3日は朝から笑わせてもらった。アメリカやカナダで中国の偵察気球が発見され、これが初めてではないと言う。
日本人なら、パッと「風船爆弾」を思い出す。ジェット気流でアメリカに行くことは古くからの常識で、風船爆弾がそれなりに成功した事実を、パクリ大国が学習していないわけがない。
それにしても、「何でもやってみよう!」の中国魂は、こんなことまでヤルかと、感心して大笑いした。日本軍が困窮して編み出した方法だけに金がかからない。その上、レーダーは分からないが、音もしない。ただし、今は戦時中ではない。
ダメ元ならヤル価値ありと、即決したのだろう。しかし、これもまた、相手のことを忘れている。傍若無人とは中国文化のことだ。自分の側からしか考えないし、ものを見ない。相手が気づくとは思っていなかったのだろう。
また、仮に気づかれても、何時ものように、「気のせいだから、騒ぐな」と叱れば良いと考えていたのだろうか。それでも、雰囲気がマズそうだから、「民間が失敗したものですぅ」と、北朝鮮の拉致と同じ「頭隠して尻隠さず」の言い訳をする。
日本人なら信じられない馬鹿話だが、大陸文化は「細かいことは拘らない」。なぜなら、最終的に白黒をつけるのは、現実の「力」だと考えているからだ。結局は、金と力しか理解できない。
だからこそ、そうではいけないと、道理を説く数多の哲学が生まれたのだろう。日本人はその書を読んで、なんと素晴らしい国だと信じてきたが、全くの勘違いだった。
しかし、それは、中国が悪いのではない。日本人が勝手に理想化してしまっていただけだ。逆に、中国も日本に対して仙境の蓬莱の島を夢見てきた。
日本人の理想は神仏のような精神世界だが、世界の理想は黄金のエルドラドや宝島だ。盗賊から宝を盗むシンドバッドも、インカを滅ぼしたスペインも、羊の群れを探す肉食動物だ。物欲こそが世界の原動力であり、マルコポーロが語った黄金のジパングも収奪帝国元から聞いた宝島だ。もちろん、収奪と言えば聞こえが悪いので商と呼ぶ。
三方良しの商は日本の理想だが、大方はサルカニ合戦のサルのように、力を背景とする。
日本人は主に農耕の大陸南部から来たらしいが、現在の中国は牧畜の北部が中心で略奪の騎馬民族の末裔だから、弱い者はみな家畜、羊の群れだ。稲を育てるような段取りや整合性など念頭にない。「あっちがダメなら、こっち」、奪って使うのが生活信条だ。これは中国に始まったことではなく、それが世界原理だ。肉牛を稲作のように育て上げて霜降りにして喜ぶのは日本人だけだった。それが美味ければたちまち世界で作り始める。一点物の芸術品ではなく、誰でも食べられる規格品としてだ。
「風船爆弾」を応用した偵察風船は、笑い飛ばしてはいけないだろう。今は、大がかりな技術よりハンディなものを駆使するドローン戦の時代だ。だからこそ、アメリカは黙って観察し、外交駆け引きに使う。
むしろ日本は、この「何でもやってみよう!」精神を見習うべきだ。斬新だけに拘らず、他山の石や温故知新で学べば、再び独創が生まれる。
ところで、今回は気球だったが、しつこく言うように、もっと飛行船や帆船に目を向けるべきだ。SDGsにも合致するし、昔とは異なる技術や利用価値が生まれている。もったいない。