館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

僕の育った音楽・Eの仲間達・その3・ビル エバンス。

2007-09-29 05:13:25 | 僕の育った音楽


まあ、あっしなんぞが「ビル エバンス」をど~だ、こ~だ、と語ったら、その筋のフリークの皆さんに、お叱りを受けるでしょう。

でもね、好き!
いつも聴きたい訳じゃないが、時々無性に聴きたくなりますよ!
で、そんな日は、女房・子供のいない休日なんぞで、珈琲など飲みながら、ダラッとソファーなどに、身をゆだねて、聴きますね。

・ビル・エヴァンス・1929年8月16日アメリカ北東部ニュージャージー州の プレインフィールド生まれ。 
・お父さんはウェールズ出身で、お母さんはロシアからやって来た移民だったそう だ。

50年代のマイルスとの出会いと、白人としてメンバーに受け入れられなかったこと。

P・モチアン S・ラファエロを得ての、トリオでの出発、その成功。

そして、時多く経たずの、パートナー「スコット ラファエロ」の事故死。

ラファエロ亡き後、様々な試みでのJAZZの創造をかさねながらも、離婚直後の元妻の自殺や、お兄さんの自殺など続き、本人も、肝炎やドラッグの乱用で、ボロボロな体で、80年9月15日に亡くなったのであった。

上記のような、背景が、多くの語り部をもって、「ガラスのように繊細」「憂鬱」「影」などの形容で語られる。そして、禅や哲学の静かで、深遠な深さのJAZZとして語られているような気がする。

たしかに、ピアノの語り口は、物静かで、陰影にとんでいる。
白人のピアニストと限れば、僕にとっては、アル ヘイグそしてビル エバンスである。

メロ・・が綺麗なんだよな~

この人。


コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする