魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

国家兄弟(2)

2018年04月11日 | 兄弟関係

各国を兄弟関係に見立てるのは、兄弟関係のパターンで、優劣をつけるためではない。兄弟関係のような地勢関係から、逆に、個人の兄弟関係タイプを学ぶためだ。
だから、レベルの上下など全く関係ない。力や立場関係が生み出す、視点や認識、行動のパターンの普遍性を探るためのものだ。兄弟関係による優劣はない。それぞれの長短があるのみだ。

長子の孤独
歴史を振り返れば、大陸の長子が中国であることは揺るぎなく、政権が変わっても、個人の長子と極めて似た言動を取る。
長子は何事も、始めから「自分が中心」の大前提で考え、責任意識から、横暴と思い遣り、決断と反省を繰り返す。他者に従うことができず、間違いを指摘されても改められないが、代わりに、別の方法で、間違いは無かったことにする。こういう、「メンツ」を気にする行動は、「自分が中心でなければならない」という長子の強迫観念であり、それが、国民の上から下まで染みこんでいる。
日本でも江戸っ子が、中心意識から「てやんでい、江戸っ子でい」と言うように、何の根拠も無く、始めから中心だっただけの立場にすがり、そのプライドに固執するようなものだ。

「自分は良いが、お前はイカン」は、先に成長した者の特権意識であり、責任意識でもある。
独立独歩、手本のない成長をしてきたことで、自我や自省心は強く、試行錯誤による失敗は、表には出さないが冷静に反省する。また、どんなに困っても、他人に相談せず、報告さえもしない。苦労して学んだ自分の方法論だから、最善の方法と考え、弟妹にも押し付けようとする。「お前はイカン」は自分勝手だが、失敗は自分がするものだと信じる、弟妹への思い遣りでもある。(これも勝手なのだが)

中国は、どんなに困っている時も、決して他国に「お願い」できない。相手から言い出した援助は受けることができるので、誘い水は出す。
これに対し、末っ子の朝鮮半島は歴史上、幾度となく大国に助けを頼み、その結果、大国同士の戦争が勃発している。兄姉を見て、気持ちは人一倍自立していても、根底で他人頼みなのが末っ子であり、長子は、日頃は弟妹を制止しながらも、結局、それに巻き込まれることが多い。
無茶な亭主に苦労させられる女房の話は、大抵が、末っ子の亭主と長子の妻だ。

日本は、大陸から離れた一人っ子であり、中国兄さんに助けを求めたことはない。
むしろ、朝鮮半島がらみで、隣家の中国兄さんに何度も痛い目に遭っている。
一人っ子は弟妹関係の苦労は知らないが、独立独歩で試行錯誤をしながら生きてきた、長子の原点だ。
したがって、直接関わらなければ、中国とは長子同士の「間」を持つことができる。ただし、弟妹型の朝鮮やロシア、そしてアメリカのような、弟妹型のお節介で「愛想の良い」国を信じて接触していると、兄弟関係の葛藤に巻き込まれる。日本が今日まで絡まれる歴史問題は、何が切っ掛けだったのか、よくよく考えてみれば、弟妹に翻弄され、身の程をわきまえない錯覚をしたことにあったと気づくだろう。日清・日露戦争に負けなかったのは、あくまで、防衛の範囲だったからだ。