というわけで、昨日は博多座に行って来たのである。
新型コロナ感染者数が、西日本に関しては減少傾向が続いているが、
このところの首都圏の有様を見るにつけ、
再増加に転じるのは時間の問題ではと感じるようになり、
今行かないでどうするよ!と、不意に思い立って決行した。
……と大仰に言うが、博多座は実は近所なのである(^_^;。
新幹線で広島ー博多が1時間、そこから地下鉄で博多ー中洲川端が3分。
自宅からうちの実家の村まで片道1時間半はくだらん、という状況を思えば
極めて気軽に行って来る感覚では、あった(^_^;。
以下、昼の部感想、覚え書き。
・最初は『橋弁慶』で、武蔵坊弁慶が彦三郎、牛若丸が萬太郎。
萬太郎は、いたずらっ子なのにむちゃくちゃ腕が立つという、
この舞踊においての牛若丸の設定どおり、
とても生き生きして爽快な踊りだった。
対する弁慶の彦三郎は、柄が大きく、声も立派で、
単なる力自慢の単純な弁慶ではなくて、
思慮深く、腕に覚えもあり、かつ、豪壮な僧、
というのがよくわかった。
・次が菊之助の『鷺娘』だったのだが、これが圧巻だった。
登場場面の白無垢の美しいこと、一気にひんやりとした雪の世界になり、
綿帽子がはらりと開くと、客席から「ほぉ~~……」と溜息が漏れるほど
超・幻想的で、この世のものとは思われぬ美貌と眼差しなのだった。
それから引き抜き等の華やかな演出があって、
愛らしい振り袖姿の乙女になり、恋の切なさ、未練、を切々と表現し、
合間に「傘尽くし」の楽しい踊りもあって、
最後に鷺の精そのものになるのだが、この「ぶっかえり」から後が強烈だった。
恋への執着ゆえに成仏が許されず、地獄の責め苦に遭うのだが、
もうもう、あまりにも、凄まじい美の世界で
玉三郎の薫陶を受けたことはここに繋がっているのだなと、
菊之助の精進にいたく感じ入った。
洋舞のような美も併せ持った舞踊だなと思って観ていたのだが、
あとで解説を読んだら、アンナ・パブロワの『瀕死の白鳥』の影響があって、
最後の息絶える場面が完成したということだった。
とにかく、菊之助の充実ぶりが凄かった。圧倒的な一幕!
・『すし屋』の弥左衛門が権十郎、女房おくらが橘太郎で、
以前なら團蔵や竹三郎でよく観たよなあ、となんだか切なくなった。
権十郎は巧かったが、お目々まん丸でなんとも可愛いお爺ちゃんだった(笑)。
いつも思うのだが、『すし屋』だけが上演されることが多く、
前半の『小金吾討死』が無いので、ここだけ観る人にとっては、
弥左衛門が風呂敷に包んで持って帰ってきた小金吾の首が、随分と唐突ではないだろうか。
人の良さそうなじーさんが、なんで生首なんか持って来やがった!?という。
この生首が後でどう役に立つかは、芝居を観ていればわかるのだけれども。
・おくら役の橘太郎は達者で文句はないのだが、
いつもは可笑しさ満点の役が多いので、こういうのもあるんだなぁと新鮮だった。
ときに、弥左衛門の女房の名前って、上方では「およね」じゃなかった??
「おくら」って、……台本による??
原典にあたろうと文楽のほうの資料を見たが、そもそも名前がなかったorz
・米吉が若葉の内侍で、大変に美しかった。
夫の平維盛=弥助(時蔵)が、すし屋の娘お里との間のことを語る間、
うつむき加減に話を聞いているのだが、美貌ゆえにきつい顔にも見える瞬間があり、
そりゃ妻として内心は複雑だろうよねと、
台詞のない部分でも若葉の内侍の心の動きに、同情を感じた(笑)。
この役は、いちいち台詞を言わないし動きも少ないのだが、
米吉は、まるで能面のように、僅かな角度の違いによって、
若葉の内侍の内心を見せてくれていたように思った。
・梶原平三に芝翫。御馳走であった(笑)。
この役は、これくらいのスター性があると、やはり面白いと思った。
そして、これほどの人が、権太ごときに、まんまと騙される訳はないよな、
という納得感も大きかった。
・梅枝は本当に素晴らしい。何をやっても一級品だ。
弥助との良いところを兄の権太に邪魔されて、
「ととさんは、留守!」と、つんと答えるところなど声音も含めて最高。
弥助との祝言の夜、ふたりきりになって、
「お月さんも、もう寝やしゃんしたわいな」の場面も、
清らかな夜空も見えて、本当に清楚で愛らしい、お里ちゃんであった。
その後、思いも寄らない弥助の身の上を知ってしまい、
身分違いの恋だったのだと涙を落とす可憐な風情も良かったし、
弥助(実は平維盛)一家を落ち延びさせる決意の姿も、実に美しかった。
・梅枝@お里、に対峙する弥助は、生半可なお色気では釣り合わないが、
時蔵だったので最高だった。
品格も艶っぽさも、そして高貴な「三位中将維盛」としての存在感も、
時蔵なので自由自在であった。眼福~~。
・菊五郎の権太、私の先入観もあるかもしれないが、あまりに立派で(爆)
ひねくれ者の田舎者、には見えなかった。格好良過ぎ(爆)。
一方、「いがんで」いて「ごんた」な感じは如何にもで、愛おしかった。
平維盛を先回りして捕まえてやる!と息巻いて、すし桶をつかんで
花道を走り去って行くところ、既に権太はヒーローだった。
もう改心していて、維盛を救う気満々、というのが
台詞とは裏腹に、それらしい演出もないがよくわかった。
**************
客席での飲食は禁止されていることがわかっていたので、
事前にネットで博多座内のお店を調べて、
二階客席から出てきたところのカフェでのランチを、
開場したときに予約しておいた。
窓に面したカウンター席で、「黙食」となっており、万事、巧く行った。
食べるのに素手で触れるサンドイッチは回避して、ロコモコにした(^_^;。
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昨年11月に歌舞伎座に行ったとき、劇場内での私語を控えるようにと
会場アナウンスがあり、会場係がそれを明記したプラカードを持って
あちこち見せて歩いており、客席では特によく守られているという印象だった。
ロビーでの会話も、当時、ゼロではなかったがかなり控えられていた。
それが、今回の博多座は全く駄目だったorz
同じように注意の案内はあったが、誰も聞いていない&見ていなかった。
会場係も、東京のように個別に目配せをしに寄って来たりは全くしなかった。
客席中が喋っているので、どうしようもなかったのだろう(汗)。
私の隣の席にいた老女二人組(って私と同年齢くらいかね(爆))など、
休憩時は一方の人がず~~~っと「うちの娘」の話をしており、
もう一人は聞き役だったが、とにかく話し声がやむことがなく、
幕間30分のあとなど、戻って来てから紙袋をごそごそやり、
饅頭を出して、マスクを外し、食べながら普通の声量で会話を続けていた。
客席での飲食禁止、というのも最初からハッキリ言われ・書かれているのだが、
弁当でないし私たちのはイイ、という感覚なのか。
食べ終わったらさすがにマスクはつけたが、引き続きお喋り(汗)。
私は行動の面ではマスク警察ではないし、他人には期待していないので、
黙ってやり過ごしたが、ああいう人たちももしコロナに罹ったら、
「きちんと感染対策していた。どうして罹ったのかわからない」
と言うのだろうかなorz。
間近でマスク無しで飲食&お喋りされたのだから、
私の方がうつされる可能性も勿論あった訳だが、もう仕方がなかった。
社会生活をしている以上、他人の行動をいちいちどうこうできない。
内心でこうしていろいろ思うだけだ。
福岡市地下鉄空港線でも、感染対策に関する基準は同様で、
「特別な事情のある場合以外はマスクを着用する」
「緊急時以外は車両内での私語は控える」
等々の内容のアナウンスがあり、表示も出ていて、
私の居た車両でも全員がマスクを着用していた。
ただ、若い男性二人組だけが、声高に喋り続けていた。
走行音やアナウンス以外に物音のない、静まりかえった車両内に、
彼らの会話は響き渡り、申し訳ないが内容は筒抜けであった。
彼らにとっては緊急時の会話だったのであろうorz
しかしともあれ、どこへ行ってもマスク着用率は100%であった。
マスクをつけていない人を、昨日、私は1人も見かけなかった。
どこも冷房されていて、熱中症予防に外そうと考える人が居なかったからか。
そうそう、観劇前、博多座に上がって行くと、
劇場前で不織布マスク3枚セットを配っていた。
「持って来るのを忘れたから、つけられなかった」
は無しってことね(汗)。
感染制御されていてこそ、劇場は機能するのだから、
こういう努力は買いたいと思った。
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