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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



4月12日に受診した際に決められた次回予約が、
4月27日10時30分となっていたので、
今朝、また例の病院の泌尿器科外来に行った。

待合室にはいつものように、おじさん・おじーさんが大勢いたが、
前回来たとき、外来患者として腰をさすりながら待っていた女性が
きょうはパジャマ姿でベンチに座っているのが見えた。
多分、かつての私同様、石で、あれから入院になったのだろう。
そうだとしたら、半月近く経つからそろそろ退院間近か、
あるいは経過を見つつ、もう少しESWL(体外衝撃波結石破砕術)かな?
また、私の前の席に座っていた男性ふたりも結石患者同士で、
ひとりは入院中、もうひとりは退院後初診察、
という話を互いにしている最中だった。
ここに来ている人の大半は、結石か前立腺肥大と見た(^_^;。

さて、きょうは私は、尿検査・単純X線撮影・エコー検査があった。
超音波検査室の奥が、体外衝撃波装置のある部屋なので、
私がベッドにうつぶせになり、エコーで腎臓を診て貰っているとき、
むこうからは、懐かしいカチカチカチという音が響いてきていた。
ああ、きょうも誰かが、かめはめ波攻撃を受けているのね……。

それからしばらくして診察室に呼ばれ、診察と結果説明があった。
尿には異常がなく、右腎臓の腫れもひいており、
レントゲン写真には、最後のひとつと思われる小さいカケラが、
膀胱手前1センチのところに写っている、とのことだった。
「これで終わりなんで、ま、もう出るとは思いますがね」
と先生は仰った。

このあとも、カケラの向きや場所によって詰まったりすれば、
また腎臓が腫れて痛みが出ることも考えられるそうだが、
何であれ、とにかく「出す」方向で努力する以外にないので、
チワンとコスパノンを引き続き内服し、水分摂取を心がけ、
日常生活ではよく歩きなさい、と指示された。
そして、次回受診の時期として5月半ばを指定され、
そのときもう一度画像で見ましょう、と言われた。

私の右腎臓に何年も住んでいた石よ。
長い旅だったが、ようやくゴールが見えて来たな。

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転娘
4月から大学生になり、横浜でアパート暮らしを始めた娘だが、
メールでやりとりした範囲では、楽しくやっている様子だ。
なにしろ中高6年間も女子校だったので、
男子の多い共学の大学は、何かにつけて新鮮であるようだ。
早速に、あちこちのサークルの新歓に行って、
ヲタ系の何かや考古学研究会などに出入りするようになり、
5月の連休も新歓合宿があるから広島には帰らん、
とメールで言ってきた。
更に、ちゃんと御飯を炊き、魚を焼いたりして自炊している、
と言うものだから、料理嫌いの私はほとほと感心した。
みーちゃん、あっぱれ、自立(笑)。
一方、主人は、
「ワシはアイツがちゃんと食うとるかどうかは心配しとらん。
むしろ、ひとりを良いことに食い過ぎて、どんどん、体型が……」
と不安がっていた。それはつまるところ、体験談だな?
まあ、元気で愉快にやっているなら、結構だ。
あとは何よりカニより、きちんと勉強してね。
大学は、学問をやりに行くところだからね。

結石
私の、腎臓結石→尿管結石は、それでどうなったのかというと。
3月30日に、少なくとも長径3ミリの石がふたつは残っている、
という画像診断をして貰い、軽快退院をしたわけだが、
そのあと、31日の夜に、果たして3ミリ超の石と砂少々が出た。
それから小康状態を保っていたが、先日13日の夕方、
下腹にやや強めの違和感が続いたのち、採取はしなかったが多分、
カケラのようなものがふたつほど出たようだった。
しかしまだ完全に終わったわけではないらしく、
今も、一日に数回程度は右脇腹に軽い痛みが出るし、
右下腹部から鼠径部にかけて不快感が続くことがあり、
「やっぱりまだ、おる……」という感じがしている。
12日の診察のときには、主治医の先生は、
退院して十日あまりでは、小さいものがいくつも残っている筈だ、
という前提でお話をなさっていたので、この状態は想定内だろう。
今月末の次回診察でレントゲンを撮る、と言われているので、
そこで全容が明らかになるのではないかと思っている。
ああ、どこまで続くんだ……(T_T)。

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(写真は、採取に成功した私の「石」たち。リアルですみません(汗)
容れ物は未使用だった、コンタクトレンズ保存用の内径2.5センチのケース)

退院のとき指定されていた受診日だったので、
きょうは午後から、某病院泌尿器科に行った。
待合室は相変わらず、おじさん・おじーさんたちで混雑していた。
私がかつて初めて尿管結石になったのは、28歳のときだったが、
あのときは痛みでシにそうになっていたので、
自分の場違いさ加減に気づいていなかったものだった。
ったく、今にして思うが、女のくせに二十代で既に結石患者だったとは、
私はどんだけ筋金入りの石持ち体質だったのだろう(--#)。

と、それはともかく、今日は去る3月31日に排石した、
例の3ミリ超の石を、私は忘れずに持参していた。
退院前の診察のとき、
「できるだけ石は取っておくようにしてね」
と先生が仰ったので、私は真面目に捕獲して持って来たのだった。
人間の体内から出てきた石を目の当たりにするとは、
こういう病気の当事者でなければ、なかなかしない経験だろう。

着いてしばらくして尿検査があり、
それから30分以上待って、ようやく名前を呼ばれて、
診察室に入った。

医師「あれから、どうですか」
転妻「はい。お陰様でなんとかやっております。
 退院翌日にちょっと痛みがあって、この石が出ました
 (と、小さいケースに入れて持参したのを見せる)」
医師「入院中にも、確か、出よったよね?」
転妻「はい」

先生のお話によると、退院して十日余りしか経っていない今、
まだ全部の石が出てしまったとは到底考えられないので、
このあと半月ほどしたら、もう一度診察して、
そのときに画像検査もして、追加治療が要るかどうかを決める、
とのことだった。

医師「痛み止めは、持っとるね?」
転妻「はい、まだあります」
医師「そいじゃ、引き続き水分よく取って、オシッコ出してね」
転妻「はい」
医師「じゃ、この石は、またあとで受付で返すから」
転妻「はい」

ということで、きょうはサクサクと終わった。
ちなみに先月の尿細胞診の結果はマイナスで、一安心だったが、
「こういうものは時々やっておいたほうがいいからね」
と先生が仰り、きょうもまた尿細胞診に出されることになった。
ああ、また二週間後に結果を聞かなくてはならないのね(T_T)。

終わって、待合室に戻ってしばらく待っていたら、
「転妻さ~ん」
と受付から名前を呼ばれた。
これでカルテと次回予約票を貰って、あとは会計に行くだけだ。
そう思って、私は一応は晴れ晴れとした気分で、受付に行った。

受付「じゃ、きょうはこれで終わりです」
転妻「はい(^o^)」
受付「あの、これ……」

そう言って、受付の女性は私が持って来た「石」を取り出した。

受付「入院中に採取した石で、成分分析はできているので、
 これは、もういいです。記念に、持っておいて下さい(^_^;」

………。
そうなの……(^_^;。
あの、東京のビジネスホテルで、コレを苦心惨憺して採取して、
洗って乾かして、広島まで後生大事に持って帰ってきた、
私の、立場は…………

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朝、予定通り広島を発って、
午後、新横浜に着き、初めて娘のアパートに行った。
勿論まだ片付いていなかったので、きょうは私も労働した。
ダンボールを開封し、一応の収納を娘にさせつつ、
梱包材をゴミの日に出せるようにまとめた。

今夜から娘はアパートにひとりで寝起きするが、
ここは主人や私が泊まるほどの広さはないので、
私達は蒲田のビジネスホテルに宿泊する
(娘も29日と30日は、まだ下宿の準備が整っていなかったので、
主人と一緒にホテル泊だった)。

主人は明日の入学式に行って写真を撮ったら、
あとは、仕事もあるので、先に広島に帰る予定にしており、
私がほぼ入れ替わりのかたちで、これから数日は残って、
片付けを手伝ってやるつもりだ。

一日中よく動いた甲斐あってか、
私は夜、ホテルに帰ってから微弱陣痛(笑)を感じ、
そのあと3ミリの石と、砂が若干、出た(笑)。

ともあれ、来ることができて、良かった(T_T)。

***********

余談だが、蒲田駅の発車メロディは『蒲田行進曲』なのですね。
あれを聴いた途端、私の脳裏に浮かんだのは、
つかこうへいでもなく風間杜夫でもなく、
辻本茂雄だった。『よしもと新喜劇』の(笑)。
この曲が流れると、途端に舞台の出演者一同、
そこまでの展開を無視して、手を繋ぎ横1列に並んで
客席に頭を下げ始めるのだ。それまで死んでいたヒトも一緒に。
土曜のお昼はコレやんね、と思うワタシは、やっぱり関西人。

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昨日よりかなり楽になった。
朝、骨盤部レントゲンを撮影したら、
右の子宮動脈の手前にあたる場所に3ミリ少々の石がひとつと、
そのもう少し下に、やはり3ミリ程度の石がひとつ、
という状態になっていたので、
晴れて、退院して良いことになった。
ありがたや~~(T_T)。
診察室の看護師さんが、先生の向こうから私を見て、
やったね!の笑顔で、手を振って下さった(^_^)ノ。

まだ完全にすべてが流れ出たのではないので、
治療は終わったわけではないのだが、
軽快退院ということで、次回受診は4月半ばとなった。
幸か不幸か、私はこの結石のためにしばらく前から右が水腎症で、
先生いわく「腎臓が腫れ慣れとる」(爆)状態なので、
初めて結石になった人が、急激に腎臓が腫れるときのような激痛は
今の私の身の上には起こりにくい筈だ、と言われた
(これまた納得感のある話だ。昨日まで6ミリの石が詰まっていても
私が悶絶するほどの激痛を感じていなかったのは、そういうことか)、
あとはうまく自然排石してくれることを祈るのみだ。

自覚としても、まだ若干の違和感はあるものの、
一昨日あたりの微弱陣痛からはかなり改善したことを感じている。
何より、先月からずっと困っていた、
「胸のつかえ」ならぬ「腹のつかえ」が下りつつあるのは
自分でも実感できているので、良くなったのだ、と思う。
ああ、私は発覚からでも4年来の腎臓結石を、
ついにここまで降ろしたのかっっ。
長い旅だったな、お前!

ということで、きょうは午後から意気揚々と退院した。
帰宅したら、勿論家はもぬけのカラで、
物凄く荒れていて(爆)、私はさきほどから掃除しまくった。
それから洗濯して乾燥機にかけて、台所を磨いて、
食洗機を回して、主人の書斎と娘の部屋を片付けた。
結石治療は切った貼ったではないのだし、
むしろ動いて石を落としたほうが良い、と割り切った。

明日は、何事もなければ私も東京へ向かって出発するつもりだ。
すべりこみだ(笑)。

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主人と娘は、今朝、東京に向かって発った。
私は手伝ってやれないが、とにもかくにも主人が休暇を取り、
娘と一緒に行けることになったのは、幸いだった。
ふたりで、なんとか頑張ってくれ給え(^^)。

****************

朝、微弱陣痛(違)を感じつつ、外来に下りてレントゲンを撮った。
先週、入院日を決めるときに、娘の引越がどうこうと私が騒いだので(恥)、
以来、我が家の事情を覚えて下さった看護師さんが、
今朝、X線検査室で撮影の介助をして下さりながら、
「きょうどうなってるか、経過次第だけど、一時帰宅か退院か、
先生に頼んでみられたら?私からは、見通しがどうとは言えないけれど…」
と言って下さった。ありがとうございます(T_T)。

結果、石は、右の腎盂からすべり落ちたらしく、
骨盤部の尿管に移動し、長径6ミリになって写っていた。
エコーで見ると、右腎臓はまだ水腎症が解消されておらず、
この6ミリが邪魔をしているのは明白だった。
それでも、ヒマなら自然排石を待っても良い状態だったが、
「あなた、もうすぐでも、退院したいんだったね?」
と先生はイヤそうな(笑)お顔をなさった。

「はい。できたら早く出たいです」
「ったく、病気の都合じゃなくて、自分の都合で
退院を決めようとするからねえ」
と先生はひとりでぶつぶつ仰りながら、
それではこの6ミリに最後の衝撃波をやって、
きょう明日と点滴して、それで帰りましょう!と仰った。

やた!!

しかし、骨盤部の体外衝撃波治療は、腹臥位なのだった。
腎臓など上部尿路結石は背中側から衝撃波を当てるのだが、
骨盤部から下になると、骨が邪魔で衝撃波がとどかないので、
腹側から当てるしかないのだ。
つまり、60分間、うつぶせのエビぞりだ。
腰はだるいは、首のやり場に困るわで、シヌかと思った(涙)。

難行苦行の一時間だった。
しかも、尿をためた状態のほうが効果が出る、とのことで、
私はかなりトイレに行きたい状態から治療を開始し、
終了まで尿意とも闘わなければならなかった。
腹にエコーゼリーを塗たくられ、うつぶせで、
60分、何をされても動いてはならず、首も肩も腰もつらく、
かつ、とてもとてもオシッコに行きたい(爆)。
ったく、何責めとゆーの、これ!?

だが頑張った甲斐あって、処置後には、石は割れていた。
「いや~、しかし最初の状態からすると、
よくここまで巧い具合に割れたねえ」
と先生は感心して下さり、
「じゃ、いいんじゃないですか。明日退院しましょう。
あとの心配は、残りのカケラが出るときに激痛があるかないか、
だけだけど、そうなったら、日本中、どこの病院でもいいから行って。
『右尿管結石、治療中』で通じますよ、どこでも」

ありがとうございました~~(T_T)!!

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きょうは1日、右下腹部から下の不快な疼痛があり
微弱陣痛ってこんな感じなんかな~…
と想像したりした。
決定的な激痛はないが、不快感が取れず、
夕方、観念してボルタレンをのんだ。
これは割とよく効いた。

昔々、二十代で初めて尿管結石の疝痛発作を経験したとき、
夜中に駆け込んだ救急病院で
私は痛み止めの筋肉注射をされ、なにやら点滴されて
しかし目が回っただけで全然らくにならなかった、
という記憶があったのだが
あんなのよりボルタレンの座薬を使ってくれれば良かったのに、
と今なら思う。
内服でもこれだけ効くんだからボルタレンサポなら一発だっただろうに。
あのときは本気で死ぬかと思ったものだった。
あの疝痛発作に較べたら、のちに体験した本物の陣痛のほうが
遥かに耐えやすかった(注:個人の感想です)。

さて、それはともかく昨夜から、
石の小片や砂はこれまでにないくらい次々と出ている。
こういうのが、あとどれだけ出れば終わるのかしらん。

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(写真は、「腎臓マッサージ」をする機械。
点滴のあと、うつぶせになってベッドの脚の部分を高く上げ、
背中にこの機械を看護師さんが当てて下さる。
ブルブルと振動するので、文字通りマッサージ機として気持ちが良いが、
頭に血がのぼりそうな姿勢なのが、つらい。時間は朝晩、5分間ずつ。)


午前中、体外衝撃波の三回目を受け、
初めは背中側から、最後のほうは腹側から当てられた。
その甲斐あって夕方から石が下りて来たらしかったが、
右下腹に鈍痛が来て難儀した。
七転八倒ではないが、とても気色悪く、右下半身だけ尿意がある、みたいな。
…ええもう、オバさん何でも書きますよ。

「どんな感じ?」
と幾度も心配そうに様子を見にきて下さる看護師さんに感謝だ。
親身な彼女に感謝するうち、
かつて私の陣痛が始まった晩に夜勤で、
翌早朝に娘を取り上げて下さることになった、
某助産師さんのことが、唐突に懐かしく思い出された。

こんな縁もあるのね、ああ、今度は娘でなくて石が世に出る…(違います)。
ちなみに今はまさに、陣痛の間歇、という気分だ。
次の波が来るのが先か、私が寝入るのが先か。
病棟は既に消灯時間になった。

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午後から外出許可を貰って自宅に戻ってきたのだが、
とても短い時間なので、ほとんど一瞬の一時帰宅だ。
ついさっき帰ってきたのだが、家じゅう荒れていて、
特に台所がヒドいことになっていたので、片付けて食洗機を回し、
たいくつしのぎになるDVDを本棚から取り出しただけで、
もう、これを打ったら間無しに、また戻らないといけない。

きょうに関しては、朝、先生の回診があったほかは、
特に何も無い日だった。
それでも急いで戻らないといけないのは、
夕方の点滴があるからだ。
入院していると、ただ寝ていれば良いような印象があるが、
○時には検温・血圧測定があります、
○時になったら点滴です、
○時からお食事です、
○時までにお風呂を済ませて下さい、
○時には診察があるので必ずお部屋にいて下さい、
○時になったら外来に降りて下さい、
等々と、結構、一時間刻みくらいで仕切られているので
それに添って行動せねばならず、自由が無いし忙しい。

食事は常食でも一日1700キロカロリーくらいで、
この生活は、体には良さそうだと思うのだが(^_^;。

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朝のレントゲンで、石が結構スリム化したことがわかった。
長径は1センチちょっとあるが、厚みが三分の一になっていた。
前回の体外衝撃波のお蔭で、その後から時間をかけて
石が割れてきたらしかった。

それできょうもまた、かめはめ波攻撃を受けたのだが
前回より緩かったように感じて、案外らくだった。

終了直後には、石にぼやけた線が入っているように見えた。
明後日、具合をみようと先生が仰った。

病棟に帰って点滴を受けていたら、
右腹部が微弱陣痛(爆)みたいに痛んで、
そのあとトイレに行ったら、砂場の砂利みたいなものが少々出た。
手応えがあって、イイ日だった(笑)。

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