魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

スポーツ精神

2009年03月08日 | 日記・エッセイ・コラム

7日のWBC予選で、日本は韓国にコールド勝ちした。
イチローも復活して良かった。

ただ、どうにもオカシイのは、いつから韓国は日本の「宿敵」になったのだろう。
盛り上げて、稼ごうというマスコミの魂胆は解っていても、「宿敵韓国、宿敵韓国」と、うっとうしい。

韓国野球が強くなったことは事実だが、韓国があらゆることに「宿敵日本」と、スポーツと関係のない情念を燃やしてくることに、巻き込まれてしまっている。

対戦相手を対等と見ない「鬼退治」と勘違いしたような態度は、スポーツ精神ではない。たとえ相手がそのような態度でも、同じような精神状態で接しては、スポーツではなくなる。

「勝ちたい」と、「負かしてやりたい」とは次元が違う

「勝ちたい」は、自分へのチャレンジだが、「負かしてやりたい」は、怒りや恨みの情念だ。そういう執念で試合をすることは、勝負に勝っても、文化としてのスポーツではない、「喧嘩」だ。
喧嘩や戦争なら、始めからしない方がいい。

スポーツの試合を、喧嘩と考えれば、「どんな手でも」勝ちさえすれば良いことになる。カンニングをしてでも合格さえすれば良いという本末転倒の発想だ。

韓国が日本をどう敵視しようと、スポーツである以上、強力ではあっても「宿敵」にはならない。
相手が躍起になるほど、クールな態度をとることで、喧嘩をさけることができる。

キャッチャーの城島が、
「韓国、韓国って、どこが相手でも特別じゃない。勝つためにやるだけです。韓国に親類がいるわけでもないしね」
と言っていたのは、爽快だった。
日本選手はみな、本当のスポーツマンで、それがうれしかった。

1208(日本と韓国)