの車道をロープまで戻り、林間の右手の
踏み跡らしいのに入ったが、すぐに不明瞭に。

 こずえの間、西側に民家の屋根らしいのが見えたので林の中を進んだら、家のそば
に細道があった。隠沢観音はその突き当たりの高台。その名の通り、そばに行かない
とそれと分からない。

 養老4年(720)の開創で、後に行基作の木造十一面観音を奉安し、安産、子育て
などの願望が達せられるとして、信仰されているようだ。

 しかし境内は手入れされずに放置されていて、庫裡(くり)なのか、そばの建物は屋
根や壁面が崩れていた。


 東側の竹の増えた林の斜面に、茨城百水という「観音様の胎内から生まれ出る子宝
のみず」と記された名水が流れ落ちていた。

 来た道を山根池のそばまで戻り、西側山腹にある龍泉院へ。りっぱな杉木立の参道
を上がり、山門をくぐると鐘楼があり、右手奥に本堂が立つ。


 本堂の左手斜面上には、龍神社が祭られていた。

 日没前に駅に戻れそうなので、北側の山上にある愛宕神社にも回ることにした。


 車道を400mほど上がり、南尾根につけられた登山道へ。落ち葉が一杯の樹林を
直登して行くと、「天狗の広場」と呼ぶところに、2つのモニュメントがある。

 さらに林間を直登し、最後は300段前後の急な石段を上がり、標高293mの愛宕山
山頂近くにある、日本火防三山の一つという愛宕神社境内に入った。
 最近改築したらしい社殿、拝殿上に大小2面の天狗面が奉納されている。


 境内は東側が開け、岩間の家並みや集落の向こうに、霞んではいるが鹿島灘かと思
われる地平線が望まれる。


 境内の大きなサザンカは花がいっぱい、散り際のモミジもきれいな彩りを残していた。
上りでは汗をかいたが、休んでいると冷えてきたので下山にかかる。


 駐車場の隅から「岩間駅へのうら道」の表示に従い、遊歩道に入る。東屋のある小
公園を抜けて、こちらも落ち葉がいっぱいの林間をどんどんと下る。

 神社の石段下から下る車道の、ヘヤピンカーブが終わるあたりにあった東屋やトイレ
のある公園付近で車道に入る。水道タンクの横を下り、天正会教会や三社神社前を
通過する。

 十字路の近くに、「李王世子殿下御宿営記念」と記された石碑の立つ旧家があった。
大正13年(1924)11月、近くで陸軍大演習のあった際、梨本宮に嫁いだ李殿下が
宿泊されたのだという。


 参り坂の六所神社前を過ぎ、国道355号を横断し、16時7分に岩間駅に戻った。

 12月とは思えぬ快晴で穏やかな一日。人も車も少なく、種々な果樹園や田園地帯、
落ち葉がいっぱいの里山歩きを楽しんだ。

 (天気 快晴、参加 8人、距離 11㎞、地図(1/2.5万) 岩間、歩行地 笠間市
  (旧岩間町))
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関東百駅巡礼歩行 JR宇都宮線 野木駅(栃木)

2010-11-21 18:51:01 | 関東百駅巡礼歩行
 2010年11月13日(土)

 関東百駅巡礼歩行の第69番に参加する。集合はJR宇都宮線の野木(のぎ)駅。
栃木県再南端の駅だが、駅の開設は昭和38年(1963)で、歴史ある宇都宮線
(東北本線)では新しい駅である。

 参加者は、やまさんのほか、久しぶりの栃木県の女性2人と、私を含む埼玉県の
男性2人。駅前で記念撮影をして、11時4分に西口をスタートした。


 駅に近い交差点際に、しゃれた建物と紅葉が鮮やかな店があった。「ういんどべん」
という名のコーヒー店である。


 新橋小の校門を入ったところに、初代校長の校訓ともいうべき、りっぱな石碑が立
っていた。新興住宅地が終わると古くからの農家が増え、色づいたユズがあちこちで
見られる。


 森に囲まれた高良神社↑を抜けて松原集落へ。屋敷に続く畑に、真っ赤なリンゴが
実っていた。

 国道4号の松原交差点の近くに、同行の小山のKさん知り合いの、「小びとの家」と
いう天然酵母パンの店があった。

 パンには国産の安全な材料を使い、10数時間発酵させて作るという。試食させて
もらうと、よい歯ごたえでおいしかったので、皆さんが購入した。

 松原交差点を北に入り、国道に平行する北側の旧道へ。道は国道と違って自然カー
ブしており、こちらが旧日光街道らしい。

 思川(おもいがわ)浄水場の先、野木集落の中心地付近に、「のぎ水辺の楽校」の
案内板があり、一帯の湿地周辺を、子供が安全で楽しめる自然体験や学習の場とし
て整備したと記されていた。

 西側中ほどにベンチがあったので、ここで昼食をする。

 すぐ先に「この奥 野木城跡」の看板があるが、面影は見られず、その歴史なども記
されてない。

 りっぱな屋敷林が続く農家の裏手を通過、ツカサ工業のところで道路は右側に迂回
している。角に、古い青面金剛像が残っていた。


 畑の隅のモミジが鮮やかな彩りを見せ、その先には、長い参道が続く野木神社が
あった。

 延暦年館(782~806)に、坂上田村麻呂が蝦夷平定し都へ凱旋の途中に寄り、
社殿を造り遷座したと伝えられる古社。現在の社殿は、文化3年(1806)に古河城主
・土井利厚が再建したとのこと。明治時代には、乃木大将もたびたび参拝に訪れたと
いう。

 拝殿の奥、覆屋で保護された本殿の周囲には、精巧な木彫が随所に施され、一見
の価値がある。


 町の文化財である境内の大イチョウは、坂上田村麻呂が植えたものと伝えられる古
木である。

 婦人たちが、乳が出て乳児が健全に育つよう祈願し、米ぬかと白布で作った乳房の
模型が奉納されていた。

 拝殿には、子供たちが描いた祈願の絵馬がたくさん並び、5月になると境内に毎年
現れるという、フクロウの写真も飾られていた。


 参道には、樹齢650年以上と推定され、高さ太さとも県内の名木といわれる、町の
文化財であるケヤキの高木が立ち、ほかのケヤキや桜の古木ともども、よい彩り。


 参道のすぐ北にあった雷電神社は、渡良瀬川を隔てて西にあった旧谷中村(やなか
むら)から移築したものという。

 ちなみに旧谷中村一帯は現在、渡良瀬遊水池となっている。

 近くの畑で、麦肥橎種機という小型の機械で種をまいている人がいた。一部自分で
工作して作ったものとのこと。

 麦の種と肥料が一度に4列まける機械で、麦の種類はタマイズミといい、収穫した麦
は、群馬県館林市にある正田(しようだ)醤油に出荷するという。

 野木集落が終わり、広い道を西に進んで、渡良瀬川の左岸段丘上にある、馬術クラ
ブの横に回る。馬術クラブの以前は結婚式場だったという広い構内の中心に、国の重
要文化財の野木町煉瓦窯(れんががま)があり、遠くからも見えた煙突の高さは34m
だという。

 明治23年(1890)に建築された旧下野煉化(しもつけれんが)製造会社の煉瓦窯
で、「ホフマン式輪窯」と呼ばれ、ドイツのフリードリヒ・ホフマンが発明した連続釜の
一種とのこと。

 レンガで造られた円形の窯の外周は100mあり、昭和47年(1972)まで赤レンガ
を製造したもの。現在日本にただひとつ残る、貴重な円形のホフマン式輪窯だという。

 乗馬クラブの回りは、さくに囲まれ入れない。外からのぞいただけで、渡良瀬川沿い
に下った。


 ゆうようと流れる川沿いを500mほど下流へ進む。放置されて大きく伸びたクワの葉
が、よい彩りを見せる。

 野渡集落の北端に上がり、馬術クラブの正門に回る。

 馬術競技のスタンドがあり、その向こうが煉瓦釜だが、入るには事務所の許可が要
るとのこと。門の近くで眺めて、そばまで行くのは省略した。

 南側の熊野神社の参道沿いには、あの煉瓦釜で作ったらしい、くず煉瓦が積まれ
ていた。

 満願寺の角を回り、野渡集落の南側へ。すぐ西側に茨城県境が接近している土地
なので、お孫さんと外に出ていた奥様に、県境付近のことなどをうかがう。

 茨城県古河(こが)市との県境付近で、渡良瀬川の左岸堤防に上がった。利根川か
ら5㎞の標識があり、堤防をさらに南に向かう。堤外(流れ側)はゴルフ場である。

 背の高いケヤキや常緑広葉樹に囲まれた雀神社のそばに、古河を歌った万葉集歌
2首を記した歌碑が立っていた。


 すぐ近くには、渡良瀬川を汚染した足尾銅山の公害を糾明した、田中正造の新しい
遺徳碑もできている。

 堤外に広がるススキが色づく、国道354号の三国橋際まで進み、川を離れた。


 古河一小前を通過して本町に入り、15時半近く、古河歴史博物館前で解散となる。

 全員博物館に入り、古河の歴史や古河城、古河藩家老として知られる鷹見泉石(た
かみせんせき)のことなどについて、50分ほど観覧する。

 レンガ造りで趣ある校門の古河一小(旧校舎?)前や、古い蔵造りの残る通りなど
を抜け、16時36分に、JR宇都宮線でただ一つの茨城県の駅、古河駅に着いた。

 (参加 5人、天気 曇一時晴、距離 11㎞、地図(1/2.5万) 古河、歩行地
  栃木県野木町、茨城県古河市、歩数 19,700)
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関東百駅巡礼歩行 東武東上線 高坂駅(埼玉)

2010-09-13 20:37:47 | 関東百駅巡礼歩行
 9月に入っても衰えぬ猛暑、この日も、近くの熊谷市は最高気温35度の予想
という9月11日(土)、2か月ぶりの「関東百駅巡礼歩行」の第67番に参加した。

 集合は東武東上線高坂(たかさか)駅。暑さを避けてか、参加者は、やまさん、
所沢市の I さんと私の3人だけ。11時10分に高坂駅東口を出た。


 南北に走る国道407号の手前の細道を北へ。西口は商店街や住宅が並ぶが、
こちらは数十年前と変わらぬ静かなたたずまい。畑や庭木の多い住宅の間を進
み、少し下って県道344号に出た。

 すぐに右手に入ると、道しるべにもなっている文政2年(1819)銘の、「普門品
講中供養塔」という石標が立つ。背後の田んぼは、かなり色づいている。

 その先に、北側を流れる都幾川の古い流路だったと思われる「三日月沼」があり、
沼の両側は緑の木々や草に覆われていた。



 一部刈り入れが始まり、はさ架けも見られる黄金田の間を進む。県道344号を
横切り、西本宿の集落に上がり、木々に囲まれた冨士浅間神社で休憩した。

 本殿は、一段高い土盛りの上に鎮座されている。


 キクやヒャクニチソウが咲き乱れる畑の前を進み、関越自動車道の東側にある沼
のマークを確認に行ってたが、水は無くトタン板で囲まれていた。

 関越道の西に回り、緑豊富な常安寺に上がる。ちょど正午なので、モミジに覆わ
れ、「南無薬師如来」ののぼりの並ぶ奥にある、薬師堂のひさしをかりて昼食とする。


 関越道の西側に沿って南進、県道212号を越えて九十九川(つくもがわ)のところ
まで行く。川の左岸が「川島こども動物自然公園自転車道」になっているので、上
流に向かう。

 水道管橋のある県道344号で自転車道を離れ、高坂ゴルフ場の南側の旧道を
西へ向かう。ゴルフ場下の林に、「足利基氏の塁跡」の説明板があったが、遺跡
は何も残っていないようだ。

 すぐ先の弁天沼のほとりに、ふるさと歩道の東屋(あずまや)があったので小休
止する。仕事中の男性2人も休憩中。そばに何の木か、落葉広葉樹の古木↓が、
よい木陰となっている。

 弁天沼は、昔、坂上田村麻呂が、近くの岩殿山に住む悪竜を退治して首を埋め
たところで、カエルが住みつかないところから「鳴かずの池」と呼ばれているという。

 東屋に、これから向かう岩殿観音の門前町の家並みの、屋号や寺の配置図の
リーフレットが置いてあり、観音霊場参りが盛んだった江戸中期から後期には、善
男善女で賑わっていたことがしのばれた。

 その門前町は、山腹の寺に向かう緩やかな上り道が、真っ直ぐに700m余り伸
びている。最奥部まで進み、山門をくぐって急石段をひと上りして、坂東三十三観
音第十番札所、「岩殿観音」で知られる巌殿山正法寺(しようぼうじ)に入った。

 精巧な木彫で飾られた古い本堂は、修理が始まるのか、鉄パイプの枠が囲んで
いる。猛暑に負けじと大音響で鳴く、ミンミンゼミやヒグラシの声を聞きながら休憩
した。

 11月上旬の日本スリーデーマーチで、ほぼ毎年訪れているが、こんな暑い日に
来たのは初めてのことだ。

 今日のメインはここなので、そろそろ帰路かと思いきや、やまさんの今日の行程
は、まだ先が長い。

 境内左手斜面の急階段を上がって、南側の車道に出る。道路の南側は標高135
m三角点のある物見山だが、寄らずに進む。

 すぐ先のY字路を右折すると、自動車は進入禁止。東松山市市民の森に沿った緑
陰は傾斜も緩やかで、ミンミンゼミとツクツクボウシの大合唱が続く。


 地球観測センター入口の少し先に、小さなY字路がある。左に下る方に「笛吹峠
へ」の表示があるが、日本スリーデーマーチ30㎞コースで何回も通り、こちらは車
道を迂回すると知っているので、右に行くよう勧める。

 林が途切れたところに廃棄物処理場のようなところがあり、長い塀が続く。間も
なく県道41号を横断し、さらに林間の緩やかなアップダウンを繰り返して、笛吹峠
に着いた。

 「ふるさと歩道」の古い東屋と、急傾斜の屋根の新しいトイレがあり、ここでも休
憩して水分補給をする。

 峠の説明板によれば、いま通ってきた岩殿観音から笛吹峠を経て、西に伸びる
道は「巡礼街道」と呼ばれ、岩殿観音と九番慈光寺を結ぶ道。そしてこれから進む
北への車道は、旧鎌倉街道で、カントリーウオークの仲間で2002年に逆行した、
「鎌倉街道上道歩き」の第4回のコースである。

 車道を北に向かう。しばらくは緑陰だったが、将軍沢集落が近づき、西からの日
差しが暑い。早いペースで先を急ぎ、次の大蔵集落へ。

 鳥居があるがお寺のようでもあり、どこの宗派にも属していない修験道場だとい
う「大行院」の前に、「じょんのび」と呼ぶコーヒーなどの出店があり、若いお二人
がいたので、「じょんのび」の意味を聞く。

 「じょんのび」とは、やまさんや、のみちネットワークの仲間と何年か前に訪ねた、
新潟県旧高柳町で聞いた言葉だ。


 大蔵集落には、かやぶき屋根のの平屋が一つ残っていた。集落を抜けると色づい
た田園地帯が広がり、都幾川右岸堤防に桜並木が続く。


 都幾川の学校橋下流にあるキャンプ場には、暑さを避けてキャンプに来た、自動
車のグループがたくさん見える。


 橋の上流は、うって変わって緑が一杯で、何年も変わらぬ穏やかな景観を見せる。


 国道254号嵐山バイパスを越えて菅谷の町並みに上がり、16時21分に、スタ
ートした高坂駅から四ッ先の、武蔵嵐山駅に着いた。

 この暑さと2か月ぶりのウオーキングに、ついて行けるか心配だったが、中間に
緑陰がかなりあり、なんとか嵐山駅まで完歩することが出来た。

(天気 快晴後晴、距離 15㎞、累積標高差 430m、地図(1/2.5万) 東松
 山、川越北部、越生、武蔵小川、歩行地 東松山市、鳩山町、嵐山町、歩数
 25000)

【後記】 歩いて1日おいた今日、9月13日(月)、やまさんから手紙が届いた。
 開けて見ると、この歩きの巡礼地図、いつも仕上げの早いやまさんだが、この早さ
には、さすが!と感心した↓。


コメント (2)
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関東百駅巡礼歩行・小田急線 東海大学前駅(神奈川)

2010-06-14 17:18:25 | 関東百駅巡礼歩行
 2010年6月12日(土)

 「やまさん」こと、山浦正昭さんが続けている「関東百駅巡礼歩行」、その第66
番目になる、小田急電鉄 小田原線の東海大学前駅に参加した。

 参加者5人は、駅構内で記念撮影をして、11時6分に出発する。


 駅前の通りを東に向かい、大根川の左岸堤防へ。すぐ先で県道613号を横断、
右岸堤防に回る。対岸には、アジサイが植えられていて、花が咲き始めていた。

 400mほどで堤防を離れ、南側の真田の台地に上がる。昔ながらのカーブの続く
道だが、少し先から道路は拡幅されていた。その先も、道路工事中のところが多い。

 南北に走る新しい道路を横断して寺尾の天徳寺へ。山門をくぐると、屋根の両端
に鴟尾(しび)の上がった唐招提寺を思わせる本堂があるが、改築工事中。

 境内には、明治5年(1872)に開設したという「真田学校跡の碑」が立っていた。

 近くの民家の庭に、色鮮やかなガクアジサイが咲く。


 その先には、長屋門に「湘南図書公園」と学習塾の標識のある、緑豊富な個人
のお宅があるが、庭は少し荒れていた。 

 真田神社に入ると、真ん中を落雷でえぐられた太いケヤキの老木があり、両側に
残った幹が上でくっつき、珍しい姿を見せる。


 神社の社殿前で、昼食にした。


 西側の車道を北久保から北金目へ進み、地図上に記されていた池を探す。池の形
は残っていたが水は無く、草が伸びていた。


 集落の南に早苗田の田んぼが広がり、その向こうに大山(おおやま)(1252m)
が姿を見せている。



 県道612号を横断し、南金目の法傳寺へ。恵比寿・大黒様がにこやかに笑う新し
い石彫があり、門前には、珍しい斑入り(ふいり)の葉のアジサイが咲いていた。


 県道62号を横断して金目小の横を抜け、金目川左岸に面した、金目(かねめ)観
音とも呼ぶ板東三十三観音第7番札所の光明寺(こうみょうじ)に入る。

 仁王門には幾つものわらじが、正面の本堂には大きな提灯(ちようちん)や千羽鶴
が下がる。境内にはほかに、歓喜堂、文殊・普賢堂、阿弥陀堂、鐘楼などがあり、
仁王門のそばにある水琴窟(すいきんくつ)からは、澄んだ水音を聞くことが出来る。

 本堂や、本堂に祭られた三十三躯の観音立像、銅鐘、仁王像は県の重文、厨子は
国の重文だという。


 金目川の観音橋を渡り、根下集落の東方から南側の台地に上がると、一帯は畑
で、360度の展望が広がる。

 北から西方に、東海大学駅周辺の家並みや東海大学の建物、その向こうに大山
から丹沢山塊など、気持ちよい眺め。今日一番のビューポイントだった。

 台地のピークには、標高58.2mの四等三角点があり、その先の道路際には、
「富士景観7 団子嶺 エコミユージアム金目まるごと博物館」の立て札があり、
今日は見えないが、富士山の好展望台でもあるようだ。

 西側の根下集落に下り、寂静寺に寄る。墓地の片隅に、「金目の鍼医(はりい)
さん・秋山博」の説明板があり、「金目の旅館は秋山氏のために生活しているくら
い」と記され、この地に相当の名医がいたようだ。

 金目川沿いに戻り、観音橋の上流にかかる木造の手すりの、自転車と歩行者の
専用道を渡る。


 午前中に通過した北金目の田んぼの近くに、花菖蒲が咲いていた。


 日陰はさわやかだが、午後の強い日差しで気温は上がる。大久保集落の北端の、
ケヤキなどの緑陰豊富な北金目神社に行き、木陰で小休止する。


 幾つもの校舎が見える東海大学の北を回り、谷津の新興住宅地を抜け、出発した
東海大学前駅に15時24分に戻った。

(天気 晴、距離 10㎞、地図(1/2.5万) 伊勢原、歩行地 秦野市、平塚市、
 歩数 1,7900) 
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関東百駅巡礼歩行 JR成田線 滑河駅(千葉)

2010-04-10 22:54:25 | 関東百駅巡礼歩行
 2010年4月10日(土)

 関東一円のJRや私鉄の、普段は降りないような駅に降りて周辺を巡る、「関東
百駅巡礼歩行」、その64番目、JR成田線の滑河(なめがわ)駅に参加した。

 下車したら、同じ電車で来た若い人たちの精算で、改札は列が長く、一人だけ
の高齢の駅員さんの対応は、なかなかはかどらない。私は、2つ手前の成田まで
使える「大人の休日倶楽部用ホリデーパス」で来たので、列に並んで精算した。

 若者たちは、この近くにある成田牧場に行くようだと、先着のやまさんは言う。
今日の参加者は、カメラの私を入れて男性4人、11時10分に駅を出た。


 東側の踏切を渡って、まずは駅の北側にある天満宮へ。すぐ北を流れる利根川
の氾濫に備えるためか、盛り土された上に、2つの社殿がある。

 地形図に示された社殿背後の碑は、「流芳元記」という変わったタイトル。記され
た内容は草書調で書かれていてよく分からなかった。
 
 交通量の多い国道356号を渡って、並行する利根川左岸堤防に上がる。ゆうよう
とした流れを眺めながら上流に1㎞近く進む。途中に、河口から55.5㎞の標識が
あった。 


 行く手左手に、太陽に反射して光る大きな銅板屋根が見える。これから訪ねる
龍正院の、ふき替えたばかりの屋根らしい。

 田んぼに囲まれた畑の一角に、ナノハナが鮮やかな彩り。そばの畑で草取りを
していた奥さんに話を聞く。 


 滑川集落に入り、坂東三十三観音霊場28番札所の龍正院へ背後から入る。これ
が光っていた本堂背後の屋根、やはり最近ふき替えたばかりのようだ。


 境内には数本のソメイヨシノがあり、ちょうど満開。本堂の表側は、以前のままの
屋根だった。

 銅板ぶきの本堂は、元禄9年(1696)の建立で、千葉県有形文化財に指定さ
れている。

 通称「滑河観音」で知られる龍正院の草創は承和5年(838)という古寺。慈覚
大師の開基と伝えられているという。

 本堂拝殿天井には、天女像などが描かれていた。


 かやぶき屋根の仁王門は、室町時代の文亀年間(1501~4)の再建、桃山期
の建築様式をよく示すものとして、国の重要文化財に指定されている。


 境内には、樹齢を重ねた名木・夫婦松など古木が多く、夫婦松の下には、「観音
のいらか見やりつ華の雲」と刻まれた芭蕉句碑がある。 


 境内で昼食後、集落の中にある田んぼの横を回って、林間を貫く細道に入る。
しかし途中で途切れて民家のところに戻り、家主さんの了解を得て民家の庭先か
ら斜面を上がり、地図上に記された細道に出た。

 竹林を進んだが再び道が途切れ、竹やぶをかき分けて南側の西大須賀集落に
下った。芽吹き始めた広葉樹林のあちこちに、ヤマザクラが彩りを添える。


 畑や庭先などには、ボケやショカッサイ、ナノハナ、スイセンなどが花を競っ
ていた。


 集落の南に広がる田んぼのあぜ道を進み、JR成田線の線路際に回る。この
あたり、上空が成田空港の着陸時の進入路になっているようで、数分間隔で大
きな翼の旅客機が轟音を響かせて、次々に通過して行く。

 ヤマザクラの咲く平地林の先、成田線の線路際は道が途切れていたので、線路
を進んで東側の田園地帯へ。

 台地に上がり、稜線の林間を抜けて東に進み、成田街道沿いの中宿集落に入る。
街道沿いの須賀神社社殿。


 近くに咲いていた色濃い桜。


 集落は成田街道に沿って並び、古くからの街道らしいたたずまいを残していた。

 このあたりの大字は名古屋、右からの県道79号と合して新宿(にいじゅく)集落
を抜けて、小帝集落にある小御門神社前を過ぎる。りっぱな鳥居の神社にも寄り
たいところだったが、予定の列車に間に合わせるため通過した。


 大菅集落の東側を下って、田んぼの横から小御門ゴルフ場の間を抜ける。田
んぼの間で少し回り道して、戻ったりもしたが、北側の国道356号に出て、15
時19分に滑河駅に着いた。


 久しぶりに暖かな日よりとなり、満開のソメイヨシノやヤマザクラをあちこちで
眺め、畑や民家の庭先にはナノハナやボケ、スイセンなども咲き競い、春の彩
りの多いカントリーウオークを楽しんだ。

(天気 曇り一時晴、参加 4人、距離 11㎞、地図(1/2.5万) 下総滑川、
 歩行地 成田市(旧下総町)、歩数 17,700)
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関東百駅巡礼歩行 東武日光線合戦場駅(栃木)

2010-02-07 22:26:38 | 関東百駅巡礼歩行
 立春寒波で日本海側は大雪の2月6日(土)、関東百駅巡礼歩行の第62番
に参加した。集合地は東武日光線の合戦場(かつせんば)駅。関東もこの冬で
一番という寒さで、無人の駅に降りると風が冷たい。



 参加者は、東京、神奈川、埼玉からの6人、ボックス型の小さな駅を背に記念
撮影して、11時にスタートした。


 ときどき、風に乗ってパラパラと風花(かざはな)が舞う。

 閑散とした駅前を東へ、細い路地を抜けて行くと、「家中村警防団器具置場」
と右書きで記された古い消防器具置き場があり、中には、自動車でなく人手で
引く消防ポンプ車が残っていた。

 県道3号の合戦場郵便局横に出る。向かいの、古いりっぱな構えの民家前に、
「小平浪平生誕地」の石碑があった。

 小平浪平(おだいらなみへい)は1874年1月生まれ、明治・大正・昭和期の
実業家で、日立製作所の創業者で初代社長だという。

 南側の三差路を西に入り、駅南側の踏切を渡って、駅舎の裏手にある磐根
(いわね)神社に入る。

 創立は慶長元年(1596)、現社殿は文久3年(1863)再建のものとか。
参道に並ぶ木製の小灯ろうは、ほかではあまり見ないものだった。

 神社の背後から、上原の住宅地を通過、北端の小さい林を抜けて自動車学校
の前を通り、田園地帯に出た。

 田んぼの真ん中に落葉樹の大木が立つ。太い幹にはしめ縄が巻かれ、ご神木
のようだが、何の木なのかは分からない。


 三本木集落の西に進み、地図上の湿地マークのところへ。遊水地のような感じ
だが水は無い、しかしその下流からは、きれいな流れがかなりの水量で湧き出て
いた。


 流れに沿って少し進み、杉木立に囲まれた鹿島神社に入り、冷たい風を避けて
昼食とする。境内には、開け放たれた神楽殿があった。


 広々とした田園地帯に出ると、風がいっそう冷たい。北集落の北側で、細い
あぜ道を抜けたりして、標高66.5m三角点表示のある小さい隆起や、吹上小
の北を回って東北自動車道の下を抜け、片蓋集落に入った。

 赤津川の橋を渡り、すぐ北にある下野(しもつけ)三十三観音23番札所の伊吹
山聖観世音の善応寺に上がる。

 無住だが、山号の伊吹山は「美濃と近江の境にある山にあらず下野なり」と記
され、平安時代以降、多くの歌人に詠(よ)まれた、「かくとたにえやはいふきの
さしも草 さしもしらしなもゆる思ひを」の歌も、この地を歌ったものだという。

 畑のあぜ道や日陰に残る残雪の小道を抜けて、住吉神社に東側から入る。
境内は、杉やイチョウなど豊富な木立に囲まれていた。


 近くの駐在所でトイレを借り、片蓋の古い民家の間を南に向かう。やはり杉木
立の多い長宮神社の先で東北自動車道と赤津川の橋を渡り、台集落の地福寺
に寄る。

 境内に樹木は少ないが、新しい石灯ろうや、経箱を背負った玄蔵三蔵法師像、
伝教大師像などの石仏が幾つか奉納されていた。

 東北自動車道の栃木IC付近で、交差する県道32号の南に回り、赤津川右岸
沿いをしばらく進む。川には、欄干の低い同じ形の古い橋が幾つもかかっていた。


 右からの永野川と合流する永野川緑地公園のそばまで進み↓、川を離れて前方
に見える錦着山に向かう。


 山の北東山ろくまで行き、北から西へと半周する坂道を上がって行くと、標高
80.5mの二等三角点があった。


 さらに北側から展望塔のような建物の下に回ったが↑、施錠されていて上が
れない。そばに、予科練の歌の石碑や、いかりを形取った鉄造のモニュメントが
ある。三角点と塔の間には護国神社があり、海軍ゆかりの地であるようだ。

 高台なので、南側に栃木市街が一望でき、南東方には筑波山の双耳峰もよく
見える。桜やツツジも多く、花どきには賑わいそう。


 神社の石段を下り、南東に延びる直線の細い通りを、市街の中心に向かう。
 古くからの商店街だったようだが、多くの店が閉められていて、その面影は残
された看板で想像するしかない。

 第一小と栃木市役所の間を流れる「県庁堀」と呼ばれるコイの泳ぐ用水沿いに
入った。東側の三差路際に「文豪 山本有三文学碑」があり、近くには、木造洋
館の旧栃木県庁舎も残っている。


 清流の巴波川(うずまがわ)の橋を渡って東へ向かう。


 南北に走る広い通り、「蔵の街大通り」に出た。

 信号を渡ったところが、山本有三の生家である「山本有三ふるさと文学館」。
入館はせずに駅の方向に向かう。

 電線を地中化してすっきりした通りの両側には、蔵づくの古い商店が幾つも並
んでいる。蔵の街観光館に入って栃木市のパンフレットなどをもらい、少し話を
聞く。

 蔵の街大通りを1㎞ほど進み、ゴールのJR両毛線と東武日光線の栃木駅に
16時ちょうどに着いた。16時7分発浅草行き区間快速にて帰路につく。

 この日、宇都宮の最高気温は4℃、近くの小山では2.3℃とのこと。風もあり
体感温度はさらに低い感じ。手が冷たく、始終寒さを感じながらの歩きだった。

(天気 曇時々晴、参加 6人、距離 14㎞、地図(1/2.5万) 栃木、歩行地
 都賀町、栃木市)

 ちなみに都賀町は、近隣の栃木市、大平町、藤岡町と合併して3月29日に、
 新しい栃木市となる。
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関東百駅巡礼歩行 東武伊勢崎線 多々良駅(群馬)

2010-01-17 21:51:19 | 関東百駅巡礼歩行
 2010年1月16日(土)



 7年目に入った関東百駅巡礼歩行、通算第61番目の歩きに参加した。

 集合は東武伊勢崎線の多々良(たたら)駅。遠方からの参加を考慮して、今
年から集合時刻は11時となる。初参加の女性3人を含めて7人は、記念撮影
をして11時9分に駅を出た。


 駅前を西に少し進んで北に回り、線路下のトンネルを抜けて矢場川の八幡橋
へ。橋の両側のプレートには、中野東小4年の生徒が書いた橋の名と川の名が
記されていた。書いた児童にはよい記念になる。


 橋を渡って対岸の左岸堤防を進む。駅周辺は群馬県館林市だが、橋が県境で
向こう(左)は栃木県足利市である。


 天気予報では風は弱いと聞いていたが、赤城おろしのせいか風がかなりあっ
て冷たい。車中で外したマフラーを再び首に巻く。

 周囲に高い建物が無いので、関東平野を囲む山々の展望がよい。北に男体山
など日光連山や赤城山、西に真っ白な榛名山や富士山。東方には筑波山も望ま
れる。


 次の橋を渡って右岸堤防に戻る。堤防は東に大きくカーブし、多々良沼からの
流れに合して南に向きを変える。その流れの江川橋際には、徳川時代の縁切り
橋の由縁(ゆえん)などが記されていた。

 川の合流点の東にある常楽寺に入り、昼食とする。常楽寺は弘安3年(1280)
の開山で、関東八十八カ所の第15番霊場。本堂左手前の、かやぶき屋根で朱
塗りの阿弥陀堂は修理中。


 右手には2階建ての鐘楼堂が、そのそばに、やきもち地蔵尊がある。


 常楽寺西側の堤防からは、浅間山を真ん中にして↓、右に男体山、左に富士
山の、いずれも冠雪した白い山容を見ることが出来る。


 寺のすぐ南の赤城神社は、社殿背後に背の高い大ケヤキが立ち、遠くからも
よい目印になる。


 木戸町の古い住宅地を出て南へ、田んぼの間を進んで高根町に入ると、山の
神様、大山祇(おおやまづみ)神社がある。

 正徳4年(1714)に、近くの成島の山神社から分社したもの。住民は「山神様」
と呼び、村の鎮守として崇拝(すうはい)しているという。

 東側の車道に出て、セブンイレブンの先の信号を右折し、東武伊勢崎線の線路
と国道122号を越えて、西高根町に入る。

 少し進んで右折し、新興住宅地を北西へ。長く続くアカマツ林を横切って多々良
沼公園に入り、グランドの先にある白い横長の建物の、群馬県立館林美術館に
入った。

 周囲を広い芝生に覆われた広い敷地で、建物のそばには池をめぐらせている。

 特別展示中の、群馬県出身の孤高の日本画家・磯部草丘(いそべそうきゆう)の
-自然をとらえる独自のまなざし- と題する日本画や、常設展示などを30分あま
り鑑賞した。

 館を出て西南へ、日向新田の集落を抜けて多々良沼の北岸に出た。岸辺に何
百羽ともしれないカルガモなど、カモの大群が休んでいる。


 お目当てのハクチョウは、西側のガバ沼周辺にいるという。沼の北岸沿いの車
道を進む。橋を渡って南に少しで、小さい水辺のガバ沼に数10羽のハクチョウが
見えたが、そばまでは近づけなかった。


 沼辺にある邑楽町観光物産販売所の壁面に、12月からのハクチョウの飛来数
が掲げてあり、今日午前中は50羽となっていた。

 さらに南に進み、多々良沼から流れ出る弥兵衛川に沿った、桜並木の続く自然
探勝路を進んで、浮島弁財天のところに行く。

 朱塗りの弁財天堂は、鎌倉幕府没落の時、執権北条高時の弟、四郎慧性(えし
ょう)らが、江ノ島の弁財天を勧請したものとか。

 お堂の北側に10数羽のハクチョウが寒そうに丸まり、南東の多々良沼の中ほど
には数10羽のハクチョウが羽を休めていた。

 やや日が傾いて風がいっそう冷たく感じ、赤城山↑や男体山など↓日光連山の
展望がさらによくなる。


 西側の鶉(うずら)新田集落際の森には、北条四郎慧性らが築城し、応永年間
(1394~1428)には多々良四郎の居城となったという、鶉古城跡の説明板が
あった。


 鶉新田を抜けて、弥兵衛川沿いに西に向かう。カルソニック工場横を経て、明野
の新興住宅地沿いに進んで、15時25分に東武小泉線の本中野(ほんなかの)
駅に着いた。

 東武小泉線は1時間に1本の運行。15時43分発の2両編成に乗り、館林で
伊勢崎線に乗り換えて、帰路につく。

(天気 快晴、参加 7人、距離 13㎞、地図(1/2.5万) 佐野、足利南部、
 歩行地 (群馬)館林市、邑楽町、(栃木)足利市、歩数 22,900)
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関東百駅巡礼歩行・東武東上線 東松山駅(埼玉)

2009-12-15 21:56:37 | 関東百駅巡礼歩行
 2009年12月12日(土)



 関東百駅巡礼歩行、第60番の集合地は東武東上線の東松山駅。常
連メンバーのほか、『地図で歩く秩父路』(さきたま出版会発行)の著者
である、I さんも初参加された。

 新装なった駅をバックに記念撮影をして、10時5分にスタートする。

 東口から少し南に進んで東に向かう。御茶山町に入ると、屋内ゲートボ
ール場があった。ゲートボールは屋外でプレイするものと思っている人が
多いのか、違和感を感じた人もあったようだ。

 隣接する神明小の横を北に向かい、東松山市ウオーキングセンターへ。
国内最大のウオーキング大会「日本スリーデーマーチ」開催都市ならで
はの施設である。

 市内7コースのウオーキング地図や、比企地域ウオーキングマップなど
があったので、皆がもらう。

 センター前を東に進み、市野川の橋を渡り吉見町に入る。橋のそばに、
「当選寺」という無住の寺がある。選挙に縁起がよい名なので、立候補者
がお参りに来るらしい。

 寺の背後が、国史跡の松山城跡。市野川が形成した低地に突き出た
丘陵の東端に築かれた、北武蔵地方屈指の平山城だったという。

 城郭としての体裁は15世紀半ばとみられ、天文から永禄年間に上杉、
武田、北条各氏の争奪戦になったとか。のち豊臣勢に攻められ、天正
18年(1590)に落城したという。

 毎年、日本スリーデーマーチでそばを通るのだが、寄ったことはなかっ
た。西側から広葉樹林を上がると、本丸跡を中心に、小さいながら複雑な
城郭がよく残されている。

 本丸跡からは、西側に東松山市街や奥武蔵の山並みなどが望まれた。


 ところどころに残るモミジの紅葉を眺めながら、急斜面を北に下ると、
岩壁に挟まれた断がいに立つ懸崖(けんがい)造りの岩室観音がある。

 松山城主が代々信仰していたが、松山城の攻防戦の際、兵火で焼失し、
現在のお堂は、江戸時代の寛文年間(1661~73)に再建したものと
いう。

 観音堂を挟む岩室には、四国八十八か所の霊場の本尊を模した仏像が
祭られていた。

 道路を挟んで北側にあるのが国史跡の吉見百穴(よしみひやくあな)。
たくさんの横穴は、古墳時代後期に死者を埋葬する墓穴として作られた
ものという。


 ここも、毎年通過しているが初めて入る。横穴群を巡る遊歩道を上部
まで上がり一巡し、途中のベンチのところで昼食にした。

 横穴群の中ほどに、地下軍需工場跡の開口部があり、入ると、直径3m
ほどの洞窟がかなり奥まで伸びていた。第二次大戦末期、東京・武蔵野
市にあった中島飛行機工場の移転先として建設され、エンジン部品の製
造をはじめたようだが、1か月ほどで終戦になったと記されていた。

 百穴の西側の林間を回り、背後の台地に上がる。古くからの住宅地の
そばの畑に、大きなトウガンが下がり、カボチャのような大きなユズが落
ちていた。

 コブシのつぼみがかなりふくらみ、この冬の暖かさが感じられる。

 弁天池のある龍性院に立ち寄り、東側から田んぼの横を北に向かう。


 ケヤキやカシなどの屋敷林に囲まれた農家を眺めながら進み、北吉見の
十字路際の八坂神社へ。小さい社殿だが、境内は豊富な樹林に囲まれて
いる。

 十字路の南には、北向観音のお堂があった。


 天王山の新興住宅地を抜け、雑木林の残る天王山自然公園に入る。こ
の先、東側の丘陵上に見えるアンテナ塔に向かって近道をしようというの
が、やまさんの狙い。

 そばの注宅の横を谷間の雑草地に下り、小さい流れを横切る。オレンジ
色のピラカンサがたくさん実る一角を抜け、ススキの間をかき分けて、1車
線の道に出た。


 アンテナ塔の立つ丘陵の南に回り、八反田の民家の間を進むと、林間
への細い道がついている。


 稜線まで上がり、戻り気味に取り付け道路を入り、アンテナ塔のそばに
出た。

 アンテナはNTTドコモの比企無線中継所で、さくがあり中には入れなか
った。

 八反田の散在する住宅地へ。庭先にピラカンサとミカンがたわわに実を
付け、近くにはクチナシがたくさん実っていた。

 その名も「観音」集落の、北側の高台にある今日一番のポイント、坂東
三十三観音霊場第十一番札所、吉見観音・安楽寺に入った。

 行基が東国順錫(じゆんしやく)の折、聖観音像を刻んで岩窟(がんくつ)
に安置したのが起こりとか。のちに桓武天皇の時、坂上田村麻呂が奥州
征伐を祈願して七堂伽藍(がらん)を建てたという。

 本堂は寛文元年(1661)の造立、本堂東側に立つ三重塔は寛永年間
(1624~44)再建で、県の指定文化財になっている。


 境内の何本かのモミジが見ごろで、納経所に向かう庭園のマンリョウが、
一杯実を付けていた。

 大きな仁王の立つ山門を抜け、石段を下って門前の通りへ。「どびんや」
という売店があり、名物は厄除けだんごとか。

 取り立てのユズも数個百円で販売しており、何人かが購入した。

 県道271号を少し進み、ゴルフ練習場の横を上がって学校前集落と和名
集落の間の高台に出る。雑草地の向こうに東側の展望が広がり、筑波山
が望まれた。

 和名集落の北端にある無住の正伝寺に入って休憩。豊富な木々に囲ま
れた静かな境内、葉の落ちたイチョウの大木の下に、ギンナンがたくさん
落ちていて、女性の何人かが拾って袋に入れる。


 和名の南に回り、和名沼の北側から「風の杜(もり)」と呼ぶ自然環境保
全地区へ。一帯は県の「ふるさとの緑の景観地」にも指定され、トウキョウ
サンショウウオやホタルの生息が確認されているという。

 クヌギ、コナラ、アカマツなどの雑木林を抜け、谷間に続く広大な工場、
カルソニックカンセイの建物を見下ろしながら南に下る。

 天神沼の南で県道27号に出て、近くの亀の甲バス停に15時44分に
着く。15時53分発のバスで東松山駅に向かった。

(天気 晴、参加 10人、距離 11㎞、地図 東松山、歩行地 東松山
 市、吉見町、歩数 22,200) 
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関東百駅巡礼歩行 小田急線座間駅(神奈川)

2009-11-24 22:25:41 | 関東百駅巡礼歩行
 2009年11月14日(土)


 
 「関東百駅巡礼歩行」の第59番、小田急小田原線の座間駅に参加した。

 参加者は、やまさんと私以外は地元神奈川県の5人。小雨模様なので雨具
を着け、記念撮影をして、10時11分にスタートした。

 線路沿いを少し南に進み、入谷の旧道に入る。民家の庭先に季節違いと思
われる西洋シャクナゲが咲いていた。

 坂を上がって皆原金比羅宮へ。

 カシ、イチョウの大木など、豊富な木々に囲まれた境内の一角から、座間
の町並みや雨に霞む丹沢山塊が望まれる。

 入谷五丁目の住宅地の先には、「海老名の森」と呼ぶ緑地があり、広葉樹
林の中を遊歩道が設けられていた。


 今泉四丁目の住宅地を抜け、県水道局の緊急給水拠点のタンクの横を進む。
やはり高台なので西側に、雲のかかった丹沢方面の展望が開けていた。


 その先の緑地は、国史跡の秋葉古墳群。海老名市内で最も高い標高75~
80mの広葉樹林にあり、3世紀後半から4世紀にかけて断続的に造られた5
つの古墳が残され、なかには弥生時代から古墳時代の移行期に造られたと
考えられる貴重な遺構もあるという。


 古墳群の南端を西に下って今泉四丁目の常泉院に入る。

 よく手入れされた境内には、大きな白衣観世音菩薩像や水子地蔵、古い
宝篋印塔(ほうきょういんとう)などが立つていた。

 卒塔婆や花などを抱えて墓参に来た奥様に声をかけたところ、17回忌の
供養に来られたという海老名市のMさんとのこと。

 ブルガリア大使公邸で行った花びら染めに始まり、40年続けていて米国
や中国へも行って演奏した琴のこと、墨絵やステンドグラス、花のスケッチ、
仏画など、ご自身でやっておられることを、次々によどみなく話される。

 「立て板に水」とはこのことか、止まるところのない話に、さすがのやまさん
も聞き役に徹し、30分近くもうかがう。その前向きで活発な活動に、皆感心
した。

 古くからの住宅地を回り、小田急線の線路に向かって下る。左側、竹の斜
面林下にそば処「竹葉庵」の表示が出ていた。竹林の間の石段を上がると、
趣ある店があった。


 踏切を越えて西側の田園地帯に出る。天気が急速に回復して青空が広が
り、この時期とは思えぬ20度以上の温かさとなった。


 田んぼの間を抜けて下今泉四丁目の永珊寺(えいさんじ)に、西側の県道
51号から入る。境内はこぢんまりとしていて、イチョウが一本だけの、そぼ
くなお寺。無住のようなので、本堂正面の段を借りて昼食にした。

 食事を終わる頃、思いがけず本堂のカーテンが開いて、ご住職の奥様が
声をかけて下さる。お勧めに従い本堂に上がって参拝後、お茶とお菓子の
お接待をいただく。

 これまで、何か所もの寺社で昼食をさせてもらったが、このようなもてなし
をいただいたのは初めてのこと。奥様は、「どなたとも、ご縁を大切にしたい」
と言われ、来られた人にはいつも同様に対応されているよう。

 ゆっくりとお話を交わし、記念撮影をして厚く御礼申し上げ、寺を去る。

 県道を越えて下今泉三丁目へ。草の生い茂った鳩山ならぬ鳩川を渡り、
上郷四丁目の工場地帯の西で相模川の左岸堤防に上がる。


 対岸の向こうに、雲が取れた丹沢山塊の稜線が広がる。堤防沿いの道を
上流に進み、工場地帯の北側から旧河川敷内の「中高年ファーマー」と記さ
れた広い家庭菜園地帯の横を通過する。

 その先も畑が続き、よく熟したカボチャがたくさん転がり、ワラを積んだ畑も
あり、広々とした空間が気持ちよい。


 鳩川の支流を越え、四ッ谷から東浦集落の住宅地を進む。再び鳩川沿い
に出ると、たくさんのホルスタインが並ぶ牛舎があり、その先の三差路際で
は、寺かと思わせる天井の高そうなりっぱな住宅に目をひかれた。

 JR相模線の踏切が近くには、皇帝ダリアが道路沿いにたくさん並んで花
を競っていた。


 座間小の南側を進み、りっぱな社殿の鈴鹿明神社に入る。広い境内は、
ケヤキ、イチョウ、桜などの豊富な樹木に囲まれ、七五三を祝う家族連れも
来ていた。


 長い参道を南に出て、すぐ東北にある寺を目指すが、入口が見つからず、
台地の住宅地に入り、さらに台地を下って西に回り込み、神社の背後に出た。

 三差路に、「湧水と歴史の里」の標石が立つ。この周辺に幾つかの湧水が
あるらしい。

 昔ながらのカーブを見せる藤沢街道の両側は、築地塀や竹垣、生垣などを
巡らす緑豊富な住宅が並び、静かなたたずまいを見せている。

 探した寺、龍現院の入口は、街道に向いた西側にあった。斜面林を背後に、
参道には梅の古木が並ぶ。境内にはクスの大木が立ち、弁財天も祭られて
いるようだが、入らず門前を通過する。


 そばに、寺境内のがけ下からという湧水の流れる、「龍現水ホタルの公園」
があった。小さい水車が回っていて、夏にはゲンジボタルが飛び交うと記され
ていた。

 交通量の多い県道51号を越え、入谷三丁目にある星谷寺(しようこくじ)へ。
大きく枝を広げたイチョウ並木の参道を進むと、正面に本堂が立つ。

 開基は行基菩薩で、建立は奈良時代という。坂東三十三観音霊場8番札所
で、「星の谷(ほしのや)観音」とも呼ばれているようだ。大イチョウは、一部が
色づきはじめていた。

 納経所で坂東三十三観音霊場のご朱印をいただく。小田急線線路に平行
する車道を南へ少しで、スタートの座間駅に15時36分に戻った。

(天気 雨後晴、参加 7人、距離 9㎞、地図(1/2.5万) 座間、歩行地
 座間市、海老名市、歩数 17,500) 
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関東百駅巡礼歩行 都営地下鉄 篠崎駅

2009-10-08 23:32:09 | 関東百駅巡礼歩行
 2009年10月3日(土)



 やまさんの、関東百駅巡礼歩行第58番に参加した。集合は都営地下鉄
新宿線の篠崎駅。小雨模様の中、レギュラー参加の5人は、駅を11時2分
に出て、駅南側の公園で記念撮影をする。


 やまさんが地図で目を付けた今回のポイントは、東京都(島しょ部を除く)
最東端の場所と、四つの銭湯(せんとう)、そして篠崎には篠崎町のほか、東
西南北の篠崎町、上下の篠崎町と、篠崎の名のつく町が七つもあるという。

 まず駅の北に回って篠崎町4丁目へ。「ラーメン一歩」という店が目につ
いた。ラーメン屋で「歩」のつく店は珍しい。

 斜向かいの花屋さんは、草花の鉢植えがたくさん並び、今夜は十五夜で
あることを表示してあった。


 東西に走る本郷用水親水緑道に出ると、雨に濡れた植え込みに囲まれた、
きれいな流れがある。


 次の角を北へ、上篠崎4丁目にある江戸川区篠崎コミュニティ会館に入り、
江戸川区の番地入り地図をもらう。

 上篠崎3丁目から西篠崎2丁目へ。最初の銭湯、東湯を探したら、「イー
ストランド」と名を変えて、入口はスーパー銭湯風の建物になっていた。


 北側の路地沿いの民家は、花や木の鉢植えをたくさん通りに並べて、安
らぎを与えてくれる。


 東に向かう通りには大きなビニールハウスも残り、江戸川区特産のコマツ
ナが育っていた。広い敷地をりっぱな塀で囲んだ旧家もあった。


 上篠崎2丁目に進んで東側背後から浅間神社に入った。天慶元年(938)
創建という古社である。

 境内は広く木々がうっそうと繁り、小鳥の声がにぎやか。ここが江戸川区
内とは思えぬ一角である。

 浅間神社本殿のほか、霧島神社など十を越える小さい社もある。雨を避
けて拝殿の下で昼食をしたが、蚊の攻勢も盛んだった。

 長い参道を南側の入口に向かう途中には、「浅間の藤」と呼ぶフジの古木
があり、7月1日ののぼり祭りに立てられ、日本最大といわれる長さ20mの
大のぼりが10本、屋根の下に保管されていた。


 入口の石鳥居には、「黄金の注連(しめ)飾り」と呼ぶ金属製のしめ飾りが
下がり、奉納者の最初に、ラモス元フィリピン大統領の名が刻まれている。
安曇野を思わせる双体道祖神も一体あった。

 近くにあった2番目の銭湯、庄の湯も、入口は近代的な造りに模様替えし
ている。


 広い通りの鹿骨(ししぼね)街道に出て東へ、篠崎町1丁目にあった「読書
のすすめ」という珍しい名前の書店に入る。

 普通の店には無い、心の問題とか、日々の暮らし、宗教的なものを揃えた
異色の書店だった。

 篠崎町3丁目に入り、区民農園の横を通って近くの無量寺へ。

 大きな本堂の前に、りっぱな松やクス、スダジイをはじめ、庭木がきれい
に整えられ、観音堂↓や六斎地蔵堂、阿弥陀堂などもある。


 篠崎町4丁目を抜け、南北に走る篠崎街道近くには、昔ながらの銭湯の
面影を残す竹の湯があり、高い煙突も目についた。


 篠崎2中の横で篠崎街道に出た。延命地蔵尊の立つ角を東に入って新町
商店街へ。たくさんの飾りが下がる商店街は、閉じた店もあるが、八百屋を
のぞいてみたら、どの商品も安くて新鮮そうだった。


 東篠崎1丁目、篠崎高の近くにあった四つ目の銭湯、元の湯は、建物は昔
ながらだが、遠赤外線サウナや超音波風呂など、最近はやりの設備も導入し
ていた。

 江戸川区スポーツランド入口前を通り、東側の旧江戸川右岸堤防へ。遊歩
道際の駐車場の辺りが東京都の最東端(島しょ部を除く)と確認した。

 対岸は千葉県市川市、すぐ上流には江戸川水門のゲートが見える。

 スポーツランドの西北、京成バス車庫前の江戸川スポーツランドバス停が
今日のゴール。14時半に着き、解散となった。

 雨も上がったので私は、篠崎中や南篠崎小横を経由して、隣の瑞江駅まで
歩いてから帰路につく。

(天気 雨後曇、距離 6㎞、地図(1/2.5万) 船橋、歩行地 江戸川区)
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