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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



住み替えの件で某サ高住の相談員さんから連絡があったので、
午前中、現地まで行って来た。
入居予定の部屋が決まったので見せて戴き、申込書類を作成した。
結局、両親には私からは何も説明していないのだが、
トシもトシだし、二人とも理解力のほうは心許ないので
もう良かろうということで、入居申込の書類を作成し、
このあとは、次回私が時間を取って、通帳と銀行印とを持参して出向き、
契約書に署名捺印し、入居予定等を決定することになった。
都合がつく限り、サ高住さんのほうのケアマネさんも同席して下さるそうだ。

帰りに、徒歩圏内にある某老人ホームに寄ったら、
午前11時過ぎになっていたので、両親とも昼食時間で、
ふたりとも車椅子で食堂に出てきて、テーブルについていた。
父のほうはとても眠そうで、私に挨拶だけはしたが、
すぐにうなだれてウトウトしており、
「もうすぐご飯ですよ~」
とスタッフさんが呼びかけると、
「(目の前に食事が)出てきたら、食べる」
と目を閉じたまま、返事だけをしていた。

母もさきほど起きたばかりだと言いつつ、機嫌も体調も良さそうで、
まずはお茶を淹れて貰って、美味しそうに飲んでいた。
飲みながら少し咳をしていたので、やはり誤嚥はありそうだったが、
きょうのところは元気そうで、最近では最も爽やかな顔つきをしていた。

昼食メニューは「サラダうどん」がメインで、
母は、スプーンを手に取り、フォークでパスタを食べるように、
スプーンをくるくると動かしていたが、めんが巧く巻き付いて来ないので
「えらい食べにくいね」
と言い、何度か同じことを試したあと、
「お兄さん、お箸かフォーク、貰えへん?」
とスタッフさんに声をかけた。
スプーンの使い方としてはおかしいが、箸かフォークでもあれば…、
と私も見ながら感じていたので、
母の言うことは、解決の方向性として完全に妥当であると思った。

実は、黒っぽいお箸がスプーンと一緒に最初からあったのだが、
お盆もまた黒だったので、よく見えておらず、
母も私もお箸の存在に気付いていなかっただけだった。
スタッフさんに教えて頂いて、お箸に持ち替えたら、
途端に食べやすくなり、母の機嫌はなおった。
そして私を見て、にっこりと笑い、
「あんた、なかなか、ボインやね
と言った(爆)。
あまりにも、唐突だった。

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お盆休みの主人とふたりで、朝から双方の家の墓参りをした。
舅姑の墓のほうはお寺の一画にあり、
きょうは我々以外にも墓参の家族づれが多く、賑わっていた。
ふたりで掃除をし、墓石を磨き、花筒を洗って仏花を供え、
お灯明とお線香をあげて拝んだ。

それから、タクシーでうちの実家のほうの墓に向かい、
こちらは墓苑で、とても綺麗に清掃されていたので
持って来た榊を供えるだけでよく、
ふたり揃って二礼・二拍手・一礼の作法で拝礼した。
どちらの家の墓も、我々より先に誰かが参った形跡はなく、
もしこのあと来る人がいても、墓が綺麗になっているので、
安心して貰えるだろう(=我々が責められることはないだろう)、
とホっとした(^_^;。
やはりね、特に実家のほうはうちが本家だからね、
親戚に先んじて参っておかないと、あとあと、ね……(汗)。

その間、タクシーにはそのまま待っていて貰ったので、
墓参りのあと乗り直して、墓苑からすぐ近くにある、
両親のいる某有料老人ホームに行った。
6月に父が救急搬送されて某脳外科病院に行ったときに、
主人も一緒に来てくれたので、父の様子は主人もわかっていたが、
母に関しては、結構、久しぶりの面会となった。

母は目が覚めていて、我々が入って行くとすぐにわかり、
ベッドに寝たままの姿ではあったが、
「まあまあ、ご無沙汰いたしまして。こんなことで、すみませんね」
と愛想良く、主人に挨拶した。

ころもん「こちらこそ、お久しぶりです。お加減いかがですか」
母「ええ、ええ、まあトシですからね」
私「トシとったんは、なおらんな」
ころもん「落ち着かれたようで、良かったですね」
母「ええ、まあ、あなた、本当に、お元気そうですね」
ころもん「いえいえ(^_^;、それほどでもないんですが」
母「何かこう、全身から、元気というか勢いが見える感じですよ」

私「その後、具合は良いんかね」
母「ふん。だんだんに、ようなって来た感じするね。まあ今回はね、
 売薬やねんけど、バカにしたもんでない、よう効いてね。
 また説明してくれる人も、納得できる、ええ説明をしてくれて
 私ら、ああいう話を聞きゃよう理解できるからね、良かったよ」
私「ほうなん。体に合うた薬を、ええ薬剤師さんが、出してくれてんな」
母「そういうことや」

発熱して受診し肺炎と診断されたのに、市販薬を飲んだという、
このあたりの話は、正しくはなかろうと思ったが、
母が良いと思っているなら、無問題であった。
9日に発熱したあと、変更になった抗生剤が奏功しているということだろう。
父はよく寝ていたが、スタッフさんのお話では両親ともに、
昼食は完食できたとのことで、調子は悪くはなさそうだった。

母が少し寒いというので、エアコンのリモコンを見たら、
24度設定(!)の除湿冷房になっていたので、26度まで上げておいた。
母の額に触れてみたが、熱はなさそうで、悪寒ではなく、
やはり冷えすぎていたようだった。
熱中症は怖いが、24度ってヤリ過ぎでは(^_^;。
どうしてこうなった?「暑い」という苦情があったのかな(^_^;?

ということで、お盆の両家の墓参り&両親の見舞い、終了。
高齢ゆえ、両親に関しては明日以降がどうなるか何の保証もないが、
とりあえず本日の任務は完了した(^_^;。
住み替え』の件は、まだあれからどこからも連絡が無いが、
お盆明けには進展があるだろうか。

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母がまた発熱して受診をし、またしても肺炎とのことで、
当面、抗生剤を変更して対応することになった、
とさきほど某ホームから電話があった。
入院はしていない。

ここまでの経緯は、
7月8日発熱39度→10日に入院→21日退院、
7月27日発熱38度で受診、抗生剤服用開始、2日ほどで軽快
8月4日発熱38度で受診、抗生剤服用再開、2日ほどで軽快
8月9日発熱、尿量も少なく導尿、抗生剤変更。

抗生剤が効いて熱が下がっているときは外見上は元気になり、
よく食べるし、話もしっかりできるのだが、
この1ヶ月、結局のところ、なおってもまたすぐ肺炎の繰り返しで、
良い状態は保てていない。
もちろん、状態が良くなった途端に薬を止めている筈はないので、
飲みきった頃、次の肺炎が始まる、というペースなのだろう。
今日のは、状態と抗生剤変更の連絡だけで詳細がわからないが、
もしかすると前の薬が終わらないうちに発熱したのかも。

高齢者&認知症の、典型的な誤嚥性肺炎の反復だな(汗)。
このまま耐性菌になれば、抗生剤の切れ味が悪くなるだろう。
しかも母は、10年以上前から血液検査でクレアチニンが高めで、
腎機能が落ちていることがわかっている。
今回は導尿も必要だったということなので、いよいよ全身が老化している。
治療というより、どうすれば母がいちばん楽になるか、という問題だな……。

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両親がお世話になっている某老人ホームのケアマネさんから、先週、
系列病院の上階フロアがサービス付き高齢者向け住宅になっているので、
そちらへの住み替えを検討してみてはどうだろうかと提案があった。
サ高住というと、私のイメージでは、自立かそれに近い高齢者が
部分的な介護サービスを受けながら、自分たちのペースで暮らすところ、
と思っていたが、このサ高住は介護型で、しかも病院と同じ建物なので、
通院の負担なく、受けられる医療の幅が広がるとのことだった。

介護職員さんがいらっしゃるので、生活介助はこれまで同様に受けられるし、
下の病院から先生や看護師さんが居住区を訪ねて下さることが可能だし、
点滴や酸素吸入などの管理も、条件が揃えば自室で受けられる。
入院となれば、自室から下の病棟に移動するだけだ。
入院中の支払は、サ高住の部屋代と入院費の両方になるが、
それは今のホームでもそうして来たことだし。
母は肺炎の反復が心配であり、父も挙動不審で脳外科の受診回数が増えているので、
なるほど、こちらのほうが今の両親には条件的に合っているかもしれなかった。

それで、早速、ケアマネさんから手配して戴き、
昨日の午後、私はそのサ高住の見学に行って来た。
今お世話になっているホームと同系列なので、中の様子はよく似ていて、
費用的にも今のホームとほぼ同じで、何も違和感は無かった。
これまで通っていた病院の真上に住むことになる、
という点だけが変化であり、改善点であった。
資料によると、入居されているのは介護度4や5の方々が中心で、
両親は介護度3ではあるが、ここなら先々の心配もなさそうだった。

「わかりました。ありがとうございます。お世話になりたいと思います」
と私は即座に決めた。サ高住の相談員のかたは、それでも、
「ご両親ともお話になって、ゆっくりお考えになっても大丈夫ですよ」
と言ってくださったが、実はこの住み替えの話は今回が初めてではないのだ。
昨年秋に両親が相次いで入院したし、6月このかたここまでの1ヶ月半で、
父が救急車2回と通院2回と検査1回、母が入院1回と通院2回があった。
また昨年来、どちらも訪問看護に複数回、入って貰ってもいる。
これまでの、そうした入院騒動や訪問看護の計画の中で、
このサ高住への住み替えの話は、ケアマネさんからも病院側からも、
一度ならず出てはいたのだ。
私にしてみれば、もう決めても良い頃だ、という感じだった。

それに、あの二人と相談などしても、ラチがあかないことはわかっている。
仮に『住み替えをする』という意味内容が理解できたって、
よくわからないことは不安だし面倒に思えて、
「要らん」「またにする」的なことを言うに決まっているのだ。
そして、そう言ったところで、半時間も経てば覚えていない。
だからもういいのだ、私が決める。
きょうだいも居ないし、私が決定すればそれで終了だ。
老化はなおらないから、状況はこの先、悪くなりこそすれ、改善はしない。
今いるホームでも看取りまで視野には入っているのだが、
この先さらに、通院や搬送が頻回になるであろうことを考えると、
住み替えにより、「病院まで行く」という部分だけでも短縮できれば、
それに越したことは無いではないか。

手続や具体的な引越作業の段取りがこの先、必要になって来るが、
それはまた、呼び出されたとき私が応じれば良いことだ。
同系列の施設なので、この先の打ち合わせや聞き取り調査等も、
施設同士でして下さるとのことだった。
サ高住の帰りに、至近距離にある某ホームに寄ったが、
ふたりともほぼ寝ていて、案の定、話にならなかった。
母の肺炎のほうはその後、内服で落ち着いていて、
スタッフさんのお話でも、この2日ほどは平熱で、食事も完食、
状態は良いとのことだった。
抗生剤で回復はするが、薬をやめるともとの肺炎が再燃する、
或いは新たな誤嚥からの感染が再び起こる、
ということではないかと私は思っているのだが、経過をみるほかない。

父は目をあけて私を認め、「一生懸命やっとるよ」と
イミフなことを言っていたが、またすぐ寝入った。
一生懸命、生きている、のかな(^_^;。
90代も半ばになると、ホントに、息しているだけでも一生懸命よね。
全部私がやるから、寝てていいよ(^_^;。

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母94歳が7月10日に肺炎で入院し、21日に退院したのだが、
その後一週間ほどしてまた、湿った咳が出始め、38度超の熱が出た。
前回入院時から、肺炎を繰り返す可能性については説明されていたので、
残念ではあったが、ある程度、予想できていたことでもあった。
とりあえず、そのときは外来受診で抗生剤を処方され、
有り難いことにそれで軽快した。
私が1日に見舞ったときも、母は外見上は元気そうだった。

しかし、きょうもまた38度ほど発熱があり、
またしても、昼前に外来を受診することになった。
案の定、肺炎で、通常ならば入院となる状態ではあったが、
これまでと違ったのは、今回は
「入院適応だが、今、満床で受け入れられない」
と言われたことだった。

母本人はコロナやインフルはずっと検査陰性で、
ほかに悪いところもないので、おそらくは誤嚥性肺炎だろう。
長生きすれば誰しも最後に行き着くのは誤嚥だから、致し方ない。
トシもトシだし、老化は治療できないと私は納得してはいる。
無理矢理にでも今、母の治療をして助けて貰わねば、
などとは、もはや思っていない、のだが、私が何かを選択する前に、
ベッドがないから今日はとりあえず帰って貰う、
とハナから言われたのは初めてだった。
医療逼迫、やはりキテいる、のではないか(汗)。

週末でもあるので、抗生剤内服で母は様子を見ることになった。
月曜になっても悪ければ、またそのとき考える、とのことだった。

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もぎとった休日!きょうは何もしない!

昨夜は、神社用スマホの電源を切り、今朝8時まで爆睡してやった。
私用スマホは、病院やホームから何か言って来る可能性があるので、
24時間、電源は入れてあるが、幸い昨夜は全く鳴らなかった。

――ということで、まずは先日来、書きそびれていた母の話なのだが。

8日に38度台の発熱があり、解熱剤が切れるとまた上がることの繰り返しで、
最初は自力で食事を完食していたのだが、10日朝には食欲が落ち、
はかばかしくないということで10日にホーム系列病院を受診、入院となった。
検査の結果、COVIDではなかったがCTでは肺炎が認められ、
血液検査と尿検査で尿路感染症もあることがわかり、
どちらが発熱の原因とも言い難かったが、
ともあれ早速抗生剤を点滴して貰うことになった。
幸い、翌日11日は37度台まで熱は下がり、本人も楽になった様子だった。

11日に主治医や看護師・薬剤師・リハビリ担当技師、その他の方々とで
カンファレンスを行い、現状と退院までの計画についてのお話を伺った。
高齢なので誤嚥の可能性は高く、今後も繰り返す心配はあったのだが、
本人が「おかゆは嫌い」と言うので、普通食を維持することにし、
本人が希望しない限りは、「嚥下内視鏡検査」「嚥下造影検査」等も
家族としては積極的に望まない由、主治医に伝えた。
検査の不快さに耐え、問題ないとなれば安心はできるが若返る訳でなし、
一方、誤嚥があると診断されれば、今後は食べる楽しみが犠牲になる訳で、
それで残り時間を若干伸ばしたところで、意味があるとは思われなかった。
誤嚥がある限り肺炎も繰り返すことになり、それも楽ではないが、
最終的に何を優先するかとなると、
現状、それは「食べる楽しみ」ではなかろうかと私は思った。
また、94歳とあっては、特段の理由がなくとも突然の呼吸停止なども
あり得ないことではないと言われたが、これについても、
家族は蘇生措置を希望せず、ただ苦痛の緩和のみ、
最大限に行って貰いたいことを重ねて伝え、了承して戴いた。

母は、病院都合でたまたま個室を割り当てられ、快適だったのか、
「家いうもんな、ええもんや、こうしてお尻まくって世話して貰える」
とワケのわからぬことを言い、とりあえず満足そうではあった(汗)。
『お尻まくって』のくだりは、私が行ったときちょうど、
オムツ替えと清拭をして戴いている最中だったからだと思われた。
「なんしろ、年末はやっぱり忙しなるから、しんどなるわいね」
とも言っており、母は以前よく多忙さのあまり年末に体調を崩していたので、
体調不良の自覚から『年末で疲れた』状態を思い出したようであった。

母が居なくては、父のほうが寂しかろうと思い、
11日は帰りにホームにも寄ったが、
父は見た目はあまり変わりなかった(汗)。
着いたときにはちょうど夕食時間で、
父のメニューは最近はほぼペースト状のものばかりになっているのだが、
それらを一皿ずつ、自分でスプーン等を使ってきちんと食べていた。
途中でスプーンを降ろし、
「しんどいよね、ほんまに」
と言うので、
「手伝ったら、食べられるかね?」
と私が言うと、
「要らん要らん!」
と即座に断ってきたので、介助は好まないらしかった。
やはり、時間はかかっても自分のペースで食べるのが良いのだろうし、
自尊心の点からも、「あーんして?」みたいなのは嫌なのだろう。

そのあと12日からが怒濤の忙しさで私は見舞に行っていないのだが、
幸い、病院からもホームからも何も連絡がないので、
最低限、悪い変化はないまま経過しているということだと思われた。
きょうあたり、見舞うべきであると私は理性ではわかっているのだが、
外が暑すぎるのと、やっとやっと手にした休日を使いたくないのとで
今のところ私はまだ、家にいる(汗)。

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きょうは奇跡的に神社から呼び出されておらず、
雨でもあったので、朝、二度寝を決め込んでいたら、
午前9時過ぎ、枕元のスマホが鳴った。
出てみると、両親がお世話になっている某老人ホームからで、
「今度はお母様なのですが……」。
母が今朝から発熱していて、それも38度台後半に達しており、
症状は鼻水等で、いわゆる風邪系の状態だという。
ただ、朝食は完食し、元気がない訳でもなさそうとのことだった。

それで、この土曜日曜はホームに内科の先生が居て下さるので、
「臨時受診のかたちで診て戴きますがよろしいでしょうか」
と、家族の許可を得るのが電話の目的であった。
私に異存のあろう筈がなく、すぐ診て戴けるのは幸運だったと
お礼を申し上げて一旦、電話を切った。

次に、診察が終わったあとまた電話がかかってきて、
当面、解熱剤で様子を見ることになったと報告があった。
熱はあれから39度まで行っているそうなのだが、
呼吸は楽そうであり、胸の音にも異常がないので、
少しこのまま経過を見て、必要あれば系列病院のほうで検査等、
また考えるということだった。

急な発熱なので、なんらかのウイルス感染なのだろう。
話題に出ていなかったが、コロナやインフルの検査はしたのだろうか。
集団生活だからそこはチェックしていると思われるが、
あとでまた、機会があったら尋ねてみよう(汗)。
昨年の晩秋に母はやはり同じように上気道炎+高熱の症状が出て、
結局、右肺下葉に肺炎の像があるということになって
ホーム系列病院に入院した
ものだった。
トシを考えると、もうどんな不調でも何でもアリだし、
先月から、面会客はマスク着用だが時間制限等はなくなっているので、
各種夏風邪等、外から入って来る可能性が、以前より高まってはいた。
そうでなくても、両親の居るフロアは認知症の入居者さんばかりで、
管理能力が衰えているため、普段から全員ノーマスクだ。
諸々、致し方ないと思っている。

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6月13日と19日に、父の様子が普段と違うということで、
某老人ホームのスタッフさんから連絡があり、
急遽、救急車で某脳神経外科病院を受診し、
きょう、改めて細かい検査をすることになっていたので
今度は予約を取ったうえで、介護タクシーで、出かけた。
13日は「体が右に傾く、スプーンを巧く口に運べない」、
19日は「声をかけても傾眠状態で反応が乏しい」、
等々が受診理由だったのだが、症状はいずれも数時間持続したあと
緩やかに回復し、ここ数日は特に問題となるほどの変化はなかった。

13日と19日にも父は救急で頭部の検査を受けていたし、
19日には更に、血液検査や尿検査もしてあったので、
きょうは、改めての頭部MRIと、脳波の検査があった。
19日までの検査結果では特に問題となるところはなく、
その時点での脳梗塞及び内科的な異常については否定的であったので、
あとは、症候性てんかんではないかどうかを確認するのが、
今回の主な目的であった。

父はきょうは本人比では元気で落ち着いており、
検査受付のところでは、生年月日やアレルギーの有無など
自分で適切に答えることができたし、
幻視があるような様子もほとんどなかった。
とは言え、面倒くさいことには全くやる気を見せないのが常なので、
脳波検査中の、「(息を)吸って~、吐いて~」などの指示に、
果たしてどれくらい従うことができたかは、謎であった。
また、静かになると父はすぐ寝るので、
取れるのはほとんど軽睡眠期の脳波になりそうだったが、
てんかんの診断には睡眠中の脳波記録が有用であるはずで、
多分、それはそれで悪くなかった。はずだ(^_^;。知らんけど。

朝8時半から行って、ほとんど午前中全部を費やして、
検査から検査へと私が父の車椅子を押して渡り歩き、
待合ではよそのお婆さんのお話相手も務めたりした挙げ句、
最後に主治医の先生の診察があり、出た結論は、
「特に異常を指摘できる箇所が、ない」。
てんかんの薬は、試しに服用してみるという性質のものではないし、
脳波もごく普通の状態なので、投薬のしようがない、と。
何も解決していないと言えば、まあ、そうだが、
何も異常が無かったというのは、ともかく有り難いことであった。
トシがトシなので、そりゃいろいろオカシいことはあるだろうよ(^_^;、
と私は思っているので、検査結果に満足し、先生にお礼を申し上げた。

という次第で父はひとまず、脳神経外科は「終診」の扱いになった。
もちろん何かまた心配なことが起これば、いつでも来てよろしい、
と言って頂いたが、定期的な検査などは必要ないとのことだった。
一件落着。先のことには何の保証もないけど(^_^;、まあ、良かった。

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父93歳(母94歳も)の検査や治療について、
私自身は身内として一貫した希望を持っていて、それは、
「本人ができるだけ苦痛なく過ごせるようにしてやって欲しい。
病気でも、何かが起こっていても、本人に苦痛が無いならそのままで良い」
というものだ。
ここで言う『苦痛』とは、文字通り、
どこかが痛い・苦しい・早くなんとかして!と感じる状態のことだ。
それは解決、…が無理でも、できるところまで緩和してやって欲しい。
悪性疾患とは事情は異なるが、緩和ケア的なことを私は望んでいる。

そういう意味で、先日来、父が救急車で二度、搬送されたことを、
私自身は、心から100%、肯定している訳ではない。
最初、6月13日にホーム系列病院から電話があったとき、
父の体の動きがおかしく、いつもできる食事が巧くいかないので、
これから救急病院を受診して頂こうと思う、という報告だったので、私は実は、
「遠くの病院に搬送され検査を受けることも父には楽ではないだろうし、
本人が今、解決したい苦痛があるというのでなければ、また明日でも――」
と言ったのだ。
しかしお医者さまのほうが、
「いえ、急性期の状態であると考えます」
と、私の呑気さを咎めるようなニュアンスで仰ったので、
そう言われて敢えて断るのも変だし、
検査で状態を把握するのは良いことでもあるかと考え直し、
救急車で24時間体制の病院に行くことに、結局同意したのだった。

『人生会議』のパンフレットは何度も読んだし、
蘇生措置等を望まないことは書面にして、病院にもホームにも渡してあり、
父本人も、「痛いところが無いのがいちばんいい」と前々から言っている。
私は、父がこのあと、どうかなったからと言って、
「早く対処すれば助かった!」等と病院を責めるような考えは無い。
嫌がらないのであれば・体が楽になるのであれば、
点滴や酸素吸入などはして戴けると良いのかなとは思うが、
僅かでも身体の拘束はあるのは確かなので、しない選択もあり、だろう。
安定剤や鎮静剤で和らぐ苦痛なら、内服や注射の方が良いかもしれない。
経鼻栄養やIVH、胃瘻などには私個人は賛成でない。
説明を聞いたうえで本人が望めば、敢えて止めはしないけれども。

しかし、私本人が在宅で納得ずくで24時間、面倒を見ているならともかく、
ホームにお願いしている以上は、職員さん方の思いもあり、
いくら看取りまでをカバーする施設であるとは言っても、
検査結果や診断によっては対処が変わる可能性もあるし、
できる処置があるかもしれないのに、手をこまねいているのは、
言葉はアレだが「見殺しにする」的な不安や罪悪感が耐え難く、
とりあえずは前向きに何かできることをしよう、となるだろう。
『なんで放っておいたんですか!』
と、最後になって突然文句を言い出す家族も、中にはあるのだろうし。

目下、コロナの急拡大その他の事情で、救急医療は逼迫しつつある。
医療リソースを費やす場所は、ここではないのではないか、
と私は、父の楽そうな寝顔を見るにつけ、思うのだ(大汗)。
「特に何もせず、いつも通り、そのまま過ごさせてやってください。
苦痛さえなければ、亡くなっても私は良いと思っていますので」
と私が再度、言うべきだろうか。
あるいは書面にしたほうが良いのか。
私がそう決めたのだから、施設も病院も、何も責任を感じることはない。
誰かが悪いのだとすれば、私が悪い、ということで構わない。
うちには『カリフォルニアの娘』も居ないので(^_^;、私の一存。

……と思いを巡らす、今日このごろです(^_^;。

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きょうも父93歳が具合が良くなく、救急車で病院に行ったのだが、
救急病院はかなり混雑していて、なかなか順番が来なかった。
暑いので熱中症が多いからか、コロナが急増しているからか。
あの「救急車が来ない」「受け入れてくれる病院がない」状態が
再度始まることを、そろそろ覚悟しておいたほうが良さそうだ。

それはともかくとして、本日時点ではとりあえず有り難いことに、
父は検査データ上は目立つ異常が無く、
きょうもまた、某老人ホームに一旦、戻ることになった。
帰りは介護タクシーさんをお願いして、私も一緒にホームまで行った。
様子を見つつ、来週また検査と診察を受けに行くことになっている。

私自身、今年は神社関係が過去最高に忙しくて、
正月以降、今に至るも合間合間の半日~1日の休日がせいぜいで、
相変わらずキツキツのスケジュールで動いているところへ
きょうも、またしても父の受診騒動でバタバタして、
『紀尾井町家話』の配信が今夜だということをすっかり忘れていた。
わかっていた筈なのに、途中から、明日だと完全に勘違いしていた。
『松緑1人語り』ということで、お便りも質問も考えていたのに、
書いて送る暇が全く無く(泣)。

仕方ないから、夜更かしになるが、
これからアーカイブの視聴を始めることにした。
体調管理の面からは早寝するべきだとわかっているのだが、
こんなことくらいしないと、ストレスが解消されんわ(--#)。
忙しくなるほどに、自由に使える時間が深夜のみになり、
日々、夜更かしが止まらなくなる。

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