魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

兄弟関係 補足 1

2006年12月18日 | 兄弟関係

兄弟関係については、類型化の基本型は実際には存在しないことを念頭に、あくまで一要因として参考にしてもらえたらと思う。
また、「人格に至るプロセスや思考の原理」といった考察は長子には理解しやすいが、末っ子にはあまり意味のない話しだ。

長子が方法論や原理という武器を持って荒野に旅立つ時、末っ子や中間児はローマへと続く道を、何に乗って行くのが早いか考えている。つまり、生まれた世界が違えば人生観も違う。
長子にとって人生は、地雷原を確認しながら進むものだが、下の子にとって人生はガンバルものだ。長子にとってのライフワークは責任遂行と、好きなことの追求だが、下の子にとってはチャレンジであり、生存競争、勝ち残りの追求だ。人生は勝負なのだ。
しかし、長子は根が一人っ子で勝ち負けが苦手だから、下からの突き上げからは逃れたい。長子が下と争う場合は「立場を守る」ためだが、下からは権利を守ろうとしているとしか思えない。(立場は名誉。権利は利得)

また、荒野の長子が、想定外の嵐や雷を受け入れる心の準備があるのに対し、高速道路を走る下の子には心の準備はない。陥没穴に落ちて事故にあったらその責任追及をする。「責任者出てこい!」

そう言うわけで、兄弟関係がどうのこうのという話自体
末っ子にとっては「それはどう役に立つんだ」という問題であり、中間児にとっては「それは自分に都合が良いのか悪いのか」と言う問題だ。
つまり、長子にとっての考える資料は、下の子にとっては使えるかどうかというチョイスの対象だ。
ちなみに、すべてが既成の社会に育った世代は、下の子のチョイスと長子の遠慮を併せ持っているように見える。

ところで、長子がスターになると、後で下の子がデビューすることは良くあるが、その逆は少ない。仮に出てきても大抵は長子本人の意志ではない。こういうことも、長子がマイペースなのに対し、下の子は上への負けん気が強いことを表している。

ある二人姉妹の妹が、「姉は私のやっていたことを後からマネしてやり始めた」と言っていた。これなどまさに意識の違いで、長子は常にマネされて来ているからこういうとらえ方をしない。たまたま妹のやっていることに興味を持っただけなのだろうし、まさか妹がそう思っているとは考えてもいないだろう。
それと、良くあることなのでもう一つ穿って考えると、実は当初、姉が始めて中断していたのを妹がその専門家になり、後で姉がもう一度始めたというケースだ。そもそも下の子には先人がいたという意識はない。先人とは当たり前の環境だからだ。
似たようなケースでは、親の商売を発展させた下の子が「一人で築き上げた」と言うことなども良く見かける。