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ニッポンの道

2009年10月25日 | 日記・エッセイ・コラム

少子化問題はどう考えて良いか解らない。
地球全体では、人口増加で大変なことになると言っている。
中国は人口抑制の一人っ子政策をしている。

終戦当時、日本でも産児制限が盛んに行われ、全国の町や村の婦人会で、保健婦さんが避妊具を天高く掲げながら、使用法を具体的に解説をしている写真が、グラビア誌に載っていた。会場は全員笑顔だった。

そのちょっと前の、戦時中は出産奨励が盛んに行われ、子だくさんのお母さんは表彰された。天王星84年周期の昭和初期は、やはり多産を奨励していたわけだが、戦争が終わると、日本人が一億人を超えると戦争を始めると言われて、産児制限が持ち込まれた。

少子化は大変なことになるというのは、従来方式をそのまま維持しようとすれば、帳尻が合わなくなるからだ。
兵隊の数を必要とした時も、生産人口を必要とする時も、子供を増やさなければならないという考え方は、政治の怠慢だ。

働きたい人に仕事も提供できない政治が、少子化対策などと言えた義理だろうか。

そもそも、環境変化に対応するのが政治であって、高齢化と技術の進化、世界人口の飽和という現実を考えて対策を打つべきだろう。高齢概念も変えるべきだ。

日本はもう、人口力で、輸出発展する時期は過ぎた。一方で、世界には過剰人口にあえいでいる地域がある。

歳をとっても、若い時の様なつもりで力仕事をするのは、周りから見ても褒められる姿ではない。年寄りには年寄りの仕事がある。
日本はそれなりに、年寄りの生き方に転じる時が来ているのだ。

先輩老人の英米が失敗したように、金融で食べようとするのは年金の浪費のようなもので、結局はパンクする。
むしろ、高価値の生産をすれば、人口減でも充分やっていける。

年寄りの価値は、若者の教育と指導であり、知恵袋の役割だ。
日本の価値は、ノウハウの提供と、意外にも仲裁役だ。
工業生産は若い国に任せればいい。年金のような知的所有権や、インチキ金融を振り回さなくても、日本には日本方式のノウハウがある。

クオリティーの向上や、労働環境の満足度など、効率よりも満足度を重視した生産が、結局、生産性とニーズを向上させる日本方式は、知的所有権などでは計れない、日本独自のものだ。
この指導(ビジネスモデル)で、日本はこれからも充分やっていける。

また、日本は今後、世界の迎賓館を目指すべきだ。日本人の取り柄はリーダーシップや駆け引きではない。接待などの「満足の提供」だ。国全体が、控えめながら、「おもてなし」の精神に満ちている。


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