魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

令和元年

2019年04月01日 | 日記・エッセイ・コラム

新元号が「令和」と決まり、その話題一色で、エープリルフールが霞んでしまった。 多少の嘘話では、誰も関心を示さない。

「令和」は、初めての「とんがった」元号ではないだろうか。令の部首は「ひとやね」 とか「ひとがしら」と呼ぶらしいが、これまで、「うかんむり」はあったが、こんなにあからさまにとんがった字面は初めてだ。
意味は「和やかであれ」のようなことだろうが、平らな平成に比べ、逆にとんがった。

時代が一回りした昭和初期のような今。「令和」は、ほぼ「昭和」の再来だ。
「令」は、立派で正しいことを告げる。
「昭」は、朗らかに明らかにする。
 昭和も、令和も「和」を高らかに告げることを意味している。

 誰もが一様に、平らになることを目指して、出る杭を叩くハラスメントのムードが蔓延した平成は、結果として、むしろ格差が広がった。
昭和は、和を提唱しながら、戦争と戦後の個性が激しく混乱した中で成長した。
昭和と同意の令和には、再び、個性の時代が託されているのかもしれない。
ちなみに、画数で見ると
「昭和」は17画で個性のとんがったイメージ
「平成」は11画で真面目で気詰まりなイメージ
「令和」は13画で朗らか明快なイメージ

元号決定が、いち早く海外に伝わったと、これもニュースになっていて、世界中が「令和」に沸いているような錯覚をする人も少なくないだろう。
しかし、海外にしてみれば、「日本では桜が咲いて賑わっています」程度の、海外ニュースの一つで、せいぜい「ケンミンショー」のような関心だ。

興奮している人に、「元号で興奮しているのは日本だけですよ」と、言うと。
「えっ、え~~っ!!!」と、驚くかもしれない。