転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



イスラエル・シャロン元首相死去(NHK)
『イスラエルの政治家で対パレスチナ強硬派として知られる一方、占領地の一部、ガザ地区から軍を撤退させたシャロン元首相が、11日、入院先の病院で死去しました。85歳でした。』

アリエル・シャロン氏は、2006年に脳卒中で倒れて以来8年もの間、
昏睡状態が続いていたが、ついに昨日亡くなったということだ。
恐らく、首相としての彼の政治的な立場や政策には
各方面からの賛否があることと思うが、
そんなことより(!)、ポゴレリチ・ファンとしての私にとって、
彼の名には強烈な思い出があり、この訃報に際しては、
ひとつの、感慨のようなものがあった。

実はこの人は、2003年7月9日、ポゴレリチを私邸に招き、
首相(当時)とそのごく身近な人達のために、
非公式的な演奏をして貰った、という実績があるのだ。
夢のようではありませんか、マエストロ・ポゴレリチを個人的に招んで、
自分や家族、親しい友人のためだけのリサイタルをして貰うなんて!

2003年の夏、ポゴレリチはイスラエルを公演のために訪れ、
7月8日 テル・アヴィヴのマン・オーディトリアム
7月10日 エルサレム劇場
7月13日 ハイファのオーディトリアム(手元資料からは詳細名称不明)
と、三度のリサイタルを行った。プログラムはいずれも、

ベートーヴェン:ソナタ作品78『テレーゼ』
ベートーヴェン:ソナタ作品111
スクリャービン:二つの詩曲作品32
ラフマニノフ:『楽興の時』作品16

という四曲だった。
エルサレム・ポストの当時の記事によると、
かねてより音楽好きで知られていたシャロン首相は、
ポゴレリチの演奏を是非聴きたいと切望していたそうなのだが、
警備の関係上、彼がリサイタル会場まで出向くことは
この時期、危険過ぎて実現不可能なことだった。
それで、かわりに首相はポゴレリチを邸に招待し、
首相とその身近な、選り抜きの聴衆のためだけに
演奏してくれるようにと頼んだ、ということだ。
政治的な面でポゴレリチがシャロン首相に賛同していたのか
そうでなかったのか、全くわからないことだが、
しかし考えてみればポゴレリチは職業演奏家なのだから、
条件に納得できれば、どこへでも出向いて弾くのが
彼の仕事だったとも言えるだろう。

イスラエルの歴史的な指導者の死を、ポゴレリチはどう受け止めただろうか。
イスラエルは昔から、ポゴレリチのお気に入りの公演地だった。
『まるで日本みたいに、イスラエルの人々は音楽に対して熱狂的だ』
とポゴレリチは以前、語っていたことがある
(『Great Pianists Speak for Themselves Vol.Ⅱ』(1988))。

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