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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



昨日は、大阪に行く用事があったので(それについてはのちほど)、
梅田ロフトで開催中の
タヌキとキツネ展~タヌキ山にようこそ!~
を見てきた。
タヌキとキツネ』はTwitterで人気のある可愛い漫画で、
私も去年の初めあたりにファンになり、単行本も3冊とも持っているので、
今回、うまい巡り合わせで『タヌキツ展』に行けることになり嬉しかった。

会場には、何点もの描き下ろしイラストが展示され、
YouTubeで今まで公開されたショートアニメが流れていて、
ファンには思い出のある絵が多数あった。
残念ながら大半は撮影禁止だったが、
奥まで行くと、タヌキツのイラストや人形たちと一緒に
自由に記念撮影できる場所があった。
木の穴からお尻だけ出ている二匹がとりわけ可愛かった(笑)。
この記事冒頭にUPした写真の、大きなボードには、
来場者の書いたメッセージがたくさん貼られ、
タヌキ山の仲間には大変ファンが多いことが改めて感じられた。

展覧会初日の4月21日と、連休最初の4月28日には、
お山からタヌキとキツネが下りて来たそうなのだが、
昨日は普通の日で、残念ながらタヌキツ本人たちは居なかった。





限定どら焼きは、ひとり3個まで(笑)。


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午後から体が空いたので、舅姑の墓掃除・墓参りに行った。
前回出向いてから半月くらいは経っていただろうか?もっとか?
毎日暑いので花がすぐ駄目になってしまう(汗)。
経験上、やはり墓の花は菊がいい(=モちが良い・発色が綺麗)、
と私は思っているのだが、しかしこの気温では、
きょう供えたスプレー菊も、いつまでモってくれることか…。
墓と墓の間の狭いところに蛾の幼虫が這っていて、
その近くをイモリが小走りしており、少し奥には蜘蛛とその巣も見えたが、
お寺だし、殺生はいけないと思い、どの子にも手を出さず見守ってあげた(笑)。

そのあと、映画『海街diary』を観に行った。
映画『海街diary』(公式サイト)

私はもともと、動く絵を観ることが得意でないので、
映画も大好きとは言い難いが、それでもテレビよりは楽に観られる。
それで、題材に興味があるときや、贔屓の役者さんが出ているときなど、
年に数回程度だが、実際に映画館に出向くようにはしている。
この『海街diary』は原作の漫画をコミックスが出るたびに買っていて、
映画化の話を聞いたときから関心を持っており、
なんとか観られないかとずっと機会をうかがっていたので、
きょう、うまい具合に時間を確保することができて本当に良かった。

原作が気に入っている場合、映画を観てガッカリすることが結構あるが、
今回のは、なかなか味わいがあった。
原作自体、起承転結が見えるような劇的な物語ではなく、
複音楽みたいに、いくつものストーリーが同時に展開し、
同じモチーフを分け合ったり、各自がそれぞれに進んだりして、
淡々としていながら複雑な進行になっているのだが、
映画にもその趣が良いかたちで出ていたと思う。

実写となると四人姉妹が揃いも揃って美人過ぎる(^_^;のがアレだったが、
ひとりひとりの持ち味は原作から外れてはいなかったと思った。
中でも私がいちばん気に入ったのが三女のチカ(夏帆)で、
実にとりとめのないキャラなのだが、情緒が安定していて、
根底にまっすぐな感性を持っているという、
チカの良いところがとてもうまく表現されていたと感じた。
チカは、姉たちのように何かを決定したりリードしたりはしないが、
人の心の動きをよく感じ取り、自分の時間も大切に生きている。
何ひとつ気負っていないのに、いつも周囲を救っているのが彼女だった。

父親の葬儀の場から出発した四人姉妹の関係が、
物語の最後に行き着いたところは、海猫食堂のおばちゃんの葬儀で、
考えてみれば途中の一波乱も、姉妹の祖母の法事の場であったし、
そうした節目節目に、ブラックフォーマルに袖を通すたびに、
前よりほんの少しずつ変化・成長していた、四人姉妹なのだった(笑)。
鎌倉の風景、特にそのときどきの海の表情が面白かったし、
古い家での季節感や、姉妹の暮らしぶりも手に取るようにわかった。
何かというと仏壇に手を合わせるシーンがあったことも興味深かった。
決して宗教的な意味合いとしてではなく、素朴な生活実感として…。
全編通して、大きく揺さぶられるような感動とは違うのだが、
静かに感じ入ったという意味で、結構、響く作品だった。


ときに、クレジットを見ていたら、音楽担当が菅野よう子氏であった。
菅野よう子といえば、私にとってはなんと言っても、
『UNDER:COVER』の『THUNDERBIRD』by西川貴教(笑)。
こんなところで再会しようとは(笑)。

T.M.Revolution THUNDERBIRD Live(YouTube)(菅野よう子ピアノソロ)


追記:完全に余談なのだが、広瀬すずは母音の無声化が不完全だ(汗)。
例えば、『奥さんがいる人を…』の台詞の『おクさん』部分。
舌足らず的な愛らしさを醸し出しているとも思うので、
一概に悪いとは言わないが、私は特にこういうことが気になるほうで、
観ながら、ごくごく軽くだが幾度かひっかかった。
設定として四女すずは、純粋な鎌倉育ちではなく、
父親に連れられて仙台にいたり秋田に移ったりしているので、
複数の方言のアクセントが入り交じった言葉を話してもおかしくはないが、
しかしあの発音は、そういう種類の演出ではあるまい。

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地元の映画館では上映最終日の今日、なんとか間に合って
映画『タイピスト!』を観ることができた。
設定が面白そうだったのが、これを観たいと思った第一の理由だったが、
雑誌『ふらんす』9月号(白水社)でスクリプトの一部が紹介されていたので、
フランス語に浸れる映画という意味でも、この機会を逃したくなかったのだ。

タイピスト!(Populaire)(公式サイト)

映画冒頭によると『1958 France』……、今から50年以上前、というか、
ポゴレリチ(ダン・タイ・ソン、エル=バシャ、ルイサダ)の
生まれた年であるっ(^^)!!
その頃、女性の憧れの職業の筆頭は「秘書」だった。
田舎での結婚話を断って家を飛び出したローズ(デボラ・フランソワ)は、
都会の保険会社の秘書になろうと面接試験を受ける。
およそ有能とは言い難い彼女の、唯一にして最大の特技は
タイプライターを打つのが速いことで、
そこに目を付けた保険会社経営者のルイ(ロマン・デュリス)は、
彼女を自ら猛特訓して、タイプライター早打ち大会に出場させる。
地元の大会で優勝し、フランス大会を制し、やがて世界大会…。

物語の展開は、ローズとルイの恋の行方も含めて大半の部分が
観る者の期待通りになるのだが、だからこそとても良かった。
逸話のひとつひとつが楽しく愉快で、
波乱はあっても最後に全部が収まるべきところに収まり、
爽快感と幸福感にあふれた着地点で、
娯楽映画はこうでなくては!の理想型のような作品だと思った。
また、田舎娘が垢抜けた女性に成長する過程はまるで『麗しのサブリナ』、
鬼コーチとなった男性に磨き立てられてトップの地位を射止めるのは
『マイ・フェア・レディ』、
ヒロインの勝負ドレス(笑)はマリリン・モンローさながら、
……と既視感や懐かしさもあちこちにあった。
設定もファッションも、きっと、この映画のテイストはすべて、
1950年代の名画へのオマージュになっているのだろう。

もうひとつ、この映画は私にとって、タイプライターへの郷愁を
思い出させてくれるものでもあって、そこがまた予想以上に楽しめた。
私は映画に出てくるのとほとんど変わらないタイプライターを打っていた世代だ。
80年代半ばには電動タイプライターも既に世の中に出ていたが、
学生はお金が無かったので、そのようなものは買えなかった。
上級生になってからのペイパーやレポート、卒業論文などはどれも、
オリベッティの手動タイプライターを使って自分で打ったものだった。
私のいた下宿では当時、皆が同じ大学の英文科だったから、
夜になると、どの部屋からもタイプを打つ音が聞こえてくる、
というのはよくあったことだった。

だから、ローズがタイプライターを抱えている場面では、
その重さが私の両腕に懐かしく蘇ってきたし、
インクリボンを取り替えるメンテナンスの場面では、
その匂いや手触りを思い出した。
ヒロインが世界大会決勝で経験するアクシデントの、
『死にそうになって打っている最中にアームが絡む』、
というのだって、私自身、幾度も経験したことだ。
尤も、ローズの場合は技術が高くて打つのが速すぎたからだが
私のは単に、焦っていて打ち方がザツかったからに過ぎない(爆)。

私(たち)はローズのように速さを競う腕前にはほど遠く、
ただタイプが打てないと作文や論文の提出ができなかったから、
必要最小限のタイピング技術を大学で習っただけだったが、
それでも、タイプを覚える過程では、私達なりの小さな苦心や努力があった。
例えば、手動タイプライターはキーがかなり重いので、
薬指や小指はほかの指以上に鍛えないと打ちづらいのが普通で、
これらが自由になり綺麗な原稿を仕上げられるようになるまでには、
やはり、各自それなりに練習が必要だった。
その際に、子供の頃に習ったピアノで、
10本の指が均等に使えるように訓練されたという経験は、
当時の私には結構役に立ったという自覚があった。
だからローズが、タイプの技術に磨きをかけるため、
マリー(ベレニス・ベジョ)に弟子入りしてピアノを習うというアイディアも、
きちんと根拠のあることだと私は観ていて思った。
少なくとも『アタックNo.1』のシェレーニナが、レシーブの動きを鍛えるために
ボリショイサーカスに入って特訓を受けた、的な話ではなかったのである。
まあ、ローズは曲を弾かなくてもハノンをやれば良かったんですけどもね(笑)。

それにしても、ヒロインの装いより何より「50年代だ…」と感じたのは、
全編、何かというと皆がタバコ片手に行動していて、煙モウモウだったことだ。
ルイもその父親も、早打ち大会の観衆も、誰も彼もしょっちゅう喫煙していて、
ローズまでスターになってからタバコを覚える場面があった。
私は映画の喫煙場面を見て怒るほど潔癖ではないが、それでも、
「世の中、どこへ行っても、さぞかしケムたかっただろうなぁ」
という想像は、した。
1950年代というのは、煙草はまだ社会的に嫌悪されることがなく、
ひとつの、おしゃれな小道具だった時代だった(^_^;。

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・娘の高校時代のテストや模試を処分させた。
捨て損なった答案や問題用紙が娘の部屋には山ほどあり、
このほど、やっと本人が帰ってきたので、選り分けをさせることができた。
大半はゴミ箱行きになったが、センター入試その他、本番のときの問題用紙は
なんとなくまだ記念に取っておきたい気がするらしくて、
娘はそれらをゴミとは別によけて、封筒に入れていた。

・娘が服を買いたいというので、夕方からユニクロへ行った。
夏物がセールになっていて、ジャケット990円という特価品があり、
娘が喜んで選んだ(笑)。
実に良い買い物だった。

**************

歌手の藤圭子さんが亡くなったという報道で、きょうは驚いた。
私は世代的に藤圭子さんの活動をよく覚えているので、
まだ62歳というご年齢だし、俄には信じられない気がした。

それで改めて思い出していたのだが、71年に放映されたアニメの
『さすらいの太陽』は、確か藤圭子さんをモデルにした作品だった。
さすらいの太陽(Wikipedia)
芸能界をテーマにしたアニメはほかに無かったし、
毎週楽しみにして観ていた記憶がある。

その主題歌、というか番組のエンディングに使われていた歌は、
最近でも私の鼻歌(^_^;になることが時々あったのだが、
この機会にと思って検索してみたら、
『心のうた』というタイトルだったことがわかった。
さすらいの太陽 「心のうた」 堀江美都子(YouTube)
ちなみに、この歌は最初、ヒロイン峰のぞみ役の
藤山ジュンコさんご本人が歌われたものが使用されていたらしいのだが、
シーズンの中頃から、堀江美都子版になった。
私が記憶しているのも、歌詞内容からしてこちらのほうだと思う。

今でも覚えているのだが、物語の中で、歌手を目指す主人公・峰のぞみが、
師匠である作曲家の男性に命じられて、海女の修行をする場面があった。
海に潜ることで肺活量が豊かになり、歌の表現力も高まる、
というような説明がなされていたと思う(←曖昧)。
このヒロインは今から40年以上前に、既に「あまちゃん」だったのだ。
「じぇじぇじぇ!」と言ったかどうか知らないが…。

そういえば調べてみたら藤圭子さんも岩手の出身だと書いてあった。
『さすらいの太陽』という作品が、どの程度、
藤圭子さんご本人の実話に基づいていたのかはわからないが、
峰のぞみの歌の力は、幼かった私にとってさえも実に印象的だった。
とても古いアニメ作品ではあるが、機会があればもう一度、
観てみたいなと今日は思った。

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朝から期日前投票をしに中区役所に行って来た。
投票日の今月21日には、私は日比谷にいる予定だからだ(笑)。
期日前投票をしたのは今回が初めてだったのだが、
『持参するもの』の欄に『このはがき(とどいているとき)』
と書いてあって、ちょっと疑問に思った。
届いていない人は『このはがき』も見ていないので
( )内の注釈は意味がなさそうに思われたのだけれども
どういう状況を想定しているのだろうか(汗)。

それはともかくとして、1989年に不在者投票をしたときには、
記入後の投票用紙を封筒に入れて厳封したりして大仰な感じだったが、
きょうのは、普通の投票のときと同じように
用紙をそのまま投票箱に入れるだけで、開放的な雰囲気だった。
普段と違うのは、期日前投票をする理由について申告した宣誓書を
投票前に記入したことだけだが、これも簡単な内容だった。

**********

期日前投票の帰りに買い物をして、昼前に帰宅した。
昼食後、主人はスポーツクラブに行き、私は家事を片付けて、休息、
午後からは二人で『人造人間キカイダー』の録画を観た。
私ひとりだとテレビなど全然つけなかったので、
我が家ではきょう三日ぶりにテレビから音が出たわけだ(^_^;。

『キカイダー』の1972年7月8日の第1回と73年5月5日の最終回とが
CSでまとめて放映されたので、主人はそれを留守中に録画していた。
私も勿論、キカイダー放映当時に観ていた世代だが、
意外なことに主人は、「わし、あんまり観とらんのんよ」と言った。
なぜかというと、当時の放映が毎週土曜日8時からで、その時間帯に、
小学生だった主人は中学受験の学習塾に行っていたからだそうだ(^_^;。

今観ても『キカイダー』はさすがに、
あの『トリプル・ファイター』よりは殺陣のキレが良かったし、
使われている自動車類もスバルを黒く塗ったものでは無く、台数も多かった。
しかし、やはりデーモン同様、ダークも世界征服を企む巨大組織の割には、
ダムの作業員を痛めつけたり、空き地で小学生を誘拐したりして地道だし、
プロフェッサー・ギルも、「光明寺親子よ、ダークの恐ろしさを思い知れ」
などと、えらく個人的な動機で行動しているのだった。
何より、ジローがキカイダーに変身できず苦悩する件で、その解決が、
 光明寺博士「変身回路が外れていた!」
だったのにはかなりウケました(逃!)。
最終回でジローは光明寺博士一家と別れてひとりで旅に出るのだが、
しかしこれって、どうなんだろう、ジローは要するにマシンなわけで、
戦闘能力の高い自作機械を野放しにして外国に行っちゃう博士って、
イイんですかね?

しかし、そういう細かいツッコミは脇へ置いておくとして、
全体としては今観ても、なかなか娯楽性のあるドラマだと思った。
登場人物のキャラは立っているし、ジローは適度に野性味があって格好いいし
プロフェッサー・ギルの悪役ぶりは徹底的だし、主題歌は爽快だし。
それに何よりも、キカイダーであるジローの設定が、
良心回路が不完全なせいで善と悪の狭間で苦悩する、
という実に人間的なもので、しかもそのことへの彼自身の答えが、
「完全な存在になりたくない」という、とても深いものだったりして、
随分と考えさせられるテーマを持つ作品だったのだなと改めて知った。
この番組がハワイで大変熱く支持されているというのも、わかる気がした。
続編の『キカイダー01』も私は当時観ていた記憶が一応あるのだが、
もう内容はほとんど覚えていない。
機会があれば観てみたいかも、と思ったりした(^_^;。

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3D版はもう地元ではどこもやっていなかったが、
2D版を上映している映画館があったので、行って来た。
ようやく、観ることができた。

華麗なるギャツビー(公式サイト)

日本の、それもかなり田舎で育った私にしてみれば、
ジャズ・エイジもアメリカン・ドリームも遠い世界の話で、
自分のルーツをどこまで振り返っても接点など全くないのだが、
この小説は学生時代に強引に読まされたので、
原作の内容については、今もかなり記憶に残っていた。
それで、2013年に蘇ったギャツビーがどうなったかに興味を持ち、
今回の映画を観に行ったのだ。

ディカプリオがオジさんになっていた(爆)のに感心したが、
勿論、そういう年齢でないとギャツビーは演じられなかっただろう。
富も名声もある大人で、かつ、童顔の残るディカプリオの雰囲気は、
彼の演じるギャツビーの姿とぴったり重なるものだった。
彼は自分の幸福の象徴としてのデイジーを追い求め、
実際には愛するに値しないような女である彼女に、
最後には自分の命まで与えることになるのだが、
その愚かさこそが、ギャツビーの究極の魅力なのだと観ていて思った。

華麗なパーティーや豪奢な邸宅の、映像としての表現が、
この作品の大きな見どころであったと思うのだが、
私にとって最も印象に残ったのは、
ギャツビーがひとりで桟橋にたたずむ場面だった。
ギャツビーが豪邸を建てたのも、週末ごとに大規模なパーティを催したのも、
すべては、入り江の対岸に住むデイジーを迎え入れたいがためだった。
壮大なパーティーの、華やかなホストとして振る舞う一方で、
静かな夜には、ギャツビーはひとりになって邸宅の前の桟橋に出て、
愛しいデイジーの住む邸を遠く向こう岸に眺めて立ち尽くし、
前方の灯台から放たれる緑の灯に向かって手を伸ばすのだ。
Green light means "progress", in general, "You can go."
と、チャップマン先生が講義のときに仰ったのを私は覚えている。
前に進みなさい、諦めてはいけない、きっと幸福が手に入る、
……とギャツビーはずっと自分に対して確かめるような思いで
暮らして来たことが、絵としてとてもよく伝わった場面だった。

ときに、原作にある、葬儀にギャツビーの父親が登場する件を、
映画で割愛してしまったのはなぜだったのだろう。
ここで父親の明かす、少年時代のギャツビーの姿は、
彼のひたむきさと哀しさを強調するのにとても効果的だったのだが、
きょうの映画ではその場面は使われなかったのが、少し残念だった。
一方、宝塚歌劇のデイジーはギャツビーの墓に最後に花を手向けるが、
そういう中途半端なことをしに出てこなかった点については、
映画のデイジー(の自己愛)の徹底ぶりは良かったと思った。
原作のデイジーも、勿論、ギャツビーには花どころか、
お悔やみのひとつも寄越さない。
自分のすべてで愛した女性から、一顧だにされずに逝くことで、
彼の夢は、どこまでも夢として終わる、
……というのが虚像ギャツビーの終焉に最も相応しいと、私は思っている。

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朝、とりあえず雨は降っていなかったので、折りたたみ傘をバッグに入れただけで、
午前中、漢詩の会に行き、帰り道には買い物もして家に戻ってきたのだが、
私が昼食を終えた午後1時あたりから、途端に外が夕暮れみたいに暗くなった。
それから、パタパタと雨が勢いよく窓ガラスを叩く音がし始め、
居間の掃き出し窓からベランダ越しに見ていると、
あっという間に視界も効きにくいほどの激しい雨になった。
そういえば朝の予報で、西日本・北陸を中心に雷雨、
と言っていたのだった。間一髪だった(^_^;。

西日本で激しい雨(ウェザーマップ)
『日本海から東北南部に停滞する前線に向かって、南から暖かく湿った空気が流れ込み、西日本では大気の状態が非常に不安定になっている。』『このため、福岡県北九州市八幡西区では、3日午後1時までの1時間に73ミリの観測史上1位の非常に激しい雨を記録したほか、西日本の各地で50ミリ以上の雨を観測している。』『あす4日にかけて、西日本を中心に大気の非常に不安定な状態が続くため、気象庁では、急に降る激しい雨や落雷、竜巻などの激しい突風に注意を呼びかけている。』

さすがに梅雨だけあって、明日以降もあまり信頼できないようだ。
去年のこの時期も大雨で警報が出て、娘の学校が休校になったりしたが、
まだもうしばらくは、雨の被害に特に気をつけないといけないかもしれない。

***********

実はこのところ、映画『華麗なるギャツビー』を観に行きたいと
ずっと考えていたのだが、毎度のことながら忙しさにまぎれて、
なんだかんだと日が過ぎてしまい、このまま行くと私の計画は
悪天候のせいで果たせないまま終わりそうだ(^_^;。
もう、この近所での上映期間はあと僅かで終わってしまうのだ。

日頃、映画に対してあまり熱意のない私が、なぜ今『ギャツビー』かというと
これは30年前、私が大学2年生だったときに、
「英語講読AII」という科目の前期のテキストだった作品だからだ。
アメリカ人の先生による、現代国語の英語バージョンみたいな講義で、
教科書は『The Great Gatsby』のペイパーバックだった。
英語も満足に聴き取れないし、読んでも釈然としないことが多く、
あのときは半年間、本当に苦労した。
毎回、講義をウォークマンで録音して、下宿で聞き直してメモを取り、
途中で訳本が出ていることに気づいてそれも買い、
更に大学の図書館にあった1974年版映画のビデオも観た。
ロバート・レッドフォードとミア・ファーローのやつだ。
この授業を取っていなかった友人が、私を見て哀れをもよおしたらしく、
『村上春樹さんと「華麗なるギャツビー」をみる』という
新聞の切り抜きまでくれたりした(今もとってある)。
「ジョーダンはニックの話を冗談だと思ったのよね?」
というNちゃんの巧まざる駄洒落も忘れがたい(爆)。

……という可哀想な経験をしたために、不本意ながら私は、
ギャツビーにある程度、詳しいのである。
大学で読まされなかったら、自分からは決して手に取ることはなかっただろう、
という作品だったが、今となってみれば懐かしさもひとしおだ。
それで今回、映画化の話を聞いたときから、観てみたいなあと思っていたのだ。
しかし、どうだろう、このあとも警報が出るような天気だったら、
私は結局、今回のギャツビーは逃すかもしれない。
2000年にも映画化されていたそうだが、それは全く知らなかった。
ちなみに宝塚の『グレート・ギャツビー』も、
私が知っているのは1991年雪組版だけだ。
2008年月組版は、全然観ていない(汗)。

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昨日、映画『千年の愉楽』を観た。
私は日頃、映画に対しては、生舞台ほどの執着は無くて、
「良さそう」と思っても、結局大半のものを見逃しているのだが、
寺島しのぶが主演しているとあっては、外せなかった。
美しい男性が次々と登場する映画なのに、
私の目的は、とにもかくにも、しのぶちゃん(^_^;。
原作は中上健次の同名小説なのだが、私は読んだことがなかったし、
事前にはこの映画について、ほとんど何も調べていなかった。

物語では、産婆のオリュウ(寺島しのぶ)が自ら取り上げ、
その誕生から死までを見届けることになった、三人の男たち
(半蔵(高良健吾)、三好(高岡蒼佑)、達男(染谷将太))の、
鮮烈な生き様が、オムニバス形式で描かれていた。
皆、いずれ劣らぬ魅力ある美青年ぶりで、個性も際立っているのだが、
誰も彼もが、破滅的な人生を選び、若死にをするという点は同じだ。
この世で『親より先に彼らを抱いた』オリュウは、
静かな深い慈愛をもって、常に彼らを受けとめ、成長を見守り、
その散り際を予感しつつも、彼らの後ろ姿に、
お前はお前のまま、生きよ、生きよ、と手を合わせて祈る……。

しのぶちゃん扮するオリュウは、良い意味で、年齢不詳だった。
最初の半蔵は、「初めて取り上げた子」だという台詞が後であるので、
オリュウが最も若いときに出会った赤ん坊だったことがわかるが、
彼らが青年になり成人してからも、オリュウはあまり、変わらない。
彼らの母にも等しく、故郷の象徴のようにオリュウはいつもそこにいる。
と同時に、特に達男に対して、オリュウが最後に『女』の面を見せることで、
彼女の存在は作品の中で、得体の知れないほど大きなものになったと思う。

オリュウには夫(佐野史郎)がいるのだが、
この夫婦は、かつて、子を病と貧困のために2歳で亡くしてから、
夫は仏門に入り、オリュウは産婆になった、と台詞で語られている。
以来、オリュウは、この世に誕生する命を受けとめる仕事をし、
夫の礼如は、あの世に渡る命が幸せであるように奉仕してきたわけだ。
三好が人を殺めて夜中に転がり込んできたとき、オリュウは夫を振り返って、
あなたは見ないで下さい、と言い、礼如がそれに対して、
悪い夢だな、という意味の返答をして、淡々と布団に戻るところが、
私は特に、印象に残った。
礼如こそは達観の極みのような人だった。

ときに、よけいなことではあるのだが、
劇中、どの角度から見ても壮絶に美しい男である半蔵と達男の、
鎌や斧の使い方は、かなりもうひとつだった(爆)。
なにしろ私は現代の秘境で、あのテのものを日常的に眺めて育った。
祖母なんか80歳過ぎても、ナタで薪を割って風呂を焚いていたのだ。
それを思うと、半蔵たちの手つき腰つきは、都会の青年そのもので、
おいっ、それじゃ怪我するぞ、脚ヤるぞっ、
と私はハラハラした。

それと、半蔵が山でうかつに榊を切ってしまい、
仲間達が祟りを畏れ、酒をまいて柏手を打つ、という件があったが、
うちらの村だと、あれは考えられないと思った。
榊は確かに、うちの実家の裏手の山にも生えていたが、
場所はある程度決まっていて、皆が知っていたし、
周囲の植物と区別がつかないようなものではなかった。
村人がうっかり切って、祟りだなんだと大騒動、
ということは、うちらへんだと、無かった(爆爆)。

しかし、そういう現実味の無さというか、曖昧さが、
かえって、あの映画の独特の雰囲気に沿ったものになっていて、
良かったのかもしれない、とも、あとで思った。
この世とあの世をつなぐという、不如帰の鳴き声が、
花窟(はなのいわや)に響く光景と相まって、
この集落には、現実とどこかちぐはぐな空気のあるのが、
適度な危うさを醸し出していて、似合っていたのだろうと思う。

三好が誘惑する人妻の役で、月船さららが出ていた。
彼女は、元・宝塚の男役で、新人公演主演も幾度もしたので、
私は舞台での彼女は結構回数多く観たことになるのだが、
ここで出会うとは思わなかった。
さららんは美人なのだが、今回は役が役だけに、
全く綺麗につくっていなくて、
着ているものの傾向も、洗練にはほど遠かった。
概ね、この作品に登場する周辺の女性たちは、、
半蔵の若い妻(石橋杏奈)ひとりが可憐だったことを除けば、
皆、どこか疲れた感じや、くすんだ雰囲気があった。

この映画の空気を決定的なものにしているのは音楽で、
全編、三味線と歌に彩られているのが、非常に印象的だった。
音だけ聴くと、沖縄などの南方の島唄風に聞こえたのだが、
ロケ地は紀州の入り江の村で、言葉や背景には関西色があった。
映画の終わりに、『バンバイ(万歳)』の歌詞が全部出るのだが、
私はそれを読みながら聴いて、初めて腑に落ちたというか、
今まで観ていたのが何の話だったか、最後にようやくわかった。
彼らの住む『路地』とは、どういう場所だったのか、
男達を繋ぐ『中本の血』とは、何だったのか。
三味線に導かれて作品世界に入っていき、
それが閉じられるとき、また三味線と歌に謎解きをして貰った。

途中まで、まるで不協和音のように、戸惑う箇所が多く、
決して、後味が良いと言えるような作品ではなかったのに、
見終わった今、かなり、もう一度見たいという気持ちになっている。
寺島しのぶ本人と同様、幕が降りたあとからまた何かが募ってくる、
「後を引く」力のある映画だったなと思った。

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広島の年明けは、ちょっと映画が面白そうだ。

映画『ファースト・ポジション』公式サイト
バレエ・コンクール『ユース・アメリカ・グランプリ』に賭ける、
未来ある若いダンサーたちのドキュメントということで、
漫画『テレプシコーラ』を連想してしまうようなテーマだ。
東京では既に今月初めから公開されているのだが、地方は順次公開で、
広島は、サロンシネマのサイトを見たら、2月の公開予定作品の中に
『2月2日(土)より』と出ていた。

バレエに限らずコンクールものの多くは、
通り一遍のドラマとは比較にならないほど面白いものだから、
私はこの映画には非常に期待している。
……しかし、今年の私には、どうも公開時期が問題だ(汗)。
娘の入試が始まる前に行って来なければ、見る機会を逸してしまいそうだ。

これより先に、広島では来月公開予定のバレエ映画が、もう一本ある。
映画『バレエに生きる』公式サイト
振付師としてロマンティック・バレエの復活に尽力したピエール・ラコット、
その妻で、かつてのエトワールでもあったギレーヌ・テスマー、
常にバレエとともにあった二人の人生を追いながら、
オペラ座の過去60年にわたる貴重なバレエシーンを振り返る、
……というドキュメンタリーだそうだ。
2011年のフランス映画で、広島では1月19日(土)より、
こちらもサロンシネマで公開されることになっている。

ほかに、バレエとは関係がないが、同じサロンシネマでは、
眺めのいい部屋』(1月12日~)『アナザー・カントリー』(1月19日~)
などという、あまりにも懐かしい作品が、
このほどHDニューマスター版で上映されると書いてあり、そそられた。
どちらも私は、1980年代半ばの公開当時に観ている。
前者は私にとって、ダニエル・デイ・ルイスとの出会いの作品、
後者は、BL界の金字塔・古典的名作として忘れがたいものだ(爆)。
同じ思い出を共有する世代の方は、特にお見逃しなく。

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先日、「りぼん」の思い出を書いたら、熱く反応して下さった方が、
何人かいらっしゃった(ありがとうございます<(_ _)>!)。
やはり皆様それぞれに、どのような漫画を読んで育ったかには、
時代感覚や趣味や、家庭環境・交友関係が反映されており、
その途上では、『今日の私をつくってくれた』と言えるくらいの、
重要な作品に、大半の人がどこかで出会ってきたということだと思う。

「りぼん」以外にも、昔から漫画雑誌は様々あったので、
私自身、ほかにも忘れられない作品がまだたくさんあるのだが、
特に自分が小学生だった1970年代には、娯楽が少なく、
漫画そのものもなかなか買って貰えなかったから、
当時出会った作品については、今もひときわ強烈な印象が残っている。
友達から借りたり店頭で立ち読みしたりしたものが多く、
それらは自分のものにならないことが最初からわかっていたため、
記憶に刻みつけておく以外になく、それこそ一期一会の思いで、
必死に読んでいたのだろうと思う。

「週刊マーガレット」の池田理代子『ベルサイユのばら』(1972年)と
山本鈴美香『エースをねらえ!』(1973年)は、前回も書いた通り、
八百屋さん店頭での立ち読みで必死に追いかけていた二大連載で、
そのほか、「花とゆめ」の美内すずえ『ガラスの仮面』(1975年)も、
月に数回、町の医者にアレルギー治療のために通院していた小学生の頃、
そのバス停近くのスーパーに駆け込んで、大急ぎで立ち読みしていた(殴)
のが、今となっては忘れられない思い出となっている。
のちに自分の娘が当時の私の年齢を遥かに超えるようになっても、
まだ「ガラかめ」の連載が続いていようとは、
昭和50年代初頭には、全く想像したこともなかった(^_^;。

そのほかにも、あの頃、自分では買うことができずに、
立ち読みしたり、友人所有のものを見せて貰って、なんとか読み続けていた、
という事情のために、その後長い間忘れられなかった漫画がいくつもある。
例えば、1970年代に限定するならば、以下のような作品だ
(掲載年・掲載誌は雑誌連載初出時)。

里中満智子『あした輝く』(1972年)週刊少女フレンド
上原きみこ『天使のセレナーデ』(1972年)週刊少女コミック
山岸凉子『アラベスク第2部』(1974年)花とゆめ
竹宮恵子・増山のりえ『ヴィレンツ物語』(1974年)花とゆめ
大和和紀『はいからさんが通る』(1975年)週刊少女フレンド
萩尾望都『11人いる!』(1975年)別冊少女コミック
青池保子『イブの息子たち』(1975年)月刊プリンセス
いがらしゆみこ・水木杏子『キャンディ・キャンディ』(1975年)なかよし
青池保子『エロイカより愛をこめて』(1976年)別冊ビバプリンセス
有吉京子『SWAN』(1976年)週刊マーガレット
槇村さとる『愛のアランフェス』(1978年)別冊マーガレット
亜月 裕『伊賀野カバ丸』(1979年)別冊マーガレット

ひとつひとつについて、どの店で立ち読みしたのが馴れ初めだったとか、
どこそこに住んでいた友人○○さんから借りて毎号読んでいた、とか、
いつの連休のときにお父さんに買って貰った、等々、今も克明に覚えているし、
どういう友人たちとどの作品を話題にし、なんと言って笑っていたか、
どのギャグでふざけあっていたか、なども、ちゃんと記憶に残っている。
友人の家に遊びに行くと、どこの家にも大抵、我が家にない漫画があって、
ついつい読みふけってしまい、お母さんたちに、
「せっかく遊びに来とるのに、漫画読みよるんね。遊ばんのんね」
と呆れられたりしたことが幾度かあったが(汗)、
だってねぇ、友人とは学校でも毎日会えるけども、
漫画はその家に来たときでないと、読めなかったのだものね(^_^;。

こうした作品の多くは、18歳以降に一人暮らしを始めてから、
徐々に買い直したり集めたりしたので、今も手元に持っているものが多い。
50歳近くなった現在の私が読み返しても、面白いものもあるし、
「今ならコレは無いよな~(^_^;」
と思う場面を抱えているものもあるが、
それらも含めて、どれも大切な思い出であることには変わりはない。
その後は、私が老化したせいか、
それとも少女漫画の傾向自体が変わってしまったということなのか、
こうして一生手元に置きたいほどの作品に巡り会うことは、
もう、ほとんど無くなってしまったように思う。
皆無であるとは言わないけれども……。
もしかしたら、昔と違って、本屋と小遣いに不自由しなくなり、
私自身がハングリーでなくなったのが最大の理由かしらん。

そういえば、どうなんだろう、
娘の場合でも、少女時代に愛読した作品を、
やはり将来、こんなふうに思い返すようになるのだろうか。
私は自分がもっと漫画雑誌を買って欲しかったという記憶があったので、
娘が小さい頃、「読みたい雑誌があれば買ってあげよう」と言ったのだが、
小学生だった彼女は、なんと、すげなく「要らん」と返答した。
理由は、「読まん漫画まで載っとるから、無駄」。
嗚呼。
僥倖みたいに買って貰えた漫画雑誌を、折り目もつけないように扱い、
すみからすみまで繰り返し繰り返し読んだ私とは、なんという違いなのか!
そして彼女は、主人の買って来る「少年ジャンプ」「少年サンデー」で育ち、
たまに自分で選ぶものはと言えば、「月刊Gファンタジー」なのだった。

今、娘の本棚には、コミックスや文庫本で、
津山ちなみ『HIGH SCORE』(1995年)
杉本ペロ『ダイナマ伊藤』(1999年)
葉鳥ビスコ『桜蘭高校ホスト部』(2002年)
ぺんたぶ『腐女子彼女。』(2006年)
などが、並んでいる(^_^;。

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