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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



夜、QUEEN ROCK MONTREAL cine sound ver.を観てきた。
スクリーンいっぱいに広がる、在りし日のフレディの姿、
27年も前のQUEENのライブ風景に、感無量だった。
1981年モントリオール公演の映像、フレディの亡くなる十年前だ。

81年と言えば、アルバムではだいたい『The Game』までの時代で、
華麗な活動の頂点を極めた70年代が終わり、
よりシンプルなスタイルに変わっていった時期だった。
私は生でQUEENに接したのは85年5月の来日公演だけなのだが、
彼らの黄金期と呼べるのは、恐らくこの81年前後だっただろうと思う。

セットリストがプログラムに掲載されているのだが、
この時期としてはこれ以上望めないほどの充実ぶりで、
前期QUEENのエッセンスのすべてが聴ける内容になっていた。
QUEENが、ハードロックもやればオールディーズも手がけ、
なおかつ時代感覚を取り入れたサウンド志向もあった、
非常に幅広いバンドだったことに、改めて気づかされた。
『監獄ロック』をこの時期にやっていたことを
私は記事では読んだがすっかり忘れていたので、
『Crazy Little Thing Called Love』の次に、
イントロが突然出てきたときには意外な選曲に面食らってしまった。

こんな鮮やかなステージを見せたフレディが、死んでしまった、
――と私はスクリーンに見入りながら、何度も思った。
フレディは、私たちの前から、居なくなった。
美しかった彼の声も、体も、もはや、失われたのだ。
けれども映像の中に留められた彼の姿は、やはり鮮烈だった。
フレディは、今になっても、ほかの誰も出来ないことを
私たちに向かって、してくれるのだった。

May Freddie be forever
and God bless him………!

************

さて、帰りに、この映画のプログラムがあれば欲しいと思い、
売店に寄って尋ねてみた。

転妻「あのー、クイーンの、プログラム、ありますか」
店員「プログラムですか?」
転妻「この映画の、曲目とか解説なんかが書いてある冊子です」
店員「ちょっとお待ち下さい」

店員さんは、カウンターの奥に引っ込んで、
しばらくして、手ぶらで出てきて、答えた。

店員「あるようです

をいっ、だったら、なんで一冊、持って出て来ないかね(--#)。
私が『そうですか。安心しました』と言い残して帰るとでも思ったか。

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タワレコの「忌野清志郎 NO MUSIC, NO LIFE」Tシャツ
8月のアタマに予約していたのが、昨日、とうとう来た。

「イエイ ッテ イエ~!」については、疑問が残ったままだ。
私は前から「イエーって言えー!」と発音して来たので、
このTシャツの表記にはどうしても違和感がある。
せめて「イエ~ ッテ イエ~!」ではないのかと。
しかし「NO MUSIC, NO LIFE」という言葉は、
バンドマン清志郎に本当にピッタリだ。
清志郎のアングルも、とても、いい。

昨日、9月6日(土)は、本当なら日比谷野音の日だった。
開始予定時刻だった夕方5時半には、
さすがに時計を見て切なくなってしまった。
初めてこの公演が告知された5月には、
2学期だから出にくいなあ、などと思ったものだった。
なんて、罰当たりで、贅沢なときを過ごしていたんだろうか、
と反省シマシタ。

♪良いことが起こるように ただ願うだけさ~

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ミュージカル『CHICAGO』大阪公演プレオーダー、
落選した由、イープラスからメールが来た(泣)。
昨日は美輪様の<愛>を手に入れて上機嫌だったのだが、
そうそう「柳の下にドジョウは居ない」というか。
しかし「捨てる神あれば拾う神あり」ってのもあるよなと、
きょうは『CHICAGO』をチケットぴあプレリザーブのほうで
再度、申し込んでみた。こっちの結果は約十日後。


・北京五輪開会式を、私は中継等では観ていなかったのだが、
ニュースサイトで読んでみると、なかなか圧巻の演出だったようだ。
豪華絢爛の花火も、現地で観たら素晴らしかっただろうなと思った。
ピアニストのラン・ラン(郎朗)が演奏をしたということだが、
中国の作曲家の作品だそうで、演奏に関する感想等は、
ネットではあまり見つけることが出来なかった。
「あのグッチ裕三みたいな、軽そうなヤツか?」
と主人が口の悪いことを言っていた。
こんな男だけが観ていたなんて、猫にコンバンワだ(--#)。

後日記:ラン・ランが、ここ↓で少し話題になっていた。
五輪開会式のピアニストに問い合わせ殺到(ORICON)


・娘がこのところハマっている漫画は、『銀魂』だ。
コミックスも読むし、アニメも観ている。
私は、一緒に観る気などなかったのに、音が鳴っていると無視できず、
ついつい観てしまい、なんとなく詳しくなりつつある自分が怖い。
先日放映していた『乙姫の野望』の回では、
登場人物たちが無人島に漂着したのだが、当初、
互いに仲間の姿が見えず、自分ひとりがこの孤島に流れ着いたと考え、
各自が、誰も見ていないと思って好きなことをする場面があった。
そのうちのひとりのしたことが、崖の上で太陽に向かって立ち、
手拍子を打ちながら、『太陽のKomachi Angel』を歌うことだった。
それどころか、別の人は、この歌を歌いながら、
もっとどーしよーもないことを、していた。
gintama 115 3/3(YouTube)

をいっっ、B'zの名曲に、何してくれんだよ~~(T.T)・・・・・・!
B'z 太陽のKomachi Angel(YouTube)

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前回のリベンジを果たし、美輪明宏『音楽会<愛>』の
広島公演チケットを、チケットぴあのプレリザーブで当てた。
今までだってロクに当たったことがなく、つい最近も、
9月の清志郎の野音(中止になったけれど)の抽選で落選していたので、
きょうは、もう、初めから過度な期待はしないようにしていたのだが、
久々に見る「当選」の文字だった。ありがたや~~(T.T)。

これで、公演日の10月30日までは取りあえず生き甲斐(殴)が出来たが、
「9月10月、なんにもナシじゃ、モたないよ~」
と道楽仲間の友人が言うので、それもそうだと、イベントを探すことにした。
余談だが、この友人とは高校時代に出会って、
RCサクセションのファン同士ということでよく行動を共にしていて、
80年代は、夏は野音、冬は武道館と、しょっちゅう出かけた仲だった。
彼女は高校の国語の先生なので、歌舞伎や文楽などについては、
いろいろと教えてくれたし、京劇とかインド舞踊とか、
私の知らないジャンルを紹介してくれる得難い同志でもあった。

過去十数年は、お互い、仕事や家庭のことなどで時間が取れず、
私も転勤のたびに住む場所が変わって、ときには広島が遠くなり、
昔に比べたら全然、自由には動けなくなっていたのだが、
それでも、去年今年あたりは状況が少しはマシになって、
こうして、ときどきは時間をつくって会い、
遊びの計画を立てたりできるようになってきた。

さて、今、ざっと見たところ、
9月20日の茂山狂言会鑑賞会が、昼夜あるし、
彼女の専門に関係なくもないし、良いのではないかと思った。
歌舞伎も良いが、今回は呉公演しかないので、
広島市内からはちょっとした遠征になり、時間のない友人には不向きかも。
友人は、昨日、近藤嘉宏ピアノリサイタルが聴きたいと言っていて、
それは勿論、とても良い案だと思うのだが、
ただ、公演日が10月26日なので、美輪様のたった四日前だ(汗)。
これだと、『9月10月モたない』という、
そもそもの彼女の当初の悩みに、応えることになっていないのが問題だ。

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本来なら清志郎が野音で公演するはずだった9月6日に、
有志の清志郎ファンが東京某所に集まって、
千羽鶴作成と復活前祝いイベントを行うことになっている
(mixi会員の方は、詳細についてはmixi『忌野清志郎 RCサクセション』の
イベント『千羽鶴と復活前祝イベント「ラッキー夢助ナイト」』を
参照して頂ければと思います)。

実は、私は長い間、千羽鶴というものが好きでなかった。
平和公園が身近にあって、あまりにも見過ぎたせいかもしれない。
ダルそうな修学旅行生が千羽鶴を抱えている姿を見るにつけ、
広島には、とりあえず折り紙さえして来れば格好がつくと思ってないか?
と溜息をつきたい気分が、私には、あった。
病気や怪我のお見舞いとして贈る千羽鶴にしても、
入院となると、条件反射のように鶴を折り始めるみたいで、
私はどうも、純粋に好意的な気持ちを持つことが、できなかった。
行為としての形骸化や、贈る側の瞬間的な自己満足しか、
当時の私には感じられなかったのだと思う。

しかし、清志郎の完全復活武道館公演の映像を見たとき、
私の考えは、不意に、変わった。
オマエ清志郎絡みだと簡単に宗旨替えするんだな、
と嗤われるのは承知の上で、正直に言う。
復活したときの清志郎の姿を見て、私は初めて理解したのだ。
形骸化して見えようが何だろうが、
ファンの思いは千羽鶴のかたちを借りて清志郎に届けられ、
そして清志郎はそれに、確かに応えようとしたのだと。

それは武道館公演の一回目のアンコールのときだった。
『よォーこそ』のイントロに迎えられて登場した清志郎は、
衣装のハデなマントの上に、レイのようにした千羽鶴を、
前にも後ろにも袖口にも、縦横無尽に、たくさんたくさん、つけていた。
ファン有志から贈られた、数え切れないほどの折り鶴だった。
そしてそれには、『エール100%』と書いたタグがつけられていたのだ。
ステージでは滅多に客に頭を下げることのない清志郎からの、
それは、まぎれもない、真摯な返礼だった。

某掲示板で、清志郎の回復を願うファンの言葉の間に、
「祈ったくらいでガンがなおるのかよ」
という否定的なコメントがあったが、
祈るというのは、実際的な利益を得るためにするような、
簡単な行為ではない、と私は思う。
決して、『なおる』という見返りを手に入れるために祈るとか、
なおらないなら無駄だから祈らない、というものではないのだ。

mixiでこの千羽鶴のイベントが告知されて以来、
全国の見知らぬ人同士が、参加表明をし、また、
当日の会場として予定されている某会館の職員さん達からも、
「私たちも折っていいでしょうか?」
という問い合わせがあったということだ。
私も、なんらかのかたちで、このイベントに協力できれば、
と今、思っている。
人の思いは、決して目に見えるものではないが、
清志郎の回復を祈ることだけを共有する人たちが集まって、
知恵を出し合い力を合わせて、千羽鶴を折るという行為には、
確かに、『ブ熱い』(by清志郎)何かが、宿っていると思うのだ。

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ちょっと前に、ヒルビリー・バップスのことを書いていて
(『宮城宗典~!!1』~『宮城宗典~!!6』)、
昔の映像を検索していたときに、YouTubeで、偶然、
プリンセスプリンセスのライブ映像をいくつか見かけた。
とても、懐かしかった。

彼女たちの『M』という曲は、宮城宗典がモデルなのでは、
という説があるのだと、私はかなり後になって知ったが、
89年当時は、そのような噂は私の周囲にまでは届いていなかった。
ただ、『Diamonds』と『M』とが、
確かシングルCDでカップリングされていたので、
私はこの曲自体は、発売当初から知っては、いた。

PrincessPrincess - M(YouTube)
プリンセスプリンセス Diamonds~世界でいちばん熱い夏(YouTube)

私は世代的にはまさに彼女たちと同じで、
彼女たちが活躍した頃、私もまた二十代だったわけだが、
同性の同年代の私の目から見て、
彼女たちは本当に格好良かった。
女の子達だけで、こんな巧くてオシャレで元気なバンドが
実現できるものなんだと、いつも痛快・爽快に感じていた。

彼女たちは、カワイイ系や美貌系、クール系、姉御系など、
メンバーそれぞれ、容貌の点でも目を引く個性を持っていたが、
中でも、ヴォーカルの奥居香が、どう見ても痩せていなかった、
というのが、私としてはとりわけ気に入っていた。
いや、私自身が肥満体だったから、という理由によるのではなく(!)、
テレビに出ている女性歌手や芸能人たちが、
誰も彼も右に倣えでスレンダーだったときに、
奥居香みたいにパワフルでエネルギーに満ちた魅力を持つ女の子は
ちょっとほかでは見たことがなかったので、物凄く惹かれたのだ。

のちに彼女は髪を切って、もっと大人びた感じになるのだが、
私としては、↑の映像にあるように、
派手にくくり上げたロングソバージュを振り回し、
ステージで跳ねて歌っていた頃の彼女が、一番好きだった。
今でも、奥居香というと、私はこの当時の彼女を
どうしても最初に思い浮かべてしまう。
私は、だいたいが、楚々とした儚げな存在よりも、
むしろ、周囲を蹴散らし、なぎ倒すような、
破格の生命力にあふれた人に、強く惹かれる傾向があるのだ。


余談だが私は、奥居香の夫となった岸谷五朗についても、
80年代からかなりよく知っていたほうだった。
映画『月はどっちに出ている』よりも、ずっと以前からだ。
なぜなら彼は、80年代初頭以来、私が大好きになった、
劇団スーパーエキセントリックシアターの、若手俳優だったからだ。
まさかプリプリとSET隊が結婚するとは、
『M』を聴いていた当時は夢にも考えたことがなかった。
業界って、本当に狭いんだと思ったものだった(汗)。

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昨日、清志郎の完全復活DVDを観ていて、
前々から書いておこうと思っていたことをひとつ、思い出した。

武道館から始まった、この一連の復活祭ライヴでは、
最後に、清志郎を初めとする出演者の名前と似顔絵が、
会場スクリーンに次々と映し出される演出があったのだが、
そのとき、バックにかかっていた音楽が、
なんとクラシックの室内楽で、シューベルトのピアノ五重奏曲『鱒』だった。

私が行った3月2日京都公演でも、終わって、この音楽が流れ始めて、
でもその時点では、復活祭は京都が初見だったし、
まさかシューベルトがここで出るとは、全く考えてもいなかったので、
「なんでこんな、『鱒』かなんかみたいな音楽が流れるワケ?」
と、私はエラソーにも、友人に言った。

私は室内楽の素養などほとんどないのだが、
『鱒』だけは、高校のとき掃除の時間に必ずかかっていたせいで、
雰囲気に馴染みがあり、つい、そういう例えになったのだ。
友人も同じ高校の同窓生なので、この話はすぐ通じた。
そして、席を立つ準備をしながら、しばらく聴いていたら、
明らかに、レッツお掃除な、聞き覚えのある旋律が出てきて、
やはりこれはピアノ五重奏曲『鱒』そのものだとわかったのだった。


忌野清志郎と、シューベルトのピアノ五重奏曲『鱒』。

この五重奏の元になった歌曲の『鱒 Die Forelle』の歌詞は、
澄んだ川の流れを、漁師が、わざとかき回して濁らせ
視界の利かなくなった鱒が、他愛もなく釣り上げられてしまう、
・・・という情景を歌っている。
聞いた話では、この歌詞は、文字通りに風景を描写するだけでなく、
男は、このように女性を釣り上げるのだから、お嬢さん方、注意しなさい、
という意味のことを言っているのだそうだ。

清志郎の復活祭のエンディングに、どうして『鱒』が選ばれていたのか、
隠された意味があったのか無かったのか、私などの知る由もないことだが、
私は確かに、清志郎にあっけなく釣り上げられたので、
歌詞の暗喩は、当たっていたと言えなくも、ない。
ここ何年かは、もう、気力体力を消耗するライヴというものには
若い頃ほど行かないようにして、心穏やかに暮らしていたのに、
復活祭だからと京都まで出かけたために、
清志郎に存分に引っかき回されて、
私はこのあと、またぞろエラいことになってしまったのだ。


ワタシが『青春の黄金の泉』の只中にいる『お嬢さん』とは
カケ離れたオバちゃんであったことは、
返す返すも残念だったが(逃)。

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『忌野清志郎 完全復活祭 日本武道館』のDVDを、
きょう改めて、観た。
ああ、ほんの数ヶ月前に、こんな幸せな瞬間が、あった、
・・・と感傷的になるかと思ったが、とんでもなかった。

清志郎が、あまりにも格好良くて、物凄く元気を貰った。

こんな清志郎を、できるだけ早く、もう一度、観たいか?
答は勿論、イエスだ。私は大ファンだから。

でも、それ以上に、今私が思っていることは、
『なにごとも、全部、清志郎の思う通りが、いい』
ということだ。

『一日も早く、二度目の復活祭をやろう!』
と清志郎が望んでいるなら、私も、そうなるように祈ろう。
逆に、前に筑紫哲也のインタビューに答えて語っていたように、
『このまま、復活も何もしない人生も、いいかな』
と、清志郎が考えるなら、私もまた、
そのような生活が思い通りに彼のものになるよう、祈ろう。
どちらでもいい、なんでもいい、
清志郎の望みが、そのまま、ファンとしての私の望みだ。

とりあえず、今、一ファンに過ぎない私にわかっていることは、
直筆メッセージの中で、清志郎本人が、
『応援してくれ!』
『夢を忘れずに!』
とファンに呼びかけていた、ということだ。
だから、私も自分自身の夢をいつも忘れず、
これからも、ひたすらに、清志郎を応援する。
『すぐに帰ってくるから』
と清志郎は書いたのだから、彼のその気持ちが変わらない限り、
ずっと私は、ファンとして、彼の復帰を、待つ。

清志郎の、望みが、夢が、
いつでも、きっと、現実のものとなりますように!

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忌野清志郎より(忌野清志郎Official Website 地味変)

『妙に前向きになるのはなぜだろう。
腰にガンが見つかった。
心配はしないでくれ。
このくらいのことは覚悟してたんで
ぜんぜんヘコんでないから。
ブルースはまだまだ続いているというわけだ。
残念ながら夏のイベントはキャンセル
治療に専念します。
楽しみにしててくれたみんなにはゴメン
でもすぐに帰ってくるから
応援してくれ!
もう一度言おう。
夢を忘れずに!』


(14日夜 追記:公式サイトはきょうの昼過ぎからダウンしてしまった。
アクセス数が急増してサーバーが落ちてしまっているのではないかと思う。
清志郎の直筆による上記の文章がアップされていたのが、
今のところ復旧していないようで、見られなくなっている)

*********

腰ということは骨転移だろうか?
骨に来ても直接には生命予後に影響しないと
舅が入院していたときに主治医から聞いた記憶があるが、
遠隔転移であることには違いないので
今後は、全身的な治療と観察がいっそう大切になって来るはずだ。

『すぐに帰ってくるから』
という清志郎の言葉は本当だと思う。
でも、言うまでもないが無理したり焦ったりはしないで欲しい。
うちの舅も言っていたが、
『この病気は、一生の付き合い、っちゅーことよの』
というのは正しいと思うのだ。

悪いところが出てきたら、その都度、最善の治療を考え、
良くなったときも、注意をし続けないといけない。
簡単に治るなどと根拠のない楽観をしてはいけないが、
勝負の早い病気とは違い、ほとんどの場合、治療経過は長いのだから、
段階に応じて、打つ手があり、選択肢もある。
ときに、悪いニュースも良いニュースも、あって当然だ。


また、待ってます、清志郎!
もちろん武道館・野音で、またまた完全復活祭を!

完全復活を性懲りもなくまたやるヒトもファンも、前代未聞(爆)。


追記:新聞記事によると左腸骨への転移だそうだ。
足の痛みがあり、検査で判明した、と。
<忌野清志郎さん>がん転移で公演中止(毎日新聞)
忌野清志郎、夏の音楽活動をキャンセル(ORICON)

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清志郎の『徹子の部屋』は、凄かった。
いつもだと、黒柳徹子の良いようにされるゲストが可哀相だが、
今回のは、清志郎の異常な口の重さに難儀する徹子さんが気の毒だった。

清志郎はだいたいが口数が多くなく、というかかなり少なく、
私がRCサクセションを聴き始めたばかりの80年代前半から既に、
ライブとは別人のように、トークになると大人しいヒトだった。
あるとき、清志郎がラジオに出たのでエアチェック(←死語)したら
インタビューされても、「ええ」「うん」と小さい声を出す程度で、
ラジオだから姿も見えないし、
『ホントにスタジオにいるのか?これじゃ居ないのと一緒!』
みたいだったことがあった。

きょうのはテレビだったので、清志郎の顔は映っていたし、
ハデなスーツも、『ブーツ』と書き込まれたブーツも観察できたし、
雰囲気的には特別に機嫌が悪そうには見えなかったが、
とにかく清志郎の反応のペースが遅くて遅くて、
一方の徹子さんは間を全然空けないくらいに話を続けるので、
全く咬み合っていなかった。
しかも清志郎は、しばしば、徹子さんの居ない側に顔を向けていて、
多分モニターか何かを覗いていたのだろうとは思うが、
なんて分かりやすい視線の反らし方(爆)、という感じだった。

途中でメークの話題になり、徹子さんが、
『自分は昔は二重瞼だったけれど、今はそれがはっきりしなくなったので、
お化粧では、二重の位置を強調するようにアイラインを引いている』
という話をしたら、清志郎は、このときだけはちょっと生き生きした目をして、
「(徹子さんの顔は)目の上に灰色で『へ』って書いてある」
などと、とんでもないことをヘーキで発言していた。

ちなみに、この、あり得ないほどハズまない会話が
だいたい終わった最後のほうで、
清志郎の復活武道館ライブのDVDやCD、入門編CD、
など最近発売されたディスクのジャケットが画面に映ったのだが、
そのとき、右下に明日の『徹子の部屋』番組予告として、
明日は追悼特集
というテロップが出ていて、清志郎をよく知らない人が、
もしここだけ見たとしたら、壮大な勘違いをしそうな画面構成だった。

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