昨日の母は、なんだか元気だった(汗)。
ベッドに寝ていたが、滑舌よく喋る喋る(大汗)。
歯が全部自前なので、咀嚼にも発語にも母は全く問題がないのだった。
母「ま~、あんた久しぶりやね!」
私「先週も来てんけど、そんときお母さん昼寝中やったからな」
母「ほうかいね。道理で。私も御蔭様でこないして90になって、
もうトシに不足は無いねんけど、
ほいでも明日でもう死んでもええですか言われたら、
それはやっぱりちょっとまだ待って貰いたいと思うねん」
私「そらそうや。生きとる者の本能て、そういうもんや」
母「せやろ。はや90やから、あと5年くらいかなとは思うねんけど」
私「(いや既に今が95やで(^_^;。もう、しまいでええんかい(^_^;)」
母「御蔭様で大きな病気もせんと、こないして90まで生かしてもろて、
そらもう、有り難いことやと思うてんねんけど、
そいでもこないして生きとったら、あんたにも会えるし、
あんたや、身近な人等と、いつまでも会うていたいと思うし、
最後は死んで焼かれんなん訳やけど、焼かれるときも皆で一緒がええと思うし」
私「なんやそれ。なんぼなんでも、一緒に焼かれたら困るやろ。
お母さんが焼かれるときは私が生きとらな、
私が焼かれるときは、みーちゃんが生きとらな、
皆いっぺんにおらへんよんなったら、後始末どないすんねん」
母「そうやったね(笑)。順番でないと困るか(笑)」
あの世に全員道連れにしようというホラーな母であった(^_^;。
ちなみに、『あんたや、身近な人等』と言いつつ、
母の話の中では一貫して、父への言及が全く無かった。
どういう設定なのか、相変わらずわからなかったが、
私を除くと、母の言う『身近な人等』が誰であるかそもそも不明であった。
私は話題に困り、例によってスマホにある娘の愛犬の写真を見せた。
既に何十回も見せているのだが、母には日々新たなのであった。
母「これは?いぬ?」
私「ほうや。みーちゃんの、犬」
母「みーちゃん、犬飼うてんのかいね。大きな犬やね」(←そうでもない)
私「可愛いやろ」
母「ああ、ええ子、ええ子や。何という種類の犬?」
私「柴犬や」
母「え?」(←耳が遠い)
私「し・ば・い・ぬ」
母「え?」
私「し!ば!」
母「い、ば?」
私「……(^_^;」
母「ま、なんでもええわ、こういうもんがおったら、毎日が楽しいわいねえ。
うちにもよう猫が長いことおったけど、こういう、『いば』たら言うもんでも
一匹おったら、そら毎日が楽しいわいねえ。
動物いうもんな、ちゃんと人間のことよう見とって、仲良う暮らせるし
大昔からそういうことがわかっとぉから、世の中の人は皆、ペットを飼うんやね」
喋りながら母は咽せて、けほ、けほ、と咳をした。
興奮してまた誤嚥性肺炎が始まるのではないかと私は心配になった。
そのあともしばらくとりとめのない話をしたが、
あまり疲れさせてもいけないかと思い、適当なところで私は帰ることにした。
私「ほんなら、そろそろ帰るわ。また来る」
母「あんた、今どこに住んどぉん?」
私「どこ、って。中区の、マンションや」
母「え?」
私「まあ、そんなに遠くでもないわ」
母「誰と住んどん?」(←同棲かよ(^_^;)
私「そら私かて結婚しとんねやから、夫と二人で住んどぉねん」
母「さよか(笑)」
父もよく「あんたの家はどこね」「子供はどうしよるん」等と尋ねたものだったが、
このあたりの設定は、どうしても老親の頭の中で定着しないものらしかった。
母(自称90歳)は、そういうことで、本人比において元気で活力があった。
話は微妙におかしかったし、耳も遠かったが、
私が誰であるかは認識しており、現状についても不満は無さそうだった。
私を焼き場まで連れて行きたいと願っているらしいこともわかった。
昔から根本のところでイマイチ子離れできていない人ではあったが、
娘が還暦を迎えようとしているのに、まだこういうことを言うかと感心した。
何が『娘』や、既にええ加減、私がババアやがな(^_^;。
私自身は自分の娘については、もはや手放した感じになって久しいのだが、
母は私とはかなり性格が異なるということを、改めて感じた。
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