転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



歌舞伎座に行く前に、17日昼の部の『嵐が丘』@日生劇場 を観た。
堀北真希の演技を観ていてつくづく感じたのは、
キャシーは何らかのパーソナリティ障害だったのだな、
ということだった。
我が儘とか激しい気性という程度では説明のつかない、
根深い「認知の歪み」が彼女の中にはあり、
それが終生、彼女から心の安定を奪い続けたことを、
今回、私は堀北真希の演技の随所で感じた。

キャシーの目に映る「真実」は、ほかの大半の人にとって
手のつけられない、こだわりのようなものでしかなく、
それを共有してくれるのは、同じく居場所のないヒースクリフだけだった。
ヒースクリフとキャシーの恋愛は、だから劇的な愛憎というより、
一種の共依存だったのだと、観ていて合点がいった。
愛情がないわけではないのに、ふたりでいると些細なことが問題になり、
すぐに激しい言葉でやりあって傷つけ合ってしまうという構図に、
何か見覚えがある気がして仕方がなかったのだが、改めて考えてみると
あれは映画『シド・アンド・ナンシー』を観たときの気分にそっくりだった。
メンタル面での問題ゆえに、キャシーは、そしておそらくヒースクリフも、
いつも不安定で激しく衝突するような人間関係しか、築けなかったのだ。
『嵐』とは、キャシーとヒースクリフの心の病のことだった。
私は、齢五十にして初めて『嵐が丘』の世界観に納得できた
堀北真希×山本耕史は、かなり、偉大だったかもしれぬ(笑)。

もうひとつ、大きい役ではないがヘアトンの矢崎広も印象に残った。
キャシー的な歪んだ世界に身を置くべくして生まれたヘアトンが、
そこから脱却し、日だまりのような日常を手にする過程が
観ていてとても自然に伝わって来た。
病的なキャシー世代と好対照をなす存在として、
若いヘアトンと幼キャサリンのカップルが配置されており、
彼らの姿が、この閉塞感の極みのような物語の中で、
最後に大きな救いになっていることがわかった。


……歌舞伎公演情報を見るためにチケットWeb松竹のページに行って、
偶然知った舞台だったのだが、これは観た甲斐があったと思った。

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