館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

獏さんを目指して・F本観光で行く沖縄2010春その2。

2010-02-22 06:41:42 | 旅は続く


寝付かれなかったが、3日目は7時に起床・朝飯を食べて、8時には宿を出発した。

まず「農連市場」に行った。



お目当ては、「タンカン」!沖縄のタンカンは甘くジューシー。それほど柑橘系を食べない僕だが、これは旨い。そして、女房から、大量に送るように仰せつかっていたのだ。

みやげやのおよそ3分の1の値段で、市場では手に入る。



本日の旅の行程は、沖縄が産んだ偉大な詩人「山之口獏」さんのゆかりの地・首里城・識名園・時間があれば、那覇市内の徘徊(あてなくぶらぶらよ!)である。



市場から数百メートル・与儀公園だ。



緋寒桜が見ごろ。公園では「さくら祭り」など開かれていた。人は、極めて少ない。



お目当てはここ!

獏さんの「歌碑」があるのだ。



 座蒲団

土の上には床がある

床の上には畳がある

畳の上にあるのが座蒲団で

その上にあるのが楽といふ

楽の上には

なんにもないのであらうか

どうぞおしきなさい

とすすめられて

楽に座ったさびしさよ

土の世界をはるかに

みおろしてゐるやうに

住み馴れぬ世界が

さびしいよ


たまらないね。獏さんの世界だ。

そらんじてみた・・・声を出して読んでみた。

今日が、また、良い日、充実した1日になる気がした。



次に「玉稜(たまうどぅん)」にやってきた。1大観光地「首里城」の坂下に控える、琉球王朝の「王墓」である。
首里城には、観光バスがぎょうさんやってきて、沢山の人波をつくる。その駐車場から、少し下がっただけで、人は少ない。



王や王妃の骨を安置する左の部屋・真ん中は「洗骨室」・右は「限られた親族などの骨の安置ばしょ。




写真・あの守礼の門が遠景。

数年前、初めての沖縄では「首里城」に来た。なんだか分からないまま「首里そば」を食って終わった。

グスクを訪ねる旅で、「考えりゃ、首里城は沖縄最大のグスクだんべ~」「中山の要だんべ~」「今見たら、印象がちがうだろうな!」と思ったのだ。



こちら、首里城の登る坂道に立つ、世界遺産である。園比屋武御嶽石門(ソノヒャンウタキイシモン)・門だけの単一構造物だが、その裏手(今は、池や学校)にあったと思われる広大な森の、聖地の門であったのだろう。そして、首里城・王朝の守り神の地であったのだろう。

沖縄戦で、森も消失・門も壊された。首里城の下に沖縄戦の指揮をする第32軍司令部壕が置かれたのだから、岡の形が変わるほどの、爆撃を受けたのだろう。

戦後ここの敷地に、「琉球大学」が建ち(現在大学は移転し発掘は続いている)、首里城の発掘・保存が進められたことだけは、救いであった。
民間の地となったら、どうだったか?



この城壁、まさにグスク。




沖縄戦で破壊しつくされ、全て復元。設計図・白黒の写真などしか残らず、復元も困難を極めたらしい。



残された1・2メートルの石積みに、復元の石積みが6・7メートルは乗る。
下の石積みは、強固な、「相方積み」であるが、復元は「布積み(豆腐積みともいう)」・・ここら、忠実に「相方」でやって欲しかったが・・



首里城の道を挟んで、反対側、歩いて1分の場所。




さらに2分の場所には、綺麗な池がある。瓢箪池・そして弁財天堂だ。ここも含め、首里城遺構なのだが、驚くほど観光客は居ません。まったり歩け、オススメです。



首里城を後にして、琉球王朝の別邸・迎賓館のような場所「識名園」に行った。




世界遺産なのだが、驚くほど、観光客は少ない。
良い場所です。
庭園には、沢山の木々が生えてますが、多くに、名前の看板がかかり、樹木の名前を覚えるのに最適!樹木などに興味のある方は(おれもだけど・・)沖縄のかなりの樹木を目に出来ます。想像ほどは、大きな敷地でな無かったかな?



まあね、こんなとこにも、傷跡よ!



売店で珈琲買って、一休み。
売店ベーベーに反省の写真撮ってもらったのだ。

全国の面積の0.6%が沖縄・そこに全国人口の1%の人が住んでいるが、そこに、今尚「全国米軍専用施設」の75%が集中しているのだ。

ヤマトンチュは反省だろう?



昼はとっくに回っている。

俺「ここらに、ゆし豆腐の旨い店ない~」
売店ベーベー「あの道を1キロほど下ると、ちゅらがゎ~って店がありますよ~」

しばし、ベンチで休み、食べたあとまだ、時間があるので、その後の散策場所など、地図で物色・・・

駐車場にはタクシーが4台ほど待機・客待ちしていた。

運転手「乗りませんか?」

俺「ちゅらがゎー、って、分かります?」

運転手「わかるよ~」

俺「それじゃ、食べた後の行程を決めたら乗るからね~」

と、タクシーに乗った。

運転手「今日は暇なので、食べ終わったころ迎えに来ますから、その先も乗りませんか?」
俺「壺屋に行こうと思うのだが、それじゃ頼みます」



トンカツとそばが売りの店だったが、ゆし豆腐は旨かった。ジューシー(炊きこみご飯)も、トンカツも旨かった。次回も来たい店だった。




律儀に運転手氏は迎えに来て、国際通りから少しだけ入ったところの、壺屋のやちむん通りの東の入り口到着。やちむんとは沖縄の方言で陶器のことをさす。

琉球王朝時代、あちこちの釜場をここに集め、焼き物の産業振興や、御用達の器・瓦・骨壷など焼かせた場所だ。かの人間国宝「金城次郎」氏もここで、腕を磨いた。

今は、登り窯の煙害の問題などあって、読谷村の「やちむんの里」などに金城釜などは移っているが、幾つかの釜場、そして販売店が軒を連ねている。
陶芸の好きな方には、たまらない場所である。

石畳の道・静かなたたずまいなど、いやされる場所だ。



300年の歴史を誇り、今も現役の「東ヌカー(アガリヌカー)と呼ばれている共同井戸」だ。信仰の対象にもなって、綺麗に住民がしているのが分かる。



何軒も「販売店」が並ぶ。
店のあいそは良好。沖縄の店では、いやな思いをしたことがない。



市立の博物館もある。



良い仕事のブツが、並んでいた。



裏手には防空壕の跡・・・・・



その後、街中を冷やかしつつ、およそ観光客が来ないと思われる、路地に「古本屋」を発見!

県庁前の巨大本屋で、沖縄本を購入しようと思っていた僕は、すぐ入った。



沖縄らしい「てーげー」な店だった。

古本・LPレコード・EPレコード・CD・果ては中古の雑貨まで、チャンプルーされた店だった。

そしてさすが沖縄、本土だってめったにお目にかからない「デビッド・リンドレー」のCDが2枚もあった。

数冊の沖縄本・このCDなど購入して、宿まで10分か?歩いて戻った。

時間は3時であった。

夜は、F本と合流の予定。しばし部屋でまったり・泡盛をチビリ・昼寝と豪華な時間を過ごした。

次回最終章・「鉄の胃袋F本・・」に続く。
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辺野古に行ってきた・F本観光で行く沖縄2010春その1。

2010-02-20 00:05:12 | 旅は続く
ちょっと「心の洗濯」が必要だった。
2月11日・仕事を3時で早引き・7:50の羽田「那覇行き」の飛行機へ・・・もはや、心は飛ぶようだった。

いつもの「F本観光」の沖縄ツアー、春の巻なのだ。

那覇には11時着・その夜は、ホテルに荷物を置いて、すぐ街に繰り出した。
ここらは、後日・・・本日は2日目、朝からの1日だ。

長い・・・・沖縄に興味のある方向けの記事だす。



F本は、マウンテンバイクを借りて、糸満への「貧乏旅」・僕はいつもの、「名ガイド兼タクシー」のU間さんの車をチャーターしていた。朝F本とはお別れ、およそ2日別行動だった。

僕がU間さんに頼んだ行程は、沖縄の北山の旅・美ら海水族館~今帰仁城(ナキジングスク)~辺野古だ。まあ7時間ほど(高速使用で)の行程だが、U間さんは「せっかくだから、行きは下を走って、幾つかの場所も回りましょう!」「時間は気にしなくて結構です」と、有り難いお話しであった。

空港から真っ直ぐ伸びる「国道58号線」・沖縄のメインの通りだ。僕らは58号線を北を目指し進んだのだ。

まず、そんなわけで、U間さんサプライズの「万座毛(まんざもう)」を訪ねた。

琉球王朝の時の王である尚敬王が、この地を訪れた折、大勢の付き人を休ませるに、案内され、その広さに「万人の座れる毛(原っぱ)」と讃えたエピソードの地だ。

中高年観光客は、すごかった。



基地の町・嘉手納、北谷、そして、読谷村を抜け、恩納村にやってきたわけだ。

実に「男っぽい」場所。見事な眺めだ。



さらに北へ、走り出しておよそ60キロか?名護の万国津梁館(ばんこくしんりょうかん)にやってきた。



あの「沖縄サミット」の会場である。



どうしょうもない人達・・・



サミット会場・豪華絢爛、窓からの眺めは最高だ。
今年は、F本・俺・太鼓叩きで、沖縄サミットがあるかもしれないのだ。
会場はここか、居酒屋だな。



さらに北上、高速道路の終点「許田」の道の駅で、「美ら海水族館」の割引券(ここが一番安い!)を購入し、西海岸から一路、東海岸へ、沖縄を横切り、「辺野古」にやってきたのだ。




普天間の移転先で、今賑わす「辺野古」だ。先の選挙では、住民は「移転」にNO!!を突きつけた。
この目で、現地を見たかった!!
本日最大のテーマだ。



同じ砂浜も、キャンプシュワブとは、鉄条網で世界が分けられる。

キャンプシュワブと、漁港の境界の鉄条網には、全国からの「反対」の意思の旗が架けられている。
妙に、綺麗な光景だ。

座り込みテントでは、大きな意思を感じた。
説明を丁寧にしてもらい、見事な資料も戴いた。すこし、カンパをした。



綺麗な、きれいな海である。希少なジュゴンが棲み、その餌場の「藻場」が広がる海だ。
この辺野古まで、4町村にまたがる、沖縄最大の「実射演習場」のある「キャンプハンセン」が続いている。隣り合わせで、北に位置する辺野古は「キャンプシュワブ」の場所だ。そこに、普天間の機能や規模を拡大する形で、移転しようとしているのだ。



その「キャンプシュワブ」第一ゲートだ。

辺野古の住民は、2分され、厳しい対立があるようだ。
1つの漁港が滑走路に消える。
札びらで、多くの対立を生んでいると聞く。

「アメリカ軍が出て行ったら、生活に困る」と良く聞く。

そうだろうか?

占領軍感覚で、犯罪は絶えず、外に出すと犯罪を犯すので、基地内にあらゆる施設を「思いやり予算」で作って、囲い込んでいる実体は、あのベトナム戦争当時の、戦地に赴く兵士達がお金を夜の街に落とした時代とは、かなり違うと聞く。

大型公共工事は、本土資本が元受、沖縄の建設業界は下請け、孫受けだ。結局お金は、本土に流れる。

沖縄は観光資源の宝庫だ。沖縄ブルーの海・豊かな森・未発掘の遺構。
歴史的遺構の発掘・整備に基地予算を回したら、さらに観光立県になるだろう。雇用も増える。

そして、「民族資本」のような、現地資本を育成することこそ、自立した沖縄の保証ではなかろうか?

辺野古に、移転すべきでない!と、僕は、現地で思った。




辺野古を後にして、沖縄の「建国神話」の聖地、今帰仁に向かった。

クバのウタキ・ニライカナイから「アマミキヨ」と言う神が、沖縄本島各地に降り立ち、国作りを行なう神話、の7つの聖地の1つである。山全体が聖地・そして男は禁制の場所だ。

ここ今帰仁は、沖縄の皆さんが、門中(もんちゅう)レベルで、5年とか7年とかのサイクルで行なう、今帰仁上い(ナキジンヌブイ)と言う、聖地巡礼を行なう場所である。
そこでは、この偉大なウタキもナキジングスクも、グスクの拝所も、一大イベントとして回るようである。

*門中とは、父系の親族集団のようである。




そのクバの聖地に面して、「今帰仁城(ナキジングスク)」がある。



グスク駐車場に隣接して、お土産や・売店・トイレがある。

昼時、突然雨が激しくなる。昼飯・・少し休憩した。
隣の蕎麦屋さんは満席・・このベーベーの店はがらがらだった。
結構歩いたので、喉は乾き、お腹も空いていた。



珈琲、そしてハンバーガー、餃子を頼んだ。ファストフードは電子レンジでチンかと思いきや、ベーベーはハンバーグをフライパンで焼き始め、レタスをちぎり始めた。
さらに、餃子を冷蔵庫から出し、これもフライパンで焼き始めた。

沖縄は「テーゲー」なところだ。チンかと思いきや、手をかける・・・この辺りも、沖縄なのだ・・・どちらも旨かった。




食べ終わった頃には、雨が小降り・・やがて、傘の要らない状態になる。

昨年のグスクの旅で、中南部のグスクに圧倒された。

どうしても、北部最大のここ「今帰仁グスク」に来て見たかった。



石組みは、古い「野面積み(のずらづみ)」。グスクの古さがわかる。
各地を支配する小さな豪族が、やがて、幾多の争いで3つの大きなクニ(北・中・南)になる(まあ、三国志を浮かべるべし)。その北山の中心の城である。時は13世紀。
やがて、中山の第一尚氏に滅ぼされ、尚氏の身内が守りについた地である。

200年ほど後、薩摩の侵略で焼き払われ、その後、捨てられる城である。

雄大にして、城壁の曲線がまことに美しいグスクであった。

城の周りには、村落・・まだまだ「未発掘」の場所が周りを囲んでいる。
何度も言うが、こうした発掘に予算を回し、観光資源にするべきだろう。



最後は、観光!!

最大の観光地か?「美ら海水族館」にやってきた。




ちょっと、斜に構えてきてみたが、なんのなんの、見ごたえ抜群。



見せ方が上手!迫力満点だぞ!



イルカのショーもお見事!

かなり楽しんで、高速で那覇に向かった。

6時過ぎ、那覇、U間さんに感謝しつつお別れ。

おみやげを速攻で買って、宿にもどる。



宿で、シャワー・足壷などマッサージ・まったりして、8時過ぎにお目当ての「居酒屋」に向かった。



泡盛が沁みた・・・・・・・・



モズクも島らっきょうも旨い。



ここは竜宮通りの「小桜」。ベーベーは愛想が良い。



珍しく、客は少ない・・・マスターも隣で一緒に呑んで、話に花が咲いた。
こうした瞬間が幸せ!



ここの「ソウミンチャンプル」は絶品の味だ。

3合ほど呑んで、バイバイした。



ネオンに誘われ、もう1軒。



前回の旅で与世山澄子さんの店で、ピアノ伴奏をしていた、香村さんの店に来たのだ。



時間が早いので、客はまばら・・・




やがて、彼のピアノが流れ始める。

スイングから中間派のピアノか?

綺麗なピアノロールにしばし、旅の疲れがいやされた。

ファーストセットを聞いて、宿に戻った。


明日は、・・・・・・・少し、歩こうと決めていた。

辺野古の海が、浮かんできた。見たもの、そこの匂い、そんなものが浮かんでは消え、なかなか寝つけなかった・・・・・・・長い1日だった。

ここまで読んでくれたのか?ありがとう!ありがとう!!
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ラルフ・スタンレー 今月の僕の新譜その2(10・2月)。

2010-02-19 07:07:35 | お勧めCD/LPなど



CDの詳しい解説は、ダッフィーさんのブログがバッチリだ!
しかし、ダッフィーさん、良く知っている。
まずは、ダッフィーブログを見るべし!

ダッフィーさんのブログにGO!!なのだ。(ここ、クリックね)

このアルバムで、バリバリ歌ってる、チャーリー・サイズモアって、若いのは、弁護士らしいな・・・

力の抜けた、好みの歌い手だな。

ハイテンションの1曲目は良いね~(ダッフィーさんところで聞けるやつ)

んで、10曲目もお気に入り。


しかし、あちらのブルーグラスの3拍子を聞くたび、ワリワリには、このノリが出せないな・・と、うらやましく思うのだ?
日本人は、3拍子・・ヘタなのか?

まだまだ、ラルフさんのバンジョーも健在!あの、チョーキングを多用した「スタンレー節」が随所にブレイクで入ります。

ふと、思うのです。スタンレーブラザース・・そしてラルフ・スタンレーさんはのサウンドは、古いフォークが根っこにあって、本人達も大好きなのだろうな、と。

ブルーグラスも、モダンフォーク・ロック・JAZZ・カントリーと、どこかに片足を入れてブルーグラスやってると思うが、何処に片足が入っているかで、ずいぶんと違う物です。

スタンレーはね、僕の好み!

う~~む・・・しかしな、このジャンル、まず「名刺」だな。
それで、画像などあるのか?

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志太泉「開龍」なのだ・ある日の晩酌テースティングノートその121付き。

2010-02-18 00:06:11 | グルメだ!



我が家、「しゃぶしゃぶ」にはまっている。

出がらしにならない「肉」の旨さ・シャキシャキの新鮮な味の野菜。
これが、醍醐味である。
そして、料理を用意する僕にとっては、刻んでおくだけの、簡単さが良いのだ。



畑の白菜を消費しなければならない。白菜・豚肉・削ぎ切りしたニンジンを、煮るというより甘辛く炒める。とろみをつけて、「白菜旨煮」の完成である。



沢庵は大事。



僕のお酒には、ゲソのワタ炒めだ。実に旨い。




志太泉・開龍・純米生原酒(朝比奈山田錦100%)

株式会社志太泉酒造 静岡県藤枝市

ちょっと前、この「志太泉」をのみたおす記事を書いた。本日は、その純米生の原酒。

お米の特性を活かす為にあえて70%の精米とのことである。
吟醸香とは別の、香りも好感。原酒ならではの、重厚なお米の旨味があり、キレは良い。
お燗かも?次回は、燗を試すのだ。

良い酒です。




酒のうんちくなら、江戸の昔より「広島の西条・兵庫の灘・そして羽前大山が酒どころ」と称された。
こちら、城下町・鶴岡市の大山地区はかつて「東の灘」と称された酒のメッカというわけだ。

そして、この「大山」は名のとおり、この大山酒を代表する酒だと思う。

蔵元 加藤嘉八郎酒造(株)なのな。

さらりとした口あたり(山形は、このさらさらの酒が多い)、ほのかに漂う含み香は見事。
甘味が旨味と言える、銘酒だと思う。完成度高し。
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じんざぶろうだ~~・暫くブリなのだ~~

2010-02-17 07:03:10 | じんざぶろうログ


年寄りには、この2月の寒さはこたえるようだ。

じんざぶろうも、ストーブ前・エアコンの下・外・・と、居場所を探し、忙しい。


写真・「じんざぶろう・顔を撫でろ」と要求の図。

どうも本日は、俺のひざの上にしたようである。

んが、俺が動くと、爪など立てて、動くな!と、抵抗する。

あのな!俺のひざの上など、10年早いの!



そのうち、俺の腹を枕に、ご就寝であった。

じんざぶろう・・・長生きしている。存在感は抜群である。
順序があるなら、いつか、抜けるような青空の日に、お前は俺たちを残し、どこかに行っちゃうに違いないのだ。

長生きしろ!

そして、お前は、いつか「猫又」になるのだ。
その素質があると、俺は見た!

ネタが切れたわけじゃない・・・・・のだ。
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