魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

PTSD

2008年10月29日 | 日記・エッセイ・コラム

リーマンショックで、日本の株価は実体経済に比べて落ち過ぎだ。
マスコミが煽り立てるのは常のことだが、
インチキ経済の張本人のアメリカより下落率がひどいそうだ。

リーマンショックから一月もたたないうちに、世間はすっかり、実体経済がダメッジを受けてしまったかのようなムードが漂っている。
マスコミが「ああなるゾ、こうなるゾ」と先走っても、日本以外では、いまだ半信半疑でいるにもかかわらず・・・

日本中が緊縮生活に突入した。高級品が売れず、タクシーは空車ばかり。
確かに、今年はみるみる物価が上がり、景気減速が目立ち始めてはいたが、そこにリーマンがきたから、と言っても激しすぎる。

他の国に比べ、日本だけが過激な反応をするのは、
日本人には「バブル崩壊のPTSD」が根深いからだろう。

羮に懲りて膾を吹く
何ごとも水に流して、喉元過ぎれば熱さを忘れる日本人でも、失われた十年は、よほどショックがきつかったのだろう。

日本文化はA型だ。事態の詳細より感情が残る。
事態の詳細を見極めるより「おおコワッ」と穴に逃げ込む。
敗戦のショックは60年余の今日でも、お祈り平和主義のままだ。

そうかと思えば、落語の「岸柳島」ではないが、企業は流れる川で落とした悔しいチャンスを拾いに行こうとする。
柳の下にドジョウはいない。
経済の川は常に流れているし、ビジネスチャンスも同じところにはいない。日本企業は現実を見極めているのだろうか。

かと言って、経済に科学が通じるかと言えば、うまくいくはずの経済が、幾度となく破綻する。資本主義も共産主義も変わらない。

行く河の流れは絶えずしてまたもとの水にあらず
河とは何かを理解するには、水を分析する経済科学より、流れを俯瞰する占いの方が、よほど確かに形が見えるかもしれない。