転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



「プロレスの神様」カール・ゴッチ氏死去(nikkansports)

カール・ゴッチが、亡くなった。
カール・ゴッチ&ルーテーズが、日本で繰り広げた名勝負を
往年のプロレスファンならば、きっと記憶していることと思う。
例えば、昭和48年、新日本プロレス旗揚げの際に実現した、
「猪木&坂口」対「カール・ゴッチ&ルーテーズ」。
試合の意味を知っていながら猪木組に花を持たせてくれなかった、
いぢわるおじーさん達だった、ふたり(爆)。

ゴッチは享年82歳ということで、比較的長生きだった上、
脳や頸椎の障害などもなかったようなので、
体を傷めることの多いプロレスラーとしては、
割合、健やかな老後だったと思われる。
しかし聞くところによると、ゴッチは、早い時期から、
ヒンズースクワットのやり過ぎで膝を壊していたそうだ。
実にテキトーなヒンズースクワットしかしなかったルーテーズは、
脚を痛めなかったのだから、結局、あっちが正解だった。
ゴッチはスポーツ力学などへの理解もあまりないまま、
熱心にしゃがみ続けたのがアダになったみたいだ(^_^;。
昔は、うさぎとびがやみくもにもてはやされたように、
負荷をかければかけるだけ、鍛えられるような感覚があったのだ。

藤波辰爾を教えるのに、動物園のゴリラを見せて説明した、
というエピソードは、いささか尋常でなかったと思うが、
ショーアップより強さを求めた、ストロングスタイルの路線では、
彼はレスラーとしてだけでなく指導者としての実績も枚挙にいとまがなく、
初代タイガーの佐山聡の師、というのも、なるほどとうなずける。
かなり、エキセントリックな人柄だったと漏れ聞いているが、
たとえアメリカではマイナーだったとしても、
日本のプロレスに残した足跡は、他の追随を許さない、
偉大なものだったと言うべきだろう。
私もまた、ゴッチ氏に大いに楽しませて頂いた一人だ。
心からお礼を申し上げ、ご冥福をお祈りしたいと思う。

ジャイアント馬場が生きていたら、どうコメントしたかな。
多分、彼なら無難に褒めたことだろうと思うのだけれど、
彼の場合、ときどき、見える本音が興味深かった。
馬場は某猪木と違って(殴)人付き合いに関しては、
少なくとも表向き円満だったような印象があるのだが、それでも、
かの力道山について、かなり歯切れの悪いコメントをしていたのが、
私は、ちょっと忘れられないのだ。
隠しておいた言葉がポロリ、みたいな馬場のコメントが、
もう聞けないのは残念だなと、こういう出来事があると、思う(逃)。

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