goo blog サービス終了のお知らせ 
転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



入試騒動が終わって初めて、今朝はいつもの内科に行った。
ここ数年、血圧の管理・指導をして頂いている循環器内科なのだが、
きょうはついでに、最近感じる右上腹部の鈍痛についても相談した。
それはやはり、胆石が動いているのだろう、とのことだった(汗)。
先生ご自身も胆石をお持ちで、付き合っていらっしゃるとのことで、
私の現状程度の自覚症状なら、様子見で良かろうと仰ったが、
「今度は胆石のご機嫌取りかよ~」とウンザリした私だった。
診察時血圧は130/90で、一応合格だった。

**************

昨夜は、友人某氏に誘われて文楽を観に行った。
@広島アステールプラザ中ホール、
演しものは、解説と演目紹介のあと『二人禿』、
後半が『義経千本桜』より「すしやの段」。

私は自慢じゃないが、目の粗いザルのような頭をしているので、
以前観た話でも、部分的な設定程度しか記憶に残っていないことが大半だ。
実際に見始めると、「そうだった、あの話!」と思い出すことも多いが、
観る前は、過去にかなり繰り返し観た演目でさえも、
目立つ登場人物の設定くらいしか、呼び起こせないことが普通によくある。
「すしや」にしても、これまで歌舞伎で何度も観た筈なのに、
「いがみの権太が本当は良いヒトだった話。最後は切腹?だったか?」、
という程度の記憶で、昨夜は臨んだ(殴)。

(『義経千本桜』については、こちら(Wikipedia)。「すしや」は、その中の三段目後半。)

歌舞伎の普段の上演とは異なり、昨夜のは本当に「すしや」だけで、
前半の小金吾の討死の部分が無かった。
昨夜の話では、そのへんの行きずりの死体的な印象で処理されていたが、
この小金吾も、実はなかなか立派な若侍だった筈で、
決して、権太にブラ下げられた生首というだけの存在ではなかったと思う(汗)。
彼の逸話を言ってみろ、と言われると例によって答えに窮する私だが、
確か、このヒトは健気な侍だった筈なのよ……。 

と、それはともかく、お里があまりに可愛らしいので唸ってしまった。
冒頭、すし屋の看板娘としてお客をあしらう様は可憐で愛らしく、
祝言の直前、婿となる弥助を前に恥じらう姿は清楚で、
彼を覗き込んだり、身を寄せたりする様も、全くいやらしさがなく、
人形浄瑠璃だから表現できる世界がある、
ということを強く感じた。

この弥助が実は平維盛で、内侍という妻や六代という息子もあり、
お里の父親・弥左衛門は、すべてを承知で彼を匿おうとしているのだった。
何も知らぬお里は、祝言の夜、布団をのべ枕をふたつ並べて幸せそうだったが、
弥助は、生き別れになったままの妻子を思って心が晴れず……。
そして、お里が先に寝んだ途端、外には内侍と六代が旅姿で現れるという、
なんとも、文楽や歌舞伎ならではの出来すぎな展開なのだが、
それはそれとして納得させられてしまうところもまた、
生身の人間が演じるより、もう一段階を隔てた虚構の世界にある、
人形浄瑠璃ならではという気がした。

一方、権太は動きが派手で足音も高く、終始、豪快だった。
このあと登場する梶原景時もそうだが、
人間の演じる歌舞伎と異なり、文楽では、存在感のある役柄は、
人形自体がほかより格段に大きいことがよくあって、
権太の手足の長さ、梶原景時のデカさ(笑)は、かなり目立った。
終盤は、権太の真実が明かされる場面が続くのだが、
彼の最期は切腹だと思っていたのは私の勘違いで、
権太が金欲しさに、平維盛を梶原景時に売った、と誤解した弥左衛門が、
怒りと絶望で権太の腹を切りつけたのがきっかけだった。
総領息子に自ら致命傷を与えてしまったあとになって、
弥左衛門は、実は権太が、一世一代の大芝居を打って平維盛を救った、
ということを知るのだが、まあ、こう言ってはナンですが、
この場面がまた、まさに歌舞伎や文楽ならではの真骨頂で、

♪死ぬかと思えば まだまだ喋る 不死身なヒトね~♪

いやもう、たっぷりと堪能させて頂きました、権太の断末魔(汗)。
かなり以前、私は音羽屋の旦那さん(菊五郎)の権太を見た筈なのだが、
すみません、どんな権太だったか、昨日は全然思い出せなくて、
我ながら困りました(逃)。
ちょっとそのうち、歌舞伎でも改めてじっくりと観てみたいなと思った、
昨夜の「すしや」だった。

Trackback ( 0 )



« 準備 フレッシャー... »