魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

婚フリー(1)

2010年04月02日 | 結婚コン

いつも、婚姻制度に異議を唱えていたら、ご提案を頂いた。
要は、
「一夫多妻の逆に、日本を一妻多夫にして、ラスベガスのように、日本に一妻多夫希望者の観光客を呼び寄せてはどうか」
という案だった。

思わず、吹いた (失礼) 

確かに、これまで主張してきた。鎖国的な観光立国、現行の婚姻制度解体などの意見を丸め、ポンと叩いたら、出てきそうな答えだ。
そうであっても一向にかまわないのだが・・・
意図していることとは、少々異なる。

婚姻の形体ではなく、婚姻そのものが無くなることを夢見ている。
経済システムと婚姻制度は一体であり、未来社会の実現は、現在の婚姻制度があるかぎり不可能だからだ。

理想的な未来社会とは、動物原理の因習から解放され、個人の平等が完全に保証される社会だ。それはユートピアにすぎないとしても、少なくとも、個人の自由が財によって縛られない社会のためには、
生存が、家族ではなく社会によって保証される必要がある。

核家族は、大家族や保障社会のように、大きなワクの中で個人が保証されるシステムではない。両者の過渡期の不完全なシステムだ。

保証社会は共産主義でなくとも、完璧な税システムがあれば可能であり、そういう社会であれば、子育てや老後に不安がなく、結婚による保証も不要になる。

婚姻が無くなれば、一夫一妻も一妻多夫も関係なく、恋愛は自由であり、子供は一族の子孫ではなく、基本的に社会の子になる。
現在の、ことに血統主義で考える日本人には、想像もつかない、バカげた話に聞こえるだろう。

しかし、核家族が成った今、結婚式も葬式も墓も要らないと思う人達が確実に増加している。福祉や税制も変わらざるを得ない。
これはまだ、保証社会に移行する過渡期の入り口に過ぎない。

現在は一妻多夫の国は無いが、
事実上、そういう文化の国や地域はいくらでもある。農耕文化に多く、日本でも、夫や妻が死んで、その弟や妹と結婚する例は今でもあり、立て前は家系維持だが、意識的には多夫多妻の名残だ。

こうした感覚は、儒教の中韓から見ればおぞましいとされるが、
易に帰妹卦があるように、嫁を売買と考える古い中国では嫁に妾のスペアを付けて嫁がせた。(ラストエンペラーも)
日本神話の中にも姉妹をセットで嫁がせたら、姉の石長比売がブサイクで手を付けなかった話があり、これは中国の影響だろう。

古代日本の場合、多夫多妻に近く、ごく近年まで、祭りの夜の乱交パーテイや、見境のない夜這いの習慣などがあり、今でも各地の祭りにその名残が見られる。(よその母ちゃんのケツ枕のしきたりなど)
農村の乱交パーティーは、多分に夫の不妊症の解決には有効と考えられ、村全体の生産には寄与したのかもしれない。
→(つづく