転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



7月8日夜、歌舞伎座ギャラリーにて、
尾上松緑トークショー『紀尾井町夜話 第三夜』が行われた。
6月30日にチケットが発売されたとき、3分くらいで完売したのだが、
私はチケットWeb松竹に10時ジャストに入り、からくも手に入れることができた。
これの『第一夜』のときは、旅行先の釧路空港からアクセスしたが、
繋がった途端に目の前で画面が「完売」になった記憶があり、
今回は、ちょっと気合いを入れて臨んだのだった。

しかし、首尾良くチケットを手に入れて喜んだのも束の間、
7月6日夜からの西日本豪雨で、広島・岡山そのほかの地域が大変なことになり、
幸いにも我が家の界隈は直接の被害には遭わなかったものの、
JR在来線も新幹線も飛行機もバスも何もかもが軒並み運休になってしまい、
「このままでは出発できないかも」と悶々とすることになった。
チケットは当日、歌舞伎座の発券機で受け取るようにしてあったので、
出発できても期限内(開演時間まで)に出せないという事態も心配だった。
それで、思いあまって7日夕方、松竹歌舞伎会に電話をかけ、
「当日、現地に遅れて辿り着いた場合、チケット引き取りができないが、
開演後でも入れて貰える方法がありますか」
と尋ねてみたところ、先方は私の事情を聞いて下さり、
氏名や会員番号、購入番号等を申し出ることにより、
当日遅刻した場合、会場受付のところで上記番号等を確認することで入場可能、
との便宜を図って下さることになった。
なんでも言ってみるもんだ。ありがとうございました(T_T)。

すると、天の神様は私をお見捨てにならなかったようで、
7日の夜中から新幹線のみ動き始め、8日朝には一応、通常ダイヤに戻った。
それでも在来線は依然として運転見合わせのままだったし、
JR広島駅は大混乱で、みどりの窓口も自動券売機も、
列の最後尾がコンコースからはみ出して外に出るほど、人が並んでいたが、
とにもかくにも、私は自分の乗車券と指定席特急券を手に入れることが叶い、
8日昼前の新幹線で、東京に向かうことができたのだった。
この非常時に何やってるんだ自分、とも思ったが、
私が家で自粛して泣いていたところで、何の役にも立たない、
と思い直して、道楽の神様の仰せのまま、出かけた。
心配した遅延もほぼなく、余裕で東京に到着し、定宿にチェックインし、
……これがまた年間最安値の5000円余りの宿泊費であった(^_^;。
結果オーライ。

***************

さて、トークショーの松緑は、ひげ面に赤いフレームのメガネ、
髑髏のアクセに指輪・ブレスじゃらじゃら状態で、服は柄on柄、
知らない人には到底、歌舞伎役者には見えないだろうという出で立ちで登場した(笑)。
金屏風を背に、中央に尾上松緑、向かって右側に山崎咲十郎、左に司会の戸部和久氏。
以下、記憶にある話題のうちのいくつかを記録しておく。順不同。
(記憶のみを辿っての再現ですので、内容に関して誤解等ありました場合も含め、
文責はすべて「転妻よしこ」にありますことをお断りしておきます<(_ _)>。)

・12月の歌舞伎座「蘭平」で、松緑が立ち回りの最中にセットから転落する事故があった。
立ち上がって舞台は続行したのだが、終わってお弟子さんらが楽屋に駆けつけたとき、
既に中には松竹の人達が集まって「大丈夫ですか!」と口々に言っており、
それに対して松緑は外まで聞こえる大声で、
「大丈夫じゃなかったら、明日から誰か、かわってくれるのかよ!!!」
と怒鳴っていたそうだ。夜話司会の松竹の戸部さんが、
「ではああいうとき、どのように言いましたらよろしいのでしょうか(^_^;?」
と尋ねると、松緑は急に、テヘっという感じで笑って、
「……『明日も頑張ってね』?」。

・踊りも立ち回りも体を酷使するので、脚も腰も痛くなる。
サポーターをつけて出来たらどんなに良いだろうと思うが、
体を見せることが多いので、湿布も何も貼れない、貼るべきでないと感じるそうだ。
松緑の母上が相撲をご覧になっていてテーピングの多い力士が出てくると
「粋じゃないわね」と仰るそうで、やはり舞台に立ったら、
素肌で演る・痛いところなど見せられない、と松緑は思うそうだ。

・平成28年正月は、松緑は歌舞伎座で「茨木」に出ていて、
菊五郎劇団は国立劇場で「小狐礼三」をやっていた。
息子の左近が両方を観たと言うので、
「お前だったら、どっちやりたい?」と訊いたら「小狐礼三」と言いやがった。
「あーそーですか!勝手にやっとけ」。(笑)
この発言により、1月20日の左近の誕生日プレゼントは、無しに(笑)。

・松緑は、「蘭平」をやるには咲十郎と組むのでなければ嫌だ、と。
「俺が蘭平なら、棒はサク」が条件で、松竹にもそう明言したとのこと。
しかし「蘭平」で次の世代を育てなくてはという思いもあり、
あまり自分の色がつくのは良くないと考えてもいる。
坂東巳之助は絶対やる人だと松緑は思っており、巳之助の蘭平が楽しみ、と。
自分に咲十郎ややゑ亮たちがいてくれたように、
巳之助のカンパニーが将来大きく育ち、実っていくよう支えたい。
「左近さんにいずれ譲るのでは」との戸部さんの発言に、
「左近…(笑)?…やだ」と松緑は照れ笑いともなんとも言えない表情。

・蘭平はまたやるかどうかわからないが、丸橋忠弥は是非やりたい、とのこと。

・松緑は、咲十郎との殺陣なら息が合っていて、
目を見ただけで、小さな動きまで次の瞬間どうするのかわかる。
咲十郎もまた、松緑の一瞬の呼吸を読んで、
「今日は、こっちか!」と反応することができる、と。
殺陣の面々の稽古が始まると最初から松緑は稽古場に見に行く。
各々の顔を見て、どう来るかどう動くかを覚えるためだそう。
ただ、音二郎だけは、彼が来るとどういう訳か
「必ず何かが、わからなくなる」という特徴があるそうで実に不思議な存在。
「だから彼には居てほしい」とも(笑)。

・咲十郎によると、松緑は殺陣を覚えるのがめちゃくちゃ早い。
百何十手あっても三日で頭と体に入る。
咲十郎から見て「若旦那は、やたらと跳ねるのが欠点」(笑)。
「こいつだけだよ、こんな、欠点を言ってくれるヤツ」と松緑。

・4月は真山青果の西郷を演ったし、6月の宵宮雨も台詞の応酬で喋りまくり。
咲十郎によると、4月に西郷を演っていたとき、松緑はとても機嫌が悪く、
いつもなら「おはようございます!」「おはようっ!」と返してくれるのに、
四月は「……おぅ…」と朝から暗くて困ったそうだ。

・松緑は実は西郷隆盛はあまり好みではないそう。
維新の重要な存在だったことに異論はないが、
美学として、散り際の見事な人がいい。桐野利秋が好き、と。

・今の歌舞伎座の照明は明る過ぎる、
という意見が上の世代の役者さんから出ることがある。
初演時にはもっと暗い舞台を想定していたのだろう、と松緑が感じる芝居もある。
羽左衛門の化粧は、当時の松緑から見て「どうもちょっと茶色」くて、
「もっと白くてもいいのでは」と思うことが多かったが、
それも恐らく、昔の歌舞伎座の照明に合う塗り方だったのだろう、とのこと。

・松緑は、やはり「古典」が好き。落語も聞くが「古典落語がいい」。
寄席によく行く。六月の歌舞伎の『巷談宵宮雨』は宇野信夫の芝居で、
「巷の話」のほうの「こうだん」であり、講談作品からの翻案ではないのだが、
逆輸入で講談でやったら良いのではないかと感じるそう。松之丞さんが好き。

・9月の秀山祭の玉三郎の幽玄の立師は咲十郎が務めることになっている。
そのため、咲十郎はこれから鼓童の本拠地、佐渡に行く予定。

・最後に、「このあとは、新橋の中華屋さんで打ち上げする」と。
「新十郎にもメールしたのに返事がない。俺、ガラケーなんで。LINEじゃ無いんで」と。
咲十郎が「じゃ、このあと電話してみましょう」。
松緑は客席に向かい、「店見つけた人は、来ていいよ」。

***************

開演前に会場では、咲十郎撮影の『蘭平物狂』の立ち回りの映像が流され、
トークショーの最後に、司会の戸部さんが、
「あの映像は可能なら今後、なんらかのかたちで一般に公開できるようにしたい」
と発言、会場、拍手。
肖像権等の問題も、松緑は「俺は全然いいよ」とのことで快諾。
私は生の舞台が一番好きではあるが、松緑の映像作品ができることも歓迎する。
咲十郎の作品とあっては、尚更だ。期待しよう(^^)。

……ということで、無事に『紀尾井町夜話 第三夜』を聞くことができた。
会場は客席もアルコールあり、おかわりも自由で、
あらしちゃん達の飲み屋トークを生で聴かせて戴いているという雰囲気だった。
松緑の、咲十郎への篤い信頼を、言葉の端々にひしひしと感じた。
客席の我々は、各自、質問用紙に訊きたいことを書くことができたのだが、
私は、割と平凡なことを書いてしまい、今になって、
研修発表会『すし屋』のことを書けば良かったかも、と少々後悔している。
咲十郎が権太を演ったあの舞台を私は観ているのに、
あのときの稽古や、咲十郎の思い、松緑の関わり方など、
尋ねてみなかったのは失敗だった。
『紀尾井町夜話』は好評で、不定期だがシリーズ化される予定、
ということなので、またの機会があればと願っている。
本当に、行けて良かった(^_^;。

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西日本豪雨の報道で、ご心配くださった皆様ありがとうございます。
お陰様で、我が家の周囲は通常どおりの生活ができています。
旧市街地にあたる広島市の中心部には、幸いにも
これまでのところ、大きな変化は起こっていません。

お気遣いに、心より御礼を申し上げます。
取り急ぎ、御報告までに。

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夕べは母がまた暗い声で電話をしてきて、
きょうも洗濯ネットが無いのか?ホームに来たのが間違いだった話か?
と身構えていたら、新手で、
「じーちゃんが、菓子パンばかり食べていて、御飯を残す」
と延々、愚痴り始め、閉口した(殴)。

そもそも父は大変にパンが好きで、若い頃からよく、
オヤツにあんパンやクリームパンを食べており、母はいつも、
「お酒飲まへん人やから、甘いもん食べるのは、ええやろ」
と言って、菓子パンを欠かさないように買っていたものだった。
それに倣い、ここ数年は私もまた、実家にパンの差し入れをしていた。
父は、トシとともに自制心がなくなり、テレビを観ながらパンを食べて、
夕食の頃には全く空腹でなくなっている、ということも、
家に居る頃から時々あるようになっていたが、
私自身は、父はもう90歳にもなるのだから、基本的に、
そのとき一番食べたいものを食べれば良いのではないか、と考えていた。
糖尿病の主治医からも、きちんと服薬すれば、食事制限はしなくて良い、
と、以前から許して貰っている。
治療食のほうが良いには決まっているが、年齢が年齢なのでもう良かろう、と。

それで、ホームに入ってからも、5月と6月に1回ずつ、
日保ちのする菓子パンのセットを私が送っていたのだが、
母によると、それが届くと父はあるだけどんどん食べてしまい、
パンのある間は夕食を大半、残すのだそうだ。
そしてパンがなくなると、多少は夕食をきちんと食べるようになるらしい。
母は、そういう父の食生活を見ているのが我慢できず、
「ここは共同生活なんやから、皆で食事をするとき、大半残したりしたら、
この人、陰でひとりで何を食べとるのかとみんなに思われるやないの。
皆かて食べたいやろうに、そんなにパン食べとるてわかったら、
みんな羨ましがるやないの。私が恥ずかしい」
と、後半謎理屈で、父の菓子パンを許せないと語った(汗)。

 食堂で、父が食事の大半を残す
  ↓
 周囲の入居者さんたちがそれを見ていて、
 「この人が食事を残すのは陰で菓子パンを食べているからだ」
 と気がつく
  ↓
 周囲の人達から、
 「私たちだって菓子パンが食べたいのに、羨ましい」
 「奥さんがついていながら、なぜこのように勝手なことをさせるのか」
 と思われて、私(母)が恥ずかしい。

というのが母の頭の中の設定なのだが、
もうマトモに聞いていられない話ではないか(^_^;。
母がこういう方向の認知症になるとはねぇ。
確認したのだが、母自身は菓子パンが食べたいわけではないそうだ。
えてして『みんな』=実は『自分』のことだったりするものだが、
母に言わせると、「私は菓子パンなんか要らへん」とのことだった。
ほんまかいな(^_^;。
「私は、毎回できるだけ出されたものは全部食べるようにしている」
と母は何度も言い、それ自体は大変立派なことなのでそれでいいと思うのだが、
それにひきかえ父が目の前で、食べたいものしか食べず食事を残す、
という事態が、母は気に入らないと言った。
私のように残さず食べるべきだ、みんなだって見ている、と。

「ほんなら、菓子パンはおばあちゃんが管理して、
食後におやつとしておじいちゃんに一個ずつ渡したら、どうやねん」
と私は提案してみたが、
「私が管理せんなんようになるのは、負担や」
と言って、母は拒否した。
自分は娘に愚痴る以外に手を下さないでおいて、
頭の中で思い描いている通りの食生活を、夫にさせたい、
と訴えられても、それはちょっと、叶わぬことではないかねぇ(^_^;?

母を説得するのは無理なので、
「では今後は私は菓子パンを送らない」
ということで昨日は一応まとめたのだが、
しかし、無趣味な暇老人(爆)である父が、
唯一と言って良いほど積極的に好んでいる菓子パンを、
母の心理的な満足のために、今後は食べさせてやらない、
……というのも、なんだか理不尽な感じがする(汗)。
私がホームを尋ねたとき、母に隠れてちょっとずつ渡してやれば良いか。
ホームには売店もあるし、父は小遣いを持っているので、
甘い物が欲しくなれば、自分で買いに行くというのは可能ではあるが…。

母は精神科を受診したほうが良いと私は感じている。
メンタルがおかしい、というのはここ数年感じていたが、
ホームに入って生活が変わったこともきっかけになったのか、
最近の精神状態はかなり悪くなっていると思う。
もともとマイ・ルールを多く持っている人ではあったのだが、
今は理不尽なものも含めて、自ら、がんじがらめになっている。
本人だって、始終、悶々としているのは愉快でないだろう、
と思うが、そこはまた微妙で、私の観察では母は、
「傷ついているのに頑張っている自分」をアピールすることに、
ある種のやり甲斐を見いだしているように思われるときもある。
母は、服薬等で気分がおさまり問題が減ることを
潜在意識の中では望んでいないかもしれない。

何にしても加齢が理由なのだから、「なおる」というものではないだろうが、
もうちょっと穏やかになり、口数が減ってくれないものか(殴)。
可笑しな方向にぶっ飛ぶのなら結構なのだが(例:転姑ばーちゃん)、
母は性格のネガティブな面が、いっそうはっきりしてきているので、
話の大半が、聴く者の気力を削ぐ愚痴愚痴とした内容で、
しかも母の中では極めて筋の通った話として固定されているため、
どのような解決策も受け入れず、始末に負えない。

おばーちゃんはこんなに立派なのに、おじーちゃんはいけませんねぇ、
とでも言ってあげれば満足なのかな。
しかし、接客の現場でもないのに、おべんちゃらみたいな返答を、
タダで続けるのも腹立たしい話ではないか(逃)。
私だって理性でなんとかしようとしてはいるが、イライラが溜まるのだ。
最近は、着信で母の番号が表示されるだけで、電話に出る前からウンザリしている。
それでも、電話とホーム訪問以外の時間は相手をしなくて良いのだから、
私はとても恵まれていると思うべきだろう。
こういう手合いと同居していたら、毎日噴火しているところだった(^_^;。

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