女性東京都議への、セクハラ・ヤジが問題となっている。
どういう質問内容だったのか定かではないが、
「先ず、お前が結婚しろ、子供を産め・・」のようなヤジだそうだから、質問内容は結婚と出産環境の問題だろうと考えられる。
少子化対策の問題なのか、女性福祉の問題なのか良く解らないが、質問者もヤジも、双方とも大前提として、現行の婚姻制度を認めているようだ。
地方議会レベルの限界だろうが、「子供を産むこと、すなわち結婚」の前提でどれだけ論じても、しょせんは対処療法だ。
東京のような大都会は、もともと、労働力を集めた生産工場であり、家族やコミュニティーのために、営まれているわけではない。
古典的な家族制度による、結婚や出産は都市の機能とは矛盾する。
人間を、労働力として集めた生産工場=大都会では、女性一人で子供を産めることを保証しなければ、子供を産むことは不可能なのだ。
産業革命パラダイムは、生産に腕力を必要としないから、男女差は無意味になった。強い男が女を保護する、古典的な構造は成り立たなくなっているのだ。
社会全体として、子供を保護し養育しなければならない時代だ。
「結婚して子供を産む」という大前提で、養育施設やサービスを考えても、現実とのギャップが大きく、問題はモグラ叩きになる。
古典的な理想論に無理に押し込めようとせずに、今、我々がどういう時代に生きているのかを直視して、何が有効なのかを考えなければならない。現実を直視しないから、児童虐待や育児貧困が生まれる。
先ずは、どういう経緯でも、生まれてくる子供は、「社会の宝」であることを前提に、受け入れ体制を準備しなければならない。
そう言うと、「当たり前じゃないか」と言う人ほど、実は、「どういう経緯でも」の意味を理解しない。
先日も育児放棄問題の専門家が、きれい事を言いながら、「望まれない子供」問題を危惧していた。つまり、この人自身の潜在意識にも、「良い結婚、幸せな出産」像があると言うことだ。
無条件に子供を「社会の宝」であると認識するなら、親とは無関係に育児環境の設定から入るはずだが、「不幸な」結婚や出産にならないことばかり考えている。
今日の、ほとんどすべての問題が、婚姻制度に起因していることに、気づいている人は、ほとんどいないのではなかろうか。
たいていの人は、現在の婚姻制度を、金科玉条の不文律のように思っているだろうが、これは、明治以降に持ち込まれた、キリスト教的な一夫一婦制度にある。
そして、それまでの日本的な婚姻習慣を、すべて忌まわしい因襲としているが、日本の風土の中で培われた知恵も無かったわけではない。日本人に合った、親子や男女の関係とはどういうものか、もう一度、考え直してみる必要があるだろう。
「婚フリー」