魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

自然調整

2018年07月21日 | 日記・エッセイ・コラム

ウナギの減少で、ウナギが高騰し、買う人が減って、養殖業者が悲鳴を上げ、ウナギの廃棄処分が増えているそうだ。バカげた話だ。
この分では、ウナギも数の子の二の舞になりそうだ。

近頃の若者は、数の子を食べないようだ。以前は、回転ずしでも数の子を客寄せの看板にしていたが、見ていると、食べているのは中高年で、若者は全く手を付けない。近頃は、数の子そのものをメニューから外してしまった店もある。
数十年前から数の子の高騰で、庶民が食べられなくなり、数の子の味を知らずに大人になった世代が、多数派になった。

数の子は、甘くもなければ脂のうまみも感じられない。苦みと粒々の口当たりが珍味で、慣れて病みつきになるものだ。子供の時からの体験がなければ、是非食べたいとは思わないだろう。
ファーストフードやジャンクフードに慣れ、直接的な快感を感じる味しか好まない現代の若者には、「稽古が必要な味」は敬遠される。数の子より脂のイクラ、苦いビールより甘いカクテルが好まれるのも、ストレートに快感を味わえるからだ。

ウナギの高騰には、減少による高騰を見越した問屋の先取り、つまり、暴利をむさぼろうとする魂胆がある。ここでも「問屋時代」の終わりが見えてきた。
値上げして売れ残ったウナギを廃棄するぐらいなら、出荷できずに大型化したウナギを海に帰したらどうか。養殖ウナギといえども稚魚は天然だから、放流すれば、マリアナ海溝に帰って、また大量繁殖してくれるのではなかろうか。

どうあれ、元来ウナギ好きでもないから、どうでも良いのだが、
このままでは、取り過ぎ生物は減少し、だれも食べなくなり、食料対象として消滅する。これも一つの自然の調整なのかもしれない。

ウナギは好んで食べないが、蒲鉾屋の「代用ウナギ」には感心する。「うな次郎」が出たら、「ほぼウナギ」が出た。カニカマに始まり、ホタテやエビと、次々に出てきて、どれも、なかなかのものだ。カニカマなど、世界中で大人気だそうだ。これは、水産日本の新しい産業になる。捕鯨などやめて、どんな魚でも美味しく食べる技を追求してはどうか。

(ウナギと丑日の話:ウナギ病うなッ!、猫ウナギ