殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

秘密の言葉・4

2017年02月24日 13時43分37秒 | みりこんぐらし
本社営業部が入れてくるチャチャの中で、夫が最も傷ついた行為がある。

ある日、夫と懇意なA社の社長がやって来て言った。

「近々、大きな工事の入札がある。

取れたら、材料と運搬はあんたとこに頼みたいから書類を揃えてくれ」

公共工事には、入札という関門がある。

工事をいくらで請け負うか、値段を表示し

一番安かった業者に仕事が依頼されるのだ。


入札に参加を希望する業者は、工事計画書を公共機関に提出し

内容が認められればエントリーできる。

計画書には、落札したあかつきに参画する予定の会社が

提出する物も含まれる。

建設資材と運搬を生業とする我が社の場合

工事に必要な資材の成分分析表を始め

各種許可証、運搬車両の車種、ナンバー、車検証、免許証

保険証券などのコピーを添付してA社に託す。

この時点で、今回の入札においてA社と我々は一蓮托生の間柄となる。


特殊な工事だったため、入札のライバルはB社だけで

一騎打ちの結果、B社が勝った。

「悪かったね」

律儀にも謝りに来たA社の社長。

「なんのなんの、社長にご指名いただけて光栄でした」

「またやりましょう!」

「ぜひ!」


これで終了のはずだった。

しかしここで永井営業部長、登場。

「落札したB社に頼んで、工事に入れてもらってください」

何を言うか、永井‥

我々の業界で、それはホイト(この辺りの言葉で、こじき)と呼ばれる

最も恥じるべき行為である。


ひとたび入札で敗れたからには、たとえ食い詰めて死んでも

相手方に尻尾を振ることはできない。

声をかけてくれたA社への裏切りのみならず、業界で笑い者になってしまう。

笑い者になるだけならまだいいが、信用を失う。

口が固いことを求められる業界で、コウモリのように

あちこち入り込んでいては、誰も相手にしなくなるのだ。

これで仕事を失った会社をいくつも見てきた。


しかもB社は反社会勢力の企業舎弟。

こっちは付き合う価値無しと無視しており

B社もまた、盃を交わした兄弟同士が助け合えば

仕事はこと足りるので、うちに見向きもしないのだ。


永井部長は我々の仕事を知らず、また知ろうともせず

さらに地元の人じゃないので事情を知らない。

入札で負けたら終わりではなく、仕事はそこから始まると主張し

頼み込んで入れてもらうのを「営業努力」

怪しい会社と仲良くするのを「改革」と呼んだ。


永井部長は「頭を下げて頼みに行ってください」と夫に言い

夫は「絶対にできない、代わりの仕事も用意してある」と答え

「だいたい、何であんたがワシらの仕事に口出すんじゃ!」

と怒鳴った。

永井部長いわく「アドバイス」だそう。


こうして2人は決裂し、終了‥ではなかった。

永井部長は我々のボス、河野常務に言いつけた。

「独断が多く、やる気が見られない」


さあ、河野常務が会社にやって来た。

「おい、どうなっとるんじゃ?」

毎度、この展開。


夫はいつものように事情を説明するが、なにしろ生来の無口と口ベタ。

総合商社の花形部署、営業部トップの永井部長が

大バカなのだと言うわけにもいかず、口ごもる。


営業部の無知と無茶で突然始まり、やがて河野常務に言いつけられ

夫が苦手とする説明を求められる。

常務は口ベタな夫の説明を一生懸命聞いてはくれるが

子供の喧嘩に親が出たのと同様、解決に至ることはなく

「まあ、仲良くやってくれ」で終わる。

このもどかしい一連のプログラムが、夫には心底つらいのだった。


夫は愚痴を言わない人間だが、永井部長を軽蔑しており

その軽蔑する相手に何度も引っ掻き回されて

精神的に疲労困ぱいしているのはよくわかる。

この光景は、私にとって懐かしいものだからだ。

本能のままに突っ走り、言うことを聞かない人間がいると

強い者にあること無いこと言いつけ、後ろでほくそ笑む‥

それは昔、夫が私にしていた行為そのままである。

今の永井部長が昔の夫であり、河野常務が義父だ。

お帰り!因縁!


当時、私は「子供の為」と自分に言い聞かせ

ケリのつかない腹立たしさ、もどかしさを無理矢理踏み越えたものだが

夫に今さらそんなことを言ったって、屁にもならん。

彼にはやはり「国の為」で辛抱してもらうしかない。

「今は我慢の時よ!国の為よ!」

私は意気消沈した夫を励ますのだった。

寝ても覚めても国の為、降っても照っても国の為。

そうしているうちに、面白いことが起きた。


発端は、本社の社長が新年会で述べた話に始まる。

「皆さんに引き抜きの話があったら、すぐ僕に知らせてください。

相手の提示した給料の2倍払います。

これは皆さんと僕の約束です!」


直接聞いた夫や子供たちも、彼らから又聞きした私も楽しみに待った。

「ぜってー、ワナにかかるバカがいる」

この約束は、踏み絵だ。

引き抜かれる値打ちがあり、会社が手放したくない者にしか適用されない。

よそが欲しがる人材になれということであり

そうなれば、会社はお金を惜しまないという意味なのだ。


はたして、バカはいなさった‥営業部に。

永井部長の一の子分が引っかかったのだ。

引き抜きの話があった‥彼は社長に申し出た。

そして「どうぞ」と言われ、退社することになった。

我々一家が手を打って大喜びしたのは言うまでもない。


腹心を失った永井部長は、焦った。

失敗をなすりつけたり、行きたくない所に行かせていた人形が

いなくなったのだ。

取り急ぎ、新しい人形を確保する必要があった。

今度は自分の代わりに仕事を取ってくれる逸材が欲しい‥

彼がそう考えるのは、自然の流れであった。


《続く》
コメント (2)
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