魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

個人判断

2023年03月13日 | 日記・エッセイ・コラム

また、お為ごかし無責任政府のトンズラ施策だ。マイナンバーカードで明らかなように、何でもそうだが、個人の自由と言いながら個人に責任を負わせ、成り行きを見ながら、結果に合わせて「決めた」ことにする。後出しじゃんけん政治だ。
「マスクは個人の判断に任せる」
考えように拠れば、民意を活かすボトムアップ政治とも取れる。

しかし、だとすれば、日本には政治家は要らない。官僚が情況を見計らいながら民意を査定し、臣下の大臣が奏上し、天皇がお言葉を宣べれば良い。
何と美しい皇国ではないか
ややこしい選挙など一切ない。
つまり日本の実体は、民主主義の看板を掲げた、慈悲深い元首の収める皇国らしい。

仮にも民主主義の政治家であるならば、国民の負託を得て、権限を行使する責任がある。
個人の判断でマスクを付けるのは、風邪や花粉の時と同じで、当たり前のことだ。
これまでマスクを強いてきたのなら(これもなし崩しだったが)、「国として強制しません」と言うべきだ。全く同じ意味に聞こえるが、責任の主体が国民個人か政府かの、大きな違いがある。
国としての線引きをすることで、マスクはハッキリ個人の好みということになる。
「個人の判断」と言えば、マスクの機能、効果をコロナに直結させ、コロナに掛かりたくない人はすることになる。
当然、そこには、「コロナを感染させたら責任を取るんだろうな!」と言う、暗黙の恫喝を含んでいる。
それでも、マスクを外す人が増えれば、しれ~っと、花粉症の話に切り替えるのだろう。
毎度のことだ