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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



「休み」、……なんと甘美な響きであろうか(T_T)。
31日から5連勤、村の神社の大祭で忙殺され、昨日片付け終了、
最後に実家の表玄関の幕と提灯も取り込んで、一切が無事、終わった。
はぁ~~~。脱力する。
さきほど、血圧を測ったら、掃除直後に着席していきなり測定しても、
120/75だった。さもありなん。
このくらい心身が解放されていたら、私は高血圧に悩むこともないのだ。

例祭は、年末年始ほどに連勤術師ぶりを発揮する必要はないのだが、
行事としての規模が大きいので、精神的な疲労も1年で一番大きい。
神社としても例祭は最大のお祭なのだから、当然だろう。
これでも去年と今年は、コロナ禍のために余興は全面自粛で、
こちら裏方としては体力的には随分と楽をさせて貰ったのだ。
前夜祭と例祭の神事が済めば、すぐに帰ることができたのだから。

本来なら、2日の前夜祭の晩は神楽奉納で何時間も盛り上がり続け、
終わって撤収したら午前さま、
にも関わらず翌3日は早朝から「餅撒き台」設置作業があるし、
境内も社殿も再度、徹底的に掃除して祭典に備え、
神事が終わってからは数え切れないほど神輿が上がって来るから、
その接待と、次には餅撒きの用意、全部終わったら後片付け、
等々と、拘束時間が長くて皆ふらふらになるものなのだ。
去年と今年、我々は「来年こそは、元通りの賑やかな大祭を!」
を合い言葉に頑張ったのだが、本当にそれが実現したら、私は心底、
「たいぎい~~(=広島弁。「大変だ、疲れる、面倒だ、etc.」)!!」
と思うに決まっているのだ(逃)。

しかし、もう、どうでもいい、来年の心配は、来年すれば良い。
とりあえず今年のは、終わったのだ。もうやらなくていい(^_^;。
きょうは、休日を満喫するぞ。
コーヒー淹れて本を読んで、時計を見ないで、
1日全部を思う存分、無駄にしてやる!!
至福だ。

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明日はまた、朝から巫女舞指導と地域の神社の秋祭があるので、
きょうのうちにと思い、昼過ぎ、期日前投票に行って来た。
今回から初の試みとして、広島駅南口の地下広場に、
期日前投票所が設けられたとニュースで知り、行ってみた。
中区役所まで行くのは、我が家からはちょっと遠いので、とても助かった。
出口調査には、出会わなかった(^_^;。

JR広島駅前 期日前投票所を開設 衆議院選挙(中国放送)

ときに、明日で10月が終わる。今年も、残すところあと2か月。
信じられない早さで、時が過ぎて行き、
またしても、あの怒濤の正月行事が目前だ。
ここ数年、村の神社に関わるようになってからの私の1年は、
不眠不休の年末年始行事のあと、しばらく夏みたいな何かがあって、
間なしに秋祭に突入し、すぐにまた年末年始、という構成だ。

明日はハロウィーンだとカレンダーに書いてあるのだが、
あんなケッタイな行事が日本に定着するとは、昔は思ってもいなかった。
私が大人になるまで(ということは40年くらい前まで)、
「ハロウィーン」と「恵方巻き」は、周辺に存在していなかった。
日本のほかの地域には、昔からあったのだろうか?
今や、うちの村でも若い子はオバケの仮装をして「町」へ行くし、
両親宅から徒歩20分くらい行ったところのコンビニには、
ハロウィーンも恵方巻きも、それぞれポスターが出るようになった。
まさに津々浦々にまで、浸透したのである(^_^;。

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本日、新しいスマホケースが届き、無事に交換することができた。
写真は、今さっきまで使っていた、ボロボロのスマホケースである(^_^;。

こいつが、どうしてこんな気の毒な姿になったかというと、
そもそもはコロナ禍が原因だった。WHOが2020年2月に、
「SARS-CoV-2は物体の表面を介して感染し得る」
という間接接触感染の可能性についてのガイドラインを公表したため、
私は、怖気をふるってありとあらゆるものを消毒するようになったのだ。
ドアノブ。テーブル。バッグの持ち手。
スマホ本体も、スマホケースも、例外ではなかった。

あの頃の私は、アルコールスプレーや、イータックのウエットシート等で、
拭けるところはすべて拭き、一体どのくらいウイルスを除去できるのかと
その成果については確信が持てないままに、日々、拭きまくった。
日本のどこだかの病院で、タブレット端末を職員が共有していたために、
接触感染を起こしクラスターが発生した、という報道があってからは、
尚更、癇性にスマホを消毒するようになった。
挙げ句が、この、スマホケースの甚だしい劣化であった。
しかし当時の私の基準では、目の前のスマホケースが美しいかどうかより、
新型コロナに感染しないことのほうが遙かに重要なことだった。

やがて、エビデンスが蓄積されるに従い、情報もアップデートされ、
今年の春には、物品からの間接接触感染のリスクは、1万分の1、
とCDCから発表され、ガイドラインが大幅に変更された。
考えてみたら、ウイルスはヒトの体内でないと増殖できないのであって、
スマホケースの表面で勝手に増えたり、
そこから自分で跳躍して、私の鼻の穴に入ったりするのではなかった。
物品を消毒する暇に、自分の手を洗えば良いことであった。
私は、結果論だが無駄にスマホケースを損傷したのであるorz
許せ、私の、初代スマホケース!

……ということで、きょう、2代目スマホケースがやって来た。
間違いなく、AQUOS sense SHV40のケースで、ぴったりであった。
もう二度と、私はお前をイータックで擦ったりしない。誓うわ。

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ここ3日ほどは外の用事を入れておらず、
更に、なんと明日も神社に行かなくて良くなったので、
都合4日間、私は家で過ごすことになった。
ここまで、快適過ぎてあっと言う間の3日間だった。

居間のカーテンレールの具合が悪かったのをなおして貰うのと、
張ったばかりの壁紙の、部分的な浮きを改善して貰うために、
昨日、今日と、いつものインテリアショップの職人さんに来て戴いたが、
それ以外は誰とも会わず、どこへも出かけなかった。
現在の状況では、コロナ感染予防のために引っ込んでいる必要など、
ほぼ無いと言って良いのだが、私は単に、インドア派なのだ(^_^;。
御蔭で、実家関係と神社関連の書類仕事が随分、はかどった。
明日は本を読んだり編み物をしたりして、
休日らしい休日にしたいと願っているのだが、
貧乏性なので多分、書類整理のつづきをやることになるのだろう。

ところで、昨日は、眞子さまの御結婚会見があった。
事ここに至っては、申し上げることは「お幸せに」以外に無い。
揉めるだけの背景はあったのだろう、と私も感じているが、
それにしても、よくぞ3年間も、眞子さまは持ち堪えて来られたと思うし、
お相手の方も逃げ出さずに辛抱して来られたものだと思う。
私は、今回の出来事について、手放しで肯定する気持ちにはならないが、
それ以前に、憎悪を剥き出しにして叩くような風潮に、全く賛同できない。
やり過ぎだったし、虐め過ぎだったと苦々しく思っている。
このあとはもう、なるべく報道などしないで差し上げて欲しいものだ。

また、この騒動のために、内親王殿下の御結婚というものが、
以前にもまして難しくなったのではないかと、私なりに案じている。
内親王のお相手となると、あれほどプライバシーを暴き立てられ、
一面識もない「世間の人々」から叩かれ罵られ続けるのだ。
叩かれるネタなど、我が家にはひとつも無い!
と胸を張れる人間など、そうそう居るものか。
皇族の女性と交際だとか婚約だとかの話になりそうになったら、
これからの男性たちは偽装結婚してでも逃げるのではないだろうか。
それは内親王殿下ご自身の不幸をも意味している。

得手勝手に私の希望を言うなら、今後ほかの内親王殿下には
早いうちに、旧宮家の出の男性とお見合いして戴くのが良いと思う。
民間でも、見合い結婚のほうが恋愛結婚より巧く行く例は少なくない。
特に天皇家の愛子さまが、旧皇族の末裔の男性と御結婚されれば、
新しい宮家を創設されても、世の中に受け入れられやすいと思うし、
男児が誕生すれば皇位継承権を持たれることも可能なのではないか。
男系に固執する人たちもこれなら反対しないのでは?
母である愛子さまは天皇陛下の直系であるうえ、
愛子さまの御夫君である父の血筋を辿れば天皇家に行き着く。
最強ではないか?
旧皇族の家柄のあるお相手なら、世間もそうそう居丈高に叩かないだろうし、
御当人も御家族も、現・天皇家と直接の縁続きになることを、
受け入れやすいというか、受け入れるべき根拠があるというか(汗)。

ところで、
「女帝を認めて、好ましくない一般男性がその結婚相手となった場合、
その男性一族が次の天皇の父親とその親族になってしまうから、
やはり女系天皇など絶対に認めてはならない」
という内容の記事を見かけたのだが、
それなら、皇太子殿下が民間出身の女性と結婚されることも
同様にダメだという話になるのではないか?
次代の天皇に、好ましくない親戚ができてしまうという事態は、
母方(=民間出身の東宮妃の側)にも、あり得ることだろう。
皇室の、歴史的・文化的な位置づけや、皇室外交の意義を考えれば、
皇族の結婚に一定の条件がつくのは致し方ないことだと私も思うが、
そこで起こり得る問題に関しては、男性皇族でも女性皇族でも、
同じことではないのだろうか。

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・第49回衆議院議員総選挙の投票日を前に、
日々、選挙カーが街中を通って行く。
さきほども、「…を、よろしくお願い致します」みたいな声が
遠くから聞こえて来たので、「誰のかな?」と耳を澄ますと、
きしだ、ふみお、きしだ、ふみお……」。
そうだった。ここは広島1区。
ときの総理大臣・自民党総裁と言えど、選挙運動して当選しないといけないのだった。
そもそも自分で衆院解散したんだしな(^_^;。
ちなみに投票日10月31日(日)はカレンダーを見ると「仏滅」「ハロウィーン」。
この記載に何の矛盾も感じないし違和感も無いワケよね、日本の我々は(^_^;。

・そういえば、神社の電話受付をやっていると、
「仏滅の日に七五三(初参り、地鎮祭、etc.)をやっても大丈夫でしょうか」
というお問合せが結構ある。
大安だの友引だのという「お日柄」のもとになっている「六曜」は、
いつ頃できたのかも不明な、古い古い中国の、ただの占いであり、
現代日本では、事実上どうでもいいと言って差し支えないシロモノだ。
そもそも神社神道は、仏が滅してても全然どうってことないですな(爆)。
ゆえに、「大丈夫でしょうか」に対する答えは「大丈夫です」になるが、
まあ、なにごとも「良い」と言われれば気分の良いものだろうから、
「大安だから、と良い気分になったうえで、やりたい」
という御希望が強い場合は、全く御自由に、と思います(^_^;。

・神社といえば、村の神社の大祭が再来週に控えているので、
昨日は朝8時から幟立てがあり、巫女舞指導もあり、私は5時起きだった。
行ったら七五三の案内やら隣村の神社の秋祭の手伝い等々もあり、
一日労働して、夕方帰宅したら、主人がカツ丼を買ってきてくれたので
有り難く戴き、入浴して温まり、昨夜は夜10時前から布団に入った。
そのまま爆睡し、一度目覚めたら朝5時だったので二度寝して、
結局7時過ぎに起床するまで、9時間睡眠。極楽であった。
そして今日は休日。明日も明後日も休み。
祭の大騒動に突入する一週間前、ということで、嵐の前の静けさ(^_^;。

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某家電量販店で私のスマホの機種変更の相談をした。
ああいう場所の常として、長々とした説明を受けたが、
結論として、機種変更は、しなかった。

そもそも、私はスマホを最低限しか使っていない。
仕事関係及び実家母との通話と、家族&総代会のLINEと、
ネットの特定のページの閲覧、ときどきメール、それに記録用の写真撮影。
私のスマホの用事はこれだけで、アプリも大半が要らないし、
目が悪いのでゲームなんか一生やらない。
家ではWiFiがあるし、1か月1GBで私はやって行ける。
LINEも別に無くても私自身はほとんど困らないので、
つまるところ老人向けのガラケーでも全然構わなかったのだが、
ガラケーからは閲覧できないサイトが次々と増えて、
追い出されたようなかたちで不承不承、スマホを買ったのが4年前だった。

OSはAndroid7.1で、SharpのAQUOS sense SHV40を使っている。
これは当時、娘が選んでくれたものだ。私は何でも良かった。
今に至るも、不自由というほどの不自由はないし、不満もない。
強いて言えば、私は本当に目が悪いので、
ガラケーの、指先で探れば打てる物理ボタンのほうが使いやすかった。
スマホは全面、つるりとした画面しかないから
撫でただけでは各キーの在処がわからないし、
フリック入力など一文字一文字見ることになり、少々しんどい。
物理的なボタンがあれば、私は視線を画面だけに固定できるが、
スマホやタブレットになると、手元も均一のつるつる感触しかないので、
指の位置がずれていないかということと、
画面に出て来る文字変換の状況との両方を見なくてはならず、
目を一点に固定できなくなり、短時間でつらくなって来る。

音声入力でも良いが、仕事は外に出ていることが多いので、
スマホ相手に喋っているのは、人さまに見られたい絵面ではない。
私が今でもパソコンのほうを圧倒的主力として使用しているのも、
キーボードなら最初の手のポジションさえ決まれば、
あとは両手指先の感触ひとつで、視線を手元に落とさず入力できるからだ。
モニター画面は、サイトによって文字サイズを「大」にしたり、
ブラウザのほうでズーム125%に設定したりして、
自分用に見やすくしてあるので問題ない。

さてそれで、今回どうしてスマホの機種変更の話になったかというと、
そもそも、今のスマホで使っている手帳型ケースがぼろぼろになっていて、
新しいケースを買い直そうとしたら店頭になく、
「この機種のケースはもう販売されていない」
と家電屋の店頭で言われたのが始まりだった。
それから機種変更の話が出て、
4年も経っているなら新しいものに変えませんかと言われ、
いっそシニア向けスマホなら変えてもいいと私が言ったら、
あれこれ案内してくれたのだが、
調べてみたら、契約者が主人で家族割にしていたため、
私の一存では機種変更も名義変更もできなかった。

帰宅して、その話をしたら主人が『スマホカバー館.com』で検索し、
「SHV40のスマホケース、あるけど(^_^;?」
という話になり、見たら本当に今使っているものと同じのが売られていたので、
それを買い直すことになり、サイトから注文し、簡単に決着がついた。
そもそもが私はスマホ本体でなく、ケースが欲しかっただけなのだ。
ケースがもう無いと店員さんが言ったから、
仕方なく、ケースのあるスマホに機種変更しようとしていただけで。

もしかしたら、あのとき店員さんが言ったのは、
対応ケースは「店頭では」もう扱いがない、という意味だったのかな。
あんまり追求しなかった私のほうも、いい加減だったな(汗)。
何にしても、この機会に新しい機種を売りたかったのだろうが、
店員さんの言うことを鵜呑みにせず、自分で探してみるものだね(^_^;。
Androidの新しいのを買うとしたら、スマホでなく、
いずれタブレットでお世話になりたいと思っている。
ソファでだらだらしながら『紀尾井町家話』を視聴する環境を
そのうち整えたいと願っているのでね。
ストリーミングを楽しむのには、よくよくチャットに熱意があるとき以外には
入力作業はほとんどないから、真っ平らのタブレットで大丈夫だ。
家電量販店には、そっちの相談で、またお世話になるかもね。

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記事としては2015年3月20日付のものなのだが、
Twitterできょう紹介されていたことで、
私は初めて以下の↓文章を読むことになった。

「仕事が楽しい」の本当の意味を教えよう(東洋経済ONLINE)
『突然ですが、皆さんにひとつ質問があります。皆さんは、大学を卒業した後、就職する代わりに、普通の人が定年退職する65歳まで、仕事をするのと同じ時間、同じ曜日数、大学に通って授業を受けてくれと言われたらどうしますか? あ、もちろん授業料はなしです。そして、月々お給料として30万円差し上げます。』『どうですか? 四十数年間、毎日ずっと大学で授業を受けたいと思いますか?』『この質問、大学生だけではなく、社会人にも聞いてみているのですが、ほとんどの人が、困惑するか、答えに窮してしまいます。少なくても、「はいはい、やります」などと、大喜びで飛びつく人には、お目にかかったことがありません。』『どうしてなんでしょうか?』

こっちが訊きたいわ(汗)。
私だったら大喜びで飛びつく。57歳の今からでもやりたい。
もう65歳まででは10年もできないし、体力的にも心許ないけど。
私の現状は既に老後で、将来に対して投資して貰う価値はなく、
単なる道楽で大学へ行く訳だから、30万円も貰わなくてもいい。
学費無料+書籍費・交通費支給くらいあれば十分に有り難い。

私は、学問研究以前に、「勉強」全般が好きだ。
だからいいトシをして、金を払ってまでTOEICを1年間受け続けたり、
カルチャースクールの漢詩講座に10年以上通い続けていたり、
今に至るもラジオの語学講座を聴き続けたりしているのだ。
授業を聴いたり、自分なりにノートを作ったりして、試験を受け、
そこから考えたこと・得たことを、自分の精神面での力にして行く、
という暮らし方が、私はことのほか性に合っている。
ただ、それしかできないのは未成熟な、甘やかされた状態である、
という認識も、学生時代からあった。
ゆえに大学卒業時、不本意ながら自分でその時期を終わらせて、就職したのだ。
ここまで長年、教育して貰って成人した以上、
次は、微力であろうと社会貢献を心がける段階に移るべきだろう、と。

私は大学を卒業する頃、一時は大学院進学をかなり具体的に検討していた。
3年次から言語学を専攻し始め、形態論と統語論に熱中し、
4年次で卒業論文を書きながら、初めて研究への取り組み方を知るようになり、
これを一生の仕事にする方法はないものかと、毎日、思い悩んでいた。
いや、正直に言うと、「仕事をする」イメージなど当時の私には希薄で、
無期限で、このまま学ぶ側で居続けたかったのだが、前述の通り、
大人なら社会に何か還元できるようになるべきだと、頭では理解していたし、
いずれは、トシとった親を養う必要も出て来るだろうから、
いつまでも霞食って生きていける訳でもない、とも考えていた。
また、昭和の話だから、女が修士号や博士号など持っていたら、
就職も結婚もどんどん難しくなるだけだ、という現実もわかっていた。
何より、自分程度の頭で、生涯を研究に捧げるなどというレベルには
到底、到達できないということも感じていた。

それを、それをだな、学部新卒から毎月30万円も貰って、朝から晩まで、
ほかの心配をしないで勉強をしていればいいなんて、天国じゃないか!!!
学費や生活費のためにバイトもしなくていい。
卒業年限の心配もなく、65歳まで決まっているのだから、
就活しなきゃとか、オーバードクターになったら生活できるのか、
等々と進路に悩むこともない!!むこう40数年保証つき!!
『仕事をするのと同じ時間、同じ曜日数』ということは、
夏休みだから長期に大学が閉まってしまう、なんてこともないんだよね?
大学にも図書館にも毎日行ける!!

私は学部しか行っていないので、大学院生の生活は想像するのみだが、
「勉強だけする」のは当時から私のひそかな憧れであった。
もしも玉の輿に乗って大富豪と結婚できたら、授業料を出して貰い、
大学院に進学するか、違う専門の大学に入り直すかして、
就職など考えず、ずっと学問させて貰いたいと夢見ていたことさえあった。
大学時代が、私が最も勉強した4年間であり、
これこそ私が最も向いている世界だと実感した日々でもあった。
大学のときと同様、必修科目以外は自分で時間割が組めるなら、
毎日、9時-5時で勉強に行くのなんて、それだけでは足りないくらいだ。
あれを、定年までやって良いなんて。しかも給料つきで!!

しかしコレ、一人暮らしならパーフェクトだが、
家族がいたら、家事をしないといけないのだよね(^_^;。
会社で仕事をする代わりに大学に毎日行く、という設定なので、
家庭を持ったり子供ができたりしたら、配偶者と相談する余地はあるとしても、
家事も育児も、共働き同様に考えなくてはならない。
そうすると、勉強時間が足りなくなる。
大学のときは、100分講義×4コマで、4限を受けると午後5時終了、
それから学食に寄り、夕食をとってから下宿に帰ることをよくやっていた。
下宿に帰っても勉強せねばならないし、そのうえ趣味もあったから(笑)、
自炊などに時間を費やしたくなかった。
私が勉強で徹夜するようになったのだって、大学に行ってからだ。
9時ー5時の講義を毎日受けるとすると、結構、量が多いので、
大学時代以上に予習も復習もせねばならないだろうし、
そこから派生する研究もあるから、
家での時間が自由に使えなくなるのは、かなりキツい。
毎月30万円貰えるのだから、家事その他の雑事は外注すればいいのか……。
でも30万円をそんなことに使ったら、十分な書籍代は残るだろうか。
昇給も賞与もないなら、自分の老後の蓄えをどうするかという問題もあるし。
一考を要する。

(家庭持ちの研究者の方々は、こういう困難を乗り越えながら、
研究者としての成果を挙げ論文を書き、各分野に貢献して来られたのですね…)

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10月になると、やはり例年のことだが忙しい。
神社関連で秋祭とか七五三とか行事が増えるうえ、
一社だけとはいえ巫女舞指導の仕事もあり、
実家の村の方面へ出向く日が続いている。

そのような中できょうは久しぶりの休日であった。
休日と言っても対外的な用事が入っていないだけで、休息日ではなく、
舅の家のほうへ町内会費を払いに行き、廃屋めいた舅宅を点検し、
帰りに耳鼻咽喉科に寄って秋の花粉症のために薬を貰い、
夕食の買い物をして、帰宅した。

その後は、ここまで溜まりに溜まった書類仕事に着手した。
神社関係や両親の保険関係その他、こまごまとしたものが
次から次へと「紙」で送られてくるので、
部屋が散らかるし、場合によっては切手も要るしで、本当にウザい。
いくらかでもオンラインにならんものかね(--#)。

「高額介護合算療養費等支給申請書兼自己負担額証明書交付申請書」
が特にウザくて、2月1日が期限だったにもかかわらず、未だにやっていない。
書類を書くだけでなく、被保険者証(医療・介護)・通帳・印鑑・マイナンバー、
これらが確認できるものを両親それぞれについて揃えて、提出せねばならない。
支給額の合計(見込み)が少ないので、これにかかる私の労力やストレスを思うと、
このまま放置しようかと思いつつ、はや8か月。
手続可能期間はまだ1年以上あるので、それまでに暇になったらな(殴)。
ちなみにちょっと検索してみたところ、この書類は毎年来るという噂がある。
そういえば去年も同じようなものを書いた記憶は確かにあって、
やはりあまりの手数にウンザリしたものだったが、
去年登録した口座などは1年で無効になってしまったのか?
だったら来年この書類がまた来たときに今年のもまとめて書けば、
添付書類が一組で、……済まないんだろうかな、やはり(泣)。

ときに、急に気温が下がったので、室内にいるとテキメンに冷える(汗)。
つい2日前まで半袖×ハーフパンツでうろうろしていたのだが、
昨夜から長袖×長ズボンの秋冬仕様の部屋着に変更し、
靴下もちょっと厚いのを履くことにした。
昨年の記録を見ると、10月下旬にやはり秋の花粉症による鼻炎になり、
遠赤外線ヒーターのフォトンⅡの新型を購入して試運転しているので、
今や10月後半ではあるし、現状は季節的に自然な状態なのかもしれないが、
つい10日ほど前まで熱中症になりそうなほど暑い日が続いていたので、
この急激な温度変化は、実際以上に「寒くなった」と感じてしまう。

今週のこれからと、来週に関しては、今のところ、
週末以外には神社に呼び出される予定は無いことになっているので、
できれば一度、家でゆっくりしたいものだと思っている。
外に出ずっぱり、というのが私はもともと得意でないので、
人に会わず、喋らずに、家で一人きりで黙っていないと心身が枯渇する。
今月は、そろそろ、そういう時間が足りなくなってきたぞ(^_^;。

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「七五三が全国化したのは平成に入ってから。それまでは関東の一部でしか行われてない」
という記事があったが(https://dailyportalz.jp/kiji/walking-with-folklorist-01
ここで言っている「七五三」とは、
「豊富なレンタル衣装から和装・洋装を選び、お色直しも含めた『前撮り』をする」
という内容の美粧+写真撮影を行う、家族イベントのことだろう。
それを提供する業者さんや、このテの「楽しみ方」をする人々は、
確かに、バブル以前にはほとんど無かったと思う。

しかし、「七五三」そのものは昔から全国にあった。
上記のようなバブリーな写真イベントが出現する前は、
「七五三」というのは、晴れ着を着てお宮参りをすることだった。
お寺や教会でも同種の行事や式典を持っていたところもあった筈だ。
昭和42年に、私が、神戸の本住吉神社に母と一緒に行ったときの写真がある。
そのとき私が着ていた着物は、赤ん坊時代の初宮詣のときのと同じもので、
最初から四つ身で用意して産着に使ったものを、
七五三のときに祖母か母が、晴れ着として縫い直して私に着せたのだ。
呉服屋さんで上等な反物を選んで仕立てて貰う「お誂え」は、
その頃でも富裕層の楽しみだっただろうと思うが、
昭和一桁以前の生まれの女性ならば、大なり小なり和裁ができたから、
着物は、格別高価なものでなくとも、家にあるものを仕立て直して、
寸法の合ったものを自分たちで用意することができたのだ。

ちなみに記事中の成人式の話も同様で、昭和の頃には普通にあった。
確かに、1年前から貸衣装屋さんをまわって振袖を選んで予約したり、
オーダーレンタルで自分用のをつくって貰ったりして、前撮りする、
というやり方が定着したのは平成以降なのだろうが、
振袖を着て記念写真を撮影することだけなら、昔から皆、やっていた。
当時は、特に女性にとっては、この写真が「お見合い写真」でもあり、
「成人式のために髪を伸ばす」女の子たちも、よくあったのだ。
私自身はそういう感覚の家に育っていなかったので、振袖も持っていなかったが、
少し余裕のある家だったら、成人式を前に振袖を購入することも結構あった。
親戚やお友達の披露宴にも着ていけるので、持っていれば出番はあったのだ。

要は、現在皆が「七五三」「成人式」だと思っている一連の家族イベントが
全国に定着したのは平成になってから、と言うことは出来ると思うが、
「七五三」も「成人式」も昭和の前半から各地に既にあり、
ごく一般の多くの人々が、その当時のやり方で祝っていたのだ。
近年、私は神社関係の仕事に携わる機会が増えたので、
「七五三」の本筋は「お詣り」なのだがな、と少し残念に思っている。
和服でも洋服でも、自分なりの「正装」で神さまの御前に進み、
ここまで育ったことへの感謝を込めて家族でお詣りし、
更なる健やかな成長と幸せを祈願するのが「七五三」だ。
スタジオでの衣装レンタルや撮影イベントをしていなかったからといって、
「七五三」をやってない、訳ではないのだ。

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お盆前から断続的に続いた雨模様がやっと落ち着いたのと、
ファイザー2回目接種から10日ほど経ったのとで、
近所なら出かけても良いかなという気になり、区役所市民課まで行った。
――マイナンバーカードを受け取るために(^_^;。

私は、今までマイナンバーカードを持っていなかったのだった。
長い間、必要性を全く感じていなかったのと、
過去何年間か、とにかく尋常でないほど忙しかったのとで、
マイナンバーカードの申請が面倒に思えて、やっていなかった。
しかし、マイナンバー通知カードが廃止になる話もあったことだし、
もしかして将来、また国から給付金が貰える的な事態になったとき、
マイナンバー経由だったりするかも?等々と思い至り、
いろいろとゆとりのできた今、そろそろ取得しておこうかという気になった。

それで、申請書類を書いて写真を同封して
「地方公共団体情報システム機構 個人番号カード交付申請書受付センター」
あてに郵送で提出したのが、確か、6月の終わり頃だった。
それから一ヶ月くらいした頃だったか、もう記憶が定かでないが、
「カードを渡すので区役所市民課まで取りに来るように」
という案内の封書が我が家に届いた。
受け取り期限は11月上旬で、結構、余裕があったので、
それからまたいい加減、放置していたのだが、
冒頭のような理由で、きょう、とうとう受け取りに出向いたのだった。

窓口で、案内のときに同封されていた所定の用紙に署名したものと、
かねて保管していたマイナンバー通知カードを出し、
本人確認のため運転免許証を提示し、
暗唱番号を2種類、タッチパネルで登録することにより、
めでたくマイナンバーカードが交付された。
10年後の誕生日までカードそのものはこのまま有効だが、
5年後にICチップの交換が必要になるとのことだ。

これと、いずれ交付されることになるであろう運転経歴証明書があれば、
どんなばーさんになっても、写真つき身分証明書に不自由することはないな。
実際、高齢になると本人のためというより、
各種手続を代行する家族のために、写真つき身分証明書が必要なのだ。
実家父は運転経歴証明書があるから良いが、実家母は何もないので、
その都度、本人確認書類を2種類、用意せねばならない。
外出もままならない90歳にもなると、
新たにマイナンバーカードを取得するにも、なかなか手間がかかる。
「自署」とか「委任状」とか、本人に面会しないと用意できないものもあるし。
やはりこういうのは、自分ひとりで自力でやれるときにやっておくべきなのだ。

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