ある職業に打ち込んでいると、顔がその顔になる。
トンカツ屋のオヤジは猪八戒を思わせるし、養鶏場や鶏屋はどうにも鶏の雰囲気が漂う。ケンタッキーおじさんなど最たる例だ。
うなぎ屋のオヤジもウナギの顔をしている。
顔の骨格や輪郭は、当然まちまちだから、同じ顔になるという話しではない。雰囲気としか言いようがない。
初めは、動物の霊がのり移っているのだろうかと思った。
しかし、
動物関連だけではない。
様々な研究者もその顔になっている。冶金工学の博士が話している顔を見て「冶金の顔」だと思った。これは何とも説明しがたいのだが、他の人にはないある種の雰囲気。おそらく、金属のことを考え続けているうちに、脳のどこかが金属と共鳴し、その波長が表情に表れた「何か」だ。
昔のコンピュータープログラマーは、コンピューターの顔になっていた。無表情で口だけ動かして喋る。
最近は開発環境が変わって、相当、人間らしい表情の人が増えてきた・・・と言うより、もしかしたら、世の中がみな「電脳化」されて、非人間的な顔を認識できなくなっているのかも知れない。
今、これを書いているのは、TVで見た痔の専門医が「痔の顔」だと思ったからだが、これも名状しがたい。
端正で真面目そうな顔の底に、優しさとユーモアを秘めて、無表情な顔がふとした瞬間にゆるみそうになる・・・そんな表現で、ある程度でも「痔顔」を感じてもらえるだろうか。
こんな、生き物でも霊でもない顔が表れるのなら、逆に、専門家の顔には、そのものの本質が表れているのではなかろうか。
気象予報士の表情には、お天気の「無表情なやさしさ」が表れる。
経済評論家の顔に、「経済とは何か」の答えがあり、
政治家には政治が表れ、各党の顔には各党の本質が表れる。
経済評論家はたいてい、愛想良くてどこかウソっぽい。
近頃の政治家に、陰険と威嚇と卑怯が表れるのは、心なしだろうか