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転妻よしこ の 道楽日記
舞台パフォーマンス全般をこよなく愛する道楽者の記録です。
ブログ開始時は「転妻」でしたが現在は広島に定住しています。
 



このあいだ帰ったばかりのポゴレリチ(爆)が、今年も来日することになった。
名誉なことに!KAJIMOTOワールド・ピアニスト・シリーズ2017のひとりとして、
それも10月20日、ポゴレリチ本人の誕生日に東京でリサイタルを行う予定だ。

http://www.kajimotomusic.com/jp/news/k=2644/

10月20日(金)19:00 サントリーホール
イーヴォ・ポゴレリッチ

モーツァルト: アダージョ ロ短調 K.540
ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ第23番 ヘ短調 op.57 「熱情」
リスト: 超絶技巧練習曲第10番/第8番「狩」/第5番「鬼火」
スクリャービン: ピアノ・ソナタ第3番 嬰ヘ短調 op.23
ラヴェル: ラ・ヴァルス

チケットはシリーズセット券の発売予定が発表されている。
カジモト・イープラス会員限定先行受付 :1月28日(土)12時~31日(火)18時
一般発売:2月1日(水)10時~3日(金)18時

***********

参考までに、昨年のワールド・ピアニスト・シリーズ2016のときは、
ポゴレリチのリサイタルは2016年12月10日(土)@サントリーホールで、
シリーズセット券のカジモト・イープラス先行が2015年12月18日(金)12時~22日(火)18時、
シリーズセット券の一般発売が2015年12月25日(金)10時~29日(火)18時~、
リサイタル単独としてのカジモト・イープラス先行が2016年6月16日(木) 12:00 ~ 6月19日(日) 18:00、
リサイタル単独としての一般発売が2016年6月26日(日) 10:00~、となっていた。

……私自身は昨年は、公演が土曜日だったため行くことが最初から不可能で、
発売スケジュールが自分自身の問題でなかったために、既に失念していたが(汗)、
今年も似たような順序になるのではないか、ということが予想できる。

現時点で、セット券での購入が難しい場合は、
続報をお待ちになってみて下さい<(_ _)>。

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追記  


……↓という話は、飽くまでポゴ氏においての「本人比」、
のつもりですので(^_^;。
今回初めて、或いはかなり久しぶりにお聴きになった方ならば、
「あんなものはショパン(シューマン、モーツァルト、ラフマニノフ)ではない!」
「あのように極端で得手勝手にデフォルメした音楽は耐え難い」
「暗くて気味悪くて、陰鬱きわまりない演奏だった」
「テンポ遅すぎ!!」
等々と仰るかもしれないと思います。
客観的には、そのほうが妥当な感想かもしれません。

私は何しろ、80年代半ばからこのかた、
ポゴ氏のことを考えない日は一日たりともなかった、
というくらい「浸かった」毎日を過ごしてきた人間で、
話の前提がもともとかなりおかしい(かもしれない)、
ということを、どうかご理解下さい<(_ _)>。

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昨日の豊田公演を聴いて、私は久々に、…というよりほぼ初めて、
深く肯定的な気持ちになり、心から満たされた。
ポゴレリチは、かつて無かったほどの心の平安を得たのではないか、
ということを、彼の音楽から強く感じたからだ。
どの曲も、大らかに安定した力強いものが根底にあり、
そこから豊かな音色を響かせ、圧巻だった。
ショパンの『バラード2番』は、若い頃の噛みつくような演奏とは異なり、
懐の深い、明確な方向性を持った演奏だった。
緩急の対比も、80年のコンクールライブのようにあざとくはなく、
隅々まで計算されたコントラストがあった。
『スケルツォ3番』にも同様に、どっしりと落ち着いた音楽の道筋があり、
これらはポゴレリチが最も若い頃にプログラムに入れていた曲目であるだけに、
ファンとしての私には、「遙けくも来つるものかな」という感慨があった。

シューマンの『ウィーンの謝肉祭の道化』は、プログラムが発表になったとき、
私にとって最も大きな聴きどころになるだろう
と思った曲で、期待に違わず、ポゴレリチらしさが全開になっていたと思う。
シューマンの和音の、縦の線の揃え方には、
昔からポゴレリチは独特の感覚を発揮しているのだが、
今回はそれらが更に、横に動いて行くときの音の綾が素晴らしかった。
そういえば『バラード2番』はシューマンに献呈されているのだった。
ポゴレリチ自身が、「シューマンは不当に低く評価されている」
とインタビューで語っていたことなどを考え合わせると、
プログラムの前半がショパンからシューマンへとバトンを渡すような
構成になっていることの意味も、とても興味深く思われた。

後半の一曲目はモーツァルト『幻想曲』ハ短調K475。
私にはこれは、何か現代曲の響きを内包しているように聞こえ、
音楽が年代ごとに完全に区分けされるものでないことを
ポゴレリチが演奏をもって示しているかのように感じられた。
私はもともとモーツァルトは百の顔を持つ作曲家だと感じる面があり、
例えば弾き手が若くても老齢でも、モーツァルトは如何様にでも、
その年齢に応じた「モーツァルトらしさ」を発揮し得ると思っているのだが、
それだけでなく、こうしてプログラム中に置かれた位置によっても、
古典的な意味での「モーツァルトらしさ」とはひと味違うものが
きちんと相応しく「モーツァルトらしさ」として描出され得るものなのだと
今回はなかなか面白い発見をした気分だった。

最後のラフマニノフ『ピアノ・ソナタ第2番』は
先のモーツァルトで提示されたものの行き着く先にある音楽で、
かつ、変幻自在の光景を見せる大洋のような演奏だった。
あるときは激しく高い波が容赦なく押し寄せ、
またあるときには、果てしなくたゆたう命の源としての大きさをたたえ、
それらすべてがひとつの巨大な潮流となって、
ポゴレリチの現在の安定感そのもののように、大きく揺るぎなく、
音の海として私の前に存在していた。

そのような中で、アンコールのシベリウス『悲しきワルツ』だけは、
私には、死者とのダンスとして聞こえた。
ほのかな灯りの中で、死人の手を取り、陰のように踊るワルツ。
亡き人の霊はいつでも、このワルツの主人公の隣にいるのだった。
それでも、2010年に同曲を聴いたときとは印象は全く異なっていた。
以前は、もっとテンポ設定が遅かったせいもあるが、
主人公本人も生きているのか死んでいるのかわからないワルツだった。
それを思えば、昨日のシベリウスは、少なくとも現世の踊りだった。
ただひととき、死人の魂を抱いて踊ることができるだけだった。

**************

先日、ラフマニノフの2番の協奏曲を聴いた晩にも感じたことなのだが、
ポゴレリチは、本当に御本人の言の通り「脱皮」して変化し続けて来た人だ。
80年代、90年代、そして21世紀になって以降、更にこの数年。
ポゴレリチはその都度、何かを脱ぎ捨てて新たなものを獲得して来た。
脱ぎ捨てると同時に重要なものを失ったこともあったかもしれないが、
それをせずに留まることもまた、耐え難いことだったのだろうと思う。
彼のメタモルフォーゼは終わることがないのだと、今回の来日公演を聴いて思った。
彼には、多分永遠に、ゴールは無い。
彼が若い頃には、それは安らぎの無さ・救いの無さとして私の目に映ったが、
今年の来日公演を聴いて、私はむしろそれは、
演奏家としての彼の核となる、力の根源なのだと感じた。
ポゴレリチは、決して、不幸な芸術家ではなかったのだ!
このことに私は今回、最も強い感銘を受けた。

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昨夜は、読響定期でソリストがポゴレリチ、ラフマニノフの2番。
1999年の北米ツアーの評を読んで以来待ち続けた、
ポゴレリチのラフマニノフ2番をついに聴くことが叶った。

ひとつひとつ、記憶の中の風景に灯火を点して行くような演奏だった。
特に、第二楽章を聴きながら、私は、
今までのいろいろなことを、全部、思い出した。
ポゴレリチを聴くようになってから、これまでの、様々なことを。

どれひとつ欠けても、今日(こんにち)は無かったと
……これほど陰影深く、しかも強く肯定的な音を聴くことになるとは
私は思ってもいなかった。

アンコールは再度、第二楽章が演奏された。
これがまた、楽章としてより一曲として演奏された趣があり、
私はポゴレリチの新たな独白を聴いた思いがした。

……いつも思うのだが、個人的には友人どころか知人でもない、
東欧のオジさんのピアノの音から
私はどうしてこうも多くのものを与えられてしまうのか、本当に、謎だ……。

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ポゴレリチのRach2をサントリーホールで聴いて、
ANAホテルのバーで、友人4人と遅くまで語り合った。

ポゴレリチの演奏を聴いて、このように幸福な気持ちになるなんて、
80年代には、…いや、2010年頃までは、全くあり得なかったことだった。
2012年のショパンのホ短調コンチェルトのときに初めて、僅かに、
このような傾向は始まっていたと今にして思うのだが、
あれから4年、ポゴレリチは更に大きな心の平安を得たようだった。

彼の演奏を聴くことにより、これほど静かに深く、
満たされた幸福を感じることになろうとは…!

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伊沃·波戈莱里奇现身上海 将“个性演绎”肖邦等名曲(2016年11月30日中国新闻网)

ポゴレリチは既にアジア公演を開始している。
現地時間で12月2日、上海でのリサイタルが終了したところだ。

「波戈莱里奇」って、…突然に表記を変えないで欲しいわ(^_^;、
以前は「波哥雷利奇」とかだったじゃないの(^_^;。
最初、「波哥」で探しても検索に引っ掛かって来なくて
困ったわよ(^_^;(^_^;。

追記:12月4日の北京公演では「波格莱里奇」になっていた。
哥はどこ行ったんだよ、哥は(^_^;!
前回は中国版Twitterに「波哥2014」なるタグもあったくらいだったのに!

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11月10日にエクスプレス予約から来たお知らせメールによると、
JR東海浜松工場の敷地内から発見された不発弾の処理作業が
12月18日(日)に行われることになり、当日朝、浜松~豊橋で
8時半から9時半の間、新幹線が運転見合わせになるということだった。
作業が順調に進めば、昼の12時半頃には平常ダイヤに戻る見込みだそう。

休日朝の話だし、それ自体はさほど重大な問題にはならない、
というのが世間一般の感覚だろうかとは思うが、
この日は実は、ポゴレリチの豊田公演が午後3時から始まることになっている。
作業が予定通りなら、午後の新幹線には直接の影響はなさそうではあるが、
私は今回、これ一回しかリサイタルが聴けないという事情もあるので、
お知らせメールを読んでから、当初の日帰り計画を変更し、
17日の仕事が終わったあと夜に広島を出発し、現地で前泊することにした。
近いところから来る人たちは、時間を少し調整すれば大丈夫だろうが、
広島からだと結構、距離があるので、僅かなアクシデントでも怖いのだ。
もともと12月は、ヘタをすると天候不良などで列車が遅れないとも限らず、
昼公演なのに当日出発では少し不安があるかな、
と感じていたので、もうこの際、思い切った(^_^;。


それにしても、なんでまた、よりによってポゴレリチが豊田で弾く日に
JR東海浜松工場でバクダンの処理があったりするんだろうねぇ。

……ついでにもう一泊して、帰りに京都の顔見世に寄るってのはどうよ……?
(ちなみに今年の顔見世は、南座が閉まっているため先斗町歌舞練場で行われる。)


追記:演奏会二日前に再度予定を変更して豊田日帰りに。
仕事の関係で行けるかどうかと迷い続けた友人が、
スケジュールをなんとかして「行く!」と決めたので、
私も彼女と一緒に、一日で往復することにしたのだ。
不発弾処理は我々の目的地よりかなり東寄りなので、
多分、影響はないだろう、ということで(^_^;。

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ポゴレリチの、98年以来となる最新録音がネット配信で出ました……!!!

メアドとパスワードを設定すると無料お試しですぐ聴くことができます。
ベートーヴェンのソナタ22番と24番がUPされています。
https://partner.idagio.com/pogorelich/

****************

ポゴレリチの言によると、現代の若い世代にアプローチするためには
彼らの使う媒体、すなわちスマホ等を通じたデジタル配信が有効と考えた
ということだ。
そしてこのIDAGIOがその機会を提供してれた、と。
なんて素晴らしいことなのだろうか、ついにキタのか、録音が!!!

……は、良いのだがよ(^_^;、
人がシヌほど忙しいときに、どーーーして、
こんなデカいことをシレっとやってくれるのだろうか!!!
今これを追求している暇が、全然、ないっ!!!

****************

(11月1日 22:06補足)

録音は、今年の9月10日から13日にかけて、
ドイツのシュロス・エルマウ城のホールにて行われたということだ。
使用楽器は現地にあったスタインウェイのコンサートグランド3台のうちの1台。

完成したものからアップして行って、録音がたまったら一枚のディスクにする、
と以前、ポゴレリチは公式サイトで言っていたと思うのだが、
その考えは変わっていないだろうか。
ソナタ22番を弾いたなら23番はセットだろう、という気がするし、
現にポゴレリチは2013年のリサイタルでは
前半の最後を22番、後半の最初を23番にしていたのだが、
22・23・24番を入れて一枚のディスクにする計画は、まだ無いだろうか。

一曲でも単独で公表できるのは、デジタル配信の長所だと思うので、
こういうやり方を私は聴き手として歓迎はしているのだが、
一方で、アルバムという単位での表現も聴きたいと切に願っているので、
「ベートーヴェンアルバム」の発売を、強く希望する。

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10月20日は、日本では皇后陛下の御誕生日なのだが、
実はイーヴォ・ポゴレリチの誕生日でもあって、
彼がそれを知ったら、光栄な巡り合わせだと申し上げるのではないか
と私は勝手に想像しているのだが(^_^;、
ともあれ、新聞やテレビで皇后陛下の御言葉が報道される日が、
我らがマエストロにとっての記念日でもあるのだ。

数えてみると、ポゴレリチは今年で満58歳だ。
ショパンコンクールの風雲児、と呼ばれた彼が、もはや還暦も間近。
80年代には、ポゴレリチは「個性的だが巧いピアニスト」という評価が
ほぼ固まっていたので、今後もなんとなく存在価値を認められつつ、
歳をとるにつれて、ある種の別格巨匠みたいになるのだろう、
と私は考えていたのだが、良い意味でその予想は裏切られたと思う。
21世紀になってから彼は一旦、世間からもファンからもほぼ全否定され、
そこから再出発をすることになったのだから。

私はポゴレリチのお蔭で、ひとりの演奏家を聴き続ける妙味を
体験を通して知ることができたと思っている。
ポゴレリチほど、最初から「個性的」という評価がはっきりしていた演奏家でも、
数十年をかけて聴き続けていると、その音楽家人生には紆余曲折も変遷もあり、
演奏も解釈も、決して固定的なものでないことがわかったからだ。
私はそれを、後追いでなくリアルタイムで、
しかも幾度も生の演奏を通して、感じることができた。
これは聴き手として大変幸福なことであったと思っている。

ポゴレリチがこれからどこへ行くのか、まだわからない。
この年末にも来日公演が予定されており、
私は東京での協奏曲と愛知でのリサイタルのチケットを買っているので、
そこに行けば、何かが改めて確認できるかもしれないし、
またもしかしたら、これまで知らなかった彼の音楽を
思いがけず聴くことになるのかもしれない。
二十数年以上を聴き手として共有してきたうえに、
更に現在進行形でポゴレリチを聴けるという幸せがあろうとは
1982年に高校生だったときの私には、全く思いも寄らないことだった。
年齢を重ねるというのは、なんと素晴らしいことなのだろう!

I hope today is the beginning of another great year for you!
Happy Birthday, Maestro Pogorelich!!

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私が休暇を満喫してボケ倒している間にも、ポゴレリチは勤労していた。
8月9日に、クロアチアのドゥブロブニクでリサイタルを行って好評を博し、
更に、クロアチア大統領からOrder of Duke Branimirという勲章を授与されていたのだ。
クロアチアの国際的な発展に寄与したことを称えられて、だそうで、
Wikipediaを見ると、クロアチア共和国で最上位から6番目の勲章、
と書かれているので、日本で言えば文化勲章クラスだろうか?
マエストロ、おめでとうございます。

Ivo Pogorelich ..Shades of Dubrovnik, 2016 ..Part I ..
Ivo Pogorelich ..Shades of Dubrovnik, 2016 ..Part II ..
Ivo Pogorelich ..Shades of Dubrovnik, 2016 ..The Encore ..

8月9日のプログラムは、夏の音楽祭用のもので、
  ハイドン:ピアノ・ソナタ  ニ長調 Hob. XVI:37
  ベートーヴェン:ロンド・カプリッチョ  ト長調 作品129
  ドビュッシー:ピアノのために
  ラフマニノフ:楽興の時 作品16
だったということだ。
アンコールは、グラナドスのスペイン舞曲集より第4曲と第5曲。
(私は、彼の弾くスペイン舞曲第4曲は今回初めて聴いた。)

Maestro Ivo Pogorelić nastupio u prepunom Dvoru(リサイタルの写真数点あり)

それから、なかなか詳細の出なかった12月の水戸芸術館の予定が、
公式サイトにUPされていた。
イーヴォ・ポゴレリッチ ピアノ・リサイタル 2016年12月17日[土]16:00開演(水戸芸術館)
チケット発売は、
運営維持会員:8月23日[火]9時30分
友の会会員:8月24日[水]9時30分
一般:8月27日[土]9時30分

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