魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

喧嘩下手

2019年04月20日 | 日記・エッセイ・コラム

WTOで日本は韓国に逆転敗訴?した。
論理的に考えれば、韓国の規制はナンセンスで、他の国が規制を解除し始めている状況で、日本政府は「簡単に勝訴できる」と考えて提訴したのだろうが、結果的に、とんでもない失態となった。
今回の逆転敗訴の理由にも、「日本が韓国の言い分に回答しなかった」ことが挙げられている。是非ではなく、小手先で負けたのだ。
データが正しくても、受け入れ側に「懸念」があれば、拒否する自由があると言うことだろう。買う買わないは買う側の勝ってと言うことだろうか。

「負ける喧嘩」は、してはならないが、日本は、自分の思い込みで喧嘩を始める国だ。
勝ち負けより「思い」の方が重要なところは、韓国を笑えない。それどころか、勝ち負けを度外視する「潔さ?」は、何が何でも勝とうとする韓国より、世間知らずのお坊ちゃまだ。
実際、今回も、ナメてかかった韓国に。無駄に負けた。
韓国にしてみれば、強欲な日本に「肉は切り取っても良いが、血は一滴も流してはならない」との判決で、ギャフンと言わせた、大喝采の一幕だろう。

何がこんな大失態を招いたのか。それは、己を顧みない傲慢だ。相手の幼稚な態度を見て高をくくり、何の警戒もせずに「不用意」に手を出した。どんな弱そうな相手でも、手を出す以上は、万全の備えをしなければ、今回のように「水を漏らす」ことになる。
窮鼠は猫を噛む。
日本が、清やロシアに負けなかったのも、大帝国が日本をナメて掛かってきたからだ。アメリカも結局、ベトナムに勝てなかった。どんな大国でも、自ら手を出す戦争は、数倍のリスクを伴う。日本に先に手を出させた、太平洋戦争当時までのアメリカは賢明だった。
脆弱に見えるものほど、警戒をするのが戦の常道だ。三方原の敗北で逃げ帰った家康が、城を開け放ち、松明を煌々と燃やしたら、信玄は追い打ちをかけなかった。両者とも戦国武将の常識を心得ていたからだろう。

思いは現実に非ず
昔、営業の新人がやって来て、「買って下さい、わが社は今、販促月間なんです!」と言う。それはおたくの事情でしょと思うが、丁重にお断りした。すると、最初の愛想と、打って変わって、ドアをバーン!と、閉めて帰った。
本人とすれば、買って貰おうと、我慢しながら愛想したにもかかわらず、買ってくれないことに腹を立てたのだろうが、相手が欲しくなるようなことを何も言わず、自分の「思い」に酔っていたのでは、売れる物も売れなくなる。

福島原発事故による各国の輸入制限は、日本人としては辛くて悔しい対応だ。科学的にいくら安全だと言っても、「毛嫌い」をして、受け入れようとしてくれない。
この辛さこそが、「差別」される側の気持ちであることを、差別やイジメを受けたことの無い人は理解する良い機会でもある。そして、どんなに正論を述べても受け入れてもらえない時に、どうあるべきか、どうすべきか、冷徹に考えてみなければならない。

相手の不明や非正義を叫ぶのは、簡単だが、争いを覚悟しなければならない。
「山が動かぬならこちらから歩いて行こう」、「神は自ら助すくる者を助すく」、「叩けよさらば開かれん」、「自らを島とせよ」 ・・・状況を変えるのは、究極、自分自身であると、賢人は説いている。
相手に解って貰うことより、相手にそう思わせること。買って貰おうと思うより、買いたいと思わせることだ。

鳴かせて見せよう
今回、日本政府が、法の「力」で買わせようとしたことに、そもそもの間違いがある。
相手が納得していないのに売りつけようとするのは商売ではない。トランプが圧力で売りつけるアメ車を買いたいだろうか。
とかく、日本のすることは独りよがりだ。戦前の軍国政策は言うに及ばず、日本企業の製品開発、捕鯨問題、世界遺産申請・・・枚挙に暇がない。
「愚直に」「ガンバッテ努力すれば」お天道様は見ていなさる。自分が正しいと思うなら、自分がやましくないなら誰にも恥じることはない。それを解らないのは、解らないヤツが間違っている・・・これが「甘え」であることを、どれだけの日本人が理解するだろう。

国連機関がいきなり日本に改善を求めてくることがよくある。
慰安婦問題を始めとし、対日貶め宣伝に負けるのは、武士道や、フジヤマ芸者のイメージが持つ、負の側面に日本人が気づかず、そこを逆手に取られるからだ。
現在進行中の「日産ゴーン問題」も、事実や結果はどうであれ、外から見た日本の印象は、さらに固定化するだろう。
日本人は、彼らが何を「やっぱり!、ニッポンは」と思うのか、彼らの視点を知るべきだ。

今回のWTO「大敗北」は、日本政府と役人が招いた失態であり、役人の便乗主義が生んだオウンゴールだ。官とは元々、民の力で生きながら威張っている生き物だ。
クールジャパンや褒賞など、民間が築き上げた財産を利用しようとする行為だが、多くの人は、褒賞されると国家に寄与した叙勲のように喜ぶ。しかし、民間の営みは民間から賞賛され、利益を得ることこそが栄誉であり、お上とは関係ない。
イチローが国民栄誉賞を断ったのは、この意味で実に立派な見識であり、これを非国民のように批難や揶揄する人がいるなら、それは、政府に洗脳されたお人好しだろう。

日本人の甘えと、役人の便乗主義が、災害への同情を良いことに、日本が犯した原発事故をも、「無かったここと」にしようとする。この虫の良さを、自覚できない日本人は、内向きの論理だけで、被害者のような気持ちになる。
日本に対する、こうした印象が世界に存在することを心得てこそ、状況を覆すことが可能になる。
外からの偏見を避け、思わぬ角度からの魅力アピールをして、欲しいと思わせる知恵と努力を注がなければならない。
勝つためには、先ず、己を知ることだ。