魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

占い手帳

2009年03月18日 | スタンス

先日、TVを付けたら何の番組か、ちょうど
「血液型を信じるか」の問いに、20人の医師が全員
「信じない」とあげている所だった。
太田光が、「それでも、血液型はあるだろう」と食い下がっていた。

その後のことだが、これも、たまたま見たTVの国会中継で、誰か忘れたが、自民党の議員が質問しながら、
「アメリカは楽天的なO型が多いそうで、経済見通しが」云々、と場を和ませながら質問をしていた。
多少のヤジはあったが、とりたてて非難する声もなかった。

血液型でも、占いでも、この程度に扱われるのがちょうど良い。

占いと科学
現代の天文学者には、星占いを目の敵にする人たちがいる。
また、医師が血液型を信じるなどと言えば、医師生命を失うだろう。

それは、当然のことだ。
現代の天文学は、占星術の呪縛を断ち切って生まれた。死んだはずの亡霊がつきまとってきたら放置できない。(殊に発祥の欧州では)

また、血液型の何たるかを知る医師からすれば、
宇宙ロケットのビスの一つで、ロケットの性能が分かるかのような話など、あり得ない馬鹿馬鹿しさだ。

こういうことを、重々理解したうえで、
星占いや血液型占いとは何なのかを、考えてみる必要がある。

「てれすこ」という落語に、イカは干したらスルメになるという噺がある。
同じ素材でも、扱い方が違えば別のものになるというたとえ話だ。

繊維を造る技術者と、ファッション・デザイナーは、全く違う価値観の中に生きている。
繊維技術者が生涯を賭ける繊維の質や完成度は、ファッション・デザイナーにとっては、手段でしかない。
繊維も紙も金属も、ファッション価値を生み出す素材のひとつだ。

技術者とデザイナー。製造業と流通業・・・同じものに関わりながら相反する立場にいるが、これらは互いに依存する関係であり、協力が成果を生む。

しかし、天文学者や医師にとって占い師は、得るものは何もないうえ、いい加減な知識で学問を汚し、世の中に害毒を流す。殊に天文学者にとっては、成果にまとわりつく蚊やダニにでしかない。
駆除したくなるのは当然だ。

ただ、心理学者にとっては、占い師という人格そのものが、研究対象にはなるかも知れない。

いずれにしても、科学領域には微塵も容認できない存在なのだ。

占いは宗教ゲリラ
では、占いなど禁止して、完全に無くしてしまえば良さそうなものだが、そうならないのはなぜか。
キリスト教では、強く禁止しているが、二千年経っても結局、なくならない。

一つには、キリスト自身が呪術や占いを行っていた可能性もあり、占いを聞いてはいけないということ自体が、異端排除だったとも考えられる。
また、一神教の真理崇拝が、科学の真理追究原則の生みの親ともなったこともあり、いくら占い撲滅をしようとしても、科学に潜む宗教性による、異端排除でしかなかった、ということもあるのかも知れない。(科学信仰の矛盾の結果ということか)

さらに、科学が発達し、不確定性原理のようなものが発見されることにより、一神教の流れをくむ科学から、多神教的な「関係性」の可能性が見直されるようになってきた。

ステレオタイプな専門職は別として、真摯な学問を追究する学者の多くが、あらゆる可能性を排除することが無くなってきた。
それだけ、西欧科学が成長したということだろう。

西欧の科学者とくらべ、日本の科学者には一神教の呪縛がない。
西欧化が盛んな頃は、科学的でないものは「迷信」として、すべて否定されていた。その末裔が、躍起になって迷信撲滅をする、何とか教授(名前を忘れた)だが、まさに前世紀の遺物となった。

西欧文明自身の変節もあって、西欧コンプレックスが薄れるにつれ、新世代の日本の学者は、仏教文化の柔軟な感覚をますます発揮することになるだろう。(仏教の因縁と日本の多神教的柔軟性)

話が脱線したが、迷信と言われるものに対する科学の姿勢が変化したからといって、占いが市民権を取り返したわけではない。
占いが、無くならないのは、真理探究や技術発展のためではないからだ。

占い手帳
占いの存在理由は、一言で言えば「癒し」だ。
現実に対する不安や恐れを少しでも取り除きたい。
何が起こるか知らないより、たとえ悪いことであっても、少しでも知っていれば、覚悟や対策が考えられる。そう思うことで安心ができる。

そうした人間の欲求がある限り、占いは無くならない。
何があっても神様の思し召しと、身をゆだねる宗教に対し、自分で何とかしようと思う、ある意味では宗教よりも積極的な生き方であり、また、ある意味では救いのない生き方でもある。

そしてまた、その心理につけ込んで、人を支配しようと思ったり、金を巻き上げてやろうと考える「悪魔」が何時の時代にもいる。
だから、悪魔の手に落ちないように救おうとする神がいるのだが、その神も、悪魔の化身かもしれないのだ。

占いを行う者は、こうした認識のもとに、誠実であるべきだ。
占い師は神でも悪魔でもない。指導者でもサービス業でもない。

占いの論理が本当かウソか、当たるか当たらないかは解らない。
しかし、求める人に少しでも良かれと、その知識と知恵を駆使し、求められているものに答えようとする。それしかない。
自己顕示や荒稼ぎのために占いをすべきではない。

だから、
求められてもいないのに、目の前の人を占わない。
残酷な運命を、何の救いもなく語らない。
人気取りのために、相手の喜ぶ話ばかりしない。

たとえ、恨まれるようなことがあっても
「あなたに幸あれ」が、究極の目的でなければならない。

そう思っている