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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



16日のポゴ氏ベオグラード公演を報じる、クロアチア語の記事。
ザグレブ本社のVečernji list
Ivo Pogorelić: Nakon 28 godina u rodnom Beogradu

写真10点が出ている。
https://www.vecernji.hr/galleries/gallery-282888/?page=1


同じく16日ベオグラード公演を伝える、セルビア語の記事。
ベオグラード本社のVecernje Novosti
Иво Погорелић омађијао и публику и музичаре (ФОТО)

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ポゴレリチは16日夜、ベオグラードで最初の演奏会を行った。
セルビア放送交響楽団との共演でショパンのピアノ協奏曲第2番。
指揮は首席指揮者のボヤン・スージッチ。

演奏会は、ベオグラード地元の待ちかねた聴衆の期待に応える大成功で、
ポゴレリチは熱い歓呼の声をもって讃えられ、歴史的演奏会となった、等々、
いくつかの記事が既にウェブ上にUPされているのだが、
その一方で、ポゴレリチ個人に対する非難も一部には出ている。
「彼は、かつて最も過酷な状況にあったセルビアを見捨ててクロアチアを選び、
その後30年もベオグラードを省みることをしなかった」と。

数字的な意味での『30年』には、背景に様々な事情があったと思われ、
彼本人は、私の知っている範囲でも10年前には既に、
ベオグラードに帰って演奏したいと公式に発言していたのだが、
それにしても、ポゴレリチが1991年のユーゴ紛争当時、
セルビアでなくクロアチア国籍を選択したこと、
その後にインタビューでセルビア人かと訊かれると、
明確にNOと答えていたこと等は事実だ。
ポゴレリチはクロアチア政府から優遇され、
1992年に文化大使に任命されており、
ドゥブロブニクやブコバルの再建のためにチャリティ公演等を積極的に行い、
ユネスコ親善大使としても、サラエボ・チャリティ財団の設立に尽力したが、
一方で、そのような貢献は、セルビアのためには為されなかった。
2017年の今、ポゴレリチがベオグラードを生まれ故郷であると言い、
セルビア語を話し、コロラッチ・ホールで歓迎される様を見て、
「どの面下げて」と不快に思う人々がいたとしても無理は無い、
という気がする。

ユーゴ紛争の中でもクロアチア紛争はとりわけ長く、深刻だった。
それ以前の歴史を見ても、セルビア人とクロアチア人の間には、
もともと、一筋縄では行かない難しい感情のもつれがある。
ポゴレリチがなぜクロアチアのほうを選んだのかは、詳しくはわからないが、
彼の父親はクロアチア人であり、彼が11歳でモスクワ留学に出発する直前、
「クロアチア人としての誇りを忘れるな」
と言って聞かせた等の逸話もあることから、
ポゴレリチの中に、クロアチア人としてのアイデンティティが
ある程度早い段階から形成されていたことは間違いないと思う。
モスクワ留学を終えてユーゴに帰国した1980年時点でも、
ポゴレリチはまずクロアチアのザグレブに居を構えている。
しかし、それとともにポゴレリチは2005年のインタビューの中で、
セルビア正教徒である母親の家系の、宗教の伝統についても触れている。
自分の中に、クロアチアとセルビア両方のルーツがあることを
クロアチア国籍選択後も変わりなく、彼なりに尊重していたことが伺える。

爆撃で壊れた建物が再建され、街並みが蘇ったとしても、
紛争で奪われたままのものは多く、それらに対する人々の悲憤の思いは、
容易には癒やされないのだと、つくづく思った。
ポゴレリチの祖国であったユーゴスラヴィアは、もはや失われたのだ。
セルビアにとってポゴレリチは、国民的英雄であると同時に、
視点を変えれば、国家の裏切り者でもあり得るのだろう。

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ポゴレリチは12月16日と18日に、生まれ故郷のベオグラードで
28年ぶりの演奏会を行うことになっている。
16日が協奏曲でショパンの2番、
18日がリサイタルで、プログラムは先だっての東京公演と同様だ。
これらの演奏会のための使用楽器を、11月16日にポゴレリチは、
ドイツ・ハンブルクのSteinway & Sonsの工房を訪れ、試弾の後、決定した。

Ivo Pogorelich Visiting "Steinway & Sons" Factory In Hamburg ..November, 16 ..2017 ..(YouTube)

この世界的ピアニストの帰還を、現地は「歴史的演奏会」と讃え
チケットは即日完売、テレビ取材が行われ特別写真展も開催されている。

Погорелић за РТС: Виђаћемо се поново(セルビア国営放送のインタビュー)
Mira Adanja Polak: Ekskluzivno
(セルビア人ジャーナリストMira Adanja Polakが紹介する、
セルビア国営放送の1970年~80年代のポゴレリチの映像)

ポゴレリチは1958年に当時のユーゴスラヴィアの首都ベオグラードで、
クロアチア人の父とセルビア人の母との間に生まれ、
「チトー大統領のように生きるのが理想」
と発言していたほどの、愛国的な子供として育った。
少年時代から給費生としてモスクワに留学し、10年余りを彼の地で過ごしたが、
1980年10月の第10回ショパン・コンクールにはユーゴ代表として参加した。
その後、不幸なことに、1991年ユーゴスラヴィア紛争が勃発、
彼の祖国は分裂し、美しかった都市の景観も破壊された。
このときポゴレリチはクロアチア国籍を選択し、
以来、ふるさとのベオグラードのあるセルビアは、彼にとっての外国になった。
インタビュー等で、「あなたはセルビア人ですか」と尋ねられ、
ポゴレリチが「いいえ」と答えるのを、私は幾度か聞いたことがある。

しかしポゴレリチは決して、セルビアと決別したのではなかった。
ポゴレリチ本人の言によると、モスクワで演奏しないのは自分の意思だが、
ベオグラードで弾きたい気持ちはずっと以前からあった、とのことだ。
にも関わらず、様々な理由からそれは容易に実現しなかった。
今回の演奏会にこぎつけるまでにも、十年あまりの交渉期間があった。

この演奏会が行われることが正式にアナウンスされたのは、
2017年1月1日だったと思うのだが、
実は今から2年前の春に、ポゴレリチは私的にベオグラードを訪れ、
今回の会場となっているKoloracホールでリハーサル的な演奏もしている。
全くの非公式であったため、報道はされなかったが、
現地のファンがFacebookに投稿しており、
極秘の行動などではなかったことがわかる。
しかしそのときには、一般の人達からはポゴレリチだということは
ほぼ、気づかれなかったとのことだ。
「あの」ポゴレリチがまさかベオグラードに来ているとは、
現地の人達は誰も想像だにしていなかっただろう。

Ivo Pogorelich in Belgrade ..(YouTube)

目下、ベオグラードの会場となるKoloracホールのギャラリーでは、
ポゴレリチの、1977年から2017年までのポートレイトが展示されている。
大半はドキュメント写真に類するものだが、アート作品もあるとのことだ。

Pogorelićevo svraćanje u Beograd

「2008年になったら、50歳の誕生日に、自分の生まれたベオグラードに帰り、
そこで演奏会を開きたいと思っている」
とポゴレリチが発言してから、それが本当に実現するまでに、
10年近くの年月を要することになった。
少年時代を過ごしたベオグラードで、60歳を目前にしたポゴレリチは、
今、何を思うのだろう。
今夕、彼はベオグラードに到着した。
歴史的な演奏会の幕が開くまで、もう、あと60時間ほどだ。

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記録しておきたいと思いつつ、リサイタルが終わって早一週間。
とりあえず、リサイタル翌日の夜にTwitterに投稿したものを貼っておく。
これらは思いついた順に書いた、メモ同様のものなので、
このあとできればなんらかの感想文にまとめ直したいと思っているのだが、
落ち着いた時間が、今のところ全く取れていない(汗)。
演奏者が考えに考え抜いてかたちにした演奏を聴いたときには、
聴き手としての私もまた、「短時間でチャチャっと」通り過ぎることなど
到底、できない。

『ポゴレリチ(ポゴレリッチ)の昨夜の演奏会は、私にとって、「なるほど、そういうことか!」と次々に種明かしがされて行くような面白さがあった。クレメンティのソナチネは三楽章まで聴いて、なぜ最初がああいう音だったのか納得が行った。ベートーヴェンも然り。そして後半のショパンが始まって、「そうか、だから前半はああいう音で弾いていたのか」とわかり、ラヴェルまで行って、「なんと!!このために今夜の演奏会はクレメンティで開始されたのか!!!」と膝を打った。そして、アンコール二曲目にショパンの作品62-2が始まったときこの曲は2010年5月の来日公演の一曲目だったので、「ああ!!時を経て、ここへ来たということだったのか~~!!!」という感動があった。現時点の彼にできる完璧版と言って良い構成・内容のリサイタルだったのではないかと思っている。』

『ポゴレリチ(ポゴレリッチ)の昨夜のリサイタルに関して、ベートーヴェンは私にとってこれまでにない彼の音だった。熱情は以前もプログラムに入っていたので、正直「またか」という感じがあったのだが、聴いてみたら全く一新された内容で畏れ入った。一曲について解釈が何通りもあると以前、ポゴ氏が発言していたが、なるほどと思った。一方、ショパンのバラード3番は、音も構成も私にとって実によく知っているポゴ氏だった。ほぼ、思った通りの予定調和のように展開されたので、これまた納得が行った(笑)。ラヴェル『ラ・ヴァルス』は初出し。彼の音楽は昔からそうなのだが、水平方向に「流れる」ことよりも、その瞬間瞬間の垂直構造がどうなっているかのほうに聴きどころがあって、昨夜のラヴェルはその典型だったと感じた。まるでパーツごとに、テンポ設定やフレージングがばらばらに為されているように聞こえたのはそのためだったと思う。』

『ポゴレリチ(ポゴレリッチ)の昨夜の『ラ・ヴァルス』は、2005年の来日公演のとき私が感じた「音楽のキュビズム」が一歩完成に近づいたものでもあって、ポゴ氏自身が好んで使う言葉だがまさにあれはphonomenonだった。クレメンティの時代から見てピアノという楽器とそこで奏でられる音楽が、200年経たないうちに、あのように巨大なものへと実ったのだということを、2時間に満たない演奏会で聴かせて貰った。』

『ポゴレリチ(ポゴレリッチ)のバラード3番は少なくとも来日公演では初めてだったが、昨日彼がバラードを弾き始めた途端に、それまでの前半とは打って変わって、まぎれもないポゴ節が聞こえて来たので、私は不覚にも笑い出しそうになったほどだった。こういう面は30年来、変わらずにあるのだなと。』

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TwitterのKAJIMOTO‏@Kajimoto_Newsに、
10月16日、ポゴ氏到着の報が出た。
以来、早速に都内某所でリハーサルをしているという話や、
生け花を背景にして立っている写真などが公開されている。

ポゴ氏の私服は、5年以上前からアイテムが同じだ。
ポゴ氏と言えば、夏はラコステのポロシャツ、
冬は縞のシャツにフリース、そして赤いリュック。
「黄色い熊が赤い短シャツを着たら顔が何であれプーさん」
みたいなもんで、ほとんどイメージ・コーデの域に到達している(爆)。

リサイタルは、10月20日(金)19:00 開演 (18:30 開場)@サントリーホール。
イーヴォ・ポゴレリッチ ピアノ・リサイタル INFORMATION(KAJIMOTO)
プログラム
クレメンティ: ソナチネ ヘ長調 op.36-4
ハイドン: ピアノ・ソナタ ニ長調 Hob.XVI-37
ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ第23番 ヘ短調 op.57 「熱情」
ショパン: バラード第3番 変イ長調 op.47
リスト: 超絶技巧練習曲第10番/第8番「狩」/第5番「鬼火」
ラヴェル: ラ・ヴァルス

作曲年代からすると、楽曲を音楽史の順に辿る構成になっている。
楽器としてのピアノがどのように進化したか、
そして、各世代の作曲家がどんな工夫でピアノの響きを探り
新しい音楽の方向性を開拓して来たかが、
ポゴ氏の解釈によって、ひとつのリサイタルの中にまとめられていることだろう。

奇しくも、10月20日は彼本人の誕生日。
今年で、59歳になる。来年は還暦だ。
私が初めてポゴレリチの名を知ったとき、彼は22歳だった。

遙けくも来つるものかな……

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【増補版】ピアニストが語る!(アルファベータブックス)

2014年に、焦 元溥 著・森岡 葉 訳で初めて刊行された『ピアニストが語る!』が、
このほど新たに、2016年のポゴレリチのインタビューを加えた増補版となります。
前回お買い求めになれなかった方も、この機会にいかがでしょうか。
ポゴ氏ファンにとっては、特に両バージョンの初版を所有しているとなれば、
まさに将来のコレクターズ・アイテム(笑)!?

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ポゴレリチの東京公演のチラシがUPされていた。
PDFファイルでダウンロードもできる。
イーヴォ・ポゴレリッチ ピアノ・リサイタル(KAJIMOTO コンサート)

こちらの記事も。
●復活の鬼才が今年も。しかも自らのバースデーコンサート!
―― イーヴォ・ポゴレリッチ、先行発売はまもなく。
(KAJIMOTO ニュース)

本日正午からkajimotoイープラス会員先行の申し込みが始まっているが、
明日の10時からはチケットぴあプリセールも開始される。
kajimotoイープラスとは違う場所をぴあが持っている可能性もあるので、
本日出遅れたと後悔なさっている方は、明日挑戦なさってみては?
イーヴォ・ポゴレリッチ(p)プリセール

このあと、複数プレイガイドによる一般発売は6月24日(土)10時から。

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10/20(金)イーヴォ・ポゴレリッチ ピアノ・リサイタル 曲目一部変更のお知らせ(KAJIMOTO)

ポゴ氏リサイタルの曲目が一部、変更されるとのことだ。
私としては変更後のほうがずっと嬉しい。
何しろ、1995年の来日のときにプログラムにあったクレメンティは、
私にとって、この二十数年来「痛恨の聞き逃し」の一曲だったので、
それがこのたび実現することになり、まるで夢のようだと有り難く思っている。

1995年と言ったら、娘が生まれた年だ。
さすがに、いくらトチ狂っている私でも、
0歳児をかかえて松江から東京まで演奏会を聴きに行くのは無理だった。
そういうときに限って良いプログラムで来るんだよと、
あのときは情けなかったものだった。
しかもそのあと、ポゴ氏が長い療養生活に入ってしまうことになろうとは
当時はまだ、全く予想できていなかった。

あれから時は流れ、様々なことが移り変わり、
今年2017年、彼の誕生日に、再度、この機会が巡って来る!
ああ、待ってみるもんだねぇ(涙)。


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□変更前 
モーツァルト:アダージョ ロ短調 K.540
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第23番 ヘ短調 op.57 「熱情」
リスト:超絶技巧練習曲第10番/第8番「狩」/第5番「鬼火」
スクリャービン:ピアノ・ソナタ第3番 嬰ヘ短調 op.23
ラヴェル:ラ・ヴァルス
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            ↓
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■変更後 
クレメンティ:ソナチネ ヘ長調 op.36-4
ハイドン:ピアノ・ソナタ ニ長調 Hob.X VI-37

ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第23番 ヘ短調 op.57 「熱情」
ショパン:バラード第3番 変イ長調 op.47
リスト:超絶技巧練習曲第10番/第8番「狩」/第5番「鬼火」
ラヴェル:ラ・ヴァルス
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10月のポゴレリチ東京公演は、既にワールドピアニスト・シリーズとして
セット券での発売が1月下旬から始まっていましたが、
来月6月15日からいよいよ、ポゴ氏リサイタルのみの単券が発売される予定です。
これから個々のリサイタルとしてお求めになる方々は、どうぞ(^^)。

イーヴォ・ポゴレリッチ ピアノ・リサイタル INFORMATION(KAJIMOTO CONCERTS)

10月20日(金)19:00 サントリーホール
イーヴォ・ポゴレリッチ

モーツァルト: アダージョ ロ短調 K.540
ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ第23番 ヘ短調 op.57 「熱情」
リスト: 超絶技巧練習曲第10番/第8番「狩」/第5番「鬼火」
スクリャービン: ピアノ・ソナタ第3番 嬰ヘ短調 op.23
ラヴェル: ラ・ヴァルス

【カジモト・イープラス会員限定先行受付】
6/15(木) 12:00 ~ 6/18(日) 18:00
【一般発売】
6/24(土) 10:00 ~

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昨日は夜になってポゴレリチの来日公演情報が出たものだから
拙サイトのほかfacebookやTwitterやmixiなどで触れ回り(笑)
「ええい、問答無用だ、この際シリーズ会員券を
カジモトイープラス会員限定先行で買ってやる!
行けるかどうかはあとから考える!!」
と鼻息も荒く盛り上がった書き込みをしてから、私はハタと気づいた。
よく見たら発売日は1月28日(土)12:00、
……って全然それダメじゃん自分!!
土曜日は一週間で一番忙しい日であるうえ、
12:00は私の場合、接客その他でまさに拘束時間ド真ん中。
土曜日はおよそ、10時から16時までは全く体が空かないのだ。
どーするだ~(←松江転勤以来、ここだけ残った出雲弁)、
……と思っていたら なんとうまい具合に別件で娘からLINEが来た。
おお、そうだった、娘がおったではないか!!
いいところに通りかかったなお前!!

ということで、28日(土)の正午は暇かと尋ねて、
チケット取りを頼んでみたら、有り難いことに娘には予定が無かった。
合点承知之助!とばかりに娘は
「何のチケットをお取りしましょう」
「人海戦術を使うのですか」
とまで書いてきた。
私の施した英才教育は無駄ではなかったと知ったね(涙)。
だが今回のは、そういう秒殺で決まる合戦に挑む話ではない。
純粋に、私のかわりに私好みの席をおさえて欲しいだけだ。
それで、私がピアノを聴く際にサントリーホールのどこを良席と思っているか、
を娘にレクチャーしようとして、また気がついた、
カジモト・イープラスのサイトによると、今回のシリーズ会員券の座席は
『※紀尾井ホールを基準にご用意いたします。
その他のホールに関しては、準じたお席となりますので、ご了承ください』
と書いてあるではないか(O_O)。
キャパ800の紀尾井ホールの座席表を眺めてみても、想像力貧困な私では
キャパ2000のサントリーホールだとどこがどれに当たるのか、
どうももうひとつ、うまくイメージできませんな。
こいつぁ一考を要する(汗)。

**************

昨日も書いた通り公演日の10月20日は、ポゴレリチの誕生日だ。
2005年10月20日の北京公演の際には、演奏を終えたポゴレリチに向かって、
客席から『Happy Birthday to you』の大合唱が沸き起こったという、
ほとんど伝説と化した思い出話があるのだが、
日本のファンも、今回、そういうことができたほうが良いのだろうか(大汗)?
もし宝塚だったら、ファンクラブが予め客席に
何か配布しておくような話だったりしませんか、これって(逃)??
……という冗談はさておいても、バースデーライブだなんて、
そうそう望めない巡り合わせであることは間違いないので、
今年は東京で誕生日を祝うことができて良かったと、
マエストロに思って頂けるなら、日本のファンとして大変光栄ではあります(汗)。

ときに、『Happy Birthday to you』については、ちょっと面白い話がありまして。
このインタビューの中でポゴレリチはこんなことを言っているのだ。

(とあるパーティーで、いわゆる名士であった主催者の男性の誕生日が祝われることになり)
There was also a piano in the room and all of a sudden someone pointed to the piano with an inviting gesture, where it became clear that I was expected to accompany the “Happy Birthday to you” tune. I was mortified as I realized that I had never played the tune. So I bravely stood up and said “I am sorry but I do not have this piece in my repertoire”.
部屋の中にはピアノもあって、突然誰かがそれを指してこちらを手招きしたので、明らかに、私が『Happy Birthday to you』の伴奏を期待されているという状況になった。しかし恥ずかしながら私はそれを弾いたことがなかった。それで勇気を出して立ち上がって言った。「申し訳ないのですが、この曲は私のレパートリーの中にありませんので」。

この真面目にズレた何かが漂うあたり、いかにもポゴ氏らしい逸話なのだが、
このあとの文章によると、その場にいた人たちは誰も、
ポゴレリチが本当に『Happy Birthday to you』が弾けないとは思いもせず、
彼の言葉を洒落た返しだと考え、全員でもう一度拍手喝采したそうだ(^_^;。

さぁ、……ってことで、この、マエストロのレパートリーにない一曲を、
サントリーホールで、我々みんなで歌いますかね(汗)? Why not?

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