館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

F本観光で行く沖縄2008秋その1・座間味の無人島なのだ。

2008-11-24 06:54:44 | 旅は続く


この日会社を3時ちょい前に早退。準備をし羽田に急いだ。那覇には10時の遅い時間には着くはずだ。飛行機は羽田でトラブルがあって、30分遅れで出発したが、それでも11時前には着いた。
この前日夜泊・そうすりゃ、翌日から丸々2日沖縄が堪能出来るのだ!

この日は、早速夜の町に繰り出し、2軒のはしごだった。その記事は後日。



多分夜2時頃就寝・朝は6時には起床。魚市場など散策し、9時の高速船を待った。すでに日差しは強く、半そででも暑かった・・・これから泳ぐのには、絶好の天気だ!ひとえに俺の行ないの良さのお陰か?



泊港を高速船「クイーンザマミⅡ」は出発した。1時間の船旅だ。
フェリーの揺れ方は嫌い。だいたい酔う。高速船の揺れはOKだで。



今回の民宿到着。送っておいた荷物を解き、泳げる用意。島にある1つだけのジェネラルストアで、酒・つまみ・弁当など購入。



無人島渡しの船に乗り換え、無人島に出発した。
でもよ~俺たち以外に2グループの先客があって、もうね、無人島じゃなかったのだ。




まいったな~~~~

美しいったら、ウツクシイ!!!!!!!!!!!

息を呑む別天地なのね~~

上陸後、ワリワリの仮住まいからの写真ね~



朝から何も食べてなかったのね。
そんで、乾杯&弁当ね。
こうした場所で食べる弁当は旨いね~~



仕入れたブツ。




島の周りはリーフで囲まれている。
波打ち際から、もう3メートルも入れば深場・浅場が入り混じり、驚くほどの熱帯魚の群れである。

F本氏は、デジカメ用の水中に入れられるカバーを持参。
二人で、海の中を撮りまくった。
すべて見せられないのが残念だ。



魚と群れるF本。



F本はシュノーケルの達人だが、僕はライフジャケットでプカプカだ。
疲れたら、仰向けで漂うこの方法は、実に楽ちんである。



疲れると昼寝もここちよいよ~



3時にはお迎えが来た。最後に絶景を1枚。



宿に戻りシャワー。F本はまったりを決め込んだが、宿の裏手の「高月山」に又登った。昨年集団自決の傷跡をめぐったコースをもう1度追体験した。
座間味はアメリカ軍が、最初に上陸した「沖縄」である。
本島上陸が1945年4月1日、その前週の3月26日に「慶良間諸島上陸」が始まったのだ。

ここ座間味では戦死者358名(他の戦線従軍中など含む)そして、その内177名が「集団自決」である。
大江健三郎氏の「沖縄ノート」で「軍の命令」が裁判で争われ(裁判を起こしたのは座間味の命令側の遺族・隣の渡嘉敷の元隊長である・そしてあの戦争の侵略行為そのものを否定したい右翼が群がっている)高裁判決は3月の一審・大阪地裁判決に続いて集団自決への「軍の深い関与」を認定するとともに、記述は名誉を傷つける内容ではないとした。

まだ10月・判決が下りたばかりである。

こんな場所を目で見て・空気を感じるのは、とても大事だと思った。

写真は「組合壕」ここでは50人を越えて、集団自決が行なわれた。



民宿のお母さんは、よその島から嫁いだ。
そのお母さんから話も聞けた。
この民宿のおじいの伝えばなしなど聞かせてもらった。
「おじいは鎌で身内を切る・・・そんな行為の目撃が今だ忘れられない(当然だが・・・)よ」とか「まだね裏の山はね、夜になれば軍人の亡霊がさ迷ってるよ」
などと、話された。

写真は高月山に続く、北西の山である。
当時は段々畑が作られていたとのこと。
今は、観光がほとんどの生活を支える島になり、民家の周りで、食べるだけの野菜が育てられている。



座間味はこの時期「感謝月間(3年前から始まる)」で土曜には、村民総出で、観光客向けのイベントが港の広場で行なわれている。

夕飯は民宿では出ない。その分お金は安い。

イベント会場では島にあるお店が出店を出し、食べ物や酒が販売されている。
値段は安い。



つまみを買い込み・泡盛三昧のワリワリ。



かなり旨い!



子供から大人まで、見事に練習された、「芸」の領域になった出し物が披露される。学校の学芸会のような素人芸では無い!



バーバー交じりだが、ベーベーも踊る。最終版は「ザ マミーズ」と言うバンドの演奏・やがて最後は「カチャーシー」を踊るのだが・・・
これが、F本のお目当てである。
彼は踊らないと・・・終わらない・・・いつもの如く、僕は中座・・部屋でまったりとお別れした。



たのしい・ややにがい・・・座間味をたっぷり満喫した。
何度きても良い島だ。
朝波止場で船を待つF本。




島の皆さんは、お別れに来てくれる。民宿のお母さんもおみやげに「サーターアンダーギー」を揚げて、見送りにきてくれた。

舟で、海を伴走してくれる宿まである。

観光客に最後まで思い出を残してくれる、そんな扱いに、すごいなと思った。

沖縄のたっぷりな1日が終わった。

これから本島を堪能だ・・・・・
コメント (14)
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