泌尿器科の次の受診日まで、残り一週間を切った。
右尿管結石は、前回受診日以来、依然として動いていない。
……ということが、検査しなくても体感として、私にはわかっている。
日常、苦痛は全くないに等しいのだが、
こそこそとした異物感が、なんとも名状し難い場所に、確かにある。
3ミリ程度のカケラが膀胱手前1センチくらいのところに居る、
と、前回5月半ばにレントゲンを撮ったとき、
泌尿器科の主治医の先生が仰っていたのだが、
前の石が3月の最後に出たあと、4月中旬に検査したときには、
降りて来たこいつが、既にこの場所にいた筈だ。
「ここまで来たら、もう、出ますよ。良かったですね」
と泌尿器科外来でカルく言われてから、早2ヶ月。
「もう出る筈なんじゃがね。ちょっと尖っとるから、出にくいんかね」
と先生が首をかしげてから、そろそろ1ヶ月。
この間、私はずっと希望を捨てたことは無かった。
それどころか、ある日スルリと石が落ちるという、
前向きなイメージトレーニングばかりして来たに等しかった。
膀胱手前で尿管が細くなっている箇所があることだって知っていたから、
今はちょっと難儀しているけれど、水を多目に飲んで待っていれば、
いずれきっと自然に出る筈だ、と考えていた。
だが、私は完全に間違っていたのだ。
甘かった。
すっかり停滞しとるやないか(--#)。
それで、目下、結石治療の定番の「水分取って運動する」というのを
これまで以上に念入りに実行している。
かくなるうえは積極的に行かないと、こいつは出て行かない、
と気がついたからだ。
いや、既に手遅れに近いかもしれない。
2ヶ月も滞在させてしまったので、貼り付いている可能性がありそうだ。
特に運動に関しては、先週後半からはもう徹底的な攻めに転じて、
家にいてもなるべく動き続けるようにしている。
まとまって座っているのは、食事のときとパソコンで遊ぶときくらいで、
あとは、掃除その他でできる限り立ち働くように心がけ、
買い物も、このところ遠いほうのスーパーまで行っている。
勿論、どこへ行くにも基本的に徒歩だ。
自家用車も自転車も持っていないのが、この際、好都合というものだ。
更に、室内で、縄跳び……はさすがに出来ないから(^_^;、
その場ジャンプ100回を1セットとして、時間があるたびにやっている。
……ヤケになってこんなことして、足を痛めなきゃいいがね(爆)。
(主人曰く「ファイターズの応援に行って稲葉ジャンプしてくれば?」。
確かに!カープのスクワット程度では、手ぬるいよ!)
某内科医の先生が仰ったように、このままでも別に困ってはいないのだが、
カケラ程度でも残っていると、それを核として、
徐々にまた尿管結石が成長して来ることが予想される。
部位が部位だけに、ある程度の大きさになって詰まったら、
それこそ地獄の七転八倒だ。
それを避けるためには、この石は早い段階で出さなくてはならない。
尿管壁にへばりついていて、どうしても動かないとなれば、
再度の衝撃波をやるか、それがダメなら腰椎麻酔して内視鏡だろう。
先生が「まあ無いと思いますがね~」と仰った、追加治療が、
もう目の前に見えて来てしまったではないかっっ。
まったく、私が楽観的に考え、ストレスなく鷹揚に構えていると、
事態は大抵、良くない方向に行くのだ。
子宮筋腫のときだって、そうだった。
『中年になれば、この程度の筋腫のある人は多いですよ』
と言われ、あまり悩まないようにして暮らしていたら、
あるとき何の前触れもなく大出血して救急搬送。
腎結石だって、発覚時からしばらくは、
『激痛や出血など無いまま経過することもよくあるので、経過観察』
ということで、私としては、淡々と定期検診に通っていれば
無事に暮らせるようなイメージを持っていたのだが、
案に相違して、腹部鈍痛が出たときにはとっくに水腎症が進行中だった。
プラス思考でとか前向きに考えてとか、ストレスを貯めないで、とか、
一般に、問題解決のために好ましいとされていることは、私の場合、
どうも、あまり幸運を招き寄せる力が無いような感じがする。
この感触は、学生時代の試験の数々とそっくりだ。
「前回よりできただろう」「なんとかなると信じて、頑張ろう」
等々と、前途に希望を持っているときに限って、成績はどこまでも最悪で、
「この有様では先行きは暗いし、断念せざるを得ないだろうな」
「不合格になるだろうから、そのときどうするか決めておかないと」
と不首尾を前提に望んだ試験に限って、これまでほぼ必ず合格して来た。
おそらく私は、ものごとを明るく考えると油断に繋がり、
心穏やかに手抜きをし(笑)、その結果失敗する、というタイプなのだろう。
逆に、悲観的否定的に考えたときのほうが、
私は、ぬかりなく手を打つ人間になることができる……。
『道を学する人、夕には朝あらむことを思ひ、朝には夕あらむことを思ひて、重ねてねんごろに修せむことを期す。いはむや、一刹那のうちにおいて、懈怠の心あることを知らむや。なんぞ、ただ今の一念において、ただちにすることのはなはだ難き』(『徒然草』第九十二段)
という兼好の言葉は、私にとっては妙な方向の納得感がある。
成功を信じて焦らずやろう、などという緩いことでは、
ものごとは成らない。
よけいな期待は捨てて、「到底ダメだ!」と自分を追い込んだほうが、
少なくとも私に限っては、結果的に、成功かそれに近いものを
たぐり寄せることができる。
いやま、ショボいサイズの尿管結石を排石できるかどうかっていうのは、
別に今、何の道でもないんだけどもよ……。
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