魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

サマータイム、反対!

2008年06月14日 | 占いばなし

干支60年周期で、今年は昭和23年に当たる。
占領下の日本で、アメリカ式のサマータイムが取り入れられた年だ。61年目の同じ戊子年に、洞爺湖サミットをきっかけに再燃した。

幸い、立ち消えたようだが、今後とも日本にサマータイムを導入することには大反対だ。
60年前に導入して、実際に、日本にはなじまなかった。

占い師としても大迷惑な歴史だ。実施された昭和23年から26年までの生まれの人は、生まれた日時を確認し直さなければならない。
だから、占いを学び始めた時から、サマータイムの愚かしさは知っていた。

一日を均等時間に分けるのは、定時法と言い、暦や天文学の発展で始まった科学的思考で、中国からもたらされた干支術でも、二十四節気を始め、時刻も正しく均等割りにしていた。

ところが日本ではなじまず、不定時法と呼ばれる、季節に合わせたアバウトタイムが使われるようになった。
不定時法は、昼が長くなると比例して昼間の一刻が徐々に長くなり、短くなると徐々に短くなる。
日本では、自然に従う暮らしを明治まで続けていたわけだ。

自然にしたがう
年をとるほど、四季折々、飽きることのない日本の自然をありがたく思う。
中国や西欧のように、大陸型の厳しい自然や闇に閉ざされた長い冬に暮らす人達にとって、観念的な時刻割りはむしろ便利だったことだろう。それを礎にして合理主義も発達した。
そして、それが、非人間的な人間主義、つまり、現実感を失った人間の独善を生んだ。

西欧と比べ、日本の科学には古来よりの自然観を伴っている。
東洋的自然観による自然依存とともに、豊かな自然に恵まれたゆとりが、縄文土器のような遊び心を持って、西洋の合理主義を取り入れた。

東洋的自然依存とは、既存概念を活かす「パクリ」精神であり、遊び合理主義とは、必要を超えた技術の追求、クオリティーの追求だ。
鉄砲から自動車まで、日本の科学精神が反映されているし、あるいは、ノーベル賞にもこうした傾向が現れている。
地動説や進化論、大陸移動説や相対性理論のような、とてつもない概念破壊より、気の利いたヒラメキとでも言うような革新が得意だ。

自然に寄り添って生きる日本に、欧米式の合理時間は要らない。
不定時法とサマータイムは一見似ているが、全く逆だ。

不定時法が人間生活を季節に合わせるのに対し、サマータイムは人間の勝手な合理主義、均等割の定時法を、季節に対抗するため、つまり、季節をごまかすために、強引に設定する時間だ。
これは、合理主義経済が、自然のリズムを無視し、人間を働く機械にしてトコトン搾り取ろうとする、悪魔に魂を売った人の所業だ。

欧米かぶれの人々は、サマータイムを導入してないのは日本だけだと言う。
「大いに結構だ!」
定時法を採用しながらも、日本人はどうにか季節感を忘れないでいる。
世界が非人間的精神に流れていく時、日本は独り孤塁を守るべきだ。そして、世界に日本的生き方を提唱すべき使命がある。自然に寄り添って生きるのは、むしろ環境問題の根幹ではないのか。