魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

不満が生む不幸

2008年10月31日 | 占いばなし

占いで「良いことが起こります」とか「良いことがありましたね」と言うと、たいていの人が「何にもありません」と言う。
ところが、悪いことに関しては、「あったあった」と、たいていの人が同意する。

運の波が来ても、幸運をつかめる人とつかめない人がいる。
逆に、凶運が来ても、上手に避ける人がいる。
だから、必ずしも同じ結果にはならないが、幸、不幸の神様は、必ずノックをしている。
それをつかまえるか逃すかは、才能しだいだ。
(それも運のうちだが)

同生年月日の同時刻生まれでも、同じ結果にはならない。
しかし、「同じ意味」にはなっている。
たとえば、一方が総理大臣になったとき、片方は町内会長になるといった具合に、ある側面で一致する。
つまり、同じ運命の波でも、使い方で大きさが違うと言うことだ。
占いを知って得するとすれば、この点だろうか。

生時が同じ人は数多いる。
スケールを変えるのはDNAなどの資質だろうが、それでも占いを知れば多少は変えられる。

「幸、不幸」の話にもどそう
人間は幸運には鈍感で、不幸には敏感だ。
良いことは当然で、悪いことは不当だと思う。

バブル崩壊で、株価も物価も低迷している時、役人の友人が
「給料が下がるからやっていけない」とぼやいていたので、思わず
「株価は1/4で、世間はリストラの嵐が吹いているのに、何を悠長なことを言ってるんだ」と、思わず甲高い声になった。

官僚から木っ端役人に至るまで、役人根性とはそんなものだ。
官僚の天下り論を聞いていると、どんな嵐でも自分の船は不沈艦で当然だと思っている。
破綻状態の大阪府でも、知事に噛みつく役人の論理は同じだ。
自分たちは当然だと思って堂々と述べているが、それが非常識であることすら気づいていない。

役人は典型的だが、国という大きな組織の中にいる国民も、実は大差ない。
幸福は保障されるのが当然だと思い、少しでも不都合が起きれば大騒ぎをする。
この国民心理をとらえて食い物にするのがマスコミだから、希望的なことより、悲観的なことばかりを騒ぎたてる。

当然、その方が反応が大きいからだが、それにつられて騒いでいると、
トンビや漁師に、ごっそりやられる