寝付かれなかったが、3日目は7時に起床・朝飯を食べて、8時には宿を出発した。
まず「農連市場」に行った。
お目当ては、「タンカン」!沖縄のタンカンは甘くジューシー。それほど柑橘系を食べない僕だが、これは旨い。そして、女房から、大量に送るように仰せつかっていたのだ。
みやげやのおよそ3分の1の値段で、市場では手に入る。
本日の旅の行程は、沖縄が産んだ偉大な詩人「山之口獏」さんのゆかりの地・首里城・識名園・時間があれば、那覇市内の徘徊(あてなくぶらぶらよ!)である。
市場から数百メートル・与儀公園だ。
緋寒桜が見ごろ。公園では「さくら祭り」など開かれていた。人は、極めて少ない。
お目当てはここ!
獏さんの「歌碑」があるのだ。
座蒲団
土の上には床がある
床の上には畳がある
畳の上にあるのが座蒲団で
その上にあるのが楽といふ
楽の上には
なんにもないのであらうか
どうぞおしきなさい
とすすめられて
楽に座ったさびしさよ
土の世界をはるかに
みおろしてゐるやうに
住み馴れぬ世界が
さびしいよ
たまらないね。獏さんの世界だ。
そらんじてみた・・・声を出して読んでみた。
今日が、また、良い日、充実した1日になる気がした。
次に「玉稜(たまうどぅん)」にやってきた。1大観光地「首里城」の坂下に控える、琉球王朝の「王墓」である。
首里城には、観光バスがぎょうさんやってきて、沢山の人波をつくる。その駐車場から、少し下がっただけで、人は少ない。
王や王妃の骨を安置する左の部屋・真ん中は「洗骨室」・右は「限られた親族などの骨の安置ばしょ。
写真・あの守礼の門が遠景。
数年前、初めての沖縄では「首里城」に来た。なんだか分からないまま「首里そば」を食って終わった。
グスクを訪ねる旅で、「考えりゃ、首里城は沖縄最大のグスクだんべ~」「中山の要だんべ~」「今見たら、印象がちがうだろうな!」と思ったのだ。
こちら、首里城の登る坂道に立つ、世界遺産である。園比屋武御嶽石門(ソノヒャンウタキイシモン)・門だけの単一構造物だが、その裏手(今は、池や学校)にあったと思われる広大な森の、聖地の門であったのだろう。そして、首里城・王朝の守り神の地であったのだろう。
沖縄戦で、森も消失・門も壊された。首里城の下に沖縄戦の指揮をする第32軍司令部壕が置かれたのだから、岡の形が変わるほどの、爆撃を受けたのだろう。
戦後ここの敷地に、「琉球大学」が建ち(現在大学は移転し発掘は続いている)、首里城の発掘・保存が進められたことだけは、救いであった。
民間の地となったら、どうだったか?
この城壁、まさにグスク。
沖縄戦で破壊しつくされ、全て復元。設計図・白黒の写真などしか残らず、復元も困難を極めたらしい。
残された1・2メートルの石積みに、復元の石積みが6・7メートルは乗る。
下の石積みは、強固な、「相方積み」であるが、復元は「布積み(豆腐積みともいう)」・・ここら、忠実に「相方」でやって欲しかったが・・
首里城の道を挟んで、反対側、歩いて1分の場所。
さらに2分の場所には、綺麗な池がある。瓢箪池・そして弁財天堂だ。ここも含め、首里城遺構なのだが、驚くほど観光客は居ません。まったり歩け、オススメです。
首里城を後にして、琉球王朝の別邸・迎賓館のような場所「識名園」に行った。
世界遺産なのだが、驚くほど、観光客は少ない。
良い場所です。
庭園には、沢山の木々が生えてますが、多くに、名前の看板がかかり、樹木の名前を覚えるのに最適!樹木などに興味のある方は(おれもだけど・・)沖縄のかなりの樹木を目に出来ます。想像ほどは、大きな敷地でな無かったかな?
まあね、こんなとこにも、傷跡よ!
売店で珈琲買って、一休み。
売店ベーベーに反省の写真撮ってもらったのだ。
全国の面積の0.6%が沖縄・そこに全国人口の1%の人が住んでいるが、そこに、今尚「全国米軍専用施設」の75%が集中しているのだ。
ヤマトンチュは反省だろう?
昼はとっくに回っている。
俺「ここらに、ゆし豆腐の旨い店ない~」
売店ベーベー「あの道を1キロほど下ると、ちゅらがゎ~って店がありますよ~」
しばし、ベンチで休み、食べたあとまだ、時間があるので、その後の散策場所など、地図で物色・・・
駐車場にはタクシーが4台ほど待機・客待ちしていた。
運転手「乗りませんか?」
俺「ちゅらがゎー、って、分かります?」
運転手「わかるよ~」
俺「それじゃ、食べた後の行程を決めたら乗るからね~」
と、タクシーに乗った。
運転手「今日は暇なので、食べ終わったころ迎えに来ますから、その先も乗りませんか?」
俺「壺屋に行こうと思うのだが、それじゃ頼みます」
トンカツとそばが売りの店だったが、ゆし豆腐は旨かった。ジューシー(炊きこみご飯)も、トンカツも旨かった。次回も来たい店だった。
律儀に運転手氏は迎えに来て、国際通りから少しだけ入ったところの、壺屋のやちむん通りの東の入り口到着。やちむんとは沖縄の方言で陶器のことをさす。
琉球王朝時代、あちこちの釜場をここに集め、焼き物の産業振興や、御用達の器・瓦・骨壷など焼かせた場所だ。かの人間国宝「金城次郎」氏もここで、腕を磨いた。
今は、登り窯の煙害の問題などあって、読谷村の「やちむんの里」などに金城釜などは移っているが、幾つかの釜場、そして販売店が軒を連ねている。
陶芸の好きな方には、たまらない場所である。
石畳の道・静かなたたずまいなど、いやされる場所だ。
300年の歴史を誇り、今も現役の「東ヌカー(アガリヌカー)と呼ばれている共同井戸」だ。信仰の対象にもなって、綺麗に住民がしているのが分かる。
何軒も「販売店」が並ぶ。
店のあいそは良好。沖縄の店では、いやな思いをしたことがない。
市立の博物館もある。
良い仕事のブツが、並んでいた。
裏手には防空壕の跡・・・・・
その後、街中を冷やかしつつ、およそ観光客が来ないと思われる、路地に「古本屋」を発見!
県庁前の巨大本屋で、沖縄本を購入しようと思っていた僕は、すぐ入った。
沖縄らしい「てーげー」な店だった。
古本・LPレコード・EPレコード・CD・果ては中古の雑貨まで、チャンプルーされた店だった。
そしてさすが沖縄、本土だってめったにお目にかからない「デビッド・リンドレー」のCDが2枚もあった。
数冊の沖縄本・このCDなど購入して、宿まで10分か?歩いて戻った。
時間は3時であった。
夜は、F本と合流の予定。しばし部屋でまったり・泡盛をチビリ・昼寝と豪華な時間を過ごした。
次回最終章・「鉄の胃袋F本・・」に続く。