魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

世間づきあい(1)

2009年03月27日 | 日記・エッセイ・コラム

20代の頃だから、相当、昔。
スコットランドの友人を訪ねたら、観光案内をしてくれながら、
「あそこで、スコットランド人がイギリス人に数千人殺されたんだ。」と、ごく最近の事件のように言う。
「え、何時のこと」と聞くと、700年前だという。
イギリスの歴史を知らなかったので、それが、スコットランド独立戦争のことだろうと分かったのは、後のことだ。

日本なら元寇の頃で、神風のことは知っていても、どこで何人殺されたとか、第一、攻めてきた元軍の正体が何だったのかなど、普通の日本人なら考えもしない。

しかしイギリスでは、いまだに、アイルランド過激派がくすぶっていたり、スコットランドのイングランドに対する敵対心も、日本人では考えられないようなレベルだ。
ヨーロッパ全体でも、縦に横に、言葉も文化も細かく分かれ、敵対しながら連合している。

日本は、ヨーロッパ並みに違う言葉や文化を持ちながら、平気で、単一民族だと思い、日本人意識を持っている。
律令による中央集権の上に、江戸幕府の国替えと参勤交代で、文化が束ねられたことに因るのだろう。

もし律令制が無かったら、ヨーロッパと同じように王侯対立のままモザイクになっていただろうし、国替えや参勤交代がなければ、中国のような面従腹背の社会になっていただろう。

特殊例
そんな恵まれた日本は、世界でも珍しい極楽トンボだ。幸せすぎて湯舟から外に出られない。
北風の中で、日夜、生きる方法を考えている世界の人々の心境は理解できない。
解らないから、外は寒いゾと聞けば、過剰武装して出かけたかと思えば、まったく無防備に風呂から裸で出て行ったりする。

戦後60年余。大きなクシャミも1、2回。そろそろ、湯冷めしそうになってきた。

親の代に、路頭に迷っている人を雇って風呂焚きを頼んだら、こき使われたと恨まれて、風邪を引きそうになったら、「ざまーみろ」と言われている。
良かれと思って、防寒具を着せ、なけなしの財布から給料を払っていたのに、「自分が風呂に入りたかっただけじゃないか」と、母屋に上がり込んだ上、孫子の代まで目の敵にされている。挙げ句の果てには、世間に、「とんでもないヤツですぜ」と吹聴して回る。

もとを質せば、日本人が極楽トンボで、世間知らずのせいだ。
スコットランド1000年の恨み節は、世界中にある。
世界には、日本のような「水に流す」という道徳律はない。
過去は決して消えない。どころか、都合の良い過去を焼き付ける。
しかし、それでも世界の国は、どうにかバランスを保ってつきあっている。

北風の中での世間づきあいは、情だけでも力だけでもつきあえない。

世界とつきあうには、畏れと勇気。尊重と自信が必要だ。
自分をしっかりもって、己の力量を知ることだ。
思い上がって力量を超えた「人助け」をしたり、頭に来たと言って簡単に喧嘩をしないことだ。これまでの大失敗はそこから始まった。