goo blog サービス終了のお知らせ 
転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



ここの日記の更新が無いということは、
つまり、前も書いたが私が昼間、家に居ないということだ。
多忙過ぎてどうにもならない。出ずっぱりである。
帰宅して晩ご飯や入浴が終わったらもう就寝時間。
秋祭シーズンが年々キツくなっている(^_^;。
七五三どころか、既に正月の予約をサバく時期に入ってきたし。
ホントに誰か電話番だけでもやってくれないかしらん。

折悪しく、父93歳の具合もあまり良いとは言えない。
昨日も某サ高住に寄ってみたが、父は点滴されつつベッドに寝ており、
目覚めてはいても、とろんとした様子で、目は合うが会話は難しかった。
顎や舌、口の周辺の筋肉を使うために物凄く努力が要る、
という様子になっていて、食事も経口摂取はほぼ出来ていない。
ゼリー状のものを何口か飲み下せる程度で、
それもすぐに途中で無理になるので、誤嚥が心配な状態だ。
スタッフさんのお話によると、腰に褥瘡ができかけているとのことだった。
マットをあて、入浴のときに清潔にして特殊な軟膏を使っているが、
体動そのものが減ったので、なかなか管理が難しい。
16日(月)に皮膚科の専門の先生の診察があるそうだ。

母94歳のほうは、誤嚥性肺炎さえ起こさなければ特に困ったことはなく、
車椅子生活ではあるが、心身ともに穏やかで、自由に暮らしている。
昨日の昼食も常食で、ほぼ完食だった。
私が来れば満面の笑顔で喜ぶし、スタッフさんとのお喋りも楽しくできるが、
記憶が長く定着することはなく、すぐに眠くなって、うたた寝している。
日常の不満を電話で私に訴えることも、もう、全く思い出さなくなった。
完全にボケ倒しているのではなく、私のことも自分の状況も、
ひととおりは理解しているが、首尾一貫した思考は長続きしなくなっている。

両親とも、本人達にとって主観的に苦痛なことがないのであれば、
別に何も問題はないのではあるが。
90も半ばになればトシに不足は無いので、ラクでさえあれば万事OK。
父が、眠ってばかりいる・食事をしなくなる、のは典型的な老衰であり、
93歳にとって、それ自体は悪いことではない、むしろとても自然なことだ。
……とは思っているのだが、冒頭に書いたように、
私は基本的にこのあとも多忙で、およそ節分までは体が空かない。
今すぐ来いと言われても、どうにもならない時期が巡って来るので、
今すぐ来いと言われるような状況に、できたら、ならないでほしい(逃)。

Trackback ( 0 )




両親は、8月末に、某病院の上階に位置する某サ高住に住み替えし、
以来、特に問題なく過ごせている様子ではあるが、
先月下旬から父のほうが眠ってばかりいるようになった。
声をかけてもハッキリと目覚めることが少なくなり、
いくらでも寝ているので、ほぼ、ベッド上の生活になった。
床ずれ予防のマットとクッションを搬入する由、
さきほどケアマネさんから連絡があった。

父は食事が進まないので、適宜、点滴をして貰っているが、
この先回復しなくても、私としては胃瘻(いろう)などは考えていない。
9月24日に行ったとき、最近は食事もせずに眠っていることが増えたと
スタッフさんからお話があったが、あれからも改善している様子はなく、
9月28日と10月2日に私が行ったときは、どちらの日も、
父は仰向けでこんこんと眠っていて、全く目を覚まさなかった。
特に苦痛がある様子ではなく、呼吸も穏やかだった。

「お父さん、よう寝てはるわ。ようあんだけ寝られるね。どないしたんかね」
と母が言うので、
「トシやから、仕方ないやろ(^_^;」
と私が答えたら、母は、
「トシ言うたら、私のほうが上や」
と案外、マトモなことを言った。
合ってる(^_^;。母のほうが一つ半くらい年上だ。
転姑ばーちゃんは、ヘルパーさんに向かって「うちは58よ。若ぅ見えるけど」
と言ったりしてオモシロかったのだが、母にはそういうところは無い。

母は現時点では特に問題はなく、私が行くのは大抵午後なので
日課としてはロビーに出て過ごす時間帯になっていることが多く、
雑誌を見たり、リハビリの塗り絵をしたりしている。
サ高住への引越を考えた理由は、直接には、
母の誤嚥性肺炎が頻回になったからだったが、
父のほうも今や、常時点滴みたいなことになったので、
どちらにとっても良いタイミングだったな(汗)、と感じている。

両親ともこれまでのところは、私のことは認識しており、
面会に来たのに「どなたですか」、的な珍事は起こっていない。
しかし二人とも精神活動は衰え、鈍化していて、
目の前の状況は一応わかるが、何かを総合的に判断することは無理だし、
以前の出来事を時系列に沿って思い出すことももう出来ない。
母の文句がほぼ無くなったので、私としては有り難いが(殴)。
愉快でたまらん毎日とは言えないが、心身の苦痛もとりたてて無さそうで、
93歳と94歳のペアが同じ部屋で最後まで(だろう)ともに過ごせ、
人生の終末期としては、まあ「アリ」かな、と思う、今日このごろです。

Trackback ( 0 )




あれから我々夫婦の分の、広島市のワクチン接種券が来た。
実家のほうにも両親用のが届いていたので、
サ高住の詰所に提出しに行った。
着いたのは午後4時前だったが、両親は寝間着のまま、
きょうはマスクを着用して車椅子に座っており、母いわく、
「おはよう。今、起きたとこ」
とのことであった。
両親とも、最近は眠っている時間が長く、特に父のほうは、
食事も取らずに眠っていることが増えたとのことだったが、
年齢を考えても何も頑張る必要はないので、そのとき一番ラクなように
させてやってくださいとお願いし、職員さんにも改めて了解して戴いた。

それから、車椅子を押されて、ふたりはロビーに出て、
ほかの入居者さんと一緒に、テレビのほうを向いて並んだ。
居室から出るときはマスク着用が決まりになっているようで
集まっている人達は皆、一様にマスクをつけていたが、
うちの父などはすぐに勝手に外してしまっていた。
マスクは基本的にうっとうしいので、きちんと着用することは、
やはりある程度、意思の力がないと継続できないものだなと思った(汗)。
私とて決して、マスクがキモちよくて手放せない、…のではないからな。

スタッフさんが空いた椅子を下さったので私も一緒に座った。
皆、特に何かを話すというほどでもなく、リラックスした感じで、
それぞれ車椅子や背もたれつきの椅子などに座っていた。そして、
「これからテレビ体操を流しますね。無理のない範囲で、
できるところを一緒にやってみてください」
と全体に声掛けがあり、画面に体操の映像が出てきた。

テレビ体操は、内容的には私には初めて観るものだった。
立っている人と座っている人、両方の姿勢でできるようになっており、
イントロの音楽が流れ、まずは、軽く両腕を上げる運動、
……となって、音楽に合わせて両腕を上げたのは、私ひとりであった(爆)。
入居者さんたちは、ただ画面を眺めているだけで、何もしなかった。

つきあいとは言え、始めた以上いきなりやめるのも申し訳ない気がして、
私は一応、座ったまま、テレビの動きのとおりに体操を続けた(汗)。
音楽が流れ続け、テレビ体操の動画が進行し、
広間に集まった数十人の高齢者が無言で画面を凝視する中、
私ひとりが体操をしているという、シュールな図(大汗)。
…と、もうひとり、部屋の端のほうで、お爺さんがときどき足踏みをしていた。
それはテレビの体操の動きと、リズムや方向が合っていた。
この方は、車椅子でなくソファに座り、横に歩行器が置いてあったので、
そのほかの大半の方々よりは、体が自由になる方のようであった。

なるほど、テレビ体操の画面を見て、そのとおりに体を動かす、
というのは、結構な精神力・認知能力・身体能力を要するものだったのだ。
毎朝毎晩、オンラインエアロビクスが延々とできる転夫ころもん氏は、
大変優秀なヒトであると、帰宅してから私はしみじみと思った(違)。

Trackback ( 0 )




朝から某サ高住に行って、業者さんと待ち合わせ、
両親の部屋から不要な荷物を出し、実家に運ぶ作業をして戴いた。
段ボール10箱余りと、ハンガーラック2本、カラーボックス1つ、
書籍類、バケツや洗面器、小物、等々あった。

両親の暮らしぶりについて、サ高住のスタッフさんにお尋ねした範囲では、
引越の日に私が整理してチェストに分類して入れた衣類その他の品々で、
現状、何も不自由はないとのことで、多分、今回の私の判断は
そんなに間違っていなかっただろう、と思うことにした。
業者さんは、先月末に某老人ホームからここへ移るときにもお世話になったので
既に状況を把握してくださっており、とてもスムーズだった。
車で15分ほどの実家まで、その足で荷物を運んで戴き、
母屋の裏の納屋の、空いている場所に運び込んで戴いた。
ありがとうございました!!

この作業の間、両親はどちらも、高いびきで寝ていて、
途中で母が左肩のあたりが痒いと言って起きたほかは、何もなかった。
痒いという箇所を掻いてあげたら、母はすぐにまた寝入った。
父のほうは、こちらの荷物移動で大きめな音がしたときだけ、
いびきが途切れていたが、完全に覚醒することはなかった(汗)。

夕方前に、サ高住から電話がかかってきて、
母がまた、発熱していて37度9分、とのことだった。
コロナの抗原検査は陰性で、咳や鼻炎なども全くなく、
本人は元気で食事も完食とのことで、
状況からは、誤嚥性肺炎の再燃だろうとのことだった。
しかしもう、食事は好きなようにしてよろしいと主治医の先生も仰り、
また数日、抗生剤の点滴をすることになった。
病院の上階のサ高住に来た甲斐が、つくづくあったというものだった。


追記:どうも見慣れない椅子が1脚、両親の部屋にあったので、
今いるサ高住は家具のレンタルは無いし、前の老人ホームで借りたものだろう、
間違って、…つまり誰も気付かずに、引越のとき持って来てしまったのだろう、
と見当をつけて、某老人ホーム生活相談室に電話をかけた。
確認して貰ったところ、果たして、椅子1脚が返却できていないことがわかり、
老人ホームのスタッフさんが、サ高住の両親の部屋に早速行って下さり、
確認のうえ、確かに貸し出していた品ということで、引き取りをされた。
サ高住の相談員さんとチーフの方も立ち会って下さった由、電話で報告を受けた。
私が自発的に申し出たことについて「ご丁寧にありがとうございました」と
老人ホームの係の方から御礼を言われたが、こちらとしても、
あとで請求が来てもアレだし(^_^;、スムーズに決着がついて助かった。

Trackback ( 0 )




・3日に両親の居る某サ高住に行って、荷物の整理をあらかた終えた。
似たようなカーディガンやズボン、寝間着や肌着、タオル類が山ほどあったので
アイテムごとに枚数を厳選し、よけいなものは箱に詰め直した。
引越でお世話になった業者さんと、このあと日時の打ち合わせをして、
余分なものを実家に送り返すつもりだ。
もう業者さんにメールは出した。

・母はあれから、自室でずっと点滴治療を受けて過ごし、
病院上階に位置するサ高住に来た甲斐があった、という毎日になった。
昨日で血液検査の炎症反応が落ち着いたので、抗生剤の点滴が終わったが、
9月になってからも37度前後の微熱のある日が多かったので、
治療をやめるとまた誤嚥性肺炎を起こす可能性が高そうだ。
しかしそれも老化なのだからどうしようもないことだろうと思う。
抗生剤点滴以外の対処の方法は無さそうだし、原因も解決しないのだから、
あとは、この状態でどこまでもつかどうか、という話だろう。
誤嚥から来る窒息とか、体力低下&腎不全などもあり得そうだが、
既に94歳で、頑張ってモたせて欲しい年齢でもないし、
基本的には自然に任せて、苦痛の軽減に注力して貰えればと思っている。
この病院には緩和ケア病棟もあるので、その面では期待している。
また、両親いずれについても、心肺蘇生をしないという意向の書類は
かなり以前から提出してある。

・父は、さかんにベッドから脚を下ろそうとして、案外活発な感じだった。
本人にとって今や自由時間だけは際限なくあるので(汗)、
じりじりと体をずらして、ベッドから出ることを、
飽くことなく試みるだろう、と思われた。
父のベッド脇には最初から、床にマットを敷いて貰ってあるので、
落ちるかたちでベッドから降りても、まあまあ衝撃は和らげられるだろう。
また骨折したら大変だから気を付けよう、
……というような判断力はもう全く無い訳よねえ。
最近の父の、私への質問は常に、
「あんたぁ、今、どこに住んどるん」
「あんたの子供は、どうしよるん」
私が誰であるかについては、迷いは無いようだ(^_^;。

Trackback ( 0 )




昨日は、両親が、これまでお世話になった某老人ホームから
系列会社の某サ高住へと、『住み替え』をする日であった。
朝9時にホームに行き、これまでお世話になったフロアのスタッフさんや、
ケアマネさん、相談員さん、受付スタッフさん等々に、
ささやかではあるがお礼のお菓子をお渡ししてご挨拶をし、
それから居住フロアまで上がってみると、
既に、ふたりとも着替えができており、車椅子に座っていた。

荷物は前日のうちに、サ高住のほうに業者さんが運んでくださっていたが、
身の回りで使っていたものだけ残っていたので、台車を借りてそれを運び出し、
1階の駐車場で待機してくれていたサ高住の送迎車に乗せた。
それから、両親もサ高住のほうの車椅子に乗り換え、
送迎車に乗せて貰って、私も同乗し、ホームを出発した。
スタッフさん方が出てきてくださり、手を振って見送ってくださった。
実に、良いホームだった。母はよく食事に文句を言っていたが。
母の我が儘に忍耐強く付き合って下さったし、
父の骨折騒動や、先日の脳神経外科受診などにも迅速に対応して戴けた。
本当にお世話になりました。ありがとうございました!

行き先のサ高住は、同じグループの会社で目と鼻の先にあるので、
すぐ到着し、先日来、お世話になっている相談員さんが出迎えて下さった。
申込の段階では、到着したらまず病院のほうの外来を通って、
……と聞いていたのだが、行ってみたらその必要はなく、
あとで主治医の先生が居室をお訪ね下さることになっており、
有り難いことにふたりはすぐに部屋に上がることができた。
荷物その他と一緒に私が相談員さんと一緒に上がった頃には、
ふたりは居室でテレビを眺めていた。

やがて看護師さんが来られて、体温や血圧を測定したところ、
母が体温37度2分だったほかは、ふたりとも何も異常はなかった。
ややあって、「体操」があると言って呼ばれると、とくに逆らわず出て行き、
そのまま昼食時間になったようで、しばらく戻って来なかった。
それで私はふたりの留守間に、作業に集中することができるようになり、
次々と荷物を開封し、中身を仕分けし、チェストや洗面台に要るものをセットし、
不要品と思われるものは実家送りにするために再度、箱に詰め直し、
3時間ほど作業し続けて、かなりの部分、片付けることができた。
途中で覗いてくださったスタッフさん方が、
「わ、すごーい!」「もうこんなに!」
と部屋の片付き具合に感心してくださり、励まされた(^_^;。
転勤族時代を思い出すよね、こういうの。

昼食のあと部屋に戻ってくると、ふたりともベッドに寝かせて貰い、
さすがに疲れていたとみえ、すぐにお昼寝に入った。スタッフさんが私に、
「『娘さんがお昼御飯がまだで、お気の毒ですよね』とお母様に申しましたら
『そんなことはないんよ』と仰ってました(^_^;」
と報告(笑)してくださった。
私が食事抜きで作業していることなど、二人は気付いていないのだろう(^_^;。
『住み替え』をふたりはどう思っているのか、見たところ不明だったが、
父のほうは、やや興奮状態かなという印象はあった。
寝たと思ったらすぐ目を開けて、普段ないようなハッキリした口調で、
「最近は、世の中では本の扱いかたが酷いと思うね」
と唐突に(汗)言ったりした。

そのあと、施設内で担当者会議があり、ケアマネさんのほか、
訪問看護、訪問リハビリの担当の方や、理学療法士さん、
介護スタッフさん、等々が集まってくださって、
両親について、確認や情報交換があった。
老人ホームのときもだったが、チームとなったスタッフさん方が、
ふたりの状況を把握してくださり、ケアプランに沿って意識統一をし、
このように手厚く看てくださる制度が整っているなんて、
なんと、二人にとって幸せなことかと思った。家族としては、
「積極的な治療等は望まないので、ただ、苦痛無く穏やかに過ごして欲しい」
という希望を、再度、お話し、受け入れて戴いた。
皆様、お世話をおかけしますが、どうかよろしくお願い致します<(_ _)>!!

これで2時頃になったので、私は残りの作業はまた今度にすることにして、
昨日は夕方前にサ高住を後にした。
次回、行ったら荷物のうち不要物をまとめなおし、業者さんに連絡を取り、
実家への配送の手配をしようと思っている。
よけいなものが無くなれば、部屋は十分、スペースがありそうだった。
ここに入る直前に某ホームセンターで調達したチェスト2つも、
部屋で見るとまことに具合がよく、良い品々であることがわかった。
片付けが終わったら、ナイトテーブルなども買って来ようと思った。

……ということで昨夜、私は、寝る頃になって軽く腰痛が出てきた。
筋肉痛の感じで、昼間の労働がキいているのは明らかだった。
最近は引越をしていなかったので、ああいう作業は久しぶりであった。

Trackback ( 0 )




足の痛みは無くなった
私の、左足の外くるぶし剥離骨折の跡が痛むのは、26日土曜日になおった。
土曜日は、神社仕事からホームセンターのいろいろで、
かなり足を酷使したのだが、結局のところ、
動かしたら痛みが悪化する、というものでもなさそうだった。
何をしたら・何があったら痛みが出るのか、相変わらず不明で、
湿布をしているうちに、数日で改善したのも以前と同様だった。
できない動作は何もなく、傍目には完全に普段どおりだった筈だが、
自覚としては、痛い間は結構、何かにつけて不快だった。
これのためにロキソニンを飲もうかと思ったくらいだった。
来年の夏はどうなるだろうか……。

母94歳またしても発熱
母がまた発熱した由、さきほどいつもの病院から電話があった。
検査したところコロナではなく、発熱の原因はつきとめられていないが、
先月から肺炎を繰り返しているし、CTで食道裂孔ヘルニアも観察されるので、
やはり誤嚥があるのだろうと言われた。
とにかく明日の朝、その病院の上階にあるサ高住への住み替えのため、
引越することになっており、やはり良いタイミングだったという気がした。
今後は外来と点滴で様子を見ると、電話でお医者さまが仰っていたが、
そういうケアを受けやすくすることこそが、今回の住み替えの目的なのだ。
これからは、もし毎日のように注射や点滴などが必要になったとしても、
病院まで出かけるという負担なしに、自室で受けることができるし、
入院となっても、上のフロアから下のフロアに移るだけだ。
目下、熱のわりに本人はケロっとしていて、
特につらそうな様子は無いとのことで、何よりであった(^_^;。

お礼の品、発注
秋祭のときに助勤で来て戴く、近隣の神社の神主さん2名と笛太鼓さんに
それぞれお礼をお渡ししないといけないので、お酒と和菓子を発注した。
一旦は私が立て替えて、領収証を神社会計に後で提出して、清算して貰う。
去年もそうしたので、今年もそれで大丈夫だろう。
暑くて外に出るのがイヤで、楽天で手配したのだが、
考えてみると、購入したぶんのポイントが私個人のアカウントにつくので、
厳密に言って、これって不正なんだろうか(汗)。
あとで何か神社のものを買うときにポイントを使って相殺すれば、良い?
この考えで、合ってる(^_^;?

Trackback ( 0 )




午前中は神社業務があり、草抜きしたり、大幣をこしらえたり、
社務所であれこれ片付けたりして、だいたい終わったので、
帰ろうとしたところで、「御守ください」と授与所に参拝客の訪いがあった。
それで、求められるまま厄除開運御守をお授けして、
一旦、実家に帰り、洗濯と片付けをやっていたら、
スマホが鳴り、社務所に残っていた副総代長さんから呼び戻された。
用件は、「御朱印帳、書いて欲しい人が来られているので」。

書道有段者の巫女さんがきょうは居ないので、
私が書いても副総代長が書いても変わらないのでは、
……と思ったが、私が書いたほうがいいと思ってくださったのなら、
光栄なことであった。
書き置きも常に用意はしてあるのだが、直書きのほうが好まれるので、
今日はお役に立てて良かった。

尤も、御朱印をお授けするときに、文字は本来どうでもいいのだ。
結構多くの方が誤解されているようなのだが、御朱印で大事なのは
名前の通り「印」であって、書き文字の巧拙に意味はない。
金釘(かなくぎ)流よりは、読める文字のほうが良い、という程度だ。
どころか、文字なんかそもそも無くても構わないのだ。
伊勢神宮の御朱印を見よ。
内宮に行っても外宮に行っても、
文字通り印ひとつがド真ん中にあり、あとは日付しか書いてない。
あれこそが本来の「御朱印」というものだ。

さて、ということで神社仕事が全部終わったのが、午後2時前であった。
そこで私はおもむろにタクシーを呼び
(いつも書いていることだが、実家界隈は鉄道は来ていないし、
最寄りバス停まで徒歩20分はかかる。炎天下に歩きたい距離ではない)、
某ホームセンターまで、両親用のチェスト兼テレビ台を買いに出かけた。
某老人ホームから、系列病院の上階にある某サ高住に住み替えする件で、
今度の行き先には家具類のレンタルがないので、
最低限、テレビ置き場と、肌着等の衣類の収納場所となる、
チェストというかタンス的なものを調達する必要があったのだ。

何しろ急に入居の日取りが決まったので、
お取り寄せしたり、ゆっくり組み立てたりしている暇はなく、
すぐ配達して貰える完成品の中から選ぶことにした。
そうしたら、店頭展示品でも構わないかと尋ねられたので、
私としては全く異存なく、ほぼ処分価格の品を手に入れることができた。
それでも、ウォールナット色のチェストふたつを
父親用と母親用と揃えることができたし、
それらは同シリーズなので規格も揃っており、
ふたつ並べてもスッキリしていて、なかなか良かった。

配送は、両親入居の日の午前中ということで、
サ高住に念のため電話をかけて、家具の搬入のとき私が立ち会えなくても
受け取っておいて貰えるだろうかと尋ねたら、
ふたつ返事で引き受けて下さり、これまた大変有り難いことだった。
これで、両親が入居する日には、家具も揃うことになった。
私が二人に付き添って、病院外来でうろうろしている時間帯でも、
サ高住のほうで受け取りは完了して貰える。

このチェストの一方をテレビ置き場にして、
両方の引きだしに衣類その他を、入りきる程度に厳選して片付け、
残りは箱に詰め直して実家に……、というのが私の計画だ。
ものごとは往々にして、頭で思い描くより実際には大変なので、
両親の部屋も片付くまで私にとって難行苦行のような日々になるのでは、
と今から頭が痛いが、やらない訳にはいかない(汗)。
9月前半でこれに決着をつけなければ。
9月後半は巫女舞稽古が始まってしまうよ(大汗)。

Trackback ( 0 )




両親が、これまでの某有料老人ホームから、
同系列の病院の上階にある某サ高住に住み替えをすることになり、
私のやる書類手続のほうはほぼ完了したのだが、
本日、引越業者さんからお電話があり、
端的に言って「荷物が多すぎる」旨、お話があった(汗)。

もちろん、言い方にはもっと配慮がなされていて、
十分に丁寧な言葉で仰ってくださったのだが、
詰まるところ、両親の現在の居室には荷物があふれており、
行った先では今のように家具のレンタルが無いとなると入れるところがなく、
つくりつけクローゼットに入れるだけ入れたとしても、
残りはいかが致しましょうか、とのことであった。

こういうことに関して、私は決断が早いのが取り柄である(大汗)。
「段ボールのまま、新しい部屋に入れて、積み上げておいてください」
と即答して終わらせた。
だって、ほかにどうしようもないではないか。
今居る老人ホームの部屋は期日までに空けなくてはならないのだから、
ゆっくり仕分けしている暇はない。移動することが先決だ。
新住居で入れ場所がなさそうなら、箱で積み上げておくまでだ。
あとのことは、行ってから決める。
私の本音としては、この際、よけいなものは全部捨ててからホームを出たいが、
「よけい」だと思うのは私であって、必ずしも両親はそう思わないだろうから、
今は、一切合切持って出るほかあるまい。

そもそも、5年前に某老人ホームに入居するとき、
「こんなに持って行かなくてもいいのに」
と私は二人の荷造りの様子を見ながら思っていたが、
一切さからわず、二人の望む通りにした。
ホームに入居してからも、幾度か実家にふたりはタクシーで帰り、
「必要なもの」を箱に入れてホームに持ち帰ったりしていたものだった。
実際に何をどういう頻度で使うか使わないかより、何でも目の前に置いて
すべて抱えておくことで安心しようとしていたのだろうから、
私はそれを止め立てすることは、しなかった。

幸いというか、今は、ふたりとも5年前よりずっと老いて、
最近はいろいろなことが判断できなくなり、記憶も定かでなくなり、
生活全般の意欲も減退している。
私は今回の荷物搬入が終わったら、二人の部屋に行き、
サ高住の職員さんともお話したうえで、
段ボールを点検し、今要るものと要らないものを分けて、
できるだけ大量の不要品を実家に送り返そうと思っている。
そのほうの運搬は、引越より遙かに安い値段でやってくださると
今回の業者さんが仰っていたので、お願いするつもりだ。

「今、とりあえず使うとらんけ、家に持って帰っとくけえね」
と言えば、今の両親ならば強く反対する気力までは、ないのではないか。
捨てるのではないのだし、この際、少々ごまかしてでも(汗)、
室内のモノを減らす方向で動こう。
9月から秋祭シーズンが始まるので、私の自由時間の残りもカウントダウンだ。
ふたりの移動と入居が済んだら、即、私はこの作業をやるべきだ。

理想としては、テレビ台を兼ねたローチェスト2つに肌着や小物を、
部屋のつくりつけクローゼットのほうには、外出等で着る洋服、
ほか、本や日用雑貨を入れるボックス等がひとりひとつずつ、
……程度で十分なのではないかと思っている。
傘や雨靴はもう要らないし、カバン類もひとり一つで足りる。
車椅子生活になった今、実家から持ち込んだ安楽椅子も、
もう無くても良いかも(汗)。……気持ちの面で執着があるかな?
しかしある程度広くしておかないと、今後、処置や手当を受けるにも、
人の通り道が制限されるし、車椅子でも動きにくいだろう。

捨てないで何でも溜めておくのが、戦中派である二人の性癖であった。
私は、ごちゃごちゃしたものを一掃すると気分が安定するが、二人は違う。
むしろ、何も捨ててない、全部ある、ということが安心感に繋がるのだ。
それゆえに、実家は積年のゴミの山と成り果てていたのであったが、
老人ホームでもまた、同じことになってしまったのよね……(^_^;。

Trackback ( 0 )




本日は、サ高住に正式に住み替えの申込をしてきた。
有料老人ホームと異なり、こちらは位置づけが「住居」であるため、
ホーム勤務のケアマネさんのような方はいらっしゃらないのだそうで、
外部の会社の方と新たに契約することになり、
相談員さんのお計らいで、その方も今日は同席してくださった。
改めて説明を聞き、契約書に署名し、このあとの日取り等を決めた。

引越は8月29日にすることになった。
前日のうちに、主な荷物は某ホームからこちらのサ高住に移しておいて、
当日は、身の回りのものだけ持って、2人に私が付き添って、
移動をするという予定が決まった。
カーテンと、衣類用の収納引き出し兼テレビ台にするチェストを
それまでに私は買うか、実家で調達するかせねばならなくなった。
ホームにはなんでも最初から揃っていたし、レンタル品も豊富だったが、
サ高住のほうで借りられるのは、ベッド・車椅子・テレビ・冷蔵庫、程度で、
あとは作り付けのクローゼットがあるだけだった。

帰り道に、至近距離の老人ホームのほうにも寄り、
正式な日時が決まった由、ホームのケアマネさん・相談員さんに報告し、
こちらでの引越作業の段取りをして頂いた。
母はきょうも元気そうで、私が、
「近々、むこうの病院の上にあるお部屋に引越するからね。
お父さんと2人で一緒の部屋や。何も心配要らんからね」
と言ったら、どの程度わかったかはともかく、
「そら、ええ!やっぱり身内で一緒におるんがええよね」
と笑顔で賛成していた。

父のほうは、最初は昼寝をしていたが、私が母と喋っていたら目が覚めて、
スタッフさんから飲み物を渡されると、自分でコップを持って飲み、
「ああ~、美味い!」
と満足そうに言った。
なんか知らんが、良かった良かった(^_^;。

Trackback ( 0 )



« 前ページ 次ページ »