転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



きょうの母は、あまり喋らなかった。
私が某サ高住の母の居住フロアに到着したとき、
母は昼食を終えて食堂から部屋に戻ってきたところで、
スタッフさんの助けを借りて、車椅子からベッドに移ろうとしていたが、
その時点から、聞こえていたのはスタッフさんの声だけだった。

部屋に入るときも、私はちゃんと挨拶したのだが、
答えてくださったのはスタッフさんだけで、母には黙殺された(^_^;。
「ご飯はよくお上がりになったんですが、おかずがあまりお口に合わなくて」
「お野菜などは、なかなか進みませんでしたね。ちょっと固かったですかね」
「皆さんそれぞれ、お好みでないものもありますよね」
等々と、スタッフさんが私に話してくださっていると、
母は無表情に、しかしはっきりと、
「魚は、嫌い」
と言った。続けて、
「お肉は、好き」
「そうでしたね。お肉の献立が多くなくて、ごめんなさいね。
あとは、デザートに羊羹お出ししたら、それは喜んでくださいましたね」
「甘いものは、好き」

それなら今度来るときには、水ようかんとかプリンとか、
日持ちのしそうな甘いものを買って来よう。
私がそう言ったら、スタッフさんが、
「良かったですね~(^^)!」
と母に言ってくださったが、母は無言だった。
少し前に私の差し入れた一口羊羹の箱が冷蔵庫の上にあり、
見るとあと3個残っていたが、これだとすぐに食べ終わってしまうだろう。
さっそく買ってこなければ……。

スタッフさんが出て行かれると、母は静かに側臥位になっていた。
私のいる側に背中を向けており、
私が居ることに気付いているのかいないのか不明だったので、
近づいて、肩をぽんぽんして、一瞬マスクを外して顔を見せて
「わたし」
と言ったら、
「ああ(^^)」
とすぐ笑顔になったが、特に挨拶やコメントは、なかった。

「今度来るとき、ほんなら、何かお菓子、持って来るね」
「甘いものは、好き」
「うんうん。わかった。柔らかいものがええね」
「――――」
「プリンが、ええかい?」
「――――」
「羊羹あと3個やんな。そろそろ暑ぅなるし、水ようかんにしよか」
「――――」
「ヨーグルトは、あんまり食べへんかな」
「――――」

そこからは何を話しかけても返答は無かった。
私は話の接ぎ穂がなくなり、母が気に入っているぬいぐるみの猫を見せて
「ほら、猫。ええ子やな」
と言ったら、母は微笑んで、
「猫は、好き」
「そうやな。うちにも、ずっと猫、おったなあ」
「――――」
「ミーコちゃんとか、チー子とか」
「――――」

またしても黙殺であった(汗)。
母がきょう言ったのは、~~が好き、~~が嫌い、だけであった。
スペイン語の、Me gusta/gustan~、No me gusta/gustan~構文だけ(爆)。

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昨日は舅宅の片付けに、主人と二人で行った。
よく片付いた家だったので、これで、あらかた作業は終わった。

20年あまり前、姑の体が不自由になってきた頃に、
舅は自力で、自宅の大整理を成し遂げていた。
姑はその頃既に判断力も心許なく、周囲にすべてを任せきりだったので、
家の整頓についても、万事、舅の主導で行われた。
「えっと(=たくさん)買うとってんじゃけ。
女子(おなご)のもんばっかりよ(^_^;」
と苦笑しつつ、舅は古い衣類を適宜まとめては、定期的に資源ゴミに出し、
着られるものは舅用・姑用に分けて洋服ダンスに吊し、
肌着や靴下ストッキングなどは品目ごとに分類しフィッツケースに入れ、
要らない家具は庭で自分で解体して可燃ゴミに出したりして、
数ヶ月をかけて、家の中をタイトに片付けた。
当時、訪ねるたびに舅宅が綺麗になっていて、感心したものだった。

御蔭で、私達は今回、引き出しを開けるだけで、
「ここには何と何が入っているのだな」
とわかり、作業が大変やりやすかった。
実家の広大な田舎家とは違い、舅宅は洗練された建売住宅で、
二階建て4LDK、それと裏庭に小さい倉庫が2つ。
倉庫のほうには、余分な食器や花瓶、椅子程度の小さい家具、
古くなった家電、などが入っていた。
舅がいかに合理的で有能な人であったかを、改めて感じた。
じーちゃん、ありがとうございました(T_T)。

4月30日に一階と倉庫を、昨日5月3日に二階を点検し、
昔のアルバムなど捨てるに忍びないものだけ選り分け、
新品の肌着でサイズ的に使えそうなものに限り持ち帰ることにして、
我々の作業はアっという間に終わった。
食器だとか寝具だとか、「まだ使えそう」という理由で残していると、
せっかく綺麗にした我が家の自宅マンションが崩壊するので、
今要らないものは全部、潔く捨てるということで、
ころもん氏も私も迷いは無かった。

舅から主人が相続した南区の小さな店舗用土地もあったのだが、
そちらは昨年末から既に売却の話が進んでいるし、
併せて、同じ業者さんに任せ佐伯区の舅宅も処分が決まりそうなので、
主人の側はこの半年ほどで急にテンポの良い展開となり、
このほど、「親の家」問題がほぼ終結するところまで来た。
娘を煩わせないためにも、大変好ましいことであった。

やはり、残るは、うちの実家オバケ屋敷だけだよ……(汗)。

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昨日の母は、なんだか元気だった(汗)。
ベッドに寝ていたが、滑舌よく喋る喋る(大汗)。
歯が全部自前なので、咀嚼にも発語にも母は全く問題がないのだった。

母「ま~、あんた久しぶりやね!」
私「先週も来てんけど、そんときお母さん昼寝中やったからな」
母「ほうかいね。道理で。私も御蔭様でこないして90になって、
 もうトシに不足は無いねんけど、
 ほいでも明日でもう死んでもええですか言われたら、
 それはやっぱりちょっとまだ待って貰いたいと思うねん」
私「そらそうや。生きとる者の本能て、そういうもんや」
母「せやろ。はや90やから、あと5年くらいかなとは思うねんけど」
私「(いや既に今が95やで(^_^;。もう、しまいでええんかい(^_^;)」

母「御蔭様で大きな病気もせんと、こないして90まで生かしてもろて、
 そらもう、有り難いことやと思うてんねんけど、
 そいでもこないして生きとったら、あんたにも会えるし、
 あんたや、身近な人等と、いつまでも会うていたいと思うし、
 最後は死んで焼かれんなん訳やけど、焼かれるときも皆で一緒がええと思うし」
私「なんやそれ。なんぼなんでも、一緒に焼かれたら困るやろ。
 お母さんが焼かれるときは私が生きとらな、
 私が焼かれるときは、みーちゃんが生きとらな、
 皆いっぺんにおらへんよんなったら、後始末どないすんねん」
母「そうやったね(笑)。順番でないと困るか(笑)」

あの世に全員道連れにしようというホラーな母であった(^_^;。
ちなみに、『あんたや、身近な人等』と言いつつ、
母の話の中では一貫して、父への言及が全く無かった。
どういう設定なのか、相変わらずわからなかったが、
私を除くと、母の言う『身近な人等』が誰であるかそもそも不明であった。

私は話題に困り、例によってスマホにある娘の愛犬の写真を見せた。
既に何十回も見せているのだが、母には日々新たなのであった。

母「これは?いぬ?」
私「ほうや。みーちゃんの、犬」
母「みーちゃん、犬飼うてんのかいね。大きな犬やね」(←そうでもない)
私「可愛いやろ」
母「ああ、ええ子、ええ子や。何という種類の犬?」
私「柴犬や」
母「え?」(←耳が遠い)
私「し・ば・い・ぬ」
母「え?」
私「し!ば!」
母「い、ば?」
私「……(^_^;」
母「ま、なんでもええわ、こういうもんがおったら、毎日が楽しいわいねえ。
 うちにもよう猫が長いことおったけど、こういう、『いば』たら言うもんでも
 一匹おったら、そら毎日が楽しいわいねえ。
 動物いうもんな、ちゃんと人間のことよう見とって、仲良う暮らせるし
 大昔からそういうことがわかっとぉから、世の中の人は皆、ペットを飼うんやね」

喋りながら母は咽せて、けほ、けほ、と咳をした。
興奮してまた誤嚥性肺炎が始まるのではないかと私は心配になった。
そのあともしばらくとりとめのない話をしたが、
あまり疲れさせてもいけないかと思い、適当なところで私は帰ることにした。

私「ほんなら、そろそろ帰るわ。また来る」
母「あんた、今どこに住んどぉん?」
私「どこ、って。中区の、マンションや」
母「え?」
私「まあ、そんなに遠くでもないわ」
母「誰と住んどん?」(←同棲かよ(^_^;)
私「そら私かて結婚しとんねやから、夫と二人で住んどぉねん」
母「さよか(笑)」

父もよく「あんたの家はどこね」「子供はどうしよるん」等と尋ねたものだったが、
このあたりの設定は、どうしても老親の頭の中で定着しないものらしかった。

母(自称90歳)は、そういうことで、本人比において元気で活力があった。
話は微妙におかしかったし、耳も遠かったが、
私が誰であるかは認識しており、現状についても不満は無さそうだった。
私を焼き場まで連れて行きたいと願っているらしいこともわかった。
昔から根本のところでイマイチ子離れできていない人ではあったが、
娘が還暦を迎えようとしているのに、まだこういうことを言うかと感心した。
何が『娘』や、既にええ加減、私がババアやがな(^_^;。
私自身は自分の娘については、もはや手放した感じになって久しいのだが、
母は私とはかなり性格が異なるということを、改めて感じた。

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大型連休には花を飾ろう!
という習慣が、私には前々からあったのだが、
今や、コロナ禍以降、私はいつでも花を買っているのと、
そもそも「大型連休」でも私自身は特に休みではないのとで、
完全に形骸化し、特別な意味はなくなっている(笑)。
しかし世間がゴールデンウィークとしてなんとなく華やいでいるので、
私も気分だけはそこそこ、明るく自由な感じになって、
きょうは、オレンジの薔薇を買ってきた。

折しも、昨日までの雨が嘘のように、今朝から青空が綺麗だ。
起きたとき、転夫ころもん氏が、
アサーーー!!
と言っていて、笑った。
全国的に、アサーーー!!(笑)
これがわかるのは、もはや昭和30年代生まれの証か。
エアコンも要らず、衣類も軽くなってきて、日も長くなり、
活動的な、一年でいちばん良い季節が巡ってきた。

……ということで、この連休(←主として転夫ころもん氏の)の計画は、
佐伯区の舅宅を片付けることである。
互いの親の家を始末することに、我々はいよいよ着手するのであった。
うちの実家は、とっくに断捨離を開始していながらまだまだ先が長いが、
舅宅のほうは、もともと舅本人によってかなり整頓されていたので、
おそらく今回の休みでカタがつく筈だ。
ころもん氏によれば、舅宅は売却する予定だそうだ。

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