魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

演説の時

2020年04月06日 | 日記・エッセイ・コラム
欧米が新コロナに苦しんでいる最中。
中国は既に克服したとして、救済者然とふる舞い、ピンチはチャンスとばかり、世界の支配権を握ろうとしている。韓国の哲学者は、東洋の儒教が勝っていることを証明したと、西欧文明を見下している。また、中国の政府系新聞によると、ロシアの新聞も、欧米の選挙民主主義が愚かであり、中国の政治が優れていると絶賛しているそうだ。

第二次世界大戦の初期、ドイツが破竹の進撃をするのを見て、日本も真珠湾攻撃を仕掛け、準備のできていなかった連合国側を圧倒し、日独は勝利に酔いしれていた。
奇襲は普通、成功する。しかし、それが最終勝利につながるかどうかは、時間がかかるほど、底力がものを言うことになる。

欧米が弱り果てている時に、火を付けた中国一家が、いわば火事場泥棒で、「斜陽の館」を奪おうと画策しているのだ。
西欧と東洋が入れ替わる時は確かに来ているが、果たしてこの様な、戦術だけの、姑息で不徳な勝利が成り立つものだろうか。
もしそうなら、そんな恥知らずの世界より、悪辣な欧米の方が、まだましだ。

ローマの末裔を自認するアメリカは、中華式の、一つの民族が他の民族を奴隷化する秩序とは、相容れない。失敗だらけのアメリカだが、世界の人種の坩堝として、地球秩序を模索できる叩き台だ。
一度も中華の属国になったことのない日本は、もし、中華秩序の世界が来たとすれば、素直に属国になれるだろうか。

世界を一つにする方法として、上下の秩序に填め込んでいく中国式の権威主義と、個人によるネットワーク型の、無秩序な秩序を求めていくアメリカ式の自由主義と、果たして、どちらがより人類にとって理想的なのだろう。
不都合な歴史を隠蔽する中華と、ペストの歴史を残した欧米、どちらが真の実力を持っているのだろう。

おそらく、今コロナの混沌を目前にしている日本が、その鍵を握っている。
もし、日本が、医療崩壊を起こさずに、この危機をやり過ごせたら、中国式でなくても、秩序を保ち危機を乗り越えられることを証明することになり、民主主義の可能性を広げることになる。

韓国が、うまく乗り切っているように見えるのは、MARS後に経験を活かして用意ができていたからだが、日本は東日本大震災もあって、明らかに抜かっていた。奇襲をかけられたのだ。(原発の教訓にもかかわらず)
もし、医療崩壊が起こり、中韓に上から情けをかけられるような、情けないことになるのなら、日本も、それだけの国と言うことになる。

日本に真のリーダーがいるなら、日本国民に、日本の責任を自覚させる時だろう。そんな「名演説」を聴いて見たいものだ。戦争が始まったのだから。

柳に風邪

2020年04月05日 | 日記・エッセイ・コラム
日本は検査をしないことで、感染者確認より、患者治療を優先する方法をとった。
これは、消火より延焼を防ぐ、江戸時代の消防と同じ日本の知恵だ。
地震にしても古代より、堅固な建物での耐震より、免震を選んできたのは、災害大国の日本人が体得した、柳に風のしなやかな生き方と言える。
今回のコロナも、明らかに手遅れになったが、災害が既にあることを前提にした場合、日本人は案外、強いかも知れない。

世界中で、こんなに大騒ぎをしている新コロナだが、科学の知見が先走る現代だからであって、何も解らない時代であれば、
「今年は悪い風邪が流行っております、時節柄ご自愛下さい」で済んだ話だ。
エボラやペストのように片っ端から死ぬわけではない。

新コロナの最大の恐怖は、疾病そのものより、情報パニックによる混乱死だ。
恐怖に駆られた人々によって、医療崩壊が起こり、すべての手立てが失われるのは、逃げ惑う人の波で、人雪崩による圧迫死が起こることと同じだ。
初めから群衆対策ができていれば、避けられるが、対策無しで始まったのなら、各自がうろたえずに、静かに、その場にとどまることが次善の策だ。 そして、体調を崩した人から退避させる・・・
ただ、群衆を落ち着かせるためには、気休めや指示ではなく、わかりやすい状況説明こそが急がれる。
それも、数値報告よりも、今どういう事態なのかの方が知りたいことだ。
「転んだ人が何人、死んだ人が何人・・・」と、言い続ければ、益々不安になる。
「外に怪獣はいません!もう少し我慢していただければ帰れます」が大切なのだ。

「大した病気ではありません。手洗いうがい、栄養と睡眠で、健康な人のほとんどが死にません!」と周知すれば、危機的パニックは収まる。
今必要なのは、救急隊や機動隊よりも、DJポリスのスピーカーだ。

嵐の後先

2020年04月02日 | 星の流れに
中国は、コロナ責任を他国に押しつけようとして、「卑怯者」を嫌うアメリカ人を怒らせた。ましてや、アメリカが犯人だとまで言ったのだから、収まらない。
これは、真珠湾攻撃で、アメリカ人を激怒させたことと同じ判断ミスだ。

習近平は、自分の過ちを隠すために、アメリカでもどこでも良い、とにかく他国のせいにしようとした。あくまで国内向け、自分の立場を守るためだったが、このあたりが、習近平の国際感覚の無さ、「田舎者の世界観」=井の中の蛙だ。
習近平の田舎者ぶりは、総書記就任前の訪日、天皇面会の経緯と態度にオドロかされたが、出世の過程も、国際的駆け引きで生き残った前世代とは違い、親の七光りの中で、田舎の統治に成功して得点しただけの、単なる優等生だ。外からどう思われるかが、全くわかっていない。この点も、日本の明治維新を知る指導者と、昭和戦前の指導者の差と同じ構図と言える。社会が安定するとバカな指導者が出てくるのは世の常だ。

土星が、3月22日、火星が31日にヤギ座から去ったが、後始末はこれから始まる。
天王星が牡羊座から去った日本も、後始末が始まっている。

渦中渦中」、「殷鑑不遠」、「米中戦争」、「習の蛮行

国際交流

2020年04月01日 | 日記・エッセイ・コラム
名古屋の豊川市長が中国に、マスク返してと言った件。日本人としては非常識だが、中国側は喜んだだろうと思っていた。案の定、中国ネットでは「困った時に頼むのは恥ではない」と、日本での非難が理解できない様子だ。
豊川市長が中国に頼んだ件を聞いた時、この市長はそんなに中国側と親しいのだろうか?だとすれば責められないと思ったが、そんな様子ではなかった。

中国人は、頼りあうことは親しさの表れだと考えるが、日本人は親しき仲にも礼儀ありと考える。
中国人は感情表現がストレートだから、逆に、権力や客にも極端に表面を合わせる。日本人は激しい感情表現は恥と考えるから、賛成も反対も無表情だ。
両者の違いは、日本が特殊なのであって、中国人の方が遙かに欧米に近いことを表している。
中国大陸は、古代より西欧との交易があるが、日本人が直接西欧と接したのは16世紀からだ。
現在、あたかも日本は欧米化しているように見えるが、洋服をまとっているだけで、中身は全く異質な文化体質であり、中国人は遙かに欧米に近い文化体質だ。

この大きな理由は、文化の基本である言語かもしれない。欧米や中国は語順で考えるが、日本語は「て・に・を・は」で考え、思考が融通無碍で定見がない。心そのものを表すような言葉だ。
このため、欧米や中国が、物理思考なのに対し、日本人は気持ちから考える。
欧米や中国は、行為と思考が近いのに対し、日本人は、行為よりも気持ちのほうが重要なので、大げさな行為は、本当の気持ちを壊すような気がする。

また、中国人からすれば冷たい、欧米人からすれば不気味な、日本人の無表情も、お互いの気持ちが壊されないように、深く入り込まないようにしているからだ。
日本人が良く口にする、「土足で入り込む」ことを避けているのだが、ベッドと椅子で暮らす中国人や欧米人にすれば、家の中も外も、土足で出入りするのは当たり前だ。生活様式と思考と、どっちが先に有ったのかわからないが、中国人にとっては、ありの「まんま」を見せ合うことは、むしろ、信頼の第一歩だ。

ありの「まんま」を見せることが信頼の証になるということは、敵や部外者には見せないと言うことだ。中国から欧州にかけて、建築の基本は中庭と外壁で、街全体も城郭都市が多い。
日本の場合、紆余曲折はあっても、結局、開放的な町や住居に暮らしている。物理的に共有しても、心は別なところにあるからだろう。このメンタリティーが、「ボロは着てても心の錦」、「腐っても鯛」、「名もなく貧しく美しく」・・・のような言葉に表れる。

内と外、敵味方を、物理思考で考える中国人は、自分は完璧であるという守りの「メンツ」を保たなければならない。心を許していない権力や客に愛想が良く、対立すれば極端な敵対行動を取るのも物理思考からだ。
コロナ隠蔽も、中国人の末端から上層部までの「メンツ」が引き起こしたことだ。

豊川市長がそこまで中国のメンタリティーに同化し、親しかったのであれば、「マスク返して」と言ったのは理解できるが、そうでないのなら、中国側は「恩を返した」と、「メンツ」が立ったことを喜んだだけだろう。つまり、一方的に中国を利しただけと言うことだ。