魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

渦中覚醒

2023年01月10日 | 日記・エッセイ・コラム

コロナのドタバタ顛末は、歴史喜劇としてまとめれば、相当に面白いネタになる。
そろそろ、小説やドキュメントが出てくる頃だが、それを面白く読めるようになれば、コロナは完全に終わる。
小説「ペスト」はシリアスにならざるを得ないほど深刻な疾病だったが、コロナは現代ならではの社会病だ。死者の数だけに驚いていると何も見えなくなる。人の死は直接死因より、そこに至る環境の方が重要であり、死亡率の増減も実際は、気候、経済、社会動向が根本原因だ。皮肉なことに、コロナ以後、日本の総死者数は一時的に減少した。また、コロナの死者数は、各国の国情に比例している。

そして何より、コロナで重要なことは、歴史警鐘だ。
コロナは、気候変動や人口爆発、グローバル活動、資源の枯渇・・・等々、産業革命パラダイム250年が行き着いた果ての、大崩壊の予兆であって、マスクやワクチンで防げるような、呑気な病魔ではない。
歴史の転換点では常に膨大な死者が出ることを踏まえれば、マスクに隠れている場合ではない。死者を乗り越え、目をむき、口角泡を飛ばし、歯を食いしばり、根底的な社会変革を起こさないかぎり、神は怒り、大洪水で人も文明もリセットされるだろう。誰も生き残りのノアにはなれない。コロナなど、激震の前の「あれっ!?」ぐらいの異変に過ぎない。

悔い改めよ
多くの人が解っていても、「王様は裸だ!」と第一声を上げるのは社会を担っていない子供、若者、アウトサイダーだ。だが、実際に世の中を改められるのは当事者、大人だ。
大人が賛同し、行動を起こして初めて世の中は変わる。実際に社会を動かしている大人の行動は、若者の声の通りには動けない。頭が悪いからと言って首を切ってしまうわけにも行かないからだ。
しかし、化石燃料即時停止を叫ぶグレタさんの気持ちは解ると、うなずいていようが、世間知らずの子供だと笑い飛ばしていようが、既に溶けた氷河は後ろに迫っている。
もう、あれこれ言い訳の時ではない。全てを投げ出して走り出す時だと、コロナは告げている。

ウクライナ戦争で、エネルギー食料問題が起こったのは最後通告だ。
原発はやむを得ないとしても、廃棄物問題は何も解決していない。この際、きれい事を言ってないで、極限の地下に埋めるか、太陽に廃棄するしかない。地下注入や太陽への運搬方法なら、処理法を待つより可能性がありそうだ。これらの方法がとられないのは、コロナと同じ、専門家に丸投げで、分野を超える政治家の慧眼と覚悟がないからだが、これはあくまで緊急避難の話だ。

大転換は、あらゆる、大前提を捨てなければ乗り切れない。電気や水道やゴミ処理は既存技術が前提だが、ここから考え直す必要がある。現代人は250年で生まれた社会システムに生かされている鶏や養殖魚だ。共産主義さえ化石エネルギーの産物だ。
東京都は太陽光発電を義務化したが、正しいようで、少しズレている。大供給システム前提の補助発電ではなく、電気は自給自足を前提にし、足りないなら極めて高い料金で買うような、逆転の発想でなければ大転換には間に合わない。
命に関わると言われても、ナイフを突きつけられていなければ、酒もタバコも間食も止められないのが人情だが、犯罪となれば話は違う。環境問題はそこまで来ている。コロナどころの騒ぎではないのだ。