転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



12月1日(土)ポゴレリチの霧島公演があり、日帰りで、行って来た。
これのために夏前、かごしまミューズクラブに入会した。
(写真は、みやまコンセールの紅葉)

みやまコンセールは全く初めて行ったが、
残響の少ない小さいホールで聴きたいという私の望みが叶い、
なかなか興味深い体験ができたと思う。
最初のモーツァルトのロ短調アダージョが始まったとき、
音が目の前に置かれていくような感覚があり、
第一音が私の右上に来て、次の音は左寄りに置かれ、
和音は直径のある球体で、表面近くに鮮明な点と中心に輪郭の淡い丸い音、
……というように、かなり「視覚的」に聴くことができた。
私は前方席にいたのでそうなったが、
後方にいれば、もしかしたら何か大きな映像が構築されていく様が
もっと全体像として、よく把握できたかもしれない。

続くリストのソナタも同じロ短調で、
今度は音の数が圧倒的に多かったので、モーツァルトのようには
視覚的に捉えることがもう出来なかったが、
おそらくさきほどのアダージョは、
「きょうは、この手法で行く」
というポゴレリチの「提示」として機能していたのではないか、
と、リストを聴きながら漠然と感じた。
リストの長大なソナタに明確に句読点を打っていくポゴレリチの解釈は
1989年に私が初めて彼の実演を聴いたときから変わっておらず、
音楽が「横」に流れることがなく、常に「縦」の構造から成っている、
というのも、彼の一貫した弾き方だと思った。
彼の演奏から私が受けるイメージは、人の「多種多様な死に方」の曲(爆)
というもので、最後のB音など「絶命の音」にしか聞こえないが、
それと同時に、いつ演奏してもそこには彼の感情移入はなく、
今回も彼は極めて客観的な立場から描写をしている、と私には思われた。

シューマンの『交響的練習曲』は遺作変奏つき。
先に遺作変奏5曲を弾いて、本編のテーマに移るという組み立て方だった。
この曲は、ポゴレリチが二十代の前半に録音した、
彼の最初期からのレパートリーのひとつだったが、
私の記憶では、1983年頃にポゴレリチは一度、
「交響的練習曲はもう弾かない」
「あの曲で表現するものが、これ以上はもう無いと思っている」
という発言をしていたと思う。
しかし90年代に遺作変奏を加えて弾くようになり、
60歳の今、再度取り上げたということは、
彼なりに、何か期するところがあったのだろう。
今回の演奏に、これまでの彼のすべてがあった、とまでは思わないが、
シューマンを弾く、或いは変奏曲に取り組む、という角度から、
これまでの経験の多くを反映した演奏をしていたように、思った。

シューマンが終わり、拍手で幾度もステージに呼び出されたが、
アンコールは無かった。
「演奏会が完結したと感じたら、アンコールは弾かない」
と、これも以前のインタビューで言っていたと思うので、
今回のリサイタルはあれが完成形だということだろう。
弾き終わって立ち上がると、脚で椅子をピアノの下の押し込んだ(^_^;ので
いかにも「That's it!(本日は以上!)」という感じだなとわかったし、
演奏内容から言って私も、特にアンコールが必要とは感じなかった。

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私は翌日、広島で仕事があり、終わってすぐ発たなくてはならなかったが、
ホールではサイン会が行われていた。
ポゴレリチの心身のコンディションは悪くなく、余裕もあるようだった。
御本人のInstagramによると、演奏会前日には霧島神宮参拝をしたそうだ。
……前回の奈良に引き続き、神社仏閣がお好きなんですね(^_^;。


以上、とりあえず思い出せることのみ。ほぼ箇条書き(^_^;。
可能なら、またのちほど。

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