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自主防衛

2023年01月25日 | 日記・エッセイ・コラム

大阪府の銭湯は2013年の590件から、10年で290件に半減したそうだ。
1973年のヒット曲『神田川』で、「赤いてぬぐいマフラーにして二人で行った」であろう「あの頃」1968年から半世紀後の今日。全国の銭湯は10%ぐらいにまで激減した。

核家族とエネルギー事情の変化で、内風呂が標準化し、銭湯の客が減ったうえ、厳しい仕事なので後継者もいなくなった。近年、急激に廃業が続いているのはボイラー等の設備の改装が必要になっても、継続の見通しが立たないからだそうだ。

最近、良く知る風呂屋が立て続けに廃業した。いずれも、薪で沸かす風呂屋だった。
昔は、内風呂も薪で、一定の敷地がなければ風呂は作れないから、都会に銭湯は欠かせず、都会暮らしの文化でもあった。
戦後、日本は全てを捨てて工業生産に集中し、その過程でエネルギーも大量輸入するようになり、各戸で風呂が沸かせるようになった。その結果、生活インフラとしての公衆浴場は衰退し、絶滅しかかっている。

お金は食えない
環境変化の中でいま、食料とエネルギーは金では買えなくなりつつある。いくらお金を積んでも、売り手が売らなければ手に入らない。お金より大切なものは「現物」だ。
終戦直後、金や財産があっても、食料が手に入らず、紳士淑女を気取っていた都会人は地方に買い出しに行き、日頃バカにしていた「百姓」に、お願いして食料を売ってもらった。売ってもらえればまだ良い方で、売ってもらえるルートを紹介してあげようと声を掛け、暴行殺人に及んだ事件は氷山の一角だ。
日本人、そして日本の政治家は、未だに目が覚めていない。全て金で解決できると思っている。

金や商売を語るのは、先ず、自分の食い扶持を確保してからだ。江戸っ子が「手ぶら」で生きられたのは社会システムへの依存だが、現代は全てをこれに頼っている。
食料とエネルギーは、トヨタのカンバン方式のようには行かない。工業生産が成り立つのは、先ず、食と資源があってこそだ。
グローバル化と称して世界がカンバン方式化した結果、ちょっとした災害や戦争で、たちまち全面停止に陥る。ことに、日本人は何事も一辺倒になる。

高度成長期に。食とエネルギーを全面的に工業生産に賭けて成功した後も、元金を確保することなく博打に溺れ、負けに負けても賭け続けた。いまや、元も子も無くなりかけている。しかも、未だに、博打を止めようとしない。
日本の原点は、この島国だ。世界有数の災害地域は同時に豊かな自然環境でもある。この豊かな自然に甘えてきた日本人には、蓄えの意識がない。
寒い国では保存食の確保は常識だが、日本人は食や薪を蓄えることなく、何時、紙くずになるか解らないお金ばかり蓄えている。実際、敗戦で預金は紙くずになった。

江戸時代から始まった、湯を沸かす公衆浴場は、古代の蒸し風呂がルーツで、重要な公衆衛生施設だったし、今でも重要だ。
今もし、ガスや石油が入ってこなくなったら、食事だけではなく、誰も風呂に入れなくなる。自衛隊の仮設風呂もできない。昔ながらの薪で沸かす銭湯だけが、燦然と輝くオアシスになるだろう。しかし、もはや薪の銭湯は絶滅直前だ。
冷暖房ならどうにかしのげるが、シャワーも風呂もなければ、コロナどころの騒ぎではない。たちどころに疾病が蔓延し、死者が続出するが、火葬もできない。各自治体は、国内資源で運営できる直営の公衆浴場を確保すべきだろう。

戦前までの日本は、農林業を軸に国のインフラが成り立っていたから、生活の燃料や食料を自分の問題として考えていた。戦争を始めたのは工業生産のためだ。
しかし今、衣食住の為に外国の顔色を心配している。一方では、植林した杉を切り出すこともできず花粉症に悩み、荒れ果てた里山からは、熊やイノシシが飛び出してくる。
輸入小麦が値上がりして、パン給食ができなくなり、小学生が「パンを食べたい」とぼやいていた。米は主食ではなくなったようだ。飼料代も上がって乳牛が飼えないという。

全て、敗戦により、アメリカの産業システムに組み込まれた結果だ。アメリカが悪いのではない。終戦直後、アメリカから送られた小麦や脱脂粉乳は、アメリカ人の純粋な善意だった。問題は、それに甘えて増長し産業を広げていった日本にある。衣食住の自立は全く無視した。
ヨーロッパの先進国は軒並み自給率100%以上だが、日本は自立できていない。アメリカに脅されると為替介入、PCのOS規制、戦闘機購入・・・何でも従う。そして、米中対立が始まれば、今川の徳川勢のように先鋒を仰せつかる。食料とエネルギーが人質になっているからだ。かと言って、「こうなったのは米国のせいだ、賠償しろ!」と逆ギレするような器用なマネは、日本人にはできないし、アメリカは日本のように甘くない。

自立無しでは何も言えない
フランスは平気でアメリカに異を唱える。自給率を確保しているからだ。
日本生き残りの一丁目一番地は、自給率だ。農林水産業の復興は、フルーツの輸出より、地産地消の国内循環こそが先だ。材木や家畜の飼料を買ってこなくても成り立つ、智恵の農政を行うべきで、先ずは現場の意見を活かすことだ。
干拓、食管、農地・・・中央主導でやった事業はことごとく禍根を残している。
防衛も自給自足だ。ここまで骨抜きにしながら平和憲法の立前にこだわり、役にも立たない武器を買わされている。日本にとって本当に必要な武器は何かを理解することがなければ、真の平和主義は貫けない。専守防衛に画期的な武器なら売るのも良いはずだ。
祈りや立前だけの平和憲法では却って戦争に巻き込まれることになる。憲法改正の前に、平和憲法ならではの防衛のありかたを、あらゆる固定概念を捨てて考えてみるべきだろう。戦争の概念も変わってきているのだ。